小学校英語教育―是非の問いからその先へ
(第四回)
「ヒトはもともと3言語―でも子どもたちには自由を」
金子亨先生(千葉大学文学部名誉教授―言語学)
【講演要旨】
第4回は東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所との協同事業のひとつとして、小学校英語教育に関する地球ことば村の意見を示して、この問題に対する全国的な討論に役立てたいと思います。
1.小学校英語は始まっています
全国の公立小学校のほとんどの学級担任がすでに数年にわたって非常な努力を重ねて「英語活動」と称する教育活動を実践しています。まず、現場の先生方の真摯な努力を思い起こし、さまざまな機会を作って教育の現場との生産的な対話を発展させていこうではありませんか。
従来の小学校教員養成では「英語」がなかったので、大多数の現場の教員は英語教育の素人です。しかし今のところ全国的な規模での研修制度は整備されていません。にもかかわらず、すべての小学校教員が自主研修の組織を作り、ALTを加えてティーム・ティーチングをおこない、身を削って自己研修に励んでいます。
2.英語は世界広域交易語
現在の世界では、いくつかの辺境地域を除くと、英語が広く通用し、このところしばらくは英語が国際的な情報交換の場でかなり役に立ちます。英語を使う以上、それを上手に立派に運用できることが望ましく、よい人間関係を作るうえで大切です。それにはかなりの訓練が必要です。
3.英語の早期教育は可能、それは世界的傾向
例外的な2言語使用環境を除いては、子どもたちは日本語の中で育ちます。そのような社会環境の中で何時からの英語学習が可能でしょうか。中学1年から、小学校中学年から、小学校低学年から、あるいは幼児期から、さまざまな意見があります。今の日本ではこの全ての可能性が試みられています。
普通の日本語環境とは生活言語がすっかり日本語であるということ、すなわち18時間起きているとして、英語の授業が45分あったとすると残りの17時間15分は日本語を使うわけです。英語が日本語を圧迫することはありえません。あるとすれば、時間割がきつくなる、カリキュラムの問題であるだけです。アジア、韓国、中国、EU諸国などの施行経験とその報告からすると、初等教育に英語を導入することは可能であり、上手な方法を用いれば、長持ちする能力を開発できることも十分に出来ると考えていいと思われます。
4.早期英語教育の多様化
小学校での英語教育は教科化の方向にはありますが、今のところ「道徳」などと同じように、総合学習の枠の中で行われています。しかしそれはもう、実験ではなく、本格的な教育課程として運用されています。かねてから求められてきた柔軟な教育課程への全面的な改革が小学校英語で進められているのです。この影響が他の学科にもみられます。これが、副次的に見えても、小学校への英語導入の重要な成果です。小学校と中学校を結ぶ教育特区で英語の授業を共同で運営する地域(上田市)もできています。英語教育によって、学校に新しい風が吹きこんだのではないでしょうか。
一方、この柔軟性を維持しながら、地方的な格差や学校ごとの格差につながらないように、という難しい課題を克服しなくてはなりません。学級の規模(11人から14人が外国語習得にはふさわしいという意見があります)も問題です。
5.国際的観点の形成のために
教科「国語」を通じて「民族的なアイデンティティー」という不条理な心情を醸成して日本世界と外の世界との対決図式を描こうとする傾向があります。外国語の習得はその心情を相対化するのに役立ちます。世界の中の日本という構図を定着させるのに役立ちます。理論的根拠の薄い国語賛美が子どもたちの心に植えつけられる前に、どの言語にも独自の世界がひろがっていることを知る、これが国際理解という思想の原点であると思います。
6.担任を中心とした研究ティームを核にして
小学校英語の議論の中には「素朴信念」と名づけられた意見があり、そのなかには父母が言い立てたもの、さまざまな分野の専門家の断定も多くみられます。しかし、もし小学校英語教育が不必要で有害であることを主張するならば、一日も早くそれを実証しなくてはなりません。その実証がないうちは、懸命に子どもと向き合っている先生と子どもたちに総力で建設的な手助けをしようではありませんか。これは学校教育への正しい協力のルールを作り上げていくチャンスです。