『言語の時間表現』(1995)の自評:

『国文学解釈と鑑賞』20081月号 特集日本文法の現在「日本語文法とその周辺」−自著を語るなかから− pp.78-82
「『言語の時間表現』金子
亨著 1995年 ひつじ書房について」

 この本はまったく売れなかったし、評判も良くなかった。それに価格が高すぎた。なによりも、いくつか考え違いや誤記、それに未熟な表現がたくさんあった。それらを訂正するために数年後に改訂再版計画を作ったのだが、本屋さんも見切りをつけたのだろう、その出版をずっとしぶっている。しようがないと諦めて、2003年度改訂版をCDで頒布するだけで、未だに著者としての責務を果たせないでいる。お詫びを申し上げたい。

 この本の評判が悪い理由は、それが世に言うテンス・アスペクト論などとはたいへんに違った立場から書かれたために、記述の基本においた理論の枠組みさえもが大方に理解されなかったからなのだと思う。もっとも月刊『言語』書評(1995年5月号)の土屋俊氏にはその理論的背景がたちまちにばれてしまってはいた。曰く「この研究がライヘンバッハ以来の論理的意味論の王道を歩み、(略)1980年代に展開したドイツにおける形式意味論のモデル(略)との親近性を見て取ることが可能である」。そのとおり。私は1970年代一杯シュトッガルト大学言語学研究所で時間に関する論理意味論の研究グループに加わっていた。この仲間と共に言語に内在する時間というものをもっぱら形式意味論的に記述しようと考えていた。当時の企図のひとつの支柱はコトeventsの論理であった。われわれが論議し採択したモデルは強力で、ヴェンドラ1967やダウティ1979を越えていた。また動詞の意味をジャッケンドフやそのエピゴーネンのようにlexical decompositionとかによって問題を解決しようなどとはもはや考えてはいなかった。

 この本で適用したコトの時間論理をうんと単純に言うと次のようになる。

(1)コトe は時点t1 で始まりt2 で終わる状況の連鎖であり、それはこの時間帯内部で成り立つ:(t1t2) e

(2)コトeは独立しているのではなく、前状況・表示状況・後状況の三連鎖の中央ある。各状況の接点には標準的時間論理の法則が働く。表示状況は前後を左に閉じた、または開いた時間に囲まれている:pre-sit|sit|post-sit, 但し|[ または ]

(3)この表示状況|sit|がコトの本体であり、それを表示する動詞の意味の型に過不足なく対応する。そして動詞の意味の型が|sit|の型をもつと仮定し、これを「語彙アスペクト」と名付けた。

(4)この三基本仮定に基づいて、アスペクトやテンスおよび他の時間表現の間の重層的な時間関係R(ti,tj) を多数の (titj) eの複合として記述した。

ちなみにここで仮定した|sit|の意味論的な実態に最も近いのはパウル1920aktionsartenという概念だろう。また動詞語根の意味は基本的に分解不可能な統覚的apperceptive認識(カント1787)であり、それを脳科学の最近の成果を援用したタームを使うならば、特定のシナップス・アセンブリのタイプがもつモジュールの中心部分であると言いたい。これがこの本の理論の背景であった。この本では記述の範囲を基本的にこの意味の型(かの懐かしきinnere Sprachformという論点に限った。従って、例えば動詞の時間性と意志性との関係、さらに格フレームの問題は棚上げされた。これら連合野的モジュールの問題には「動詞の意味に関する理論的アプローチ」中川裕編『ユーラシア諸言語の動詞論(4)』研究プロジェクト報告書第143.千葉大学大学院人文社会研究科 2007, pp. 1-26などで当面の方法論的アプローチを試みたつもりである。

 この本で試みたを四つの主な論点を簡略にまとめておく。

1.日本語用言の語彙アスペクトとその類型

 「語彙アスペクト」とは動詞の意味に内在する時間性である。それは表示状況|sit|の型で表される。例えば「見る、見える、見せる」の三語は共に視覚認知という統覚的認識を表す。このうち「見える」では視覚認知の状況は時点t1ではまだ成立しない。それはt1に始まり、一定時間継続し、時点t2 以後もデフォルトで継続するとみなされる。従ってこの語の語彙アスペクトの表示状況では、前枠が左に閉じ[ 、後枠は右に開いていて[、表示状況がt2以後も続き得ることを示す:t1[ 視覚認知 t2[。「見える」は認知対象の視覚認知がこのような時間性をもって経過することを意味する。一方、その他二つの視覚認知に関わる語彙「見る、見せる」の表示状況は、t1[ 視覚認知 t2] のような左右が内に閉じた語彙アスペクトをもつ。但し、この三語、それぞれ三種の視覚認知動詞では状況の関与者arity, valencyの組が異なる。この関与者情報も動詞語幹の意味に付随する必須の情報モジュールである。この点を詳論しなかったのはこの本の重大な欠陥であった。とまれこの本では、日本語の語彙アスペクトを、約10種の日本語内的分析基準を使って分類した結果、日本語には語彙アスペクトが4類20種在ることが分かった。日本語用言の語彙アスペクトは、一般形で表すとt1| t2| とでもなろう。ここでは、コトを把握する認知実体、つまり動詞の意味である。それが脳内長期記憶装置内部に形成される神経組織のモジュール的連合の類型と対応していると想像するのはまだ無謀だろうか。

2.日本語の時制の分析

 時制とはコトeの成立する時間tと発話時間t0との相対的関係である。コトeが時間tで成立するなら、コトが発話時間より前に起こっていれば、これらの時間関係t t1[ 視覚認知 t2[t0 、つまり「見え」、またt1[ t0 t2[ なら「見え」または「見えてい」、t0t1[ 視覚認知 t2[t0なら「見え」のように、それぞれの時間関係は時制標識タ・ルで表示される。今の日本語は時制標識を二つしか持たない。タ形とル形である。これらが表示する時間関係は、では表示状況の成立時間が発話時間より前、すなわちt (tt0)、ルではその他の時間関係、すなわち、t¬(tt0)、これだけである。ここでタ形は有標、ル形は無標であるが、これらの形式の現れ方はそれ自身ではこの単純な関係が動詞の語彙アスペクト及びその複合体の内の時間との間でさまざまな関係を取り結ぶ。この本ではの意味は一つであるという立場に立って、いくつかの複雑な事例についてその時間関係を記述した。この立場は時間論理的に正しかったと思う。この見方からすると日本語時制の記述は決して複雑ではない。巷間では「の意味がいくつもある」などという言辞が横行しているが、それは時間論理的思考の欠如に起因すると思う。

3.日本語アスペクト形式の機能

 日本語にも「動詞1+動詞2⇒動詞3」という巡回的規則がある。それは複合動詞や動詞複合体などを作る文法操作である。この本で日本語のアスペクト形式と名付けた語群はその一類で、いくつかの動詞派生形式が動詞2として使われた場合である。この形式には、主に、動詞2(1)動詞1の連用形か(2)動詞1のテ形につく場合との2類がある。しかしこの本ではこの区別をしなかった。これは大間違いで、この問題はこれから検討して修正したい。しかし全体としてアスペクト形式の意味論的機能ははっきりしている。それは動詞1が本来もつ過程を補正し、表示の焦点をずらすことにある。例えば、テイル形は動詞1の中から状態相t1]/[ 状態 t2[ を取り出すことを本来の任務とする。動詞1がもともと状態相だけから成れば、少なくとも東京方言では、それにこの形は付かない。一方、「被る」:t1[かぶる行為[t2結果状態のような動詞からは結果状態を取り出して、後状況...[t2結果状態 に表示の焦点をすえることができる。「被っている」のような場合である。後状況が関与するアスペクトにはおもしろい問題が多い。この本では結果状態と効果性を主に取り上げたが、これは不十分であった。いわゆる到達性telicityなどについて包括的な記述がさらに必要であると思う。

4.継起的時間と歴史的時間の複合

 この本では上の三種の言語時間表現、すなわち語彙アスペクト、時制、アスペクトを日本語について記述しようと試みた。これらの時間表現のうち語彙アスペクトとアスペクトとは一つのコトの過程に関わる。一方、時制はコトの成立の時間と発話時間(これも特別なコト)との相対的関係を表示する。この契機によってコトはコト(複数)の歴史的時間の軸に配列される。従って、歴史的時間Rとは、R={t0,t1,t2,... e1,e2,...) のように、コトの時間を発話時間の系に組み込んだ複合である。「今日、さっき、今度来ら」のような時間指示も、発話時間を含む歴史的時間表現である。しかしこの本ではこの種の時間複合を体系化しなかった。これも今後の課題である。

 この本で書けなかったことがいくつかあった。最も重要な欠落は、動詞の意味記述にコトの関与者arity, valencyの情報を含めなかったことである。もともと語彙アスペクトに関与者の情報を組み込むことは余計である。しかし動詞形態素の意味にとって関与者情報は必須である。この情報は必須の関与者の数と特性を規定して、語根の本来的意味の一部となるはずのものである。しかし本来の語根が例えば「見える、見る、見せる」のように派生的に拡張されると、そのアリティも変わる。従ってアリティは「見」に与えるだけではいけない。それは語根の派生に随伴した要素、語根派生に随伴した情報モジュールの一つであると考えなければならない。一方で、語彙アスペクトは動詞形態素の意味の要素であるから、関与者情報は語彙アスペクトと同レベルの連合野的モジュールとして位置づけられるべきだった。第二に重要な欠陥は、語彙アスペクトの位置づけが不足していた点である。それは動詞複合体verb complexes, converbsの全体的な展望が出来ていなかったからである。とりわけいわゆるアスペクト形式に含まれる動詞(用言)複合は形態論的に一色ではない。「食べ・始める」のうように連用形に接続した形式は「打ち倒す」のような複合動詞と形態的に区別できない。一方で、「見えてくる」と「見てすぐ来る」のような動詞並列とではともに動詞複合体であっても「・くる」の独立性によって区別される。この形態的な区別がどのような意味論的差異に対応するかという問題についてもこの本では触れることはなかった。また同じ動詞複合形式でも「させ、られ、ほしい」などの使役・態・話法などの複合体はモジュール部位とそれに対応する連合野が異なっているに違いない。この問題もこの本では棚上げされた。もっともこれは将来の課題だといいってばかりはいられないので、論文「動詞の意味に関する理論的アプローチ」2007で少しく触れてみた。しかし問題は細部の論議であって複合的な動詞表現において関与者情報の関係がどう変わるか、それが本来的な語彙アスペクトとどう関わるかという多くの問題がある。この議論は続けていきたい。

 なお本論中の文献指示および『言語の時間表現』再版用原稿2003、論文2007などはKaneko Tohruのホームページ「言語・反戦」(検索容易)からダウンロードできます。


文献指示

ヴェンドラ1967: Vendler, Zeno:Linguistics in Philosophy. Ithaca, Cornell Univ.  Press

ダウティ1979: Dowty, David:Word Meaning and Montague Grammar. Synthese Library 7.Reidel, Holland/Boston/London

パウル1920: Paul, Hermann;Deutsche Grammatik, Bd.5.Max/Niemeyer, Muenchen

シュトッガルト文献: Guenthner,Franz&Christian Rohrer(eds.):studies in formal semantics.North-Holland 1978, Rohrer,Ch.(ed.) On the Logical Analysis of Tense and Aspect.Narr,Tuebingen1977

金子亨2007: 「動詞の意味に対する形式意味論的アプローチ」中川裕編『ユーラシア諸言語の動詞論(4)』千葉大学人文社会科学研究科