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【地球ことば村・世界言語博物館】

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世界の文字

漢字 ― 草書体 英 Kanji - Cursive script

隷書から楷書が生まれる以前に草書があった。草書は行書から生まれたものでは決してない。秦の俗体字が隷書に変わる過程の中で,早くもくずし文字の草書体の出現が認められるが,簡牘の例では前漢時代に隷書に混じって草書が使用されている。ただし,この時期の草書は,東晋時代頃に始まる幾字かを連ねて書く草書体のいわゆる連綿草とは異なり,1 字ずつを分離して書くもので,これを特に章草と呼んでいる。章草は隷書を補助する一種の簡便な書体として,主に文書の起草や写し,書簡などに用いられており,章草の形成過程では官府の書記官である書佐しょさしょさの存在が大きかったと推測される。[永田 p.275]

草書作品

王羲之「十七帖」

宋拓そうたく王羲之十七帖おうぎしじゅうしちじょう巻首にある「十七」の 2 字をとって十七帖と呼ばれ,東晋王羲之の草書の最もすぐれた帖として世に書中の龍といわれている。内容はいずれも尺牘(手紙)でその大部分は当時蜀にいた周撫にあてたものと推定されている。 有名な蘭亭叙と同じく唐の太宗が王羲之の書を集めたときに編集したもので,末尾に「勅」とあり,跋語によって,褚遂良ちょすいりょうといった唐初の能筆家に命じて臨搨させ,弘文館の子弟に与えて習字の手本に供されたことが窺える。これがいわゆる館本とよばれ十七帖中最高のものとされている。なかでもこの帖は墨色も古く欠けた所も少ないので,石に刻して間もない時に刷ったと考えられ,現在十七帖中屈指の名帖である。[宋拓 王羲之十七帖 宋拓 王羲之十七帖] 参 照 王羲之 宋搨十七帖(閲覧には,国立国会図書館の「利用者登録)本登録)が必要)

王羲之『遊目帖』

遊目帖ゆうもくじょう『游目帖』とも書く。本帖は,羲之が益州刺史・周撫に宛てた尺牘 11 行で,蜀郡への憧れを寄せている。

遊目帖 [王羲之 / Public Domain / 出典]

孫過庭『書譜』

書譜しょふ』は垂拱 3 年(687 年孫過庭自ら著した書論(運筆論)で,著者自身が書いた真跡が台北国立故宮博物院に所蔵されている。最初の行に「書譜巻上 呉郡孫過庭撰,最後の行に「垂拱三年写記」とあり,全文 369 行で 3,727 字ある。巻の前後には「政和」・「宣和」・「双龍」の印があるが,これは徽宗の鑑蔵印である。[Wikipedia: 孫過庭]

孫過庭「書譜」[孫過庭 / Public Domain / 出典]

懐素『草書千字文』

懐 素かい そは中国・唐代の書家,僧。字は蔵真ぞうしん。『草書千字文そうしょせんじもんは,貞元 15 年(799 年)の小字の草書千字文である。

草書千字文 [国立国会図書館インターネット公開 (保護期間満了)出典]

懐素『自叙帖』

『自叙帖』は,張旭と並び,狂草(草書体をさらに柔らかく崩した書体)の代表的作品とされている。内容はその名の通り懐素自身の学書の経歴を書き記した自己宣伝文である。自叙帖

『自叙帖』(真跡本) 懐素書 [Huaisu 懷素 / Public Domain / 出典]

智永『眞草千字文』

智永ちえい(生没年不詳)は,中国の陳より隋の時代にかけて活躍した僧であり,書家である。書聖王羲之の 7 世の孫にあたる。智永は出家し,陳代には呉興(浙江省湖州市呉興区)の永欣寺に住していたが,隋代になって長安の西明寺に移り住んだ。家伝した王羲之の書法を最も能くし,なおかつその書体を研究し,とくに草書に優れた。永欣寺の閣上に 30 年閉じこもって『真草千字文』800 余本を臨書し,江東(長江下流域)の諸寺にそれぞれ 1 本を施入したという。[Wikipedia: 智永]

『千字文解釈』 [国立国会図書館インターネット公開 (保護期間満了)/ 出典 <コマ番号 6>]

関連サイト

[最終更新 2022/08/05]