サンタル語
インドには、インド憲法(1950~)で禁じられているにもかかわらず、未だに身分的・経済的な差別の体制が実生活のなかでは生きつづけています。アーリ ア系の民族がインド半島に侵入する前からインド半島の東南部の山と森の豊かな地域に住んできた先住の人々は、旧来のカースト外の民とされて、ことごとに社 会的な差別を強いられてきました。例えば、東部のジャルカンド州では大財閥の鉱山製鉄業の土地開発のために広大が土地がだだ同然に買収されて、先住の人々 の生活様式を一変させました。先住民族のひとつサンタル人はそのようなところに住んできました。彼らのことば、サンタル語は、古くから高度な文字文化を持 つアーリア人に囲まれていたのに、最近まで文字を持つことがありませんでした。
サンタル語は、インドの4つの言語グループ(インド・アーリア、ドラヴィダ、オーストロアジア、チベット・ビルマ)のうち、オーストロアジア語族における最大の言語で、ムンダ語とともに、同語族の主要言語です.サンタル語の使用人口は600万人ともいわれ、インド国内で最大の「少数民族語」です。
インド独立によって、サンタル人の居住地域はビハール州、西ベンガル州、オリッサ州上記の4州(それぞれヒンディー語、ベンガル語、オリヤー語が州の公用 語)に分断されたため、サンタル人のコミュニティーも、各州の言語境界に分断される結果となりました。サンタル語は、もともと固有の文字をもたなかったた め、その居住地域によって、デーヴァナーガリー、ベンガル、オリヤー文字を用いて自分の言語を表していました。クリスチャンとなったサンタル人は、宣教師 によって工夫されたローマ字表記が用いられることもあります。
民族のアイデンティティーの危機を感じた一人のサンタル人が、神 の啓示を受けて、オルチキ文字(「書き文字」の意味)を考案しました。今ではこの独自の文字を用いる運動が広まっています。そのために、サンタル語は結局 5種類の文字を使って行われることになりました。一方で、政治的な変化が起こりました。長い間サンタル人、ムンダ人等のコミュニティーが要求してきた自治 州が、2000年11月にビハール州の南半分に半自治権を与えるという形で、ジャールカンド州として実現したのです。このことでサンタル語とムンダ語の世 界が独自の文字を持つ社会に変わる可能性が生まれました。今では山間部の農村で子供たちが熱心にオルチキ文字を習う姿が見られるようになりました。もっと もこの新しい州の将来には問題もあります。もともと少数民族のコミュニティーが主体であった旧ビハール州の南部では、公的にはヒンディー語が使われてきま したが、独立した州となれば、その教育を何語で行うかが問題になります。この地域の主要語であるサンタル語やムンダ語の地位向上も期待されるところです。 しかし行政と教育には、まとまった言語政策を立てて、文字、語彙、文法、教科書などを整備するが必要があります。現在、サンタル語の表記をこれからどうす るかについての議論が行われています。各地の住民の利害関係もあって、話し合いはまとまっていませんが、目下の合意事項としては、サンタル人自身の発案に よる「オルチキ文字」は、民族のアイデンティティーの象徴として、各地の文字と併記するようにしようという話が進んでいます。(会員の峰岸真琴さんのHP を参照しました。)
《金子亨:言語学(2007年掲載)》