地球ことば村『日本語とその隣人たち』2008.12.07シンポジウム予稿集         

                    はじめに

 

 秋の初め、久しぶりに白老町アイヌ博物館のポロチセで合宿をしました。バベキューをして、お喋りをして、いい加減に酔っぱらってからシュラーフに潜り込んで一度は眠り込んだのですが、耳元の話し声がうるさくて目が覚めてしまって、その声を聞くともなしに聞いていると3人ほどの若い声がなにか盛んに議論をしています。どうもアイヌ語でケンケンゴウゴウ、アイヌ文化の提示の仕方に関して論議を交わしているようです。はて、アイヌ語はすでに日常会話ではほとんど使われなくなって久しいのではなかったろうか?みんなしたたか酔っぱらっているはずなのに、アイヌ語で学術討論をしているらしい。まさかそんなことが。しかしそれは決して夢ではなく、枕元で起こっている確かな現実でした。話し手はいずれも若い者です。思い出す限りで、5年ほど前に同じポロチセで雑魚寝をしたときには確かにこんなことはなかった。この数年とくに若いアイヌの人たちの間でアイヌ語を使って話をする若い人たちが増えてきているとは聞いていましたが、ここまで進んでいるとは不覚ながら知りませんでした。ローマ字で書かれたアイヌ語を辞書を片手に読解するという時代は幸いにしてもう終わり始めているのかもしれません。

 

 翌早朝ポロトーの辺の水場でつめたい水で顔を洗っていると、そばに友だちがよってきて、すまないが日本語でなにか話してくれ、昨夜からずっとアイヌ語だったものだから、これから日本語で話をするために耳と口を慣らしたいというのです。この友だちのことは昔から知っているから別に不思議は無かったのですが、彼のまわりの世界でとくに若い人たちの間で、たしかにこういう状況がはじまっているのです。昔はお年寄りが頼りでした。お陰で立派なデータがたくさんたまりました。しかしこれからは若い者が頼りになるのでしょう。健全な社会の有様です。もう「アイヌ語が使われなくなって久しい」というお話はお蔵入りになってしまったのかもしれません。本当にそうあってほしいものです。イオリ(生活空間)をつくるという話も官製のアイヌ文化振興・研究事業団肝入りで始まっています。そこでの言語は基本的にアイヌ語になるでしょう。

 

 こんな状況が垣間見えても、事態は全体としてみると決してバラ色ではありません。例えばの話、20世紀の初めにベン・イェフダがヘブライ語再生を試みたときだって、常に命の危険にさらされながら艱難辛苦を重ねたものでした。いま国連の先住民の権利宣言もやっと議決されて、日本でさえも国会がアイヌを先住民族であると認めました。やはり先住民族とその言語文化を巡る世界の状況は5年前とでは大きく違ってきているようです。それも、とりわけ南アメリカを含めて、世界のあちこちで。

 

 世界に今ある何千もの少数言語が何年かで半減するのだとかいう言語学者の予言が流行ったことがあります。つい10年ほど前のことです。善意の警告だと言えば聞こえがいいのですが、付和雷同してそうなったら言語の多様性が失われて寂しくなると言う連中までたくさん現れたものです。こういう人には先住民族言語は観光資源ではないぞとでも答える他はないでしょう。一方で、ことばは民族の魂だとか言ってやたらに粋がっている人たちもいます。しかし考えてご覧なさい、厳しいところではことばはメシのタネなんですよ。そのことばに生活力がないと、結局はことばも人も萎びて枯れ死んでしまうものではないでしょうか。そして往々にして生活力は侵入者が奪い取るものです。日本語のように一見安泰な言語で生きていると、こんな当たり前のことにも案外気が付かないのかも知れません。その日本語も昔は小さな言語だったのでしょう。それが2千年ほど前から米と刀で強力に支配権を拡げて、遂に一億人以上の人々の母語に成り上がりました。しかし将来そんな日本語でもこの国がひょっとしてアメリカ合衆国国旗の星のひとつに成り下(上?)がれば、たちまちにして「危機言語」の仲間入りをすることでしょう。どうでしょう、みんながアメリカ的英語でなければメシが食えない生活環境に落ち込んだとき、日本語を命がけで守る気がありますか?

 

 さて、今の日本語の隣人達はこの数世紀の間に多かれ少なかれこれと似たような目に遭ってきたのです。アイヌは国家を作るほどさもしくなかったから、いつのまにか大日本帝国の旧土人にされてしまって、つい先日旧土人保護法がなくなるまで、人間として徹底差別されてきました。罪はもっぱらずる賢く攻めた側、和人(日本国籍をもつ、アイヌ以外の大多数の日本在住者)にあります。しかし今でもこの罪を自覚している和人は案外と少ないのです。一方、琉球列島に住む人々は古くから小国家を作っていましたので、その内部で支配・被支配の関係をすでに経験しました。ところが、琉球王朝は薩摩人によってずる賢く支配されました。そして明治政府が暴力的に2度目の琉球処分をして、しかも第二次大戦後に民主日本が3度目の琉球処分をしてアメリカに半ば売り渡しました。その後遺症として琉球は未だに大部分の米軍基地を抱き込まされています。つまりまだ他国に軍事支配されているのです。これも和人(今度は、琉球列島人以外の日本国籍人)の罪です。そしてこの罪を自覚しない日本人も不当にたくさんいます。

 日本列島弧の北と南でこのように和人による植民地支配がありました。踏んづけたほうの和人は多くの場合アイヌと琉球の足に痛さに気づかないほどに知的怠惰症に病んでいます。それに気づかなかったり、知らない振りをするのはあまりにもいけずうずうしいと言わなければなりません。この機会にその症状がどれほど深刻であるかいま改めて覚ってみようではありませんか。

 その自覚と「贖罪」のよすがとして、日本列島弧の隣に住んでいる三つの少数民族の状況を見てみましょう。その一つはニヴフ人。この人たちは10世紀ころまでひょっとして網走あたりにすんでいた人々の子孫かも知れないと言われています。この人々がサハリンとアムール川下流に住んでいます。もう一つはアムール川の中下流に住むウデヘの人たち。同じく10世紀ころまで日本海を越えた交流を進めてきた諸民族の末裔かも知れない人たちです。この人達もかつては豊かな貿易の民だったのに、過去2世紀ほどの間にロシア人の植民地支配によってすっかり没落してしまったようです。この人たちは和人による植民地化ではなく、ロシア人とソ連、そして再びロシア人によって残酷な支配を受けてきました。この間ソ連はたまに民族融和政策をとることもあったので、日本人のいい加減にみえて実は底意地の悪い植民地支配よりは幾分増しな側面があったようです。そしてこの二つの民族集団もいま言語と文化の復活に力を注いでいます。しかしこの人達の最大の問題は絶対的貧困です。現在のロシア人達はこれに対して具体的で有効な政策をとる気が全くないようです。このひとたちの今日の状況を見て、何が出来るかを考えてみたいと思います。そして三つ目に、琉球南部から一衣帯水の台湾島にポリネシア系の原住民が住んでいます。かつて台湾が日本帝国の植民地であったとき高砂族と呼ばれた人々です。この人たちのうちご老人の何人かは、申し訳ないことに、未だに日本語を上手に話せるようです。この人たちも近頃すぐれた文学作品を発表するなど新しい生活を始めつつあります。今日はその人達の暮らしとことばについても詳しい報告をいただきます。

 もう一つ、日本語の内部にも存在を脅かされていることばがあります。地域方言です。その値打ちを惜しんで方言生活を尊重しようという人たちも少なくありません。この問題も合わせて考えてみたいものです。そこで日本語の諸方言のおかれている状況についておおまかに書いていただくことにしました。この論議もあわせてご勘案ください。

 このシンポジウムでは、日本列島弧の両端とそれに続く地域に住む人々のことばとそれがおかれてきた状況について改めて考えてみようとして企画しました。そこには実にたくさんの深刻な問題が伏在しています。一筋縄ではいかない問題ばかりです。その背景はさまざまで、解決に向かう道筋も多岐にわかれているようです。まずその事実に刮目して、そこから個々の問題に接近する途を慎重に探っていきたいと考えます。地球ことば村は、これからもそれぞれの地域でことばに関わっている人たちから学びながら、私たちが何をどうできるかを考え続けていきたいと思っています。           (金子 亨筆)

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