突厥文字 英 Orkhon runes,Turkic runes
文字名称の由来は,チュルク突厥帝国がモンゴリア高原に残した突厥碑文に刻まれた文字からつけられた。突厥文字は,チュルク語の一種である突厥語を表記するのに用いられたが,一部はウイグル語表記にも使用された。突厥語とウイグル語(8 世紀まで突厥文字で表記された)をあわせて「古代チュルク語(Old Turkic language)」という。突厥文字表記された物の出現箇所は,上記のオルホン川流域のほか,イェニセイ川流域,バイカル湖北域,アルタイ地域,東トルキスタン,タラス川流域,フェルガナ盆地に分類される。[庄垣内]
モンゴリア高原には,いわゆる「オルホン(Orkhon)碑文」と呼ばれる石碑がオルホン川流域に数多く見られる。中でも,突厥帝国時代に建てられたホショウツァイダム(Khosho-Tsaidam)碑文やトニュクク(Tonyukuk)碑文,オンギン(Ongin)碑文はよく知られている。イェニセイ川流域からは「イェニセイ(Yenisei)碑文」と呼ばれている大量の石刻銘文が見つかっている。これらは 9~10 世紀頃作られた可能性が大きい。突厥文字は,モンゴリア高原のオルホン碑文のように故人や出来事に関する記念碑を公式に刻んだものもあるが,多くは,個人的な立場から短い銘文の表記に使用された。
トニュクク碑文
この碑文は 725 年の建立といわれている。図は,石碑を右へ 90 度倒して示している。汗国のアシュデ一族の貴族トニュクク(646-726)が自らを称えて建てたもの。この碑文はそれぞれ四面に刻文された二本の石柱からなり、第一碑文・第二碑文と呼ばれる。その内容は第一碑文から第二碑文へと連続しており、突厥文字によるテキストは罫線によって仕切られた全62行から構成され、各柱それぞれ西・南・東・北面の順に行が進行する。[バイン・ツォクト碑文]
トニュクク碑文 [Public Domain 出典] |
ホショウツァイダム碑文(Khöshöö Tsaidam)は,トルコ帝国東部の有名政治家 Bileg Khan(734)とトルコ軍の指揮官である Kul Tegin との名誉を称えて建てられた 4 つの記念建造物で構成されている。この石碑は,6 世紀~ 8 世紀の間に中央アジアに広がったトルコ帝国の最も重要な考古学的痕跡で,書かれた碑文の情報は、中央アジアの歴史と文化を研究する上で非常に貴重なものである。
表面(東面)には突厥文字/テュルク語で初代ブミン・カガンからビルゲ・カガン、キュル・テギンまでの歴史が刻まれており、裏面(西面)には唐の玄宗から贈られた漢文が刻まれている。この碑文によって多くの民族名や地名のテュルク語音を知ることができ、古代テュルク語を復元する上での重要な資料となっている。ホショ・ツァイダム碑文
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イエニセイ モニュメント。17~18世紀 [Неизвестен / Public Domain / 出典] |
Irk Bitig
9世紀の占卜書(英語でBook of OmensまたはBook of Divination)で、1907年にオーレル・スタインによって中国敦煌の莫高窟で発見され、現在はイギリス・ロンドンの大英博物館に所蔵されている。この本は、古テュルク文字(古突厥文字)で書かれた完全な写本としては唯一知られている。 また、初期テュルク神話の重要な資料でもある。この写本は、右開き(縦書きの書籍と同じ)で、テキストは右から左へ横書きされ、行は上から下へ進む。
Irk Bitig 最初の 2 ページ [The International Dunhuang Project / Public Domain / 出典] |
突厥文字の来源
突厥文字の来源には,ルーン文字,フェニキア文字,アラム文字などがあるが,早い段階からソグド文字を借用したとする説が有力である。5 世紀から 8 世紀にかけて中央アジアで活躍したソグド人が使った「仏教・草書体ソグド文字」を,古代トルコ語の音組織に適合するよう字形を調整したのが突厥文字である,という説である。しかし,実際には,ソグド文字と突厥文字の間には形態上の大きな差異が見られ,現在のところ,突厥文字の起源に関して納得いく説明はなされていない。ただ,音節文字の要素を持つこの文字が,セム系の文字を継承していることは確かである。
文字組織
オルホン文字の解読は,1893 年 12 月にデンマークのトムセン(V. Thomsen)によってなされた。オルホン碑文に関連する内容を記した漢文が併記されていたことで,チュルク語の一種を表記したことや固有名詞のおおよその音形式が判明したことが解読を可能にした。
下記の突厥文字表は,二種類ある場合は,オルホン碑文の文字(左)とイェニセイ碑文(右)に見られる文字である。書写体文字を併記した。母音文字は常に表記されるというのではない。文字 1 は a/ä の音を表し,第 1 音節においては普通表記されず,第 2 音節以降でも,語幹末母音を除いて普通表記されないが,語末位にあるときは規則的に表記される。文字 2 は,ï/i のほか狭い e も表示する。e は,イェニセイ碑文においては専用の文字を用いる。子音字はまず,母音との結合において後舌音系列(硬母音字)と前舌音系列(軟母音字)を区別するものとしないものに分けられる。表の子音文字の右肩に 1 を付したものは後舌音系列を,2 は前舌音系列を表示する文字である。また,g, k は前舌音系列,q,γ は後舌音系列に所属する。23,24,25,33 は,子音の前あるいは後ろに母音を内在する文字である。36,37,38 は子音連続を表す。
突厥文字の多くは右から左に横書きされ,上から下に行を追っているが,「オルホン碑文」などは漢文の影響からそれを左に 90 度回転させて縦書きされ,上から下に読まれる。
突厥文字テキスト
サンプルテキスト
ユニコード
突厥文字のユニコードでの収録位置は U+10C00..U+10C4F である。使用フォント:Noto Sans Old Turkic
注
- 庄垣内正弘 (2001)「突厥文字」河野六郎 [ほか] 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂, p. 675.
関連リンク・参考文献
- Old Turkic alphabet
- Irk Bitig
- タラス川沿いの渓谷で8~10世紀後半まで用いられた石刻銘文文字。
- 庄垣内 正弘 (1997)「突厥文字--古代チュルク人世界に普及した文字」『月刊しにか』 8(6)(87)