なぜいま方言? ~日本語を多言語と考えるわけ~
11月21日、私たちは、市民フォーラム「日本語は多言語 ? ~ことばのもうひとつのちから~
」を開催しました。なぜ“地球ことば村”が日本の方言を・・・ ?
と意外に思われた方もあるかもしれませんね。私たちは、今回のテーマも、継続中のバイリンガルのシリーズとこれから展開する母語のシリーズを結ぶものと考
えています。
グローバル化の潮流の中で、世界の多くの人たちが英語などの共通語と母語を併用するバイリンガルの生活を営んでいますが、日本も、すくなくとも明治以降
は、一種のバイリンガル社会でした。近代国家としての日本は標準語 =
国語を必要としましたから、国策で標準語化が進められ、方言は、古臭いもの、劣ったもの、邪魔なものとして排除されました。それでも、ある時期まで、日本
人は“母語としての方言”と“共通語としての標準語”のバイリンガルだったのですが、現在では、日本諸方言は標準語に取って代わられつつあり、消滅の危機
に瀕しているようにみえます。これにアイヌ語や琉球語まで含めて考えれば、近代日本社会は、まさに今日の世界の言語状況の縮図だといえないでしょうか。圧
倒的な共通語と危機に瀕する母語。はたして実情は ? 日本人にとっての方言とは ? 母語とは ?
言語の多様な在り方に関心をもつ地球ことば村が避けて通れない問題です。まず方言を知り、方言を楽しむところから始めてみよう。これが、市民フォーラム
で日本語の方言を取り上げた理由です。
方言は価値のない過去の遺物なのでしょうか。方言は一方的に標準語に取って代わられ消滅するのでしょうか。方言が失われることによって
失われる大切なものがあるのでしょうか。今日方言に関心を持つ人が増えているとすれば、それはなぜでしょうか。
もちろん、結論が得られるはずはありませんが、この市民フォーラムや準備のための議論(これも楽しかった)から見えてきたことはたくさんあります。たとえ
ば、変化と多様性へのベクトルがことばの「もうひとつのちから」であること。すくなくとも、方言(地域方言と社会方言を含む)がまったく死に絶えて、画一
的な標準語だけの日本社会が実現することはなさそうです。日本の言語状況には引き続き挑戦するつもりです。今回は触れることができなかった琉球語やアイヌ
語についても考えていきます。皆さんも企画・実施に参加してください。 《阿部年晴、地球ことば村理事
長》