地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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キョウダイは女性蔑視なのか?



0. きっかけ

 先日、家内が、友人のCさんから次のようなメールをもらったんだけど、と言って見せてくれた。Cさんも家内も、熱心なカトリック信者である。50年近くも昔、この二人を含む男女8人が、アメリカやカナダに留学するために同じ一つの貨客船に乗りあわせたが、一人はその後亡くなり、一人は所在不明、残り6人は今だに仲良くメールの交換をしたり、同窓会を開いて食事をしたりしているという、珍しいグループである。たまにこういう問題が生ずるので、私にもお呼びがかかるというわけだ:

> 11月18日、成瀬「地の星」で、マッカーティン・ポール神父様による地球温暖化についての講演会がありました。その後、ミサが捧げられました。参加者は少人数で、ミサの用具も各自が持ち寄ったりした物で間に合わせ温かい家族的な雰囲気の中で行われました。

> ミサの冒頭で、馴染み深い、あの回心の祈りを皆で祈り始めました。「全能の神と、兄弟の皆さんに告白します。」 ここまで来た時に神父様は、祈りを中断し、「兄弟の皆さんでは言葉が足りません。兄弟姉妹の皆さんにと言うのが当然ではないでしょうか?」と、私達に問題提起をなさいました。

> 何十年間も何の疑問も感じずに、唱え続けていた事、まさに、女性が無視されていた事に初めて思い知らされました。この祈りの中にもう一度、「聖母マリア、すべての天使と聖人、そして兄弟のみなさん、罪深いわたしのために神に祈ってください。」と2回も兄弟のみの語が使われているのです。

> 私の持っている英語のミサの祈祷書をそっと開いて確かめてみました。

> そこには、日本語の同じ翻訳文として、「I confess to almighty God, and to you, my brothers and sisters that I have sinned through my own fault・・・・・・」 「and I ask blessed Mary, ever virgin, all the angels and saints, and you, my brothers and sisters, to pray for me to the Lord our God 」
とはっきりとbrothers and sisters : 兄弟姉妹、という言葉が使われているではありませんか。

> どうして日本語では姉妹という語が使われていないのか、疑問に思います。言葉だけの問題に目くじらを立てるのはと思われるかもしれませんが、大きな意味で女性蔑視では無いかと思います。

> ポール神父様が投げかけたこの不平等な言葉使い、皆様はどう思われますか?男性からも率直なご意見をお聞かせ下さい。

> 今日のミサでは、個人的に心の中で、姉妹という言葉を付け加えて祈りました。

> ご意見を頂けたら嬉しく思います。

 なるほど、英語では brothers and sisters となっているのに、日本語では「兄弟の皆さん」とだけあって、「姉妹」が抜かされているのは女性蔑視の表れなのではないか、という趣旨であるらしい。

 このメールに対する返事を、おおむね次のように書いて送ったのだが、「地球ことば村」の皆さんにも興味をお持ちの方がいらっしゃるかもしれないと考え、ここにご披露する。


1. 広義と狭義

 純言語学的に言えば、「キョウダイ」には狭義と広義の二つの意味があると思います。

 狭義の「キョウダイ」は「男のキョウダイ」で、これは漢字で「兄弟」と書く通りです。

 その他に広義の「キョウダイ」もあって、これは姉妹も含む意味です。

 「キョウダイ喧嘩は止めなさい」とは言いますが、「キョウダイシマイ喧嘩」とか「シマイ喧嘩」とは普通は言わない。「ごキョウダイの間でご相談ください」とは言っても普通は「ごキョウダイシマイの間で...」とは言わない。言わなくても広義の意味で「兄弟姉妹」であることが分かるからです。

 漢字で「兄弟」と書いて、文字通りに考えるから、これはおかしいではないか、と感じる。漢字が読める外国人が陥りやすいトリックです。Cさんもそう言われるまで何の違和感もなく使っていたわけでしょう? それは無意識のうちに広義の意味で聞いていたからです。それが漢字を思い浮かべたとたん、こりゃおかしいと感じ始めた。つまり狭義の意味に取りつかれてしまったんですね。

 たとえば「東京」にも広義・狭義の2つがあります。狭義には東京23区だけ、広義には三宅島、八丈島、はては小笠原諸島までも含まれてしまう。もっともこれは行政上の単位としての東京ですから、普通一般の人の感じ方と違うかもしれません。でも都内に住んでいる人からみると、八王子も青梅も町田も東京から外れてしまうと言ったら腹が立つかもしれませんね。えーっ? 八王子とか町田って埼玉県じゃなかった? なんて。でもそういうものなんです。

 広義と狭義は分かったとして、それでもなお、なんで広義の「兄弟」に女性も含ませてしまうのよ?! という疑問ないし怒りを感ずるかもしれません。こうなると歴史をさかのぼって、最初に「兄弟」が使われたのはいつだったのか、どういう意味だったのか、等々を調べなければならないのですが、私は日本語が専門ではないし、そういう初見の例をも記した『日本国語大辞典』を買いたいと思うのですが、10数巻という膨大なものなので、お金もかかるし、おまけに置き場所がない。だから手元にないので分かりません。まあ、日本はついこの間まで男尊女卑のお国柄でしたから、 「兄弟」だけで女性も含めてしまったという事情があったとしても、驚きはしませんけどね。

 似たような例では「ご父兄」とか「父兄会」などの「フケイ」というのもありますね。これも別に「父」と「兄」に限ったものではない。母でも姉でもいい。この言葉などはもっぱら広義の意味で用いられると言ってもいいでしょう。


2. 言葉は意図的に変えられるだろうか?

 しかし気になり出すと気になるもので、どうしても何とかして変えたい、という気持ちになる人もいるかもしれません。ところが言葉というものは、一度できてしまうとそれを変えるのは非常に難しい。とは言うものの、その国の人全員が納得ずくで変えるということは、言語の歴史上、珍しいことではあるけれど、ないことはありません。

 1970年代から80年代にかけてアメリカでウーマンパワー全盛の頃、stewardess が flight attendant になり、さらにcabin attendant に言い換えられたとか(しかし flight attendant ではどういう不都合があったんでしょうね?)、chairman はけしからん、chairperson にしろとか、現在ではこれも長すぎるというわけで、the chair だけで「議長」という意味になってしまった、という例もあります。

 もっともこれは米語の話で、イギリスやオーストラリアの英語ではどうなっているか、知りません。なぜそんな断りごとを言うかというと、米語では Mr./Mrs./Miss という呼称は女性を結婚しているかいないかで区別する差別である、ということになり、女性は一律 Ms.(ミズ) で呼ぶのが一般的になってしまいましたが、私が1985年にオーストラリアにいたころは、「あれはアメリカの話、私たちは Mrs./Miss でいっこうにかまわないのよ」と言われたからです。これもその後どうなったか、アメリカ風に変化してしまったか、それとももとのまま残っているのか、興味あるところです。

 というわけですから、日本人女性全員が「兄弟の皆さん」では女性を無視している、けしからん、という意見に傾けば、メディアが率先して「兄弟姉妹」という表現に改めることでしょう。単語を言い換えてすむ問題ならば、変えることはできるのです。


3. 変えられないものもある

 しかし、それでもなお、たとえばフランス語では、女性ばかりのグループに一人でも男性が入ったら、そのとたんにelles「彼女ら」 ではなく ils「彼ら」と言わざるを得ない。これぞ女性蔑視でなくしてなんでありましょう。あるいは :

Je suis content/contente.「私は満足だ/満足よ」
Tu es heureux/heureuse. 「あんたは幸せだ(男性/女性)。」

などのように、主語が男女どちらであるかによって言い別けなくてはならない。こりゃなんだ、男女差別ではないのか? そもそも il/elle, ils/elles なんどと言い別けなければならないのは不便である、けしからん、どうにかしろ!

 そうは言っても、フランス語の文法に深く入り込んでしまっているから、Ms. のように簡単には言い換えがききません。エスペラントのような人工言語とは違って、自然言語というものは、どの言語をとってみても、理屈の通らない、不合理な部分が多かれ少なかれあるものなんです。

 英語は関係ないけれど、ほかのヨーロッパの多くの言語には名詞に男性・女性の区別があります。言語によっては中性なんてものまであるからやっかいだ。「父」「母」がそれぞれ男性・女性なのはわかる。しかし、たとえば「太陽」はフランス語で le soleil (男性)、「月」は la lune(女性)でいかにもそれらしい。ところがドイツ語では die Sonne「太陽」(女性)、der Mond「月」(男性)であって、まるきり反対なんです。「水」はフランス語 l'eau で女性、ドイツ語では das Wasser で中性。どうしてーっ?

 その「水」ですが、英語でもフランス語でも「水」のような液体は数えられないものとされていますよね。そこまではよくわかる(ような気がする)。ところが「涙」は tears、フランス語 des larmes と言う。どうして涙が複数形なんじゃい? 涙って、1滴2滴って数えられるんか、あんなもん?

 だんだん議論が横にそれてきた。ハナイキも荒くなってきたように思われる。


4. 女性優位の場合

 さっきのフランス語形容詞の例について、一つだけ、女性にとって少しは慰めになるかもしれないことを申し上げて、終わりにしましょう。

 フランス語の形容詞の男性形と女性形ですけれど、少なくとも言語学的に言えば、女性形がもとで、男性形はそれから派生して作られるのです。

 つまり、contente や heureuse が元にあって、男性形はその末尾子音 te, ze を取り去るというルールを適用すればよい。逆に男性形が元にあるのだと考えると、単語によって te を付けたり se を付けたり、一つ一つ個別に覚えなければならない。ものすごく手間のかかるものになってしまう。

 台湾原住民諸語の中でも一番北のアタヤル語マイリナッハ方言では名詞の全部ではありませんけれども、いくつかに男女差があるのが知られています。今のところ約百語の名詞で確認されています。

 これも女性形が古い形を残していて、男性形はそれに接尾辞や接中辞などの余計な接辞をくっつけてできたものです。たとえば:

「道」(女性形) raan、(男性形) ran-iq
「酔う」(女性形)ma-busuk、(男性形)bus-in-uk

など。ちなみにこの単語はフィリピンのタガログ語 daan やインドネシア語 jalan、フィジ語 sala、ハワイ語 ala「道」と同じ語源(オーストロネシア祖語の *Zalan)に遡る由緒正しい単語ですが、女性形が本来の古い形を正しく受けついでいます。(ついでながらハワイ・オアフ島の「アラ・モアナ・ショッピングセンター」ってご存じでしょう? あの「アラ」は「道」、「モアナ」は「海」という意味ですから、まあ、日本語なら「海岸通り・ショッピングセンター」みたいなものでしょうか。)(もひとつついでに言えば、『ジャラン』という旅行雑誌がありましたよね。あれもインドネシア語 jalan「道」に由来する名前でしょう。)

 それから「酔う」を表す単語はインドネシア語 mabuk などと同源で、*ma-buSuk に由来します。

 ミトコンドリアDNAは女性からしか受け継がれない。したがって、現生人類のDNAを分析していくと、すべての人類の祖先はたった一人の女性・イヴに遡ることが分かっているのに、男の方はどこの馬の骨がご先祖様なのか、ぜーんぜん分からない。そもそもマリア様がいらっしゃらなければイエズス様も生まれることはできなかった。イヴはアダムの肋の骨から作られたとか、何だかんだ女性を貶めようとしてはいても、、つまりは女性の方が元で、えらいんです。女性の方が男よりはずっと長生きしますし。それがどうして、いつごろから男性上位になってしまったのか、あらたな疑問がわいてきますがそれはさておいて、ここはどーんと大きく構えて、些細なことは聞き流しておいていいんじゃないか、と弱い性に属するワタクシメは愚考する次第ですが、如何なもんでしょう?

(土田 滋)