イテリメン語は孤立語だった CES13, 2011.07

1.  古アジア諸語

1.1. 古アジア諸語の研究

 シベリア西部のイェニセイ川流域から、ベーリング海峡を東に超えてアラスカ半島の一部にかけてかけて大小の個性的な言語があちこちにおこなわれてきた。これらの言語を、アルタイ系、チュルク系、ツングース系の諸言語と区別して、ひとまとめに「古アジア諸語」と名付けたのはロシアの言語学・民族学者L.I.Shrenk (1883-1903)であった。その後これらの言語は1930年代にいたるまでにJochelson,B.(1855-1947) Vogoraz-Tan,V.G..(1865-1936)によって本格的な言語学的・民族学的研究への道へ導かれた。しかし各言語についての詳細な研究が互いに関連して開始されたのは1960年代であった。その研究交流の中心はLningradのソ連科学アカデミーの言語学研究所であった。そしてその体制はソ連崩壊後もSt.Petersburgのロシア科学アカデミーに引き継がれて、ゲルツェン大学北方学部と協同で今日もなお行われている。

 この研究過程で古アジア諸語の形態論的構造と分類、系統関係についても一定の主張がなされてきた。前世紀末の1997年にはVolodin, A.P.を中心にして、これまでの古アジア諸語(以下できるだけPAlgsと表示)の研究が総括されて、『世界の言語』のなかの『古アジア諸語』の巻(229ページ)に納められた。その目録は、英文目次によるとつぎのようである:

1.2. 古アジア諸語 PAlgsとはどんな言語か?

(1) PAlgs according to Paleoadoyatskii Yazyki 1997 Contents:

Paleoasiatic languages (Volodin, A.R.))

1. Chukchi-Kamchatkan language (Volodin, A.R.)

1.1 .Chukchi (Volodin, A.R., P,Ja.Skorik)

1.2. Koryak (Zhukova, A.N.)

1.3. Kerek (Volodin, A.R.)

1.4. Itelman (Volodin, A.R.)

2. Eskimo-Aleut languages (Vakhatin,N.B.)

2.1. Asiatic Eskimo (Siberian Yupik) (Menovschikov, G. A.)

2.2. Sirenik Eskimo (Menovschikov,G. A.)

2.3. Bering Straight Eskimo (Menovschikov,G. A.)

2.4. Alaskan Yupik Languages (Vakhatin,N.B.)

 2.5. Alaskan Unupiat (Vakhatin,N.B.)

 2.6. Canadian Inuit (Vakhatin,N.B.)

   2.7 Greenlandic (Vakhatin,N.B.)

2.8. Aleut (Golovko, E.G.)

2.9. GopperIsland Aleut (Golovko, E.G.)

3. Ainu (Alpatov, V.N.)

4. Nivkh (Gruzdeva, E.Ju.)

5.Yukagir (Nikolaeva, I.A., Helimski, E.A.)

6. Yeniseian languages (Werner, H.)

6.1.Ket (Werner, H.)

6.2.Jug (Werner, H.)

6.3.Kott (Werner, H.)

7. Burushaski (Edelman, D.I.)

(但し、()内は著者ないし編者示す。)

(1) Volodin たちがが考えているように、PAlgsとはつまりこれらの諸言語であることを示しているので、これ自身がPAlgsの外延的定義である。しかし大きな問題がまず2つある。1はPAlgsの内部構成の問題、2は7. BurushaskiPAlgsに含まれるかどうかである。

1.3. PAlgs はどのように構成されるか?

PAlgsは3種の語族と4つの孤立言語を含む。

3種の語族とは

(2)

<I> 1. Chukchi-Kamchatkan language (Volodin, A.R.)

1.1 .Chukchi (Volodin, A.R., P.Ja.Skorik)

1.2. Koryak (Zhukova, A.N.)

1.3. Kerek  (Volodin, A.R.)

1.4. Itelman (Volodin, A.R.)

<II> 2. Eskimo-Aleut languages (Vakhatin,N.B.)

2.1. Asiatic Eskimo (Siberian Yupik) (Menovschikov,G. A.)

2.2. Sirenik Eskimo  (Menovschikov,G. A.)

2.3. Bering Straight Eskimo (Menovschikov,G. A.)

2.4. Alaskan Yupik Languages   (Vakhatin,N.B.)

 2.5. Alaskan Unupiat (Vakhatin,N.B.)

 2.6. Canadian Inuit (Vakhatin,N.B.)

  2.7 Greenlandic (Vakhatin,N.B.)

2.8. Aleut (Golovko, E.G.)

2.9. GopperIsland Aleut (Golovko, E.G.)

<III> 6. Yeniseian languages (Werner, H.)

6.1.Ket (Werner, H.)

6.2.Jug  (Werner, H.)

6.3.Kott (Werner, H.)

であり、確かにこれらは、第一に基本的な語彙の共通性、第二に伝搬・分布の可能性、第三に形態構造の共通性というわかりやすい基準に照らして、おおまかに系統論的な群化が可能にみえる。

PAlgsにはさらに4つの孤立的な言語が含まれる。

(3) PAlgsの孤立言語

3. Ainu (Alpatov, V.N.)

4. Nivkh (Gruzdeva, E.Ju.)

5.Yukagir (Nikolaeva, I.A., Helimski, E.A.)

7. Burushaski (Edelman, D.I.)

このうちアイヌ語、ニヴフ語、ユカギール語の三言語はいわば古典的な古アジア諸語であり、この分類に異議を申し立てる要はない。

ただ、Edelmanのまとめた7. Burushaskiは最近になってPAlgsのなかに編入された言語であるが、この言語について予備的に見ておきたい。

1.4. BurushaskiPAlgs

 Burushaski(「ブルゥーシャ語」とでも呼ぼうか)はシルクロードの言語の一つである。この言語はパキスタンの北部カラコルム地域の3箇所フンザ、ヤシン、ナガールで古くから話されていた。どの区域も交通の要所であるのに、より広く話されている言語に抑圧されることなく家庭語、仲間内の通用語として維持されてきたが、公的に文字化されて使われることはなかった。公的な発言や文字言語としてはウルドゥ語が用いられる。またこれら地域の学校教育もウルドゥ語で行われている。

 Burushaski語の語彙は周囲のたとえばShina, Khomar語はもちろん、その他のインドイラン系の言語は共通点を保たない、つまり語彙系統論的に孤立的な言語である。従来バスク語、イェニセイ語、グルジョア語と比較が行われたことがあったが不毛であった。最近になって(1998)詳細で包括的な研究が公開されたが、この研究によって多くの疑問が解消されてといってよい。それは次の大部の研究である:Berger 1998      

この本でベルガーがBurushaskiの文法的特徴として揚げるのはとりわけ次の三点である。

1)この言語は基本的な語彙の部分に関して他のカラコルムの言語、Shona, Khowarなどとも、東イランのWahliとも関係が見られない。語彙的な面から、この言語は地域的に孤立している。

2)この言語の名詞類は事物を4種類に分類して表示する。I:男性、II:女性、III.生き物、IV.その他のもの一般。この分類が代名詞や数の表示に影響を及ぼし、複雑な組み合わせをつくる。

3)動詞定形(人称をもち時制化した刑式)がながい形態素の連鎖を作る。Bergerに従うと、Bubushaskiの標準的な動詞定形につらなる形態素は次のように見える:

(4)

position

Affixex and functions

note

1

否定辞     a

2a/b

d-prefix (intransitiva形成/ n-prefix (absolute prefix)

3

Pronominal prefix (subject intransitive, object trantiver verbs)

@ergative

4

s-prefix (第2次他動詞形成)

5

動詞語幹

6

動詞語幹の複数接辞末

7

現在語幹接辞(-c-)現在、未来、imperfect 形成

8a/b

1sg pronominal suffix –a, 接合音

9a

-m (単純語幹、m-希求形)

9b

-m (単純語幹から未来、条件法の形成)

9c

n-(絶対格)

9d

s-s希求形、ix不定詞)

9e

-aa/-aas不定詞、aa希求法

10a

2.3sg 1pl(主語)

10b

命令文語尾(語幹にたいして)

10c

助動詞ba-(現在、命令、完了、過去完了形成のため)

11

名詞的屈折接辞および小辞

この順序配列は語幹や一部の必須語尾を除いて任意に生起する。最長の動詞定形でもすべてがあらわれるわけではない。

Berger 1998などの研究をわずかながら概観すると、Burushaski語が固有な特性を少なくとも3つ持っているように見える:

(5) a. 近隣の言語と語彙的な近親性は確認できない。語彙構造の上で孤立的である。

  b. この言語に固有の特性がいくつも見られる。上では名詞類の4類をあげた。

  c. 動詞定形がポジションの連鎖で作られる。これをBergerの名付けをとってスロット性と呼ぶ。スロット性はこの言語の動詞の形態論的構造の幹根である。

これらの性格がBurushaskiPAlgsに編入した要因であろうし、この言語が使われ維持されてきた地域性からして、これをPAlgsではないとする根拠はない。一方で、これらの条件がPAlgsの要件であるなら、少なくとも(5a,c)の条件がPAlgsそのものの内的定義に含まれなければならないことになる。この最後の点はユカギール語などに難しい問題を提出するので後述する。

2. 「イテリメン問題」とは

  その他の古アジア諸語にもそれぞれに固有の問題があるが、ここでまず取り上げたいのはイテリメン語の帰属問題である。すなわちイテリメン語は本当にチュコト・カムチャツキの一つとして数えられるべきなのかどうかという疑問である。イテリメン語のこの疑問が公に論じられるに至ったのは、Volodin1976 p. 刊行後、次の研究がまとめられる過程でさまざまの研究会などの機会にこの著者を含めた人々によって論じられて以来である:Georg Stepan/Alexander P.Volodin1999

2.1. 仮説A

Georg/Volodin 1999によれば(p.224ff.)、イテリメン語がもともとチュコト・コリャーク諸語に属するか否かに関して本来二つの仮説を立てることが可能であるという。その一つを仮説Aと名付けておこう。この仮説はVogoraz, V. G. 1922以来の、イテリメン語が、チュクチ語、コリャーク語、アリュートル語、ケレク語などとともに、チュコト・ムチャツキ語族を構成するという考えであって、ペテルブルクの研究グループの定説でもあった。今日もなおこの考え方を支持するのがむしろ一般的であって、最近に刊行されるにいたったFortescue, M. 2005もなおこの路線を歩む。

2.2. 仮説B

 この仮説によると、イテリメン語が基本的にチュコト・コリャーク諸語とはあるいは異言語である、あるいは異言語であったのではないかと言う。この疑問はVolodin 1968 にも暗示されていると言うが、その研究史記述の部分では明示的に示されてはいない。しかし1990年代半ばには「イテリメン語は南にあった孤立語だったかもしれない」とも語っている(pers.comm.)ので、博士論文以降の彼も仮説Bに関ってるとみてよい。

仮説Bの最初の明示的な提唱者はWorth. Dean.S.(1946-)であって、とりわけLa place du kamchadal parmi des langues soi-disant palèosibèriennes, Orbis XI 579/599である。この論文で彼は、チュコト・コリャーク諸語とイテリメン語・カムチャダール語をカバーする領域にかつて存在したと想定する言語をプロト・ルオロヴェトランと名付け、彼はこの言語が二つあったと考える。いずれの言語も20世紀のイテリメン語の西部方言に属すが、その北の方言、すなわちイテリメン語西部方言の北の下位方言は、後にチュコト・コリャーク諸語に展開する「ルオロヴェトラン北言語」、一つの南の方言が「ルオロヴェトラン南語」であり、後者がイテリメン語の前の形式である。彼はこの二言語が発生的近親関係を持たないと考えていたらしく、イテリメン語とチュコト・コリャーク諸語と近親関係を持たない異言語であったと想定する。この想定を根拠づけたのは、当時評判のSwadeshの提案した「基礎語彙」であって、ルロヴェトラン南語と北語との間には、共通する「基礎語彙」が非常に少なく「系統的関係は存在し得ない」。Swadesh「基礎語彙」による系統類推の危うさに関してはかつて日本においても多くの疑念を引き起こし、全体として批判的論調がたかかった。その点を考えても、Worthの結論をそのまま承認するには慎重である必要があろう。ただそれは重要な指摘であったことに代わりはない。

2.3.イテリメン西部語

クラシェニニンコフ(Krasheninnikov, Stepan Petrovich 1711 – 1755)がカムチャトカ第二次遠征を行ったとき(1731-42)、彼は三つのイテリメン語を見いだしたとして、それそれをイテリメン「西部語」「東部語」「南部語」と名付けた。しかしその後二世紀のあいだに「東部語」と「南部語」は消滅し、20世紀には「西部語」だけが残った。これが二つの西部北方言と西部南方言に分かれて今日も使われている。

西部北方言が行われている地方は西部のセダンカ出のイテリメンであり、西部南方言の担い手はナパナ、ウトゥホロク、ベロゴロヴォエ、モロシェチノエ、ソポチノエ、コヴラン、ヴェルフニェイェ・ハイリューゾヴォなどの地域に及ぶ。

2.4. Ono 2001~2010

東京外国語大学AA研は広範な地域の言語の基礎データを系統的に集めるのに語彙収集用の冊子『基礎語彙』上(下)を50年代に刊行した。アジア・アフリカ諸言語の研究者たちは新しい言語にであったとき、新しい言語記述にあたるとき、きまってと言っていいほどにこの語彙表を用いて対象言語の最初の姿に触れる。この語彙集も確かにSwadeshに似た欠陥はあるが、多くの研究者が使うことによってその欠陥も修正され改良されて今日にいたった。そのために「環太平洋の危機に瀕する言語」の調査以来この語彙表による調査が優先されて、それ自身も資料として尊重されてきた。

 イテリメン語の研究者小野智香子はイテリメン語の諸方言の記録にこの語彙表を用いて、イテリメン語西方言(以下「イテリメン西部語」という)の北方言を採録した(Elper A2-011)。次いでチュコト・コリャーク諸語のデータを加えて(*)、さまざまな検討を加えてきたが、最近になってその比較の基本的結論を公表した(Оно 2010)。この論文は、小さいものではあるが、イテリメン語西部方言の北方言と南方言の語彙を克明に対照して、その異同を数的に明示した。その結論部分を以下に見る。

AA研語彙表を片手に小野の元になっているデータはMegumi KUREBITO ed. Tokusu KUREBITO, Megumi KUREBITO, Yukari NAGAYAMA, Chikako ONO, and Mitsuhiro YAZU Comparative Basic Vocabulary of the Chukchee-Kamchatkan Language Family: 1 (Elper A2-011). 2001。これは、『アジア・アフリカ言語調査表 下』の語彙項目No.00011000に基づき、各言語の専門家がフィールド調査を行って収集したものだそうである。イテリメン語については、北部方言を小野が、南部方言は谷津光宏氏が担当した。Оно (2010)では、ここに載っている語を対象にしているので、それぞれ「1000項目に対応する語」を採ったことになる。但し、それぞれの語彙項目に対して1対1で対応している訳ではなく、2語、3語が当たるある場合もある。また、ロシア語からの借用語はここでは意図的に除外された。

まず注意すべきは、北方言と南方言の語彙が形態論的に異なるとき、それらの語の91%がチュコト・コリャーク諸語の語彙に対応しないことである。このことを解釈する唯一の道は、イテリメン西部語が全体としてチュコト・コリャーク諸語と系統的に関係がなく、それぞれに固有な語彙からなった言語であると考えることである。

というのも、南北方言の語彙が異なるとき、それぞれの方言はチュコト・コリャーク諸語から語彙を借りなかったこと、南北方言が自主的に独自の語彙をもったことを意味するからである。このことは南北両方言が独自の自立的言語だったのではないかと思わせる。しかもその言語らはチュコト・コリャーク諸語とは語彙貸借を好まなかったらしい。それは多分にイテリメン人の日常生活の生態的違いが影響していたからなのかもしれない。

まずこの推定を基底において、小野がこの論文で問題にしたほかのイテリメン西部語の南北方言の語彙の形態論的差異について考えてみる。小野が結論的に注目して並べたとおりに問題を整理すると次のようである。

(6) ※(母数…505項目)

①南北両方言共通起源語では64,5%がチュコト・コリャーク諸語と近親的ではない。

②南北両方言共通起源語で11,4%がチュコト・コリャーク諸語と近親的である。

③南北両方言で区別し、チュコト・コリャーク諸語と近親的でない語彙は17,9%

④南北両方言で区別し、チュコト・コリャーク諸語と近親的である北部方言の語彙は4,3%

⑤南北両方言を区別し、チュコト・コリャーク諸語と近親的である南部方言の語彙は1,8%

小野はさらに次の点をつけくわえる(小野2010では番号なし):

⑥イテリメン西語両方言に共通の語彙は75,9%、残りが南北で異なる。(<①+②)

⑦両方言に共通の84,9%はもっぱらイテリメン語固有であり、残り15,1%がチュコト・コリャーク諸語と近親的である。

⑧南方言と異なる北方言のうち80,5%が北方言専用の語であり、残り19,5%チュコト・コリャーク諸語と近親的である。

⑨北方言と異なる南方言のうち91,0%が南方言専用の語であり、残り9,0%チュコト・コリャーク諸語と近親的である。

「イテリメン語とチュコト・コリャーク諸語の関係の問題について-語彙比較を基礎として-」(露文)カムチャトカGTY,ペトロパヴロフスク カムチャトキ-』2010 UDK81

 

イテリメン西部語とは

 小野2001-2010の仕事はWorth1962 よりもはるかに精密にイテリメン語そのものの存在状況を示している。この統計から南北両方言の性格を描写してみよう。

(7)

a) (6)-, (6)-,から、イテリメン西部語(南+北方言)という言語は、南北両方言共通の語彙が64,5%、両方言で相違しているが、チュコト・コリャーク諸語的でない語彙を17,9%もち、17.5% (=11,4%+4.3%+1.8%) のチュコト・コリャーク諸語的語彙をもつ。つまりイテリメン語起源の語彙を82,5%もつ固有性の高い言語である。

b) イテリメン西部語は南北二方言に分かれる。イテリメン西部語両方言に共通の語彙は75,9%ある。うち84,9%はもっぱらイテリメン語固有である。残り15,1%がチュコト・コリャーク諸語と近親的である。

但し、北方言では19,5%がチュコト・コリヤーク諸語と近親性があるが、南方言では9%がチュコト・コリャーク諸語と近親性がある。

c)イテリメン西語の南方言はその91%が北方言と異なり、南に固有であり、9%がチュコト・コリャーク諸語と近親性がある。すなわちイテリメン西語南北方言のうち、南方言がより固有であり、チュコト・コリャーク諸語によって侵略された度合いも少ない。

以上が小野2010論文から得られたイテリメン語の語彙論的な情報である。

2.6. 仮説Bを超えて

 小野2001-2010の語彙論的な調査によっていくつか重要なことがわかってきた。それを列挙してみる:

8) a. 現在のイテリメン語、つまりイテリメン西部語は、少なくとも語彙論的にはチュコト・コリャーク諸語とはたかだか18%を超えない借用という貸借関係をもつ孤立した固有の言語なのではないか。

b.イテリメン語は、かねてからこの地域にあったアイヌ語やニヴフ語などと同様に孤立語した小言語集団であったのではないか。クラシェニニンコフはその言語にまだ南方言や東方言が記憶されていたときにそれに触れたが、今日ではわれわれは西方言、あるいは西部語しか知らない。

c.イテリメン西部語の南北方言の内、南がこの言語の根拠地に近いのではないだろうか。あるいはそこがかつての孤立固有のイテリメン語小集団の発祥の地だったのかもしれない。

もしこの疑問が真であるならば-真である可能性は小野2001-2010からの論理的結論であるのだが-、イテリメン語は、アイヌ語やニヴフ語と同様に、オホーツク周辺に古くから生きてきた孤立語のひとつであったのだろう。それは何時からそこにあったかと言えば、ニヴフ語やアイヌ語と同様に数千年前からと推定するほかはない。かつて私は「三内丸山語」という広域通用語(プロト・アイヌ語だっかかもしない)が今から5,500年前に東北と北海道とを含む広い地域で行われたのではないかと書いた(「言語の起源」:『言語の事典』(山川出版)が、イテリメン語はこの時期にすでにこの言語の東北に生きていたのかもしれない。それはさまざまな民族集団がベーリング海峡へ向けた動きをまだ止めていなかった時期に続く新石器時代の後期、日本史が言う「縄文時代」の中期にかけての時期を含む時代であったろう。

 イテリメンと周辺諸民族との関係については詳細な記述がない。村山七郎『北千島アイヌ語』1971の文献的研究とザヨンツ・マウゴジャータ2009に言及されているにすぎない。分かっているのは、イテリメン人が川沿いに小さい部落を建てて川漁を主にして暮らしていたこと、山猟や山草収集は行われていたとしてもアイヌよりも少なかったのかもしれない。

 ロシア側の資料はもっぱらアトラーソフ侵略とその戦略に関係するものであって、ユカギールとコリャークの一部を利用して「男は全て殺し女は全て犯す」という民族浄化的に残忍な非人道的戦闘に関わる。

 詳細が考古学的な、人類学的研究が待たれる。

3. 複統合的動詞構造

 古アジア諸語の諸言語には復統合的構造が特徴的であるという。勿論反論もある。ユカギール語は複統合的ではない。むしろ単純に膠着的であって、簡潔な動詞複合体を作ることに特徴をもつ。従って、復統合的構造の有無が古アジア諸語であることの条件にはならない。またいくつの形態要素を接合するかも復統合性という類型論的形態を決める要素にはならない。そこでまずイテリメン語がどのような複合的動詞構造を持つかをみる。

3.1.イテリメン語の動詞形成の原則

 イテリメン語の動詞定形は、動詞語根を中核として、その周りにいくかの接辞形態素を連ねてつくられる。しかし形態素の接続には一つの重要な原則に支配される。すなわち、いまmを何らかの接辞、Rを動詞語根とする。イテリメン語の動詞定形は次のように形成される、但し( ) は欠落を示し、m は多回生起可能とする。

(8) (m) + R + (m)

 たとえば、何個もの様々な種類の接辞が並んで、語幹を囲んで一つの動詞定形を作る。なお、ここで動詞定形とは特定の主語と結んで自立した動詞の形式をいう

原則(8)はイテリメン語にとって動詞定形だけではなく、一般にフレーズ形成の時に適用される一般原則であって、他の句構造にも適用される。つまり、(m)+V...V+(m), (m)+N...V+(m), (m)+A...V+(m), などの動詞句はない。

従って、語幹動詞となんらかの関係をもつ語幹が動詞句に含まれることはない。つまりincorporationはこの造語原則によって拒否される。

この点はイテリメン語がチュコト・コリャーク諸語と語形成上でことなるおおきな違いである貸借可能な文法規則とはおもわれない。

3.2.  イテリメン語の復統合的動詞構造

Georg/Volodin 1999はイテリメン語の復統合的動詞構造を詳細に分析している。そこでは5つの前接(m)+V...N(m的+15の接尾的接辞が一つの動詞語根を囲むという(p.140)。それぞれの接辞の位置はひとつのスロットとして、いくつかの同類の接辞が生起する位置をしめされている。こうして一つのイテリメン語動詞の定形は5+15(=20)+Rの可能な形態素の連続で表される。一方この動詞定形の作り方は小野2009ではすこし違う。こちらでは事態がいくらか整理されてスロット(窓)の数も少ない。いくつか整理されているので、ここではそれを例として採用して示す:

(9)イテリメン語の定動詞の構造

 左部分:Georg/Volodin 1999、右部分chono2090 p.084

George/Volodin 1999

Ono2009

窓の番

機能

窓の番


  -5

直説法人称、

命令法人称

inf-pref

t/t’, ,n

m,q,q’,mn,xn

k/k’/x

  ①

……………

  ②

   -4

接続法

k’

   -3

相互

lu/lo

  ②

   -2     

逆他動

en/an,ne/na

   -1

他動詞化・使役

lin/len, nt/ n/t

③ ②

    0

語幹

  1

派生接辞(出名・出動)

se/sa,la,cho

形式要素(派生)

     2

間接辞後続要素

F, ,w

囲接辞後半

     3

分散的接辞

sxen

動作様態的意味変換表素

(順序あり)

    4

動作様態(弱化)

ala

   5

動作様態(直接的)

ata

   6

動作様態(間接的など)

zo,t,st

     7

希求的

al,a

     8

脱他動詞化(接尾部分)

 l , Ø

囲接辞後半

     9

動詞派生接辞

?l,l

    10

屈折類別

k/ka/ke

形式要素(不定詞接辞)

    11

不定詞接辞

s

形式要素(不定詞接辞)

    12

アスペクト

qzo/qzu/qz/ Ø

    13

時制接辞 不定詞用

     定形用

s/z, / Ø/al/a

ki/ka,etc

形式要素(不定詞接辞)

    14

人称接辞1

主語・目的語

   15

人称接辞2

直説法・命令形

この対照表についてはたくさんの論点がある。しかしここでは定形動詞構造に関わる重大な問題をいくつか選んで論議するにとどめる。

3.3 モードと人称の組み合わせ

 動詞定形文の動詞(=定動詞)のまえにたつ要素は-5. -4;-3, -2, -1である。うち前半分、つまり窓(=スロット)-5. -4;は人称規定に関係する。

a.人称規定

 この人称規定には重要な特性が二つある;

a-1 人称規定はモード、つまり、直説法、命令法、接続法などの規定と人称形式とが総合、つまり

   組み合わせ(synthesize)られて表示される。但し、-4 は分析的に接辞で表示される。Georg/ Volodin 1999 の区別はこの点に配慮したものようである。

人称の枠

a-2 人称は単数複数の表示を伴うが、この要素は単文の末尾に置かれる(14, 15)。従って、人称表示は文頭と文末に分かれておかれる。人称の枠である。

b. 項の調整

 窓(=スロット)-3, -2, -1は単文内にでる項の相互関係を調整する。主語(目的語も?)の相互、他動詞の逆他動化、使役の自動詞化などの機能を果たす接辞がこれらである。

c.絶対格表示のないこと

イテリメン語に能格が無く、主格・対格に相当する語句をゼロ語尾、いわゆる絶対格で表示するので、1項動詞(自動詞)でも2項動詞(ほぼ=他動詞)でも、絶対格表示の能格句が文頭の位置に立つことはない。。以上のa-1,a-2, bはチュコト・コリャーク諸語と似ている。少なくとも形式的に共通しているので、この点をみてイテリメン語をチュコト・コリャーク諸語と同類であるとはやとちりしてもかつてはやむを得なかったのかもしれない。しかし絶対格構造をこの窓(=スロット)-5,-4が持ち得ないことは系統に関わる重要な違いであるではないだろうか。

同様な問題は小野2009の表示から読み取ることができる。((9)右枠参照)細部の相違については主に方言のせいか、データの偶然的相違なのかはわからない。ここでは原則の一致を成果としたい。

以上の構造について説明してVolodin1997は次のような例文をあげる。

 (10)      「互いに噛みあいたがる」

n-l'o?-  (  (( am-)) pel-cxEn-a-  ((?l'-))  k'zu-c- )       kicEn  <<Volidin 1997.p69

└──────────┘ アスペクトー時制

               脱他動形態素

└───────────────────┘     

          2項動詞人称数複合

   但し、1)下線は周接的接辞の囲みを示す。

    2)述語本体は中央のpel-cxEn-a-、うち動詞語幹はpel-(噛む)
    3)
は正門閉鎖音の代用

3.4 語幹に接合する接辞要素

 Georg/Volodin 1999 では dispersive/desiderative などに対して、多く西洋言語学の伝統的用語を使ってるが、それが及ばないところではドイツ伝来のaktionartenという用語を用いて、動詞の意味の微妙な補修を説明しようとする。表(9)47がそのための接辞であると説明している。「噛む+あわせ+たがって+ようだ」などの接辞連合の説明がこうして可能だとかんがえているようである。

このようなaktionarten的動詞の意味補修では、動詞語幹の右にいくつか連なることに特色がある。さらにその先には例(10)のようにアスペクト+時制が続く。そして最後に動詞定形は最右端で人称別の数表示でマークされる。

この形式は、人称周接を除くと、現代日本語の動詞接辞連鎖とかわりはない。むしろなじみの形式でさえある。いはば典型的に膠着的な接辞連鎖である。こうして、イテリメン語の動詞構造は<語幹+膠着的な接辞連鎖>を人称周接構造で包んだ形式であるとも言える。

4. 再び「イテリメン問題」について

4.1.プロト・イテリメン語

小野2001-2010の語彙論的な調査、とりわけ小野2010によるとイテリメン語西南方言はその91%が北方言と異なり、イテリメン語の南に固有であり、わずか9%しかチュコト・コリャーク諸語と近親性をもたない。すなわちイテリメン西語南北方言のうち、南方言がより固有であり、チュコト・コリャーク諸語によって侵略された度合いも少ない。この小野2010論文から得られたイテリメン語の語彙論的な情報によって、イテリメン西北語南部方言が古いイテリメン語の状態を少なくとも語彙的に色濃く残していると考えてもよさそうである。つまり、いわゆる「イテリメン語問題」の仮説Bが正しいだけでなく、それ以上に、そこで仮定された言語が現在のイテリメン北西語の南方言に少なくとも語彙論的に近く、チュコト・コリャーク諸語とは乖離していることが推定される。この推定は仮説Bのようなあいまいな見当ではなく、仮説された言語の語彙論的な姿を具体的に見せているという点で

重要な言語学的な指摘であると考えてよい。

さて、この仮定された言語がイテリメン語の古い状態を示すという意味において、プロト・イテリメン語と呼んでおこう。この言語が今日のイテリメン語へ拡大したと考えることになるが、その広がり方のプロセスは当然の事ながら詳細になぞることはできない。クラシェニニンコフ(1711 – 1755)がカムチャトカ第二次遠征を行ったとき(1731-42)、彼は三つのイテリメン語を見いだしたとして、それそれをイテリメン「西部語」「東部語」「南部語」と名付けた。この「南部語」が、仮に、ここでいうプロト・イテリメン語に近いものだったとすれば、それは18世紀前半まで残っていたことになる。しかしその後二世紀のあいだに「東部語」と「南部語」は消滅したのであるから、プロト・イテリメン語の余命も同様だったのかもしれない。あるいは彼のいう「南部語」こそがプロト・イテリメン語であり、これがイテリメン北西語南方言そのものなのかもしれない。

(1)窓(=スロット)の連鎖

イテリメン語の動詞構造は<語幹+膠着的な接辞連鎖>を人称周接構造で包んだ形式である。すなわち

(11)  *1 <語幹+膠着的な接辞連鎖> *2  (*:人称周接構造)

└──────────────────┘

各要素の形態素は動詞語幹R を前後に十数個の窓(=スロット)を作って、順序よく並べられる。しかしこの順序の配列にどのような規則があるか、配列変更が可能かどうかなどの研究は見あたらない。

なお、この動詞構造(11)の特色は、さしづめチュコト・コリャーク諸語などの複総合形式に似て見える。パレオ・アジア諸語と言われるもののなかにはチュコト・コリャーク諸語の他にも、特にイェニセイ諸語にこの複総合形式を持つものが多い。そのためにであろうか、この複統合構造がパレオ・アジア諸言語の特性とさえ見られて、カラコルムで見いだされた孤立語Burushaski(「ブルゥーシャ語」がこれに似た複総合形式をもっていることをもって、この言語もまたパレオ・アジア諸語の一つだとされ言われる。この判断ははやとちりであろう。そのような判断にはパレオ・アジア諸語複総合形式の特性をさらによく検討しておかなければならない(1.4参照)。

(2)能格のない人称周接構造

 イテリメン語には能格がない。1項動詞でも2項動詞でもその人称周接構造の先頭は絶対格の人称接辞がたつ。

 プロト・イテリメン語もおそらく能格をもたなかった。それが仮に人称周接構造をもっていたとしても、多分それは能格のない人称周接構造であったろう。

あるいは人称周接構造というものをこの言語は拡散や接触の結果チュコト・コリャーク諸語から取り入れたのかもしれない。しかし今日のイテリメン諸語についてみる限り、イテリメン語はどの段階でもまたどの地方でも能格的周接は持たなかったのではなかろうか。つまり、プロト・イテリメン語は、次のような構造の言語だった可能性がある:

(12)

(a)    人称周接構造をもたない単純膠着的窓(=スロット)連鎖

(b)    もともと能格なしに人称周接をもつ(11)の形の窓(=スロット)連鎖

しかし展開・干渉の過程を経てもそれ以上の構造、つまり能格つき人称周接構造を受け入れることはなかった。やはり能格つきの人称構造とは動詞の項にかかわる言語の構造形式にとって基本的な要因であるので、それを受け入れるというのは言語の質の変化を意味するのであろう。

おそらくはチュコト・コリャーク諸語の能格的人称的周接構造とはこの語群の形態論的な特性として大変に重要なものなのであろう。従ってこの構造を古アジア「語族」の窓(=スロット)連鎖構造と同一視することは間違っているのではないか。

一方で絶対格つきの人称周接構造そのものはイテリメン語に固有なものではない。アイヌ語にも発達していて、ここでも特定人称の複数表示に使われる。

プロト・イテリメン語が構造(12bのげんごであったと思われること、従ってイテリメン語とチュコト・コリャーク諸語との基本的な形態論的な差異が能格的人称周接構造にあることを見た。他にいくつもの重要な論点があるが、これらの論議は別の機会にゆずる。

これらはどれも憶測の域をでない。歴史的状況を確認する推断がさしあたり見あたらないからである。

4.3. PAlgs内のもう一つの孤立言語:言語プロト・イテリメン

古アジア諸語にはVolodin1997によると、3つの系統的関係を持つ語群と4つの孤立語からなるとされた。うち孤立語とされたのは次の5言語である。

3. Ainu

4. Nivkh

5.Yukagir

7. Burushaski

このうち7. BurushaskiPAlgaに加えられるべきかどうかについは疑問がある。しかしこの論点につい他はここでは留保する。

われわれの問題は、プロト・イテリメン語がやはり孤立語のひとつであって、この孤立語群に加えられるという点である。しかしそれは今まだ生きているイテリメン語という言語全体がそうだというのではない。現代のイテリメン語のうち西部語南部方言に連なる古い段階の言語を問題にしているからである。18世紀前半までそこのあったと思われる言語についての話である。しかしこのプロト・イテリメン語と今日の西部語南部方言との史的系統が仮定されるならば、現代生きている言語として古アジア諸語の孤立語群にイテリメン語を加えることができるだろう。つまり、プロト・イテリメン語は古アジア諸語の孤立語の一つであった、しかしそれと現代イテリメン語との史的系統関係はいまだよく分からないというのがいま主張できる結論である。

文献

H., Die Sprache von Hunza und Nager. 3Bdn Otto-Harrassowitsch Wiesbaden. 1998

Fortescue, M., Comparative Chucktotko-Kamchatcan Dictionary Copenhagen, 2005

Megumi KUREBITO ed. Tokusu KUREBITO, Megumi KUREBITO, Yukari NAGAYAMA, Chikako ONO, and Mitsuhiro YAZU Comparative Basic Vocabulary of the Chukchee-Kamchatkan Language Family: 1 (Elper A2-011). 2001

小野智香子2010「イテリメン語とチュコト・コリャーク諸語の関係の問題について-語彙比較を基礎として-」(露文)『カムチャトカ先住諸民族の社会発展、教育、伝統的土地利用・保全の問題 カムチャトカGTY,ペトロパヴロフスク カムチャトキ-』2010 UDK81

Georg Stefan, Alexander P.Volodin: Die itelmenische Sprache. Grammatik und Texte

     Harrassowitz/Wiesbaden 1999

Vogoraz, V. G. 1922 (Chukchee, in Boas (ed.): Handbook of American Indian Languages, Part 2. (Bureau of American Ethnology. Bulletin No.40. pp.631-903)

Volodin A. P.Itel’menskij jazyk. Nauk, M/L 1968

Volodin A. P. 1997(編著):『古アジア諸語』(「世界の言語」シリーズ)Paleoaziatskie yazyki/Yazyi Mira

St.Petersburg

Worth. Dean.S.1962 La place du kamchadal parmi des langues soi-disant palèosibèriennes, Orbis

RESUME

Itelmen was and is isolate

Paleoasiatic Languges (PAlgs) are said to contain 3 language families, Chukchi-chatkan, Eskimo-Aleuto and  Yenisei language groups and 4 isolate laguages, Ainu, Nivkh, Yukagir and Buruhatki. However, this grouping is not fully acceptable. First, the last language Burushaski, an isolate language in the North Pakistan, was only recently investated with ascertion that it belongs to PAlgs because of a typological feature resembling the polysynthetic nishe-structure prevailed esp. in Chukchi-kamchatkan language. But this assumption is doubtful. However, to explain this doubt I should use another paper.

The second problem is much more interesting and has been recently discussed among linguists. Volodin 1997 and Georg/Volodin 1999 who formulated the question in Hypothesis A and Hypothesis B: HypA follows the traditional assumption since Vogoraz 1922, that Itelmen belongs to a large Chukchi-Kamchatkan language family in a traditional genetical relationship.This view is yet supported by namy linguists, esp. by M. Fortecue, who published Comparative Chukchi-Kamchatkan Dictionay 2005.

HypB of the problem was initiated by an American linguist Worth 1962 who analyed Itelmen vocabulary with Swadesh-type word book. He postulated that Itelmen has a different sort of vocabulary from Chukchi-Koryak languages. It lacks pursuasive assumptions in many points. But the impat should not be underestimated.

Usufull vocabulary research began with Ono’s work 2001~. Most important report was the matrials of  Northwest Itelmen in the northern and soutern dialect (Ono Chikako /Uatsu Hiromitu).Ono summarized her research recently in a small Russian journal published in Petropublovsk Kamchatky 2010. The direct result of her dialect vocabulray research

(a)   the North-West Itelmen is only serviving Itelmen which is divided in North Dalect and South Dialect

(b)   75% of their mutrual vocabulary is itelmen original

(c)    91% of the Sorth Dialct being different from the North is itelmen original.

In the first half of the 18 century Krashnininkov reported there were 3 different itelmen languages in the area including the present Itelmen North-West is spoken. Let us call these itelmen languages hypothetically as “Proto-Itelmen in tatal. From her material we can suspect this old stage of languages had at least two special featuers common with our Itelmen North-West; first, the vocabulary of the Proto-Itelmen was in the most part in common with the pesent South-Dialact, that is we can assume esp. the South Dialact of present Itelmen North-West is sure in a positive getetical relationship with with Proto-itelmen. Second,we must point out, too that the old Itelmen had a morpho-syntaktic feature which is characterized by the bipersonal circumfix chain which contains a predicative concatenation of niche-(=slots) chain. Of course, it is not yet, clear this polysynthesis like was original in Itelmen at the Proto-stage, but the chain is characterized by the decisive morphosyntactic feature which is different from that of Chukchi-Koryak languages, which has clearly Agentive structure. This may be enough to differentiate Itelmen from these languages. But to judge it, we need a lot of historical invstigation of the Proto-Itelmen esp. interference from the North. We had to waite a bit to get knowledge about it.

Summarizing up the fundamental issues above we conclude the following points:

a)      we hypothesize that there existed a Proto-Itelmen when Krasheninninkov made the  expedition in the middle of 18 century. The language took a evolutionary way to the present Southern and Northern Dialect of now living Itelment. The Southern Dialct holds the ancient fearures es in its vocabulary, while the Northern got much more attack and interfernce than the former. We take notice that Itelmen has yet vocabulary original now which is not common to any language in this area. This implies that it has been isolate and original from the ancient time.

b)      Itelmen has a special predicative structure which is characterized by (1) the predicative content (=Verb root + a series of meanigful suffixes) which appears as a long niche(=slot) structure arranged in a simple agglutinative concatenation. The predicative chain is wrapped by a bipersonal circumfix frame, where peronal suffixes stand in absolutive case. This structur complex goes back perhaps to the Proto-Itelmen stage. It may be also itelmen original.

c)       Chukch-Koryak languages have given a powerful influence, esp. upon the Northen Dialect: Its vocabulrary intervention on the North Dialect is remarkable. However, one of their structural feature, the Agentive bipersonal circumfix of Chukchi-Koryaki had no influence even to the Northern Dialect. This implies that an Absolutive structure is too strong to accept any other partial grammatical interference. Or, we have to think that the Absolutive structure is too fundamental to borrow partially in another language. Anyway we can say that the Nominative structure itelmen is perhaps original from ancient time.

d)      Therefore, we can conclude that Itelmen was and is original and isolate