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ことば村・ことばのサロン

2018・2月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「慈悲と恩―北タイの民間医療にみる言葉のやりとり―」


● 2018年2月24日(土)午後2時-4時30分
● 中目黒スクエア内青少年プラザ5階会議室
● 話題提供:古谷伸子先生(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所フェロー)


講演要旨

はじめに

 私の専門は文化人類学で、主に北タイをフィールドに民間医療について研究しています。今日は、人を癒やすというのがどういうことなのか、北タイの民間医療の現場から考えてみたいと思っています。その際にキーワードとなるのが、「慈悲」と「恩」です。
 前半で北タイの民間医療の概要を説明し、後半で治療師とクライアントのやりとりの事例を見ていきたいと思います。

 これまでタイ北部のチェンマイ県を中心に調査を行ってきました。最近は東北部からラオスにかけても調査していますが今日はチェンマイ県の事例をご紹介していきます。チェンマイ県には2005年7月から2006年10月に長期調査に入り、民間治療師の自宅に滞在して治療の実践の参与観察、民間治療師ネットワークの活動の参与観察、治療師や関係者へのインタビューなどを行ってきました。その後も毎年約三週間の継続調査をしています。今日取り上げる事例は最初の滞在時のものを中心にしています。


古谷伸子先生


タイの伝統医療(タイ医療)

 タイの医療について述べるときに、私は伝統医療と民間医療という語を区別して使っています。
 タイにおける伝統医療は、特に1993年に保健省医療局内に設置されたタイ医療研究所を中心に、「タイ医療」として制度化・普及活動が進められてきました。歴史的には17世紀後半のアユタヤ朝ナーラーイ王の治世には宮廷医たちによって実践され、理論体系の基礎が成立していたとされます。その理論的基礎とは、

① タート(大素)
四大素(土水風火)の不均衡によって不調が生じる。不均衡を起こさせるのは季節、年齢、出生地など。不均衡に対しては生薬を用いる。
② セン(スジ)
センの異常によって不調が生じる。主なセンとして10本が挙げられている(イター、ピンカラー、スマナー、カーラターリー、サハットサランシー、タワーリー、チャンタプーサン、ルタン、スクマン、シキニー)。センは体中に走っているが、リチャード・ゴールド編「タイ式マッサージ―タイ伝統医療の理論とテクニック」によれば、例えばセン・イターは左の鼻孔から始まり、頭頂部から背中を通って左膝から腿の前を通り、臍の外側にあるポイントで終わる。それぞれのセンに対応する症状があり、セン・イターの不調は頭痛、首の凝り、鼻の不快感、風邪、腹痛、貧乏揺すりなど。センの異常に対してはマッサージを用いる。

 タイ医療の制度的な面を見ると、仏歴2542年(1999)医療行為法、仏歴2510年(1967)薬事法、仏歴2541年(1998)医療機関法の中で規定されています。医療行為法の中で、タイ医療における4種類の医療行為許可証が定められています。タイ医学・タイ薬学・タイ助産学・タイマッサージです(※タイマッサージは2001年に追加。後述する事例の調査時の状況)。これらの資格を得るためにはカリキュラムに従って学び試験を受けて合格する必要があります。


民間医療

 今日のテーマである民間医療は、理論や治療法において多くの共通点をもちながらも、中央で伝えられてきたタイ医療とは異なり、地方ごと、治療者ごとに独自に伝えられてきた土着の医療です。その主な担い手は民間治療師(モー・プン・バーン)、北タイではモー・ムアンと呼ばれる人々で、もともとは治療を職業とはしていませんでした。ムアンは「マチ」「クニ」といった意味で、13世紀終わりから20世紀初めにタイ北部からビルマ、ラオスの一部を領土としたラーンナー王国の時代、川に沿って「ムアン」が点在していました。コン・ムアンはムアンの人、チェンマイをはじめとするムアンがあった北タイの平地出身者ということなのです。民族名ではありませんが、独自のことば「カム・ムアン」、文字「トゥア・ムアン」もあります。モーは医者、伝統的知識の専門家という意味で、モー・ムアンは北タイの平地の医者という意味です。


モー・ムアンの治療技法

 モー・ムアンは実にさまざまな技法を使いますが、それらは「心の薬」と「身体の薬」と表現されます。心と身体に働きかける全体的な技法です。あるタイ人の民間医療研究者は、民間医療を身体療法、薬草療法、食餌療法、儀礼療法(精神療法)とカテゴリー分けし、その中にモー・ムアンの技法を分類しています。
 モー・ムアンの技法は病気の原因に働きかけるものですから、まず土着の病因論を説明しておきましょう。病気を生むものとして以下のものを挙げることができます。

クワン(魂) カム(業) チャター(命運) コ(不運・悪運)ピー(霊)ピット(毒)呪術(邪術)エン/セン(スジ)タート(大素 ※特に風)

 クワンは魂を喪失したために不調が起こる、あるいはカム、カルマですね、過去のカルマが現在の自分に影響して不調を引き起こしている、など。最後の二つはタイ医療の病因論と同じです。
 モー・ムアンの技法について、いくつか具体的にご紹介したいと思います。

① 生薬
 チェンマイの調査地は、山に囲まれた緑豊かな場所です。調合する薬によって何種類かの薬草を、その薬草が必要になったときに、必要なだけ山や森に入って採ってきます。治療師はふだん歩いているときにいつも、どこにどんな薬草が生えているかを注意していて、何カ所か把握している。そしてその記憶をたよりに短時間で効率的に薬草を集めます。初めて薬草集めに同行した時に、日本の森と非常に違うのが衝撃的でした。とにかく蚊が多い。止まると肌が出ているところをすぐ刺されるので、動き続けて用が済んだらすぐに出るということです。
 薬草によっては一年のこの季節しか収穫できないというものもあります。例えばサーラピーという花樹の花の部分を使うのですが、乾期の間に木の下にシートを敷いてハラハラと落ちてくる黄色い花を受け、たまった頃に集めに行きます。そして、次の年の収穫時期まで使うのです。ウコンなど頻繁に使う薬草は畑で栽培もします。掘り出したウコンの一部をポキンと折って、また穴の中に埋め戻し、2、3年後にまた収穫するという、管理があまり必要ない大雑把な栽培法です。集めた薬草は洗って刻み、天日干しやビニールハウスの中で乾燥させたり、とろ火であぶって乾燥させたりします。乾燥させた薬草は種類ごとにカビが生えないように密閉容器で保存しますが、時間とともに薬効成分は減っていくそうです。
 こうした薬草は薬方に従って加工されますが、薬の形状によって呼び方が違います。機械を使って粉末にした粉薬には例えば糖尿病の薬や胃薬などがあります。粉薬は口に含んで水で飲んでいました。村人は今もそうしていますが、地域の人々だけでなく、バンコクなど都市部からも注文が来るようになったのでカプセルに詰めたりもしています。日本でハーブというと葉や花のイメージですが、ご紹介した薬草は木の幹や枝、根っこの部分があるので、粉のままだと飲みづらいからです。
 煎じ薬もあります。薬草を束ねて水に入れて火にかけ薬効成分を溶け出させる。煎じ薬は主に腰痛、関節痛、利尿作用を促す時に使われます。それからヤー・フォンというのですが、砥石のようなものを水に入れ、薬草をこすりつけて水に溶かしていく。頭痛薬や食あたりの薬があります。この方法で作られる生薬が最も古いタイプだと聞いています。昔は行商の際に持って行き、旅の途中で病気になったときにはこの方法で生薬を作ったそうです。また油に薬草を入れてとろ火で一日煮て濾すものもあります。やけどや切り傷のための塗り薬やマッサージオイルなどです。鍋の内側には、土着の病因論で触れた霊や呪術を押さえる呪文が彫られています。



② トーク・セン(センを打つ)
 北タイ独自の方法ですが、センに沿って、円筒形の木の杭を滑らせ、その上を木槌でトントンとたたいて刺激を与える治療方法です。雷に打たれたタマリンドの木で作られた道具が一番効果があると言われています。頭、心臓、骨の上などは打ちません。

③ ヘーク(剃る・剥離する)
 身体の中心部から外側に、あるいは上から下に向かって道具でこすっていく方法で、呪術やピット(毒)が疑われるときに用いられます。道具はイノシシの牙、鹿の角など野生動物の一部から作られたものが多いです。

④ ヤム・カーン(犂を踏む)
 鉄製の犂の先の部分を熱し、治療師が薬をつけた足を犂で温めた上で患者のセンを踏むという治療法です。足の指やかかとを使って刺激するのです。

⑤ ティアン・ブーチャー(祈願のろうそく)
 それぞれの効果が期待される護符を芯にした蜜蝋のろうそくを灯すもので、例えば恋愛成就のろうそくは、その人が身につけていたシャツの切れ端を芯にしたりもします。人に好かれる効果のろうそくは商売繁盛のためにも求められ、ほかに悪霊よけ、家内安全などもあります。

⑥ ソン・コ(不運を払う)
 儀礼の道具に不運を乗せて、村はずれの森の中などへ捨ててくる、というものです。

⑦ ヤン(護符)
 ろうそく用ではなく、護符として身につけたり、貼ったりするものです。布にかかれたもの、金属板に彫って丸めてひもを通し身につけるもの、刺青もあります。刺青は男性用だったのですが、最近は女性もするようになりました。墨は落ちないので、ごま油ですることもあります。一ヶ月くらいは痛みが続くようです。痛みに耐える勇気のある証でもあったということです。男性に人気のある護符は、ナイフの刃が当たらない、銃の弾が逸れる、危険を回避するものですね。

 こういう技法の知識はどこから得られるのかというと、まずは親や祖父母などが治療師であって、家庭内で見て学んだ場合です。それから子どもの時に一時出家し、寺院で文字を学び、治療法やその基礎を学ぶ場合もあります。ほかの治療師に弟子入りすることもあります。あるいは治療法の書かれたテキストを借りて自分のテキストに写し習得していく、など。最後に、これが最も重要ではないかと思われるのですが、実際の治療経験によって知識を習得していくことがあります。テキストの薬方で薬を作って自分や家族で飲んでみる、クライアントに試してもらって感想を聞くなどしてよりよい薬方、より効く薬方を探していきます。
 このようにして得られる治療師の知識は、当然ひとによって異なる、個別的なものとなります。治療師の得意とすることも変わってきます。逆にオールラウンド的になんでもできる治療師は少ないといえます。


ワイ・クー(クーを拝礼する)

 得られた知識を実際に使って効果を得るためにはクー(師)の力を借りることが必要と言われ、そのため治療に際してはクーを拝礼します。クーとは、起源から現在に至るまで、その知識を伝承してきたすべての師を含む集合概念で、神話的存在も、実際に自分が師事した師も含んでいます。クーはしばしば偶像化され、祭壇にまつられています。仏陀、仏陀の侍医であったジーヴァカ・コーマーラパット、隠者、高僧、観音菩薩などもみなクーの系譜に位置づけられます。(画像)この祭壇の持ち主の治療師は子どもの頃に治療師だったおじいさんが自宅で患者を診ているのを見て、知識を身につけていったと言います。そのため祭壇にはおじいさんの写真も飾られています。



 クーは治療師の力の正当性を保証するもので、治療師は偉大なクーの伝えてきた知識の継承者として位置づけられることで権威を獲得するのです。治療師は治療を始める前、あるいは弟子に知識を教える前に、カン(高坏)にポップライスや花、線香、ろうそく、現金、続けて行う治療に使う用具などを入れてクーに捧げます。また一年に一度、北タイ暦9月にさまざまなクーの好物を供えてクーの拝礼儀礼(ワイ・クー)を行います。


唱恩の句

 ワイ・クーの際に唱えられる祈祷の中に以下の唱恩の句というものがあります。

「Iti pi so bhagava 私の手、10本の指を全て、眉間に持ち上げ、拝礼し、跪拝いたします。私は思い起こします。21のお父様の恩、12のお母様の恩、39の稲の守護女神の恩、56の仏陀の恩、38の仏法の恩、14の僧伽の恩、21の土地の女神の恩、12の水の女神の恩、6の火の神の恩、7の櫂の恩、41の文字(akson)の恩、33の文字(akkhara)の恩、10方のお師匠様の恩、戒和尚の恩、羯磨師の恩、教授師の恩、 アサーワータの恩、パサーワータの恩、ミサーワータの恩、3種類の宝の恩、5戒の恩、8戒の恩、10戒の恩、227戒の恩、4向の恩、4果の恩、1の涅槃の恩、合わせて9種の出世法の恩、その威力によって 私はあらゆることが成就しますように。ナーロート隠者の恩、ナーラーイ隠者の恩、ターファイ隠者の恩、ナーグワ隠者の恩、プライコーティ隠者の恩、ポンヤーシット隠者の恩、ソムミット隠者の恩、108の神通力を持つ隠者の恩、神通力・波羅密を有する全ての方、シヴァの恩、インスワンの恩、帝釈天の恩、大梵天の恩、耶麻天の恩、ナーラーヤナの化身の恩、4の下天の守護天の恩、マートゥリーの恩、土地神の恩、人間たちにおいて尊敬される王子、30波羅密の仏陀の恩、8400編の仏法の恩、3宝の恩、仏舎利の恩、仏塔の恩、光明輝かしい大菩提樹の恩、4の仏殿全ての恩、モッカラーナ比丘の恩、サーリブッタ比丘の恩、アヌルッタ比丘の恩、ウパクットテーラ比丘の恩、アーナンタ比丘の恩、カワムボディー比丘の恩、トリーニシンヘー比丘の恩、数字の恩、護符の恩、1000の呪文の恩、薬草の恩と薬の恩全て、6の太陽の恩、15の月の恩、8の火星の恩、17の水星の恩、10の土星の恩、19の木星の恩、12の月食の恩、21の金星の恩、9の海王星の恩、今までに生まれてきた全ての仏の恩、成就しますように。Siddhikiccam siddhikammam siddhikariyam tathaghato siddhitejo jayoniccam siddhilabhonirantalam sabbha sotabhi bhavantu me」

 原文はムアン文字で書かれていて、和訳の部分はムアン語(北タイ語)、最初と最後のアルファベットの部分はパーリ語で書かれています。

 クーは代々伝承した知識を与えてきた師、治療において効果を発揮させるように力を与えてくれる師、治療師に対しては知識と力を与える存在です。それに対して治療師は供物、カン・クーを捧げて饗応するわけです。ただ畏れ敬うだけでなく、与えてくれた恩に報いることでもあります。治療師とクライアントの関係においては、治療師はクーの末端に連なっているわけですからクーに対する恩がクライアントにあるわけです。
 クーを崇拝するということはモー・ムアンにとって非常に重要なアイデンティティです。2004年から保健省タイ医療代替医療開発局主催で毎年一回バンコク郊外のインパクト・ムアン・トーン・ターニーで五日間ひらかれている全国生薬博覧会には、製薬会社や政府関連団体のブースと並んで、地方の治療文化紹介のブースも出店しています。4地方の民間治療師も参加して治療知識を来場者に紹介します。
 この博覧会でもモー・ムアンのブースではクーの祭壇を作り、会期中毎朝ワイ・クーを行っていました。そのように北タイの民間治療師モー・ムアンとしてのアイデンティティをクーの拝礼によって表明しているのです。


現代タイにおけるモー・ムアン

 中央における伝統医療の制度化・普及活動と並行する形で、 北タイでは特に1990年代以降、エイズの社会問題化や伝統医療への人々の関心の高まりなどを受け、治療師たちの役割が増大しました。その過程で民間治療師のグループ化、ネットワーク化が進み、治療師たちはそれらを媒介にさまざまな人々、機関とつながっていきました。グループでの活動は、治療師たちに新たな知識と経験、そしてクライアントを得る機会をもたらしました。
 例えばラーンナー・モー・ムアン・ネットワークでは、知識の収集・交換、紹介活動を行ってきました。テーマを設けて会議を開き、それぞれの治療師が集まって自らの治療知識や経験について話し合います。それをスタッフが書き留めて整理し、そうして集まった知識をわかりやすい形で一般の人に紹介しています。コミュニティラジオ局でモー・ムアンがNGOスタッフと一緒に土着の健康ケアなどについて一般人向けの話をすることもあります。治療師の自宅にメンバー治療師が集まってそれぞれの得意技法を来場者に紹介・施術するイベントもあります。
 こうした活動は地域社会だけでなく、先ほどの全国生薬博覧会やほかの地域に行って紹介イベントをすることもあります。そんな場で新しいクライアントや活動機会を得ていくわけです。近年、治療師のなかには雑誌などマスメディアで取り上げられた経験をもつ人もいて、クライアントは地域住民に限らず、全国に広がっています。そのような治療師であるSさんの事例についてお話しします。


治療師Sさんの事例

 1990年代初頭のエイズ危機以降、北タイの民間治療師が世間の関心を集めるようになり、Sさんは全国規模の新聞などに少なくとも4回は取り上げられてきました。肯定的に取り上げられた時の反響は大変大きかったのです。2006年10月放映のタイ国営放送局のTV番組「タイ医療の土着の知恵」(25分間)に出演したときなど、放映後一週間は一日中問い合わせの電話が鳴り止まなかった、といいます。放映後およそ2年4ヶ月にわたってつけていたクライアント記録を、彼の協力を得て私が整理しました。どんな病名・症状のクライアントがいたのか、どんな薬を求めて連絡してきたか、がわかります。
 症状については、番組で大きくとりあげたHIV/AIDSとガンがおのおの30%程度を占めています。同じく番組で言及された糖尿病が続きますが、言及されなかった多種多様な病気も四分の一を占めています。多い順に、ガン、HIV/AIDS、痛風、糖尿病、痔、強壮薬がほしい、皮膚病、膝・腰・関節の痛み、アレルギー、胃病、虚弱、頭痛、腹痛、喉の痛み、めまい、食欲増進薬がほしい、麻痺、結石、リューマチなどです。
 病名がはっきりしていることから明らかなように、クライアントはまず近代医療機関を受診して診断を受けたひとが、ほかにもいい治療方法がないかと訪ねてくるのです。


事例① ガン患者(60代男性)

 2005年12月にのどが痛くて声が出ず、話せなくなりました。 まず行政区の保健所で抗炎症剤と鎮痛剤をもらって服用するも、治りません。上のレベルの郡病院、そして隣郡のクリニックへ行くが原因がはっきりしないのでマハーラート病院(チェンマイ大学医学部付属病院)へ行き、そこで内視鏡でのどにできたかたまりが発見され、一部をそのまま切除。その時、原因ががんであったことは本人には知らされなかったのですが、家族には医師から「余命1ヶ月」だと告げられました。それから毎月、病院に3晩入院し、抗がん剤投与と放射線治療を受けるようになりました。診断後、病院での治療を開始する前に抜歯をして自宅で休んでいる頃、近隣寺院の僧侶に紹介されて治療師のもとへ来て生薬を服用するようになりました。
 その結果、「他の患者はみんな治療の副作用で髪が抜けたが、自分は抜けなかった」といいます。放射線治療は月に2回、全部で31回受け、その後は半年に1度検査を受けて様子を見ているそうです。
 聞き取りを行った2009年9月時点では、治療師が調合した粉薬を毎日2種類、3食後と就寝前に飲んでおり、その他には一切治療を受けていませんでした。薬は治療師の自宅まで自分でバイクを運転して取りに行っているそうです。「病院で治療を受けてからナーム・プー(沢蟹を煮詰めて作る北タイの調味料)の入ったおかずを食べたら全身に発疹がでてしまった。でも、今は何でも食べられる」ということで、安定した病状、治療に満足していると語っていました。


事例② HIV感染者(40代女性)

 2007年9月に他県から治療師を訪問。HIVに感染しており、三年前から途中で種類を変えながら抗ウィルス剤を服用しています。「薬(抗ウィルス剤)を飲み始めた頃は何の症状もなかったが、薬を飲んでからだんだん具合が悪くなり、痩せてきてしまった。体重は変わらないが、頬、二の腕、お尻の肉がなくなって、知り合いには『痩せた』と言われ、病人のように見られる。脂肪が移動してしまった。お腹も痛いし、日光に当たると手足に発疹が出て短いズボンやシャツは着られない。コレステロールが上がって糖尿病にもなっているし、貧血、肝機能の低下、全ての組織がダメになってしまった。… 医者は薬を出したらそれで終わり。患者は大勢いるし、時間がないから説明もしない。体調が悪いと言っても、冗談を言って笑わせられてなだめられてしまう。でも、それとこれとは別の話。」
 Sはクライアントの話を聞いてから、一緒に話し合いました。自分の薬を飲んでいるHIV感染者の例を話したりし、最終的にSの薬を飲むかどうかの決断は次回の通院時に医師に聞いてから行うことに決まりました。彼女は「もし抗ウィルス剤をやめるのなら、もうずっとやめるつもり」と言い、Sはその日、彼女が訴えていた腹痛を緩和する粉薬と、これまでの治療経験から感染者のためにリストアップした「食べられる食物」と「食べてはならない食物」の一覧表のコピーを渡し、食事について助言しました。(このリストはHIV感染者がSの食餌療法についての話をもとに作成し、Sにプレゼントしてくれたもの)
 クライアントがSの家に滞在したのは約1時間半でしたが、帰り際に「こうやってゆっくり話すのはいい」と言い、納得いくまでコミュニケーションを取れることに満足しているようでした。 後日、彼女から電話があり、結局、抗ウィルス剤の服用を続け、Sの薬は飲まないことにしたとの報告がありました。しかし、Sを訪ねて話ができたためにいくらか気が楽になったことは見て取れました。


事例③ 一時的不調のために(30代女性)

 1993年に友人の母親を介してSのことを知って以来、バンコク在住の彼女は、体調が悪いと電話で相談して薬を用意してもらっています。持病であるアレルギーの薬のほか、胃薬、頭痛薬など、その時々で様々な薬を飲んでいます。問題を知るために病院へ行くことはあるが、診断を受けると病院で処方された薬は飲まずSに相談するそうです。病院で処方される薬あるいは市販薬を飲まないのは「化学物質が残るのがこわいから」だといい、それに対して民間治療師の薬は森へ行って自分で採ってきたものだから安心できるのだと言います。


治療師の薬が求められる背景

 クライアント記録を整理したデータから言えることは、治療師の薬が求められる背景には、主として慢性的な病気や痛み、化学物質の毒性に対する不安や嫌悪などが見られるということです。そこでは、治療師の薬が近代医療における治癒の難しさや副作用からくる補完代替医療として、あるいは化学的なものに対する自然のものとして選択されている様子を見てとることができます。


治療行為とその返礼

 伝統的には、薬やその他の治療行為に対する返礼は「ダム・フワ」というかたちをとって行われてきました。現在では他に、治療師の自宅の場合にはカン・クーに現金を入れたり、薬やモノのやり取りの場合には現金を直接手渡ししたり銀行口座に振り込むこともあります。
 一般にダム・フワとは、自分が尊敬し崇拝する年長者、あるいは自分を庇護し援助を与えてくれた恩人に対して日頃の無礼の許しを乞い、敬意を表す北タイの慣習で主に4月13日~15日の3日間にわたるソンクラーン(タイ正月)の期間中およびその後1~2週間の間に行われます。儀礼的に用意された花や線香のようなものと、贈りもの(食品、日用品、嗜好品、現金など)が差し出されます。
 治療師へのダム・フワですが、まずなんらかの不調を抱えたクライアントが治療を乞う。それに対して治療師は無償で治療を行います。回復後、あるいは次のソンクラーン、出産の場合は産後1か月の養生期間明けなど、それぞれの状況に応じたタイミングで治療師を訪ね、ダム・フワを行います。治療師へのダム・フワは一回にとどまらず複数回、数年に渡ることもあります。治療師からダム・フワを求めることはなく、世話になった側が自発的に行うものです。治療師は謝礼のためではなく、無償の治療、贈与としての治療、慈悲による人助けをしているのです。クライアントはそういう治療師の恩に感謝を表すためにダム・フワという形で応える。何を渡すか、お金の場合はいくら渡すか、というのはすべてクライアント次第で、そこに治療師が口を出すことはありません。
 治療師の、謝礼に対するこうした無頓着な態度と無償の人助けの精神は尊敬されるべきとされていて、クライアントは敬意を含んだダム・フワという形を取るのです。


治療師とクライアントの関係/クーと治療師の関係

 伝統的に、治療師はポー・リエン(養父)クライアントはルーク・リエン(養子)と呼ばれていて、無償の治療とその恩に報いる返礼によって、両者は互酬的関係を築いていました。ここにクーと治療師の関係を加えると、クーは治療師に知識を与え、治療師はそれにカン・クーで感謝を捧げる、治療師とクライアントの関係も同様のことがなされています。
 治療師Sは治療師の精神として次の五つに表現します。

① メーター(meta, 慈)、カルナー(karuna, 悲)、 ムティター(muthita, 喜)、ウベカー(ubekkha, 捨)
② 薬草を愛する心
③ その分野における研究心・探求心
④ 正直で偽りのない真実の心
⑤ 他人のものを必要以上に取らないこと

 クライアントとの関係において重要なのは①の仏教的価値です。メーターは他者に安楽を与える慈しみ、カルナーは他者の痛みに同情、共感し救済しようとする思い、ムティターは他者の幸福をともに喜ぶこと、ウベカーはこだわりを捨て、心の平静を保つこと。慈悲によって治療師はクライアントの痛みを除き、心の安定を保つよう手助けするわけです。病気だけでなく、経済的に困っているひとには無料で薬をあげたり、若くしてHIVに感染したひとには同情し、家族を元気づけたりします。これらは心の薬とも言えるかと思います。
 しかし無償の人助けだけをしていると治療そのものが立ちゆかなくなってしまいます。そこにジレンマがあります。あるクライアントの手紙、それは紙を買うお金もなく、銀行の用紙に書かれていたのですが、内容は次の通りです。

「私は、治療師さんが、病気を治療する伝統的タイ生薬についてのテレビ番組に出ているのを見ました。 私は興味を持ち、病気を患い正しい治療を待っている人にとって有益だと感じました。私が今回、治療師さんに手紙を送ったのは、私が長年、持病として重い痔を患っているからです。近代薬を飲んでも治らず、緩和するだけです。私は治療師さんに薬を用意して郵送していただきたいのです。私は貧しくて食べていくにも満足でありません。お金もあまりありません。銀行から治療師さんにお金を送ることもできますが、治療師さんが私のような貧乏人を助けてくださるならそれはとてもうれしく感謝いたします。御恩は忘れません。…」Sはこうしたクライアントにしばしば無料で薬を送ったりしたそうですが、彼自身も裕福ではない農民なので、人助けと収入を得ることの間に葛藤があるのです。


おわりに:人を癒すということ

 人の痛みを癒す、人を助けるということは常に贈与的性格をともなっていると考えます。治療師Sも贈与への意欲を強く抱いています。しかし、貨幣経済の浸透した現代の文脈において、しばしば治療行為は贈りものと商品のあいだを揺れ動いています。
 本日はご静聴下さりありがとうございました。

(文責:事務局)