北海道新聞(釧路)夕刊 2011.06.14.

「チャランケ」の欄

エッセイ

アイヌ語は日本列島に生きてきた一番古いことばです。この言語は、大まかに見て、南は東北地方中部以北、北はサハリン(樺太)南部、東は千島列島におよぶ地域で使われてきました。あるときにはもっと広く用いられたこともあったでしょう。しかしいつ頃から使われてきたのかは分かりません。アイヌの人たちが民族(〜エトノス)としてまとまったのが13〜14世紀だとされていますが、アイヌ語はそのはるか前の時代、多分「縄文時代」からずーっと使われてきたに相違ありません。

 縄文時代の中期(今から5千年頃前)には本州の中部から北海道にかけて大小様々な集落があったことが知られています。そのうち最大の集落、三内丸山は500人ほどの住民をもっていて、陸奥湾に臨む港を持っていました。この港では当時の貴重な産物、網走近郊遠軽町白滝産の黒曜石、糸魚川産のヒスイなどの「鉱」産物から建築、衣類、漆の技術などのありとあらゆる縄文の文化が交易されていました。しかしこの港町とそこで通用したことばは痕跡も残ってません。それをここでは三内丸山語と仮称しておきましょう。それは恐らく交易される物資の故郷でも使われていたと考えてもいいでしょう。さらにそれが今のアイヌ語とつながる言語であったと考えてみましう。この考えが当たっているとすれば、アイヌ語の先祖は非常に古く、三内丸山の交易圏全体、つまり日本列島の東部の広い範囲で使われていたと考えていいことになります。

一方で、日本語の原型が稲作文化と一緒に九州に上陸したのは、早く見て、前10世紀です。この西から渡来した言語はその後、水稲文化と武力に長けた王権によって東に広まりつづけ、7‾8世紀には東北地方を、明治時代にはついに北海道に広まってこの国の「国語」にされてしまいました。

こうして見ると、日本で今使われている言語のうち、アイヌ語が日本語より少なくとも2千年は年長であることが分かります。現在の日本には、韓国語や中国語を含めて、いくつもの言語が使われています。しかしそのなかでわりに土着の言語はアイヌ語と日本語の二つだけです。そしてこの両言語はともに優れた文化を担って今日まで長い間使われてきました、違いはただ使う人の数におおきな隔たりがある点です。とは言っても共に近代文化・科学技術を背負っていくに十分な力量をもっています。共にむずかしいことをきちんと話せる言語です。例えばこんな例があります。ある時、白老のポロチセで居眠りをしていたら、脇でどうもアイヌ語で「アイヌ語教育方法の地域的偏差」について熱心に徹夜で討論しいる若い人たちがいました。このようなアイヌ語の力を人達はどんどん増えてくるでしょう。そのようなアイヌ語の拡大と成長を私はこころから期待します。」