地球ことば村
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異文化ワークショップ in 夢の島
パネルディスカッション「日本は 実は 多文化の国だった!」

日時:2008年11月16日(日)午後2時から3時
会場:夢の島・BumB東京スポーツ文化館
テーマ:単一文化と思い込みがちな日本には、多様な文化が息づいている事実を再確認
パネリスト:
 アイヌ文化の担い手 酒井美直(首都圏で活動のパフォーマンスグループAINU REBELS代表)
 琉球文化の担い手 下地賀代子(千葉大学非常勤講師(専門は琉球諸語・沖縄本島出身))
 在日韓国人 崔昌玉(神田外語大学韓国語非常勤講師・大分出身)
 在日フィリピン人 ローズ・マリー・青柳(横浜教育委員会・在日20年)
 在日ブラジル人 信重優子(通訳・中学時代に親とともに来日)

パネルディスカッションの様子

事務局から報告

 あいにくの雨模様でしたが、会場はほぼ一杯の参加者。司会のことば村・籏野さんから「まず、ウォーミングアップとして、首都圏に住んでいて、日常とまどうことはありませんか?」
 崔さん「電車がきちんきちんと頻繁にくるのにびっくり」信重さん「人が多くて歩くのが早い!外国人が多く色々な文化に触れられる」酒井さん「帯広で育った頃は東京にあこがれていたけれど、もし子どもを育てるとなったら、もっと自然な環境がいい」青柳さん「物のクオリティーが高いことと、会話がオープンではないことに気づくことが多いです」下地さん「時間に厳しい!沖縄にいるとき私は、3:00に会おう、と決まると、大抵3:00に家を出たりしていた。それでOKだったので、とても困った」(笑)

 各パネリストとも現在はそういう文化の違いを受け入れて生活されていますが、やはり違いが意識されることあります。
下地「昔は沖縄出身ということを隠して、名前を変えたひともいたそうです。今は逆に『いいね』といわれることがある。TVなどの影響でしょうか。でも決まったイメージで語られることが多いし、他の県とどこか違う受け取り方をされる。同じ『県』のはずなんですけれど」
崔「ひところの韓流ブームは沈静化しましたが、市民レベルでの交流は盛んになってきていますね。しかし、在日の事情は少し違う。在日3世の自分は本名を使っていますが、在日社会では本名と日本名を使い分けるひとは多い。僕は韓国へ行っても、よそから来たひと、日本にいてもそういう感じをもたれる。どちらにも属さないというか。しかし、どちらをも客観的に見られる、ということはありますね。」
酒井「政治が乗り越えられなかったものをエンターテイメントは一気に乗り越える。でもアイヌだけでなく、沖縄についても韓国についても、歴史認識が抜け落ちていることが気になります。それぞれの文化に親しむ人口が増えること自体はいいと思いますが。また、メディアの中では受け入れても、実生活で受け入れるかは? まだその感覚は育っていないと思います」
信重「在日ブラジル人のこどもの教育は、改善はされてきていますが、まだ環境が整っているとはいえない」
青柳「教育委員会に携わっていると、日本の学校のルールなど変だなぁと思うことがたくさんあります。例えば、髪型やスカート丈などの規制、現金を持ち込んではいけない、など。子ども自身に考えさせない。なぜ?とこどもに聞いても理由を答えられない。そういうルールが多過ぎると思います。自分のしていることの周囲への影響を自分で考えさせることが大事だし、また、大人がこどもとともに外国へ目をむけて、世界についてこどもと話し合って欲しいです」

 会場からも質問が出ます。「少数民族や移民の文化を尊重しながら、『その場所』に住む、ということはどういうことになるのでしょう?つまり、さまざまな出自の文化的背景をもちながら日本に、あるいは一般にある国とその文化の中で生きるということの意味をどう考えたらいいでしょうか」特定文化アイデンティティーを保持して他・多文化的に生きるという難題です。
 それに対して、酒井さんから「自分がなにものか、がはっきりしていないひとが多いと思います。自分自身を受け入れることが重要。これが強さになる」まず、自分がはっきりすることで、その場所の文化とも折り合いをつけることが可能になるということでしょうか。下地さんも「どうしても本土と沖縄、という構図で考えられがちですが、沖縄の内部にもさらに、本島と沖縄本島以外の離島という構図があります。父は多良間島生まれで、そのことばを話しますし、多良間の人間だというアイデンティティーをはっきりもっているけれど、私はまだ、定まっていない状態ですね」

パネリストたちと展示 人や情報が流動する社会では、「私」は重層的多面的な存在にならざるを得ないーそういう状況で、自分は何者かをはっきりさせることが、これまで以上に大切になるのだと思わされました。それなしには相手のことも本当にはわからないし、お互いを尊重することもできない、と。
 パネリストそれぞれの担う文化から、日本の今に光があてられた貴重な時間でした。ぜひ2回目を、という声もあがりました。(ほんとうにそうですね!)
 今回の詳しい内容は、追ってことば村ホームページで公開する予定です。

文責 事務局