モアブ文字 英 Moabite script
モアブ文字は,北西セム語に属するモアブ語の資料(前 9 世紀後半)の文字で,実質的には同時期のフェニキア文字と同じである。ただ,k,m,n,p の脚が左下に向かって少し曲がるなどの特徴から見て,フェニキア文字からやや変化した(古)ヘブライ文字と同定する人もある。→ 松田
文字資料
メシャ碑文
「メシャ碑文(Mesha inscription)」(前 850 頃,高さ 115 cm,幅 60-68 cm,玄武岩)は,死海中部の東のモアブ山地の古都デボン(Dibon)で 1868 年に発見された 34 行,約 300 語からなる石碑で,現在,ルーブル美術館の所蔵品である。その内容は,長年イスラエルに苦しめられたモアブ国の王メシャ(『旧約聖書』列王記下 3:4 以下参照)が神ケモシュの導きによってイスラエルの王の軍を破り失地を回復したことを述べて,ケモシュに捧げた奉納文である。
この内容からも分かるように,西隣のイスラエルから大きな影響を受けていた前 9 世紀のモアブ人は,文字も当時のイスラエルで使われていた古ヘブライ文字(=フェニキア文字)を借用したのであろう。
《訳》 【1】 I am Mesha, son of Chemosh-yat, king of Moab, the 【2】 Dibonite. My father was king over Moab for thirty years, and I became king 【3】 after my father. I built this high place for Chemosh in [qarḥō], a high place 【4】 of salvaion, because he delivered me from all assaults, and because he let me see my desire upon all my adversaries. Omri, 【5】 king of Israel, had oppressed Moab many days, for Chemosh was angry with his land. 【6】 His son succeeded him, and he too said, I will oppress Moab. In my days he said it; 【7】 but I say my desire upon him and his house, and Israel perished utterly for ever. ... (→ Gibson)
ケラク出土の碑文断片
1958 年にデポンの南のケラク(El-Kerak)で出た約 12 語を残す石碑断片も,それに書かれた人名(メシャの父ケモシュヤト)と書体から,メシャ碑文と同時代のモアブ文字の資料とされる。(前 9 世紀前半)
《訳》 【1】 (I am Mesha, son of Ch)emosh-yat, king of Moab, the Di(bonite) ....
【2】......(in the temp)le of Chemosh as an act of purgation, because I lo(ve)..........
【3】..... and his ........... And behold, I have constructed ......... (→ Gibson)
前 7 世紀の印章
モアブの神ケモシュの名を刻んだ前 7 世紀の印章(中央)では m の字形に同時期のアラム文字の影響が見られる。もっとも,アラム文字もフェニキア文字の変化したものである。前 8 世紀後半以後,アラム語を話しアラム文字を使うアッシリア人の勢力下に入ったモアブ人は,その文字においてもアラム化されていったのである。
関連リンク
注
- 松田伊作(2001)「モアブ文字」『世界文字辞典』(言語学大辞典,別巻,三省堂)
- Gibson, John C. L. (1971) Hebrew and Moabite inscriptions. [Textbook of Syrian semitic inscriptions / by John C. L. Gibson, v. 1] (Clarendon Press)
- Naveh, Joseph (1982) Early History of the Alphabet. An introduction to West Semitic Epigraphy and Palaeography. (Magnes Press, Jerusalem)