多言語使用
二つの言語を二つとも母語並に使える人がいます。両親が違ったことばを話していたり、おばあさんから習ったり、理由や動機はさまざまでも、とにかく両方ともに自由に話せる人たちで、こういう人を本来の二言語使用者(バイリングアル)と言うのでしょう。普通、母語は十才前後までに習い覚えてしまわないと後から完全に習得するのが無理になると言われています。臨界年齢があるというのです。その年齢以降に習ったことばは第二言語といわれます。母語と第二言語の習得では、習得過程を組み立てる脳内神経組織の働きと仕組みも違うと言います。
しかし子供の頃からたくさんの言語が日常的にまわりで話されている地域も世界には数限りなくあります。いくつもの言語を話せないと、生きのびることさえ難しい地域がたくさんあります。そこでは子供達は否応なく多言語使用者に育ちます。そのような環境は、日本の平均的な言語生活からは簡単に想像しにくいかも知れません。しかし、身の回りに複数の言語が飛び交っているのが普通なんだと心得ておかないと、つい井の中の蛙になってしまうおそれがあります。
母語習得時期を過ぎてから学んだ第二・第三言語はなかなか巧く使えないようです。かなり巧いと思っていても、その言語の背景にある歴史的で民俗的な堆積物を会得していないことに何かにつけて気づかされます。少なくとも十年くらいはその言語が行われている社会でじっくり暮らさないと、外国語はきちんと習得できないとさえ思われます。しかし絶望的ではありません。母語以外の言語も苦労すれば、なんとかある程度は上手に習い覚えることが出来るようです。ある有名な言語学者は十五ほどの言語を自由に操ることができるので有名でしたが、発音、特に抑揚はどうみても第一母語にそっくりでした。でもそれはそれでよいのではないでしょうか。
考えてもみましょう。何千年も昔、ある港町が交易の中心地で、そこには絶えず船が行き来したり、遠方から歩いてきたりなどして、さまざまなことばを話す人たちがやってきて、あまりよく通じない方言で話したり、全く通じないために時には何人もの通訳を介さなければならなかったとしましょう。この広域の通商都市では少なくとも主だった人達は当然相当に上手な多言語使用者だったのでしょう。さもないと広域の交易が成り立たないからです。こういう町が何千年も栄えていた記録があります。
もっと昔に遡って、ヒトの小集団が世界中に拡散していった時期を考えてみましょう。何十・何百・何千もの人々の集団は移動しながら別の集団と絶えず接触していたのですから、多言語使用は互いに生き延びるために必須の条件であったと思われます。ヒトの社会はもともといくつかのことばを必要としていたのでしょう。ヒトの社会は始めから多言語使用を必要としていたのではないでしょうか。
いまの社会では、人々はまず自分の母語と、それに多分地域の方言を習得します。そのうちに学校教育で国語を習います。それが自分の母語と違っていると、それでもう二つ三つの言語を習い覚えなければなりません。中学では英語が必修科目です。ここで聞けて喋べれて書ける英語を学びます。そのうちに中国や中東やヨ-ロッパのどこかに行くことになって、これらの地域の広域の共通語を学ぶ必要にせまられます。こうして多言語使用は、母語、地域語、公用語、広域通用語というように入れ子型になっていて、その上に外国の友達のことば、趣味のことばなどが連なっていて、それを使う順序や頻度などが定まっているのでしょう。
《金子 亨、言語学》