5 クモの糸(いと)

1(1)-(3) p36

1
(1) ある 日(ひ)の ことで ございます。お釈迦(しゃか)様(さま)は 極楽(ごくらく)の 蓮池(はすいけ)の ふちを、ひとりで ぶらぶら お歩(ある)きに なっていらっしゃいました。
池(いけ)の 中(なか)に 咲(さ)いている 蓮(はす)の 花(はな)は、みんな 玉(たま)のように まっ白(しろ)で その まん中(なか)に ある 金色(きんいろ)の ずいからは、なんとも いえない よい 匂(にお)いが たえ間(ま)なく あたりへ あふれております。極楽(ごくらく)は ちょうど 朝(あさ)なので ございましょう。

(2) やがて お釈迦(しゃか)様(さま)は その 池(いけ)の ふちに おたたずみに なって、水(みず)の 面(おもて)を おおっている 蓮(はす)の 葉(は)の 間(あいだ)から、ふと 下(した)の 様子(ようす)を ご覧(らん)に なりました。
この 極楽(ごくらく)の 蓮池(はすいけ)の 下(した)は、ちょうど 地獄(じごく)の 底(そこ)に あたっておりますから、水晶(すいしょう)のような 水(みず)を すき通(とお)して、三途(さんず)の 川(かわ)や 針(はり)の 山(やま)の 景色(けしき)が、ちょうど のぞき眼鏡(めがね)を 見(み)るように、はっきりと 見(み)えるので ございます。

(3) すると その 地獄(じごく)の 底(そこ)に、犍陀多(かんだた)と いう 男(おとこ)が 一人(ひとり)、他(ほか)の 罪人(ざいにん)と  一緒(いっしょ)に うごめいている 姿(すがた)が、お目(め)に とまりました。
この 犍陀多(かんだた)と いう 男(おとこ)は、人(ひと)を 殺(ころ)したり 家(いえ)に 火(ひ)を つけたり、いろいろ 悪事(あくじ)を はたらいた 大(おお)どろぼうで ございますが、それでも たった一(ひと)つ、よい ことを いたした 覚(おぼ)えが ございます。
と 申(もう)しますのは、ある 時(とき) この 男(おとこ)が 深(ふか)い 林(はやし)の 中(なか)を 通(とお)りますと、小(ちい)さな クモが 一(いっ)匹(ぴき)、道(みち)ばたを はっていくのが 見(み)えました。そこで 犍陀多(かんだた)は  早速(さっそく) 足(あし)を 上(あ)げて、踏(ふ)み殺(ころ)そうと いたしましたが、「いや、いや、これも 小(ちい)さいながら、命(いのち)の ある ものに ちがいない。その 命(いのち)を むやみに とると いう ことは、いくら なんでも かわいそうだ。」と、こう 急(きゅう)に 思(おも)い返(かえ)して、とうとう その クモを 殺(ころ)さずに 助(たす)けてやったからで ございます。

1(4)-2(1) p38

(4) お釈迦(しゃか)様(さま)は 地獄(じごく)の 様子(ようす)を ご覧(らん)に なりながら、この 犍陀多(かんだた)には  クモを 助(たす)けた ことが あるのを お思(おも)い出(だ)しに なりました。
そう して それだけの よい ことを した 報(むく)いには、できるなら、この 男(おとこ)を  地獄(じごく)から 救(すく)い出(だ)してやろうと お考(かんが)えに なりました。
幸(さいわ)い、そばを みますと、翡翆(ひすい)のような 色(いろ)を した 蓮(はす)の 葉(は)の 上(うえ)に、極楽(ごくらく)の クモが 一(いっ)匹(ぴき)、美(うつく)しい 銀(ぎん)色(いろ)の 糸(いと)を かけております。
お釈迦(しゃか)様(さま)は その クモの 糸(いと)を そっと お手(て)に お取(と)りに なって、玉(たま)のような 白蓮(しらはす)の 間(あいだ)から はるか 下(した)に ある 地獄(じごく)の 底(そこ)へ、まっすぐに それを お下(お)ろしなさいました。

2
(1) こちらは 地獄(じごく)の 底(そこ)の 血(ち)の 池(いけ)で、他(ほか)の 罪人(ざいにん)と 一緒(いっしょ)に、浮(う)いたり 沈(しず)んだり していた 犍陀多(かんだた)で ございます。なにしろ どちらを 見(み)ても、まっ暗(くら)で、たまに その 暗闇(くらやみ)から ぼんやり 浮(う)き上(あ)がっている ものが あると  思(おも)いますと、それは 恐(おそ)ろしい 針(はり)の 山(やま)の 針(はり)が 光(ひか)るので ございますから、 その 心細(こころぼそ)さと いったら ございません。その うえ あたりは 墓(はか)の 中(なか)のように しんと 静(しず)まり返(かえ)って、たまに 聞(き)こえる ものと いっては、ただ  罪人(ざいにん)が つく かすかな ため息(いき)ばかりで ございます。
これは ここへ 落(お)ちてくる ほどの 人間(にんげん)は、もう さまざまな 地獄(じごく)の 責(せ)め苦(く)に 疲(つか)れはてて、泣(な)き声(ごえ)を 出(だ)す 力(ちから)さえ なくなっているので ございましょう。ですから さすが 大(おお)どろぼうの 犍陀多(かんだた)も、やはり 血(ち)の 池(いけ)の 血(ち)に むせびながら、まるで 死(し)にかかった 蛙(かえる)のように、ただ もがいてばかり おりました。

2(2)-(3) p40

(2) ところが ある 時(とき)の ことで ございます。なにげなく 犍陀多(かんだた)が 頭(あたま)を 上(あ)げて、 血(ち)の 池(いけ)の 空(そら)を 眺(なが)めますと、その ひっそりと した 闇(やみ)の 中(なか)を、遠(とお)い 遠(とお)い 天(てん)上(じょう)から、銀(ぎん)色(いろ)の クモの 糸(いと)が、まるで 人目(ひとめ)に かかるのを 恐(おそ)れるように、一筋(ひとすじ) 細(ほそ)く 光(ひか)りながら、するすると 自分(じぶん)の 上(うえ)へ たれてまいるでは ございませんか。犍陀多(かんだた)は これを 見(み)ると、思(おも)わず 手(て)を 打(う)って 喜(よろこ)びました。
この 糸(いと)に すがりついて、どこまでも 上(のぼ)っていけば、きっと 地獄(じごく)から 抜(ぬ)け出(だ)せるのに 相違(そうい) ございません。
いや、うまく いくと、極楽(ごくらく)へ 入(はい)る ことさえも できましょう。そう すれば、もう 針(はり)の 山(やま)へ 追(お)い上(あ)げられる ことも なくなれば、血(ち)の 池(いけ)に、沈(しず)められる ことも あるはずは ございません。

(3) こう 思(おも)いましたから 犍陀多(かんだた)は、早速(さっそく) その クモの 糸(いと)を 両手(りょうて)で しっかりと つかみながら、一生懸命(いっしょうけんめい)に 上(うえ)へ 上(うえ)へと たぐり 上(のぼ)り始(はじ)めました。もとより 大(おお)どろぼうの ことで ございますから、こう いう ことには 昔(むかし)から、なれきっているので ございます。
しかし 地獄(じごく)と 極楽(ごくらく)との 間(あいだ)は、何(なん)万(まん)里(り)と なく ございますから、いくら  あせってみた ところで、容易(ようい)に 上(うえ)へは 出(で)られません。
やや しばらく 上(のぼ)る うちに、とうとう 犍陀多(かんだた)も くたびれて、もう 一(ひと)たぐりも 上(うえ)の 方(ほう)へは 上(のぼ)れなくなってしまいました。
そこで 仕方(しかた)が ございませんから、まず 一休(ひとやす)み 休(やす)む つもりで、糸(いと)の  中途(ちゅうと)に ぶら下(さ)がりながら、はるかに 目(め)の 下(した)を 見下(みお)ろしました。

2(4) p42

(4) すると、一生懸命(いっしょうけんめい)に 上(のぼ)った かいが あって、さっきまで 自分(じぶん)が いた 血(ち)の 池(いけ)は、今(いま)では もう 闇(やみ)の 底(そこ)に いつの 間(あいだ)にか 隠(かく)れております。それから あの ぼんやり 光(ひか)っている 恐(おそ)ろしい 針(はり)の 山(やま)も、足(あし)の 下(した)に なってしまいました。
この ぶんで 上(のぼ)っていけば、地獄(じごく)から 抜(ぬ)け出(だ)すのも、存外(ぞんがい) わけが ないかも しれません。犍陀多(かんだた)は 両手(りょうて)を クモの 糸(いと)に からみながら、ここへ 来(き)てから 何(なん)年(ねん)にも 出(だ)した ことの ない 声(こえ)で、「しめた。しめた。」と 笑(わら)いました。
ところが ふと 気(き)が つきますと、クモの 糸(いと)の 下(した)の 方(ほう)には、数(かず)かぎりも ない 罪人(ざいにん)たちが、自分(じぶん)の 上(のぼ)った 後(あと)を つけて、まるで アリの 行列(ぎょうれつ)のように、やはり 上(うえ)へ 上(うえ)へ 一心(いっしん)に よじ上(のぼ)ってくるでは ございませんか。
犍陀多(かんだた)は これを 見(み)ると、驚(おどろ)いたのと 恐(おそ)ろしいのとで、しばらくは ただ、大(おお)きな 口(くち)を 開(ひら)いたまま、目(め)ばかり 動(うご)かしておりました。

自分(じぶん) 一人(ひとり)でさえ 切(き)れそうな、この 細(ほそ)い クモの 糸(いと)が、どうして あれだけの 人数(にんずう)の 重(おも)みに たえる ことが できましょう。
もし、万一(まんいち) 途中(とちゅう)で 切(き)れたと いたしましたら、せっかく ここまで 上(のぼ)ってきた この かんじんな 自分(じぶん)までも、もとの 地獄(じごく)へ 逆落(さかお)としに 落(お)ちてしまわなければなりません。そんな ことが あったら、大変(たいへん)で ございます。
が、そう いう うちにも、罪人(ざいにん)たちは 何(なん)百(びゃく)と なく 何(なん)千(ぜん)と なく、まっ暗(くら)な 血(ち)の 池(いけ)の 底(そこ)から、うようよと はい上(あ)がって、細(ほそ)く 光(ひか)っている クモの 糸(いと)を、一(いち)列(れつ)に なりながら、せっせと 上(のぼ)ってまいります。
今(いま)の うちに どうか しなければ、糸(いと)は まん中(なか)から 二(ふた)つに 切(き)れて、落(お)ちてしまうのに ちがい ありません。
そこで 犍陀多(かんだた)は 大(おお)きな 声(こえ)を 出(だ)して、「こら、罪人(ざいにん)ども。この クモの  糸(いと)は 俺(おれ)の ものだぞ。おまえたちは いったい 誰(だれ)に 聞(き)いて、上(のぼ)ってきた。下(お)りろ。下(お)りろ。」と わめきました。

2(5)-3(2) p44

(5) その とたんで ございます。今(いま)まで なんとも なかった クモの 糸(いと)が、急(きゅう)に 犍陀多(かんだた)の ぶら下(さ)がっている 所(ところ)から、ぶつりと 音(おと)を たてて 切(き)れました。
ですから 犍陀多(かんだた)も たまりません。あっと いう まも なく 風(かぜ)を 切(き)って、こまのように くるくると 回(まわ)りながら、みるみる うちに 闇(やみ)の 底(そこ)へ、まっ逆(さか)さまに 落(お)ちてしまいました。
あとには ただ 極楽(ごくらく)の クモの 糸(いと)が、きらきらと 細(ほそ)く 光(ひか)りながら、月(つき)も 星(ほし)も ない 空(そら)の 中途(ちゅうと)に、短(みじか)く たれているばかりで ございます。

3
(1) お釈迦(しゃか)様(さま)は 極楽(ごくらく)の 蓮池(はすいけ)の 縁(ふち)に 立(た)って、この 一部始終(いちぶしじゅう)を じっと 見(み)ていらっしゃいましたが、やがて 犍陀多(かんだた)が 血(ち)の 池(いけ)の 底(そこ)へ 石(いし)のように 沈(しず)んでしまいますと、悲(かな)しそうな お顔(かお)を なさりながら、また ぶらぶら お歩(ある)きに なり始(はじ)めました。自分(じぶん)ばかり 地獄(じごく)から 抜(ぬ)け出(だ)そうと する、犍陀多(かんだた)の 無(む)慈悲(じひ)な 心(こころ)が、そう して その 心(こころ) 相当(そうとう)な 罰(ばつ)を 受(う)けて、もとの 地獄(じごく)へ 落(お)ちてしまったのが、お釈迦(しゃか)様(さま)の お目(め)から 見(み)ると、あさましく おぼしめされたので ございましょう。

(2) しかし、極楽(ごくらく)の 蓮池(はすいけ)の 蓮(はす)は、少(すこ)しも そんな ことには 頓着(とんじゃく)いたしません。その 玉(たま)のような 白(しろ)い 花(はな)は、お釈迦(しゃか)さまの おみ足(あし)の 回(まわ)りに、ゆらゆら うてなを 動(うご)かして、その まん中(なか)に ある 金色(きんいろ)の ずいからは、なんとも いえない よい 匂(にお)いが 絶(た)え間(ま) なく 辺(あた)りへ あふれております。極楽(ごくらく)も もう 昼(ひる)に 近(ちか)くなったので ございましょう。

奥付(おくづけ)

5 クモの糸(いと)

『日本(にほん)の童話(どうわ)』 全(ぜん)7話(わ) 第(だい)5話(わ) クモの糸(いと) (日本(にほん)語(ご)) 準拠(じゅんきょ)

作(さく) 芥川(あくたがわ) 龍之介(りゅうのすけ)
絵(え) 吉田(よしだ) 圭一郎(けいいちろう)
朗読(ろうどく) 森(もり) 秋子(あきこ)

制作(せいさく) NPO法人(ほうじん) 地球(ちきゅう)ことば村(むら)・世界(せかい)言語(げんご)博物(はくぶつ)館(かん)

2021.2.8