世界の文字
エラム文字 英 Elamite script
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エラムの地図[Timk70 / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
エラム語(Elamite)は,イラン西南部,現在のイランのフーゼスターン(Khūzestān)とファールス(Fārs)の一部を領有した
エラム王国(紀元前 3200 年頃~紀元前 539 年)において,エラム人によって使用されていた,言語系統不詳の膠着語。孤立語であるエラム語は,3 種類の文字で書かれていた。最古のものはエラム絵文字で,今なお未解読であるが,その粘土板の出土地からエラム語を記したものであることは確実である。この絵文字より発展したエラム線文字も,現存する資料が少なく,同様になお未解読の状態である。エラム絵文字とエラム線文字をまとめて,原エラム文字(Proto-Elamite)とも呼ぶ。
一方,最後のエラム楔形文で記されるエラム語は,古代メソポタミアの重要な言語の1つ(アケメネス期王室エラム語)であり,アケメネス朝下で前 6 世紀から前 4 世紀にわたって広く使用され,文法構造もそれなりに解明されている。エラム語というときは,この楔形文字で記された言語を指す。[上岡 p. 178]
エラム絵文字 >英 Elamite pictogram
紀元前 3000~前 2200 年の間に,フージスターンで,シュメールの影響下に独自に発達した絵文字。エラムという名称は,旧約聖書に由来する。セムの子孫のうちの 1 人である(創世記 10,22)とともに,王を戴く国名としても用いられ(同 14,1他),「日の出の地」を意味するとされる。アッカド語で e-lam-mat,シュメール語で Numma と呼ばれる。[内紀 p. 178]
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Economical tablet in Proto-Elamite script, Suse III [Mbz / CC BY-SA 3.0/ 出典] |
エラム線文字 英 Elamite linear
西暦紀元前 2900 年頃から数百年をかけて,エラム絵文字の複雑な字形と文字組織が整理され単純化されて,エラム線文字が成立した。同時期,隣接するシュメール社会においても同様の文字進展がみられるため,両地方の線文字化現象はお互いに影響しあったものとも考えられる。
しかし,この線文字も,前 2200 年に多くの碑文に登場するインシュシナク王の死とともに消滅し,シュメール・アッカドの楔形文字に取って代わられる。かつては,「原エラム文字」と呼ばれていたが,文字の形状をより具体的に示すために,あえて「エラム線文字」と呼ぶ。[内紀 p. 180]
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エラム線文字の碑文が書かれた錠剤 [Zunkir / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
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エラム線文字の碑文が刻まれた円錐形 [Zunkir / CC BY-SA 4.0 / 出典] |
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文字は多くの場合音節文字で,音節を構成しており,CV,CVC,VC などの形式をもつ。しかし,1 文字で zunkik (1 人称単数の「王」)を示す例もあり,表語文字の性格をとどめている。
文字数は全部で約 80 が存在したと推定されるが,現在の資料には,全部で 50 数個の文字が数えられるにすぎない。部分的にシュメール文字と同様の絵文字から発達したため,シュメール文字と同じ字形がみられる。ただし,同じ字形でも発音は異なる場合が少なくない。
結婚祝いの銀杯に刻まれた銘
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結婚祝いの銀杯 [GFDL 1.2 / 出典] |
ファールス州マルヴダシュトより 1966 年に発掘されたエラム線文字の刻まれた銀杯〈図 7〉。紀元前 2240 年。イラン国立博物館所蔵。銀杯の縁に沿って左から一周するエラム線文字による銘が刻まれている。これには,戦争の女神から,アッカドのサルゴン王との結婚を迎える妹の勝利の女神に贈る助言が述べられる。
エラム楔形文字 英 Elamite cuneiform
前 3 千年~前 2 千年紀にもロゴグラム(表語文字)としてアッカド語楔形文字(アッカド文字)が用いられていたが,前 2 千年紀後半には文字全般の楔形文字化が進行する。その際,複雑なアッカド語の文字組織の一部を借用し,それに若干の改変を加えた上で利用している。アッカド文字の数を相対的に減らし,特に複雑な字形は排除する明白な傾向がみられる。[上岡 1988]
前 13~前 12 世紀のエラム語楔形文字は,中期エラム文字,前 2 千年紀末以降のエラム語楔形文字は新エラム文字,前 6 世紀後半オリエントのほぼ全域を支配するのに成功したアケメネス朝ペルシア帝国治化下で使用されたエラム語楔形文字は帝国エラム文字と呼ばれる。→ 川瀬 2001
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Puzur-Inshushinak Ensi Shushaki [Darafsh / CC BY-SA 3.0 / 出典] |
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アワン朝王朝表(前1800-1600年)スーザ [Marie-Lan Nguyen / CC BY 2.5 / 出典] |
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王朝表 [Jean-Vincent Scheil / Public Domain / 出典] |
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ベヒストゥン碑文 Behistun Inscription
世界文化遺産に登録されている巨大なベヒストゥン磨崖 (英: The Behistun Inscription, ペルシア語: Bīsotūn)には,アケメネス朝ペルシアの王ダレイオス 1 世が,自らの即位の経緯とその正当性を主張する文章とレリーフが刻まれている。イラン西部のケルマーンシャー州にある。
ダレイオス 1 世の碑文は地上 100 m 以上の高い場所にあり,高さ 3 m・幅 5.5 m の浮き彫りの周辺に,同じ内容の長文のテキストが,エラム語,古代ペルシア語,アッカド語(新バビロニア語)という 3 つの異なった言語で書かれている。当初はエラム語の碑文のみであったが,壁画像を追加する段階でアッカド語と古代ペルシア語の碑文も増補されたと見られている。エラム語は 2 箇所にほぼ同じ内容のものが書かれ,第 1 のものは 323 行,第 2 のものは 260 行からなる。アッカド語は 112 行からなる。古代ペルシア語は合計 414 行からなる。ベヒストゥン碑文は古代ペルシア語の現存する最古の碑文である。
ベヒストゥン碑文の解読には次のような経緯があった。イギリス軍武官のヘンリー・ローリンソン(Sir Henry Rawlinson)は 1835~1837 年にかけて彫像の下に刻まれた(第一種)碑文を写し取り,ついで,1844 年夏にはこれを校訂し補足するかたわら,さらにその左側にある(第二種)碑文をを写すために岩によじ登った。ローリンソンの研究報告は,付図 5 葉とともに 1847 年の『王立アジア学会誌』に掲載された。それは,第一種碑文である古代ペルシア語部分の碑文の写本と翻訳を含むと同時に,文法・語彙・字解をも説明したものであった。ローリンソンはまたエドワード・ ヒンクス(Edward Hincks)の研究を元にして,彫像の左側にある(第三種)碑文であるアッカド語部分の解読を 1851 年に発表した。第三種の解読に多忙であった彼は,第二種の膨大なエラム語研究資料をすべてイギリス人ノリス(Edwin Norris)に贈与してしまった。
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ベヒストゥン碑文 [Friedrich von Spiegel / Public Domain / 出典] |
ノリスは,ローリンソンから贈与された資料をもとにして,1855 年の『王立アジア学会雑誌』に,楔形文字の原文とその翻字の図版各 8 葉ずつと,文法の梗概のほか,原文の翻字と翻訳と詳しい注をつけた論文を発表した。かれは,この文字を 102 個の音節文字よりなるとした。その言語はヴォルガ・フィン語に似ていることを指摘して文法の秩序的説明を試みたのであるが,正解しえた文字は 57,まあ正しいと思われるもの 21 で,24 は間違っていた。しかし,彼の研究は多くの欠点を含んでいたにもかかわらず,解読の基礎を作ったものということができ,のちの学者の研究はかれの欠点を補正するにとどまった。[杉 pp. 68-69]
ノリスによるエラム語文字表 [Norris コマ 48] |
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各言語第 1 コラム第 1 節
ベヒストゥン碑文古代ペルシア文字 [The Sculptures and Inscription コマ 1/233] | |
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§I. I am Darius, the great king, the king of kings, the king of Persia, the king of the provinces, the son of Hystaspes, the grandson of Arsames, the Achacmenian. |
ベヒストゥン碑文エラム文字 [The Sculptures and Inscription コマ 92/233] | |
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§I. I am Darius, the great king, the king of kings, the king of Persia, the king of the provinces, the son of Hystaspes, the grandson of Arsames, the Achacmenian. |
ベヒストゥン碑文バビロニア文字 [The Sculptures and Inscription コマ 158/233] | |
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§I. [I am Darius, the great king, the king of lands], the Achaemenian, the king of kings, the Persian, the king of Persia. |
注
- 上岡弘二 (1988)「エラム語」亀井孝 [ほか] 編著言『言語学大辞典 第1巻 (世界言語編 上 あ~こ)』三省堂,1988
- ― (2001)「エラム文字」河野六郎 [ほか] 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂
- 内記良一 (2001)「エラム絵文字」「エラム線文字」河野六郎 [ほか] 編著『言語学大辞典 別巻 (世界文字辞典)』三省堂.
- 杉勇(2006)『楔形文字入門』(講談社)
- Norris, E. (1852) Memoir on the Scythic Version of the Behistun Inscription Journal of the Royal Asiatic Society. https://archive.org
- The sculptures and inscription of Darius the Great, on the rock of Behistûn in Persia. London : Longmans : Bernard Quarritch : Asher : Henry Frowde : Sold at British Museum, 1907, https://archive.org
関連リンク
[最終更新 2022/03/15]