バイリンガルとはことばが出来ることなの?
外国語はできたほうがいい,けど人生は有限です。ことばの壁を,どう克服するか?ということで,お話をしました。
まずは,バイリンガルの陰の部分についてお話ししました。小野博さんの,『バイリンガルの科学』(講談社ブルーバックスB1011,1994年)という,帰国子女のバイリンガル能力の維持について研究した興味深い本があります。
この本によると,「語彙力が語学力全般の指針となる」ということで,日本人は,幼児期に2000語を覚え,さらに小学校低学年では5000語が増え,高学年ではさらに7500語が,中学校では10,000語の単語を覚えるのだそうです。すると,小学校高学年の語彙が急速に増える時期に,ことばが切り替わるのは,なるべく避けた方がよいのでは,ということになります。だいたい10歳前後が目安でしょうか。
つぎに,バイリンガルとセミリンガルについて,「高等教育内容,両言語の文化的背景も理解することができる,と仮にバイリンガルを定義しておきましょう。
危ないのは,子供が日常レベルで「ペラペラ」と外国語をしゃべることができるようになったのを,外国語能力が本当についたと,親が勘違いすることです。会話は現地で自然に覚えやすいけれど,読み書きまで習得するには人為的な努力が必要です。母語とそれ以外のことばの両方が中途半端になってしまうことを小野さんは「セミリンガル状態」と呼んでいます。これでは読書に支障が生じ,将来大人としての知的生活を送るのが困難になるかもしれません。
ついでに「語学習得のコツ」についてお話しします。まずは,東京外国語大学の千野栄一先生(故人)のような,達人に学ぶ,ということで,以下の本をお薦めします。
『外国語上達法』(千野栄一、岩波新書 329)。千野先生には私もお世話になったのですが,先生の「まず基本1000語の習得から」というのは,何語を学ぶにも鉄則で,先生は「語彙と文法」が,この順に大事だ,とおっしゃっています。
もう一人の天才肌の西江雅之式独習法ですが,これは一日5時間ぐらい,自分の言いたいことを外国語でむにゃむにゃと独り言をいう,というものです。そんなむちゃな,とおっしゃるかもしれませんが,私も昔,学生時代に独自にこの方法に取り組んで,1ヶ月くらいで英語を曲がりなりにも話すようになった実体験がありますので,やりようによっては有効だと保証します。(ただし,文法,読解力,語彙力もあって,あとは話すだけ,という前提条件がありますが。)
私自身,実は語学が得意な方ではないのですが,(たくさんの言葉を学んで,習得に失敗した,というのが正しい),周囲の語学の天才と見える人たちを見ると,「天才とは努力する才能のこと」ということをしみじみ感じます。また,語学の「勘の良さ」というのは確かにあって,発音にしても会話にしても,入門段階でものすごく器用な人がいますが,それと長い目で見た「才能」とは別で,発音も聞き取りも下手,という人が,長い地道な努力の結果,達人になる,という例もたくさんあります。
次に,「達人でない人からも学ぶ」というと叱られそうですが,新名美次『40カ国語習得法―私はこうしてマスターした』ブルーバックス (B-1045) という本を見てみました。パラパラと自分の知っていることばの項目を見てみると,どうもこれではマスターした,とはいえないようなことが書いてあって,簡単に40カ国語を習得する方法は見つかっていないことが確認できます。
面白いのは,野口悠紀夫『超英語法』,講談社で,野口さんの主張は「話すことではなく,まず聞けること」,語学書をCD付きで売ってもうけたいという「供給者の論理に落ち込むな!」といったことです。
語学だけでなく,記憶力一般を高めるためにはどうしたらいいでしょうか。まずは,覚える時に口,耳,目,手を総動員することが大事です。自分の手で書き,音読して耳でモニタリングするという総合的な体験が,記憶を強化します。「音読の勧め」は正しいのです。
さらに,24時間以内に一度思い出すことを繰り返すと,記憶が失われません。
最後に,私のタイ留学での不思議な経験についてお話しします。留学前にタイ語の文法については学んでいたのですが,留学してみると聞き取りが難しく,最初は相手のいうことがごちゃごちゃっと頭に入ってきて,単語として聞き取ることができませんでした。ところが,2,3ヶ月したある日,ふっと「聞こえる」ようになりました。その前がちょっとこわかった。大学の寮や,街の食堂で,後ろから日本語が聞こえるので,振り返るとタイ人しかいない,という経験を何回かしました。ノイローゼにでもなったのか,と気味が悪かったのですが,それが1,2週間したら,ふとタイ語が聞き取れたのです。あれはどうやら,耳が慣れてきたときに,音のまとまりを,分解することができかけていた,その時に,慣れ親しんでいた日本語のように分解しようとしていたのかもしれません。
《峰岸真琴、言語学》