地球ことば村
言語学者・文化人類学者などの専門家と、「ことば」に関心を持つ一般市民が「ことば」に関する情報を発信!
メニュー
ようこそ
【地球ことば村・世界言語博物館】

NPO(特定非営利活動)法人
〒153-0043
東京都目黒区東山2-9-24-5F

http://chikyukotobamura.org
info@chikyukotobamura.org

シンポジウム「多言語社会 日本」2
「在日外国人のことばと文化―現在の問題と望ましい未来」

日時:2011年4月23日(土)午後1時−5時
会場:慶應義塾大学三田キャンパス第1校舎103教室
パネリスト(敬称略):
 周飛帆(千葉大学・教育社会学)
 ド トンミン(メコンセンター・在外ベトナム人ネットワーク主宰)
 徐海允(ソ ヘユン)(在日韓国人主婦)
司会:井上逸兵(慶應義塾大学/ことば村副理事長・社会言語学)

 2010年3月に「多言語社会 日本」1で日本の先住民言語をとりあげたシンポジウムシリーズの2回目です。当初3月12日に予定されていましたが、震災のため、4月23日に延期されたものです。
 今回は在日外国人のことばと文化に焦点をあて、ことばと文化の面で、誰にとっても住みやすい日本の未来を提言するために現在の問題を考えました。大災害が浮き彫りにした情報伝達の問題など、タイムリーで具体的な話題が続々と提出され、参加者も活発に討論に参加し、これからのシリーズに向けて大変有意義な機会となりました。
 このシンポジウムシリーズは来年3月予定の「多言語社会 日本」3で一区切りをつけ、まとまった提言の形で、ホームページに公開するほか関係諸機関などへ送る予定です。


※都合によりパネリストが一部変更になっています。

プログラム:


司会挨拶

 ことば村の副村長をしております慶應大学の井上です。
 このシンポジウムは3月12日(土)に予定されていましたが、11日の震災のために本日に延期されました。個人的なことですが、私が出演しているラジオ・インターFMで震災以前にこのシンポジウムの宣伝をさせてもらいました。ラジオの宣伝力に興味があったのですが、それを見定めることなく、今日になりました。この国は大変な状況になりましたが、地球ことば村の観点から見ると、さまざまなところでことばの問題がクローズアップされているように思います。「ことば」がいかに重要かということが日本人にとっても、日本にいる外国人のかたがたにとっても、また、日本から世界に向けてのことば、世界のことばを日本人がどうとらえるか、ことばの問題が非常に大きくなったのではないかと思います。
 では、プログラムにそって、まずパネリストのご紹介をします。周飛帆(シュウ ヒハン)先生は現在千葉大学の言語教育センターで教鞭をとられ、教育社会学・移民研究などをご専門にしておられます。ド・トンミンさんは在外ベトナム人の国際ネットワークの懸け橋として、出版・広報・文化の紹介などさまざまな活動をしていらっしゃいます。トンミンさんが作られた日本語・ベトナム語の辞書などを後ろに展示してあります。そして徐海允(ソ ヘユン)さんは韓国から来日され、しばらく大阪にいらした後、現在東京にお住まいの主婦でありお母さん、の方です。
 さて、このシンポジウムはことば村としてふたつの視点から開かれました。ひとつは日本人にとっても、在日外国人のかたがたにとっても「ことばの問題」が今大きくあるのだ、ということ。もうひとつは、これだけ日本は単一言語の国だと言われているのに、実は非常に言語的バラエティーがある事実。来日した外国人が言語多様性をもたらしている、ということ。それはこの国に活力を生み出す源になっていると思います。今日は難しい話もでてくるかもしれないし、また、一般的な生活レベルの話も出てくるかもしれませんが、学術的なシンポジウムではなく、生活レベルからさまざまな問題まで皆さんといっしょに考えていきたいと思います。そういう意味で今日はお三方に話題を提供していただき、我々の糧にしたいと思います。


主催者趣旨説明(ことば村村長 阿部年晴)

 只今の司会挨拶で趣旨についても大体のところが話されました。ひとつだけ補足しておきます。皆さんにお尋ねしますが、日本で暮らしていて日常生活で生じてくることばの問題について、自分とは異なる母語を話す人と気軽に話をする機会あるいは習慣をお持ちでしょうか。例えば在日外国人の場合でしたら、こういうことを日本人に日本語で伝えるにはどういうことばで言えばいいのだろうか、あるいは、ある場面でこういう日本語を使ったら日本人はどう受け取るだろうか、とかですね。そういうことで悩まれることもあると思います。そういう時に、気軽に話し相手になる日本人がいるかどうか。私が話した何人かの在日外国人のかたがたは、そういう機会はあまり無い、と。おそらく日本では授業や研究の場以外に、異なる母語を話す人々の間でその違いや共通性についてフランクに話し合う、その話し合いを楽しむ、そういう習慣はあまり無いのではないかと思います。そういう話をすると気づくことも多いし、知的にも楽しい。それ以後の交流にも役に立つことなのです。私たち地球ことば村では「ことばのサロン」と称しまして、そういう話し合いの場を持つようにしているのですが、このシンポジウムはそうした試みを拡大してやってみたい。ですから今日お話いただくかたがたは、日本に暮らしている市民として、気がついた問題を提起していただきたい。職業的な研究者のかたもいらっしゃるわけですが、ここでは生活者の視点でお話していただきたい。ただ、私どもは専門家を交えて、そういう話をすることの意味を重要視しておりますので、会場にも、言語の専門家が出席してくれていますが、そういう人たちにも加わってもらって話を進めたいと思います。議論を戦わせるというよりも、どういう問題があるのかを洗い出したい、問題発見を主眼に置いて進めたいと思います。
 もうひとつのねらいですが、司会からも話がありましたように、今日本は大変な状況に直面しています。これから、日本社会はいろんな困難に向かい合いながら変わっていくだろうと思います。その困難、新しい状況の中で、おそらく他者との付き合い、異なる母語を話す人との付き合いに生活の中で直面するだろう。日本には非常に多様なことばを話す人たちがいるのですが、マジョリティーの日本人はそのことをあまり意識していない。ましてや生活の中では意識していない。しかし、これからは異なる母語話者との付き合いの問題を考える必要があると思います。今日の集まりは小さなものですが、その中で浮かび上がってきた問題を提言の形にして発信していきたい。これから日本社会が直面する問題に、なにがしかの寄与ができるよう強力に発信していきたいと思います。ご参加のみなさんも気軽にフランクに、いろいろな問題を提起していただきたい、このように考えます。


パネリスト講演1「揺れる日本の中国人社会―震災後の動向を通して」周飛帆先生

 急きょテーマを変えて以前に提出した資料とは違う資料でお話させていただきます。
私に与えられたテーマは日本にいる外国人あるいはそのアイデンティティー、日本社会との接し方ですが、このことから色々なことが見えてくるのです。私は日本で暮らして20数年ですが今回の震災後ほど、自分のことを考え真剣に悩んだことはありません。ですので、テーマを変えて、この震災のこと、およびこの震災から見えてくる問題についてお話をさせていただきます。
 主な点は資料の概要にありますように、震災後の反応、中国人研修生の被災・避難と救助、それからそれについて、日本人がどのようにとらえているか、日本にいる中国人が実際にどんなジレンマを抱えて悩んでいるのか、最後にこれらのことからどんな問題が見えてくるのか、問題提起をしていきたいと思います。

はじめにー震災後の反応
 私はこのシンポジウムの当初予定に合わせて3月10日に中国から帰国し、翌日震災が起こったわけで、実は9.11の時にもアメリカに居りまして、13日に帰国したというめぐりあわせになりました。
 3.11の直後、日本にいる中国人になにが起きたのかを簡単に触れておきたいと思います。3.11の時は映像を見て、かなりの衝撃がありました。同時に私は、これが中国ではどう報道されているのかを調べたところ、日本人に対する称賛の声があがっていました。例えば帰宅難民が非常に秩序正しく、公衆電話に列を守って並ぶとか、自販機の品物が無料で出てくるとか、大量の人が避難している渋谷や新宿でもゴミひとつ落ちていない。これは中国人にとって学ぶべき日本人の落ち着きぶり、規律正しさと受け止められていました。その後、大使館は援助に乗り出しました。東北地方には沢山の中国人研修生がいるものですから、新潟の領事館が車を出して、関東地方へ彼らを避難させました。14日あたりに福島第一原発が爆発して、そのころから中国のメディアの原発についての報道が増え、パニックを引き起こし、中国大使館は避難勧告を出して、16日をピークに大量の中国人が帰国しました。航空券が手に入らなかった人は関西方面に避難しました。それに伴って、入国管理事務所には夜11時ごろまで申請するひとが殺到、空港も大混雑しました。帰国ラッシュは次第に落ち着いてきましたが、4月に入ってもうひとつの問題が出てきました。日本にもどってくるかどうか、ということです。一時避難のつもりで帰国したのですが、中国で家族らに戻らないでほしいと言われ、非常に難しい決断に迫られたのです。中には帰ってくる人もいましたが、多くの人は困惑したままでいる。これらが震災直後の中国人の反応です。

1)中国人研修生の被災、避難と救助
 少し詳しく見て行きましょう。中国メディアで報道され中国人によく知られていることがあります。ひとつは水産加工会社などで実習していた多くの外国人が被災して、言葉も通じず、津波が来る、ということもわからない、日本の小学校では避難訓練をしますが、そんなこともしたことがない。経験したことのない避難所で、日常的に日本人と接することになる。祖国との連絡も滞る中、不安な避難生活を余儀なくされているということです。
 もうひとつ、これは中国では大きな反響を呼んだのですが、水産加工会社の専務・鈴木充さんが、自分の妻子より先に中国人研修生を避難させた。このかたはそのあとで亡くなったのですが、中国では英雄と称賛する声が各地であがり、すぐに会社のある女川町に対する募金が始まりました。この地震を通して、日本に対する見方が大分変ってきているということがあります。

2)余震―中国人大量帰国と余波
 しかし必ずしもプラスの面だけではありません。中国人研修生やアルバイト生が大量に帰国することが日本の産業に与える打撃、これは大きいものがあります。大地震の余波といっていいか、新聞などで報道されているものをピックアップしてみました。
●茨城県では、農家の人手不足が深刻化しており、出荷制限や風評被害などさらなる痛手も加わり、農家は頭を悩ませている。
●一気に帰国したために労働力が不足し、繊維業界に至っては数万人規模の中国人研修生が働いていたため、産業自体の崩壊が危惧されているという。(J−CASTニュース3.30)
●牛丼大手の吉野屋で、東日本大震災後の約一週間に、首都圏で勤務する外国人アルバイトの4分の1に当たる約200人が退職していたことが14日分かった。退職者の多くは、余震や原発事故の影響を避けるために帰国したとみられる。(時事通信 4.14)
 これらから何が言えるのか。日本社会あるいは日本人の中で、外国人との共生がきれいごとではなく、それなしでは動かない社会に実際日本社会がなっている、ということがいえると思うのです。

3)日本人の論調1―外国人不要論
 2)の報道を日本人がどう見ているかということですが、インターネット上に沢山の書きこみがありました。ひとつは外国人はいらないというかなり極端な論調です。
●いいじゃないですか。中国人が居なくなれば。(3・24)
●中国人、韓国人が日本から出て行ったことが不幸中の幸いですね。(3.25)
●日本が戦争に負けたとはいえ、心底良かったのは支那韓と縁が切れた事。(3.26)
●景気を回復した日本は、水を得た魚のように復興したのであった。ここ十何年、支那韓がたかるようになってから日本は再び沈没しかかっていた。本来の日本を取り戻せれば、再び奇跡を起こす事も難しくはない。
 所詮困難な時には見捨てて出て行くひとびとなのだから、彼らに地方自治権を与えようなんていう議論があること自体おかしいのではないか、とか、外国人は逃げるところがあっていい、我々はここにいる以外ないのだから、という論調もありました。実際、私の同僚のアメリカ人が仕事をやめて帰国したときにそういう言い方が聞かれました。

3)−2理解
 一方、理解を示す論調もあります。
●ん?中国人は正直な対応だと思うよ。
 俺も外国人であれば、とっとと日本を去っている。俗物だから、命が惜しいもの。
 本国に帰国する中国人が殺到した背景には、かの地のメディアのミスリードが背景にあるようだ。
 日本のメディアの方が(政府も含めて)ミスリードしていると思うよ。(3.26)

 まぁ、仕方がないのじゃないか、という考えです。

3)−3自省
 もうひとつ、自省する考えもあります。
●関東大震災のときにも、こうして在日近隣諸国に対する偏見を利用した排他主義的なリードがあった。
 あれから90年、まだ私たちは、こんな下劣な言論に踊らされるのか。
 そうはいかない。作為的な言論には自分の知性で判断できる能力を持っている。
 産経よ、日本の危機にメディアとして責任を持てる報道にいい加減目覚めたらどうなのだろうか。(3.28)

4)滞日中国人のジレンマ
 3は日本のメディアで報道されてきた大量の帰国ということですが、では、実際に中国人社会ではどういう動きがあって、皆がどう考えているのか。滞日と書きましたが、これは短期滞在から日本に根をおろしている人までを含んでいます。この滞日中国人がどう考えているのか、私はそのリソースとして数十万人が利用している「小春網 http://www.xiaochuncnjp.com/portal.php」を使いました。震災後このサイトには「災情報道」(震災情報)と「地震尋人」(知人・友人情報)の二つのコラムが出来ました。そこに書きこまれたもの、また、それに対する反論などを見て見ました。帰ったほうがいいという帰国派と日本に留まるべきだという留日派とあり、数を調査することはできませんが、ある書きこみに対してフォローする書き込みなどを見ると、このサイトの利用者は日本に長くいる人が多いので、私の印象では、残るという人が多いです。迷っている人が次に多く、帰国派は比較的少数だと思います。まぁ、帰国派はすでに帰国してしまっているからかもしれないので、数はあまり判断できないと思いますが。
 では、ここで問題になっているのは何なのか。ふたつの要因に分けて考えて見ました。古典的な理論ですがpush要因(押し出す要因)とpull要因(引き寄せる要因)です。
 まず帰国に関するpush要因ですが、地震、余震(東海地震、首都直下型地震、火山噴火、デマも含んで)、福島第一原発の汚染被害、政府発表に対する不信感。さまざまな情報が飛び交っているわけで、言葉の問題もあるかもしれませんが、日本政府が発信する情報が外国人にとって非常に分かりにくい。たとえば「ただちに健康に被害が無い」ただちにってどういうことか。あるいは「可能性が高い」とか。特に官房長官の枝野さんの言い方は癖のある言い方でして、最後まで聞かないと分からない。聞いているうちに前の部分で何を言っていたのか、なにを言いたいのか分からなくなってしまいます。私も含めて理解に苦しむことがあります。外国人における情報の理解が混乱していて、無用なパニック状態になったということがあろうかと思います。これは言っていいかどうかわかりませんが、中国人は基本的に政府への不信感が強いのです。何かの時に政府に頼るという考え方はありません。災害の時に大使館に押しかけて保護を求める、日本人はそう考えるかもしれませんが、中国人はあまりそうは考えません。裏の裏を見る傾向がある。そのために政府への不信感を募らせるということがあるかもしれません。アメリカの避難区域が80キロだったりするので、日本政府は本当のことを言っているのかどうかと不信感を持っている人はかなり多いのです。
 Pull要因としては、中国人は家族の連帯が非常に強くて、中国に居る家族・親族から沢山のメールが来て、最後には向こうが切れるような感じで、お前はなぜそんなに日本に居たいのか、と何人もの人から電話がかかったりして。その対応で疲れるほどです。で、帰国して、もう日本には来ないと決めたのはどういう人たちか、を見て見ると、単身者、IT技術者(流動性の高い産業)、留学生、卒業生(いずれ中国に帰る予定だった)家族を帰す人、中国にパイプを持つ人。一方かなりの人が残っていますが、それはどういう人かというと、3年以上のヴィザを持っている人ですね。マスメディアで報道されるのは短期の研修生や留学生の帰国が多いのです。集団になりやすいので顔が見える。一方で顔の見えない在日の人は残っているのですね。
 日本に残る理由としては、直接的には、原発は大丈夫なのではないか、地震によって日本が沈没するというのは大げさではないか、といった情報に対する見方の違いがあります。あるいは、意識として、日本に慣れて、根をおろしているとか、もし帰ったら中国の競争社会にどう対応していけるか不安であるとか、後でふれますが、家族が中国語ができない、中国で生活できない、中には中国が嫌いだと言う人もいます。このように考えるのは、長く日本に居る、家族で日本に居る、という人が多いです。我が家を例にしてみましょう。我が家は4人家族、妻と私はもともとは留学生で日本で出会って結婚しました。留学の目的は学位を取って帰国することですが、長く日本に居て子どもができると目的が変わります。もともとは主役は妻と私だったのですが、定住することで主役は子どもたちになりました。お父さんの発言力は一番弱くなっているというのが現状です。上の子どもは今年高校、下の子どもは今年中学に入りました。彼らにとって日本はある意味で母国、日本語が彼らの母語になっています。色々な要因がありますが、(帰国しないというのは)ここでは子どものアイデンティティーが大きく影響しています。

5)終わりに:共生を問う
 この震災という社会的な大きな事件を通して、日本社会に対して大きな課題がつきつけられたというだけでなく、日本に居る中国人にも大きな問題を起こしました。このことから、どのような問題が考えられるのか、それに対してなにを提起できるのか。
 中国人にとって、グローバル社会というのはどこに家を持ってもいい、ボーダレスだと言われています。自分はどこかに定住するということではなくて、実際私も以前に地球ことば村でお話したときに、カッコよく、自分は定住ということは考えていない、どこかに「住み続ける」ことはないのじゃないか、と言ったのですが、今回の震災で中国に帰ることを真剣に考えると、グローバル社会、ボーダレスと言っても、実際は、人間はそこが居場所だと決めるところはそんなには沢山あるわけではないと思いました。
 そういう意味で、今回の震災で言えることですが、例えば管総理がテレビで国民に呼びかけるわけですね。日本語ではそういう場合「国民」ということばが一番ふさわしいのでしょうが、実際ここに根をおろしている外国人にとっては、我々はどうするのかというふうに逆に思ってしまうことがあります。また、帰っていった中国人に、中国人はいいなとか、敵前逃亡みたいな形で帰る、とかいわれると、ここにずっといると決めている外国人にとってはとても辛い。「日本国民」という「壁」は我々にとって本当に越えられる壁なのか。それを考えさせられました。
 最後に「ことば」について、です。私は専門外ですが、ことばについて少し考えてみました。外国人にとってことばは二つの側面があります。ひとつは日本語教育。もうひとつは母語の教育です。私の主張は、やはりある意味徹底的に日本語教育はやるべきだろうと思います。日本人との交流というだけでなく、外国人同士の交流という意味でも今、多くの場合、それだけしかない手段だからです。それから、避難ということを考えても、今この社会では情報は日本語が主流なわけですから、日本語教育は必要だろうと思います。
 と同時に、多様な選択肢というのがこの社会にあってもいいのではないかと思います。というのは、レジュメにもありますように、ことばが出来ないから母国へ帰れない人もいる。これはある意味、公教育が扱うべき問題ではないかもしれません。しかし母語、自分の民族のことばを勉強できるという選択肢が日本社会にあってもいいのではないか。少し脱線するかもしれませんが、これからの日本は今までの考え方を変える、例えば経済を中心に考えるのではなくー今朝のテレビで議論されていましたが震災復興のためにどんどんお金を使いましょう、という話がありましたーこういう大量消費によって復興するというよりは、今回の震災で世界が驚嘆した日本の社会の秩序など、そういうものを大事にし、もっと重んじていく社会にすべきなのではないか。本当の意味での共生、外国人を本当に地域の住民として、かならずしも国民という概念ではなく考えるべきではないかと思います。こういう困難な時期ですが、ここで共生ということが問われるべきではないでしょうか。以上です。


質疑応答1

司会:
非常にタイムリーなお話であり、日本メディアに流れにくい在日中国人の視点でお話をされたと思います。私の印象に残ったのは、周先生のように、国際人、コスモポリタン的なかたでも、こういうことが起こったときには自分が何人であるかを意識せざるを得ないと感じました。それから、ことばの問題として興味深かったのは枝野さんをはじめとする政治家たちの発言がわかりにくい、これは多分日本人もわかりにくいと思います。あまり立ち入ったことは言わないがしかし間違ったことも言わない。ある意味非常に巧妙さを感じますね。少し質疑応答の時間をとりたいと思います。

参加者A:
周先生のプロフィールのところに、「近年見られる日本人の言語変化」とありますが、どのような言語変化なのかをお聞きしたい。

周先生:
私の周囲の多くの人が言うことですが、子どもが高校生くらいになると一緒に電車に乗るのを嫌がる。中国語でしゃべって周りから見られるのが嫌だ、というひとが昔は結構いました。最近はむしろ、私の子どもなど友人からお前は中国語もできるのか、中国語はローマ字を使っているので、お前は英語もできるのか、すごいね、と言われて喜んで帰ってくるということがあります。私が感じるところでは、確実に日本社会では異なることばに対する寛容度が上がってきている。ことばや文化というのは価値的な側面があって、最近は特にアジアが注目されているという事実もあると思います。

司会:
2002年ワールドカップの韓国との共催、韓流文化、台湾や中国のカルチャー流入など、中国韓国からの文化の流入は大変古くからあるわけですが、最近のそうい う文化の流入があって、特に若い人たちは、中年世代以上が持っている感覚を持っていないですね。以前は英語が話せるのはカッコイイが中国語はあまりカッコよくない、という感覚があったと思うのですが、今は全くないですね。一時期は外国人というと即アメリカ人を連想しましたが、今はそこらへんはすごく多様になっています。

ド先生:
地震で帰国した中国人は何人くらいですか。

周先生:
日本に居た中国人は80万人くらいだと言われています。在留資格を持つ長期滞在者はおそらく50万人で、そのうち帰国した人は少ないと思います。地震直後、16日ごろの外国人の出国は普段の12倍以上との報道があります。中国人がそのうちどの程度なのかは確実な情報を持っていないのですが、たぶん10万人いかないのじゃないか、と思います。

参加者B:
先生のお話に非常に感銘を受けました。私は実は20日に水戸へ調査へ行ったのですが、ホウレンソウなどを作っていたのが中国人研修生で、放射能のため出荷できないのではなく、中国人が帰ったので出荷できないのだ、という感じを持ったのです。日本ではちゃんとそろえて束ねるなど、労働力がいるのですね。研修生は16日に帰り始めて17、18の3日間がピークで、茨城県の場合は400人から1000人くらいとその時点でとらえているようでした。

周先生:
少し話がそれますが、この研修生という制度自体、問題があります。単純労働の人材として入れる・・・。

参加者C:
周先生が、お金を消費することで復興しようというのと反対の意見をおっしゃった時、小さく拍手したのですが。日本人も、こういうことがあると、騒ぐのは遠慮しようという気持ちもあるし、中国人が観光に来ないというのも、全くそういう気持ちがないわけではないと思うのですが。

周先生:
中国人が日本観光を自粛しているということですか。そうですね。私はまさに11日のその時に大阪の上空を飛んできた中国人にも会ったのですが、向こうの報道などもあって、今は観光をする時期ではないと思っているようです。

司会:
ことばが出来ない外国人が避難所にいるとのことですが、まだいらっしゃるのですか。

周先生:
知り合いの情報ですと、大使館が研修生を第一優先で帰国させた、と。東北大学などの留学生もたくさんいるのですが彼らは日本語がわかる、お金もまぁ持っている、ということで、最初に研修生、次に妊娠している女性です。研修生の中には自分の意思で残るという人もいました。こういう時だから、投げ出して帰ってはいけないと思っている人もいます。

司会:
避難所では多言語サービスの余裕はなさそうですね。

周先生:
同じ職場の日本人がいろいろ世話をしてくれるということはありますが、たぶんそういうことは少ないか、と思います。ボランティアで避難所で活動している中国人留学生も何人かいるようです。

司会:
さきほど触れたインターFMは5カ国語で情報を流しているのですが、これは東京のローカルラジオ局なので、東北の人は聞けない。そこでその期間だけ特別にインターネットで聞けるようにしました。インターネットを使える人がどれくらい居るのかは疑問ですが。

参加者B:
茨城県などでは使えるようです。茨城県の場合、地震の翌日12日と13日の土日に県庁で英語の情報を流したそうです。18日以降は国際交流協会が5カ国語で対応する態勢を取ったのですが、中国人が帰ったのは16、17、18日で遅かったのですね。普段、交流協会は曜日ごとの午前午後に、それぞれ、英語、タガログ語、ポルトガル語などで情報を出して、一週間の中で5カ国語をカバーしている。震災情報は毎日5カ国語で対応しているのですが立ちあがりが遅かったのです。

周先生:
このことについて、ぜひ言いたいことがあります。私は震災の情報をぜひ訳してほしいと言われて訳したのですが放送されていないようなので、聞いてみたのです。在日中国人科学技術者連盟という団体なのですが、そこで言われたことは非常に衝撃的でした。私たち在日中国人が協会などを作ると周りの日本人から白い目で見られる。中国人が固まって何をやっているのか、時には共産党の下部組織ではないか、など。なので、大々的にはできない。中国人の小さなグループはたくさんあるのですが、大きな統一した組織がない。こういう、いざ情報交換という時にはなかなかスムーズに行かない。先ほどいいましたが、政府はあまり信じていないけど、横の連携はもともと華僑では大事にされていたものです。今、80万人を超え、多様化が進んで、全体的な統率、情報が一気に広がるようなことがない。残念なことです。

司会:
中国本土も多様だけれど、在日中国人も多様だということですね。それでは、ド トンミンさんの発表に移りましょう。


パネリスト講演2「ベトナム人にとっての日本語」ド トンミン先生

 まず、震災に関して少しお話します。私は日本に40年いますが、この一カ月が一番忙しかったのです。日本・海外のベトナム語放送局のために50本くらい放送しました。ベトナム人も中国人と基本は同じで、過剰反応、過剰報道もあり一部ベトナム人にも混乱が見られますが、私はそんなに混乱する必要はない、説明しています。今回の日本人の行動は、ベトナム人も世界も称賛の気持ちを持っています。自分も日本人を見ていろいろ勉強になりました。それから、国内、国外問わず、ベトナム人から義捐金を集めていて、今回ほど大きな募金は今まで見たことがない。今までに2億円くらい集まりました。それから6月初めに、世界中のベトナム人のお坊さんが東北地方に行って慰霊をする、そんなこともあります。

 (ベトナム・中国・韓国・日本の言語系統図を提示して)この図はことばのルーツを示しています。大体10世紀までベトナムの知識層は中国語を学び、中国人と話す。大体16世紀ごろ、ポルトガル人、フランス人がベトナムに来てローマ字が入った。20世紀初めに、今のように全部ローマ字で書くようになりました。ベトナム語の文字は3つありました。「漢字」、漢字の音だけを借りた「国字」それとローマ字です。今はローマ字だけです。最近はコンピューターで国字も漢字も扱えるようになったので、思い出して使うということができてきました。
 ベトナム文字はもともとは漢字文化圏の一員です。紀元前111年に漢字が入りました。20世紀のはじめにローマ字表記―クォックグーになり、ひとつのことばはひとつの音だけです(単音節)。日本語のように音読みもある、訓読みもある。
 日本語の母音は5つですが、ベトナム語は沢山(12)あります。子音は20あり、声調が6つあります。それらの組み合わせで、日本語は120音くらいですが、ベトナム語は15,000種くらいの音があります。そのために日本人は外国語の発音を聞き取るのが難しいけれど、ベトナム人は発音を聞くのはやさしいことです。
 このようにベトナム語は音が豊富なので、ローマ字表記が完成するまでには16世紀から20世紀まで、3、4世紀かかりました。最初のころの表記と今は全然違います。ベトナム語は、中国語、日本語などと違って漢字文化圏で唯一ローマ字化したことばです。例えば日本語では同音異義語が大変に多いです。中国語の場合は8つの大きなことば(福建とか広東、北京など)があり、どこのことばをローマ字化するか、それぞれのことばのひびきを書き表さなくてはならない。ベトナム語にはそういう問題がないので、ローマ字表記に変換できた唯一の言語なのです。中国も日本もベトナムより前にローマ字が使われた。しかしなかなか変換しないので、今も漢字、仮名、カタカナいろいろ混じって使われています。日本語は今、1948の漢字を勉強していますが、今度、文部科学省は2136の漢字にする。でも加わる漢字はすごく難しい漢字ですね。今は日本人でも音だけ覚えてコンピューターに入力して変換しているから、だんだん漢字を書けなくなります。私も2000くらい勉強しましたが、今はその半分は書き方を忘れました。今度難しい漢字が増えても、なかなか勉強できないかな。私はこれまで1945の漢字をベトナム語版、英語版に記したのですが、新しいリストをまたベトナム語版、英語版で編簒したいと思っておリます。
 ベトナムではもう漢字やベトナム国字は古い、として使わなかったのですが、コンピューター上で登録できるようになりました。国内では今交流のために日本語や中国語を勉強する人が3年間の累計で100万人くらい。そんな数は昔は考えられないですよ。ベトナムでは文化大学で中国語を学ぶ人は一年間に数十人しかいなかった。現在でも漢字が使え、音読みが使える、音だけで深い意味は分からない。漢字や国字を勉強すればもっともっとことばの深い意味を分かる、と思います。
 日本語は、私が勉強してきてとても難しいと思います。かんたんな「一(いち)」でも常用読みは4つ(イチ、イツ、ひと、ひとつ)ですが人名や地名に使用されるとさらに読み方が16音も増えて複雑です。ベトナム語も中国語も色々な読み方がありますが、その全部は使っていません。一部だけです。
 漢字自体はそれほど難しくありません。留学生も1年くらいで覚えますが、でも読み方が難しい。聞いても書けない、書いても読めない。私たちの場合はローマ字を使っている一般学生さんたちは辞書を持っていません。しかし日本では学生さんだけでなくみんな辞書を持っている。例えば「下」は常用読みで12音、「明」は総計25音あります。苗字に使われる漢字の音は約20万、名前にいたっては約30万に及びます。ベトナム民族は今は8000万人~9000万人で、苗字は1000くらい、中国の苗字の場合は5000~7000くらいです。日本の20万は考えられません。
 もうひとつ、私たち外国人が日本語を学ぶ時、大変頭が痛いのはカタカナの問題です。最初の印象は、カタカナは外国のことばを表しているということです。しかしだんだん勉強していくと、必ずしもそうではない。例えば「キケン」です。強調のためにカタカナで書いている。外国人がカタカナ辞書を引いても「キケン」は出てこない。もし漢字で書かれていたらすぐに分かる。でもカタカナだと分からない。木の名前、魚の名前もカタカナが多いです。教科書も、外国のことばはカタカナで書いてあるけれど、語源は書いてない。カタカナの音は正確ではないです。もとのことばの発音と違う。でも語源が書いてない、これはベトナムの教科書でも同じことですが。だから、英語なら英語で書いてあった方がいい。語源が書いてあればわかるけど、カタカナだけだと分からないですよ。そして日本のカタカナ辞書は5万語程度で小さく、多くの語が不足しています。中国人が編纂したカタカナ辞典のほうが12万語と大きいくらいです。ちょっと皮肉ですね。日本のカタカナなのに。日本語を学ぶ時に大切なのは、漢和辞典、国語辞典、そしてカタカナ辞典なんです。できればもっと大きなカタカナ辞書を作ってもらいたいと思います。日本人だけでなく、私たち外国人の日本語の勉強に大変役に立つと思います。

 次に日本に住むベトナム人コミュニティーについてお話します。今日本に住むベトナム人は4万人以上です。私の留学生時代には900人だけ、そのうち今いるのは数10人でほとんどは外国に移住しました。今いるベトナム人の1万5千人は1975年ごろに難民や呼び寄せられて来日した定住者、4千人が留学生、1万5千人が労働者などです。難民たちを、日本政府は支援して4カ月間日本語を教えたのです。しかし、まだ日本政府は外国人コミュニティーへの対応があまりうまくありません。オーストラリア、アメリカ、カナダなどは移民の国だから、色々な対策があります。でも日本では、例えば教育、文化などにあまり注目しない。ベトナム人に限りません、中国人でも韓国人でも、日本に定住している外国人は自分の子どもに自分のことばを伝えたい。でも小さいコミュニティーですから、なかなかそういうチャンス、場所とか、ですね、作るのは難しいです。日本政府、難民支援局などにそういうことをお願いしてもなかなか出来ない。移民の国オーストラリアがさまざまな文化の継承にお金を出してそれぞれの文化を子どもたちに伝える、そういう施策は日本にはないですね。
 私のこどもは、日本で産まれました。だからベトナム語はちょっとだけ出来る。将来は日本の友人になれる、しかしほとんどの子どもはベトナムのことを全然知らない。それはもったいないと思うのです。時代はグローバル時代ですから、自分の文化、自分のアイデンティティーは紹介して逆に日本からいろいろ学んだら、日本人にも私たちにもとても役に立つと思うのです。
 最後に、私たちのような小さな各コミュニティーの間でもいろいろチャンスを作って交流があってほしい、例えばベトナム語のコミュニティーですね、できれば政府が主催してやってほしい。私たちはそれぞればらばらで、全然力がないです。これまでは戦争などいろいろあり、まだまだ誤解も多いですよ。この間の震災で、世界も日本のことを褒めましたが、一部の人は第2次大戦のことを考えて、いや日本人はたいへん残忍だから・・・と。そんなことを言われると私も頭が痛いです。お互いが理解すれば生活も良くなる。
 日本語には同音異義が多すぎます。聞き取りが難しいです。例えばFuji Fujiですね。これは不二富士、Niwa NIwa NIwa NIwa tori ga iru、これは庭には二羽にわとりがいる、ですね。Kisha no Kisha wa Kisha de Kisha は 貴社の記者は汽車で帰社。だから外国人はローマ字だけで日本語の学習はできません。日本人は聞いてわかる、でも私たちは漢字を見ないとわからない。だから外国人の場合は特に、漢字を勉強しなくてはならないです。
 これで話を終わります。ご清聴ありがとうございました。


質疑応答2

司会:
カタカナ語は外来語はともかく、「キケン」などは載っていないですよね。日本語は周りにビジュアルにある視覚情報に依存する言語で、どういうふうに書くか、なんでもないことばでも面白おかしくカタカナで書く、それは当然カタカナ語辞典には収録できない。大変貴重な指摘をいただきました。少し質疑応答の時間を持ちたいと思います。

参加者D:
ベトナムでの今の漢字の位置づけですが、コンピューターで漢字が扱えるようになったとのことですが、ベトナム人は今、学校教育で漢字を習っているのですか。専門家だけが使うのですか。

ド先生:
学校では教えていないです。ただ、外国語の専門学校はたくさんあります。全国的には今、70校くらいあります。毎年3万人から4万人くらいが学びます。コンピューターでは英語、中国語、日本語が表示可能ですから、交流、経済交流だけでなく、文章も簡単にできます。

参加者B:
ベトナム人はローマ字を使っていますが、中国からの沢山の借用語もその語源が分からなくなっていると聞いたことがあります。漢字を廃止したことの利点と不便な点はどうお考えですか。

ド先生:
ベトナム戦争当時、南と北とでは教育が少し違いました。私は南ですから近代文も古文も勉強しました。古文では音読みが沢山あります。私は国立中学ですから、最初は週に1時間くらい漢字の勉強をしました。しかしあまり役に立たないので、だんだん廃止されましたが。北ベトナムでは近代文だけ。北ベトナムは中国に近いのですが、あまり中国語を理解しません。

参加者A:
外国人が日本語を学ぶ時の三種の神器ということで、国語辞典と漢和辞典は分かるのですが、カタカナ辞典が入っているので、そうなのかと思いましたが、我々ネイティブからするとカタカナ辞典は使わないし、カタカナで書かれていても、それは国語辞典に含まれるのではないか、と。この意見はほかの外国人のかたも感じていらっしゃることなのか伺いたい。

ド先生:
私の考えでは、日本人は外国語を乱用する。例えば、体操、情報、という日本語があるが、スポーツ、ニュース、とカタカナを使っています。だけど、語源は書いてありません。辞書にはあまり出てこない、それは大変不便です。

参加者A:
日本語母語話者だと、あまり不便を感じないことが、外国人にとっては難しいということですか。

ド先生:
日本人は普段の生活では不便を感じません。けれど、ちょっと専門的な話になると、このカタカナの意味はなにか分からない。科学的な用語のカタカナはなかなか分からないですよ。

参加者E:
日本語教師をした経験から言いますと、日本人にとっては日常意識されなくとも、カタカナ語は外国人が日本語を学ぶ時の大変大きな障害になっています。

参加者A:
それは分かりますが、カタカナ辞典が必要なのか、それは国語辞典に含まれるのではないか、ということなんですが。

参加者E:
それは難しいと思います。日本語学校でカタカナを教える場合はカタカナ語をピックアップして教えます。なかなか国語辞典には載っていません。

参加者A:
ある意味、カタカナ語って決まってはいませんね。時代につれて、魚や木の名前をカタカナで書いたり、個人的に強調する意味でカタカナにしたり。日本語学習者にとってカタカナが難しいのはよくわかりますが、カタカナ辞典が必要かということで伺った次第です。

参加者E:
日本語学習者はカタカナは外来語という固定観念があるので、カタカナをひらがなに置き換えて国語辞典を引く、ということはしないのではないかと思います。

ド先生:
日本語では、用語はほとんど漢字、ひらがなは送り仮名が多い。だから用語がカタカナになると分からなくなっちゃうのです。もうひとつ、例えば月下美人という植物があります。漢字だと意味がよくわかる、でもカタカナにしてしまうと、音だけです。だから漢字はもっと大切に書いたほうがいいです。きれいな意味があるし覚えやすいです。

参加者E:
日本人にとってもカタカナ語は難しいですが、カタカナ辞典は見ません。せいぜい、年に一度出る現代用語辞典とかを見るくらいですね。ああいうものの付録としてカタカナ辞典や外来語辞典が出ているのですよね。日本人でも、例えばワープロ用語などはああいうものを引いて見ているのが現状ではないでしょうか。

参加者C:
辞書の出版社に居たものです。戦前からある、漢字を廃止しようという運動が役所の口出しで間違った方向へ行ったということが問題だと思います。植物名はカタカナを使え、というような、そういう決まりがあることがおかしい。放っておけば誰だって犬や猫、と動物にも漢字を使うものです。それに唯々諾々と従っているということ。例えばこれまでは死者何名、行方不明者何人と言ったものです。しかし名と人とふたつ使うのは不経済だということで、新聞報道では人に統一されている。もともと人というのは生きているひとのことです。名は亡くなっていても使える。遺体で発見されたひとについて何人発見されたと書いてあると僕にとっては不気味です。新聞社など、人も名も意味はおなじだろう、と。でも違うのですよ。で、カタカナ語辞書というのはあります。が、それは外来語辞書です。動植物などは載っていません。需要があればそういう辞書も作るでしょうが。まず、我々がなるべく漢字を使うこと、漢字には意味があるのだということ。そういう意味で日本語教育にも問題があるのではないかと私は思っています。

参加者F:
ちょっとはずれた質問かもしれませんが、以前アメリカ人と話していて、日本語には英語には無いすばらしい表現がある、雨がザァザァ降る、とか、シトシト降る、酒をチビチビ飲む、ゴクゴク飲む、ガブガブ、グイグイ、など。音を2つ重ねて動作の様子を表す、大体カタカナで書かれていますね。ベトナム語でも普段使うことばの中にこういうものがありますか。

ド先生:
ベトナム語にもあります。ただ、日本語にくらべて少ないです。リーブォンブオン、とか、レウレウとか、あります。ベトナム語では音読みと訓読みは同じ音なので、強調するために重ねて言うことがあったり、日本語の「ダラダラ」みたいに重ねることばもあります。

参加者B:
漢字をやめてローマ字になったベトナムの方が、カタカナだと分からないからもっと漢字を使ってくれというのが、どうも矛盾ではないかと少し違和感があるのですが。(笑)

ド先生:
今、ベトナムはローマ字ですから若い人たちはことばの深い意味が分からない。

参加者G:
矛盾ではなく、ベトナムでの反省を踏まえておっしゃっているのでは。

ド先生:
そうです。若い人たちは深い意味がわからない。だから間違いも多いです。

参加者H:
お話がそれるかも分かりませんが、日本に来られて40年、ベトナム戦争の最中に南にいらした。ご苦労がおありでしたか。

ド先生:
そう。もちろん。ですから日本みたいに全国が統一されているのは本当に幸せですよ。うらやましいです。私たちは問題がまだ解決していないのです。統一は土地だけ。心はまだ統一していないです。

参加者C:
しかし日本もやはり分断されたのです。戦前と戦後、と時間軸で分断された。戦前の五十音は戦後は使えないから、戦前の国語辞典は今引けないのです。では古語辞典なら引けるか、というと、明治から敗戦までのことばは一切引けないのです。カタカナ語が引けないということ以上に、その時期の日本語を引く辞書がない。我々がそのことに気づいていない。非常にこわいことです。今回の災害地は豊かな方言の地域です。あの地域の人たちはまだ、古き良き日本語を保っているのかもしれない。

参加者B:
私は中国で、詩経などの古典を簡体字で書いているということを知って、衝撃を受けたのですが、日本でも専門家以外は古典を当用漢字で書く、ということになってくるかもしれない。

周先生:
これについてもかなり議論がありまして、簡略化するというのは多分普及させるためのものだと思います。昔の漢字を知っているのはごく一部の少数の人です。ただ、弊害は、今のお話にあったように漢字の元の意味が消えてしまうということですね。簡略化というのは、例えば「机」、この机は机にもなりますし、機械の略字にも使われます。ですから飛行機は飛ぶ机になってしまいますね。(笑)これは簡略化していく中での多分、反省ですね。簡略化には功罪両方ありますね。
さっきの話ですが、日本が分断されている、という。たぶんアジアの中では、日本は一見繋がっている方じゃないか。中国は戦争とか、国内の政治の不安定さとかで、かなり切れてしまっている。そういう事を感じました。

司会:
今度の災害で「停電」は英語でpower-downとかblackoutとか一語で言えますが、「断水」は一語の英語はないんですね。The water supply has been cut out.とか文章で言わないとならない。そういう意味で漢字はすごく便利です。ド トンミンさんの非常に興味深いお話、ありがとうございました。


--休憩--


パネリスト講演3「韓国人としての日本語と日本での暮らし―主観的な観点から―」徐海允先生

1)韓国人としての日本語学び
 日本語は語順をはじめ、韓国語と似ているところが多く、最初は習いやすいと思いますが、韓国人のある人によると、「日本語は笑いながら習い始めて、泣きながら終わる」私も全く同じに思います。
 日本語は韓国語と語順が同じで、単語が分かれば簡単な文は書けるのです。そのうえ、両方とも漢字を使っていて、発音も似ているので読むのはやさしいと思われています。ひとつずつの漢字の読み方がわかると、二つ合わさった漢字も読める、例えば簡単という字は簡と単が分かれば読めます。単語になっても自然に読めるようになります。初心者の時は難しいですが、漢字を勉強して、会話して、徐々に正しい読み方が分かるとやさしく感じられました。
 しかしいくらやさしいといっても、日本語は外国語です。韓国語表現では使われないから一番伝えにくいのは使役です。なになにさせる、とか、される、してもらう、など、誰を基準にするとか、やり方が難しい。使いながらも正しく使えているのか心配になります。います、とか、あります、というのも韓国語にはありません。初めて使うときは何を使ったらいいのか心配になりました。もうひとつ、日本では薬は「飲みます」と言いますが、韓国では液体薬以外は「食べます」と言います。
 発音が同じものがあり楽しいと思うことがあります。詐欺は韓国語でもサギです。簡単もカンタン。発音が似ているので聞いて分かるものもあります。電話はチョンワです。でも発音が似ていても全然違う単語もあります。奥さんは韓国では屋上です。日本語の小熊は韓国ではサツマイモです。
 私が日本語の発音で一番難しいのはZの発音です。ザジズゼゾですね。だから一番難しい単語は「どうぞ」です。たくさん使う単語ですし、いつもどうしたらいいかと思いながら発音しています。
 言語はその国家と考え方を表していると思います。だから言語だけを学習するのではなく、いろんな学習と経験をするのが大切だと思います。
 私たち家族と、日本での生活をお話します。私は1999年に来日して大阪に住みました。主人は韓国で日本語を勉強したこともありましたので標準語を使うのができたんですけど、私と娘は大阪で日本語を習いましたので、「あのなぁ」とか「あかん」、「わからへん」とか使いました。保護者会に出ていた時、先生とほかの保護者たちが何を話しているかぜんぜん知らなかったときもありました。
 私は医者に説明することばなど生活に必要なことばを中心に覚えました。その時、娘は小学校一年生で、クレヨンの名前、花の名前、動物の名前など、先生や友達などから勉強しました。テレビを見て流行語や芸能人についても分かるようになりました。その時覚えたことばですが「チョーおいしい」とか、それを聞いた時に、これは何の意味か辞書を引いてみたが辞書には出てなかったんです。
 息子は来日時2歳6カ月でテレビの番組で出てくることばとか、見ながら身につけました。一番小さかったので怖がらずに日本語の壁を乗り越えました。

2)韓国主婦として 日本で 日本語でのくらし
 日本に来て野菜が新鮮だと感じました。電気屋さんに行って、冷蔵庫を見ると、野菜を入れるところが小さい。韓国の冷蔵庫は野菜室が大きいです。だから、ああ、日本では新鮮なものを少しずつ買って食べる習慣なんだと思いました。
 学校と幼稚園で、先生に相談することが一番難しかったです。思っていることを表現すること、また、いずれは韓国へ帰って教育を受けることにしているので、途中の段階をどうしたらいいのか。今は子どもたちが大きくなったので、この問題が大きくなりました。韓国に帰ったら、娘は受験生になって、どの大学へ入ったらいいのか。
 娘は6歳になって来日したので、第一言語は韓国語、第二言語は英語と日本語です。息子は2歳から現在13歳までの半分以上を日本に滞在し、インターナショナルスクールの4年目で第一言語は韓国語、第二言語は英語、第三言語は日本語です。息子は、自分はどこの国の人かよくわからないと思っています、私はこの息子が心配です。息子は第一言語は韓国語だよ、と言いますが、母としてみると本当にそうか、心配です。
 日本で暮らしていてさびしいのは、共通の話題が少なくて、たくさんの友達を作るのが難しいことです。まわりの人と簡単な料理の話や、こどものことを話しますが、私の考えていることを表現するのにどういうことばを使ったらいいのか、分からないことがあるので、自信がなくなって長い時間会話をすることが難しいです。話を聞いていて相手の言う単語が分からないことがあります。私の中で心配になってきて話についていけなくなります。
 でも、こどもの学校でいろんな国の人と日本語で話すのはとても楽しいです。中国人、ベトナム人、アメリカ人、たくさんの国の人がいらっしゃっていて、その人たちの国のことばは分からないけれど、日本語で会話できるのは本当に楽しいです。

3)日本で生活しながら考える ありがたいことと望むこと
 ありがたいことは、住んでいる場所から比較的近いところに日本語の教室がたくさんあることです。ボランティアさんがたくさんいて、なになにはどこにありますか、と聞いたら探してくれて教えてくれたり。それは本当にありがたいことです。日本語の勉強とともに、歌舞伎とか、展示会とかに私たちを連れて行ってくださって、日本文化の経験をすることもできます。
 望むことは、放送では標準語を使ってほしいことです。標準語ではなく、英語を使ったりします。最近では「コラボ」と言いますが、これはコラボレーションですね。コラボと初めて聞いたときは、新しいお菓子の名前かと思いました。コラボレーションにはちゃんと日本語がありますね。私が調べたところでは、協力とか、力を合わせて、とか協同作業とか。
 メルヘンと言いますね。おとぎ話ですね。私が大坂に住んでいた時「みんなの日本語」という番組で初めて聞きました。辞書を引きましたが、辞書になかったのです。どうしよう、困ったと思いました。ギブアップと言いますね。そのままカタカナでギブアップと書いてあります。その下に英語でgive upと書いてあればよく分かりますが、発音が違うのでカタカナだけでは分かりません。ですから放送などでは標準語を使ってほしいと思います。以上です。


質疑応答3

司会:
主婦ならではの具体的なお話でした。冷蔵庫の大きさに気づかれたのは面白いですね。私は今まで聞いたことのない感覚です。

参加者C:
ざ行の発音がしにくい、というのがおもしろかったです。ある韓国のかたの発音を聞いた時もざ行がおかしくて、これはローマ字で教わったせいではないか、と先生に聞いたら教え方が悪かったと言っていましたが、徐さんは日本語を習う時にローマ字はお使いになりましたか。日本語では「じ」にJをあてるわけです。Jは英語だと破擦音だから「だ」行の音なんですね。日本語では「じ」と「ぢ」に区別がないとしてあって、Jは「ぢ」だったのに「じ」にボタンをかけ違ったから・・。「ず」も「づ」も最初はDZを使っていた。これもDをはずしちゃったからあべこべになってしまったんです。それで、日本語を習うときにローマ字をお使いになったのか、と。

参加者A:
それはそうじゃなくて、韓国語にはもともと「だ」「ず」「ぜ」「ど」が無いんです。

参加者H:
「ぜったい」が「じぇったい」になります。

参加者E:
外国語を学ぶときはみな同じだと思います。日本人が韓国語を勉強しはじめると、最初は語順も文法もよく似ていて入りやすいけれど、発音でとても苦労します。なぜかというと、日本語は音の数が少ないんですね。ですから、音の数の少ない日本語話者が外国語を学ぶほうが大変です。韓国のひとに発音が違うと意味が全然違うと注意されることがとても多いです。

参加者I:
子音とか母音とか韓国語は数がおおいので、日本語でカタカナの場合、アイウエオや子音で外国語を表現すると原語と違う発音になってしまって、外国人には分かりません。例えば「マクドナルド」と言いますが、初めて見た時、マクドナルドってなんだろうと想像つかない・・・(笑)原語と全然音が違います。

参加者E:
質問ですが、徐先生は大阪で日本語を学ぶ場所があってよかったとおっしゃってましたが、例えばアメリカに赴任した韓国人の奥さんから、アメリカでは外国人に英語を教えてくれる場所があるが、日本には少ないという話を聞きました。私の知っている限りではボランティアで日本語を教える教室はありますが、公の制度としては無いのですね。主婦などの生活者が時間的にも費用的にも通えるところが無くて、そうなるとボランティアの教室になる。大阪でしたら、市とか府、役所でそういう場所を作ってくれるといいと思うのですが、その点はどうでしょうか。

参加者I:
役所にもありましたね。彼女の場合はボランティアの教室に通いましたが。また、料理の会があって、週に一回くらいですが、料理をしながら、それを食べながら、日本語を学ぶというところにも行きました。

徐先生:
2年くらい日本語を学んで、だいたい会話ができるから、今からは好きなことをやろうと、大阪市のクラフト関係のガラスの学校に入りました。初めて行った時に、頭の中が真っ白になる感じでした。専門的なことばが沢山出て来て、あぁ、初めて日本に来たときの感じだ、と。でも専門的なことばを勉強したら、分かるようになりました。

参加者A:
韓国語話者が日本語を学ぶ場合、あるいは我々のように、日本で韓国語を学ぶものにとっても、似ていてとっかかりはいいのだけど、似ているが故に落とし穴もある、という。そういう意味で、発表を聞いてあぁそうかと思うことがあり、例えばけして徐先生をおとしめることではないのですが、レジュメに「多い友達を作るのがむずかしい」とあって、そうか、長い時間とか、形容詞はそのままで連体形になりますので文法的には合っているのかもしれませんが、日本語母語話者は言わないですね。「多くの友達」あるいは副詞にして「友達を多く作るのがむずかしい」と言う。なぜ日本語の「多い」は連体形に出来ないんだろうか。こういうところから逆に日本語を考えたり、日本語を教える方はどう教えるのだろうとか。我々韓国語を学ぶ場合は、こう間違えたら日本人、とかってありますよね。

参加者B:
また漢字について、ですが。韓国では漢字を100字くらい習うようですが、韓国に行くと地下鉄の駅名など皆ハングルで書いてありますね。2,3回行くと大体読めるようになるのですが、読めると、なんだ、これは漢字で書いてくれればすぐわかるのに、と思います。名前も、今日は徐海允と漢字でお書きになっていますが、普通はハングルで表記するのでしょう、その場合、「ヘ」は「海」だという語源はどうやって分かるのでしょうか。

参加者J:
中学生になると漢字の授業があって、そこで習います。

参加者B:
1000字で間に合いますか。

参加者J:
日本のように日常生活で使っているわけではないから、そんなには要りません。 自分の名前は分かっていますし。

参加者I:
毎日名前は使いますね。「海」の意味は分かっていますから、それを実際に使わなくてもいい。

参加者E:
日本人の感覚と外国人の感覚、生き方とは違うわけですから、こうしなさいというのは・・・。

参加者B:
こうしなさいということでは全然なくて、そういう文字体系で言語生活を送ると不便はないのか、ということなんです。日本語は全部平仮名あるいは漢字だけで表記すると、分節しませんから読めなくなる。韓国語は・・・

参加者E:
分かち書きします。

参加者I:
分節しているので使いやすいですね、理解しやすいです。

参加者C:
私はローマ字で日本語を書いて見て、節がとても長くなるんですね。日本語は膠着語だっていうのがなるほどなぁと思われる。朝鮮語の場合は、どこで分節するというのは人によって違うということはないのですか。

参加者I:
勉強する最初の時から、それを習いますね。ここで切る、と。この単語のところで切ると、小学生1年から習っています。

参加者C:
それと、もうひとつ。駅名などにローマ字とハングルと併記してありますが、ローマ字だけではダメなんでしょうか。沢山書くと、それぞれが小さくなるんですよ。(笑)

参加者I:
ハングルが書いてあると、とても親しく感じます。ありがたいですよね。韓国でも、今、ほとんどの人はローマ字を知っているとおもいます。ただ、ハングルが書いてあると、最近は中国語も書いてありますが、それをみると、あぁ、日本はこうしてくれているんだ、と親しみを感じます。

参加者J:
韓国に行っても、最近は平仮名とローマ字で書いてあります。

参加者I:
人が交流している、その配慮ですね。

参加者K:
韓国へ行った時のことですが、日本語の地図、漢字で書いてあって、ハングルは書いてなかった。タクシーに乗って、ユネスコの世界遺産の宮殿を指して、ここへ行きたいと言ったら、運転手さんがわからない。漢字が読めないのですね。で、今ここに居るから、と説明をして、連れて行ってもらったのですが、その時に、韓国も漢字の国だと思っていたし、さっき1000字くらいは学ぶとおっしゃったけど・・・。町の有名なところの漢字読めないのはすごく不思議でした。

参加者E:
韓国は政策的に、漢字の国とは言えないですね。漢字を全く学ばなかった期間もありましたから、読めないひとが居ても当然です。

参加者I:
政府が漢字を使わないとした時期がありました。今も新聞でもほとんど漢字は使いません。昔は沢山使っていたのですが。ただ、漢字にはいろんな意味がありますから。だから勉強させるのはすごくいい。だから民間で勉強させていたんです。今は日本と同じく漢字検定があります。実際生活する上では、漢字がなくて不便だということは全然ありません。

参加者E:
漢字復活論もあって、それはそれで意味があると思いますが、同時に忘れてはならないのは、ハングルは世宗大王が庶民にもわかるように発明したわけで、中国の簡体字も、漢字が知識階級の専有物になってしまっていたので、中国革命のときに庶民にも漢字が使えるようにと簡体字ができたと聞いています。日本は昔に漢字から仮名を作って、女でも文字が使えるようにした、そういうことも忘れてはならないと思います。それぞれの国でばらばらになってしまったのは残念ですが。中国は簡体字、台湾や韓国は繁体字で、日本も昔の漢字と今の漢字が違う、同じ字だったら意思疎通が簡単だったものがもったいないなとは思いますが。漢字というものにはそういう歴史があったということを忘れてはいけないなと思いました。

参加者B:
周先生にうかがいます。中国語では漢字で外国語の表記ができないですよね。例えばマクドナルドとか。無数にある外国語、地名とかですね。で、小学校では漢字を読むのにアルファベットで教えていますよね。将来、中国では漢字・アルファベット混じりということがあり得るのじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。

周先生:
あり得ると思います。実際、もうやっていると思います。例えば外来語の表記が英語のまま、というのは特に最初はそういうのが多いです。それから、訳していく、という。例えばソフトバンクは最初Soft Bankと書いていて、それから軟式銀行(笑)と、意味から訳すとか。ハッカーのことを黒客としたり。発音も似ているし、意味も通じる。
 今の質問とはちょっとずれますが、さきほど韓語と日本語の発音の話で、ちょっと感じたのですが、日本語は母音・子音が少ないので発音が悪い、というのは私は少し違うように思います。例えば、僕の息子は今12歳で徐さんの息子さんとほぼ同じくらいですが、ずっと日本で育って第一言語は日本語だと思います。中国語はかなり発音が難しいのですが、彼の発音には日本語話者のクセがない。小さい時に耳で慣らしていたということもあるでしょうが。少なくとも発音は小さい時にやったほうがうまくなるんじゃないか、だから教育方法だと思うのですね。英語教育でも、英語を訳したものを覚えるという勉強方法は問題があって、発音がうまくならないと思います。

参加者B:
それから、つづり字発音というのもあるんですよね。今はヘップバーンと言いますが、明治時代はヘボンと言った。平文と書いてヘボン先生と呼んだ。ヘボンのほうが原文に近いんですよね。

周先生:
中国語は日本語よりもっと、表記するのが難しいです。子音と母音がほぼ必ずあって、子音だけの発音はないんですね。そうすると外来語をそのまま表記するのがとてもできない。外来語は別、という考え方で、そのまま表記します。

参加者B:
新聞など横書きだから、アルファベットが取り込みやすいですね。

周先生:
そうです。

ド先生:
同じ漢字文化圏ですが、でも使い方が違う。「勉強」は日本語の意味では中国でもベトナムでも使わない。ベトナムでの「勉強」の意味は、やりたくないけど、しょうがないからやる、ということです。(笑)

周先生:
中国も同じです。

参加者C:
漢字文化圏の先生方なので、伺いますが、漢字と言うのは体系だと思うのです。一だけ教えて二、三、四を教えないやりかたはないので、ところが、日本ではばらばらに教えている。十は難しいからあとで、というようにしていて、あることを関連付けて教えていない。効率も悪いですが、ものの考え方の整理の枠組みが出来て行くということからいうと、やはり考えなくてはいけないと思いますが。漢字を忘れたこと、やらなかったこと、を含めてなにかお考えがありますか。

周先生:
例えば「地震」といえば、もとは地面が震えるということで、漢字のくっつき方とそれが文になった時のルールが共通しているのです。漢字で作られた昔の文章は漢字の言葉から文になったルールが共通しているということがあって、ですから「地震」の意味はこうだよと教えるだけでもかなり理解を助ける。それはぜひやってほしいなと思います。

参加者F:
中国では新聞も横書きという話がでましたが、ハングルも横書きですよね。横書きにした理由というのはなにかあったのでしょうか。

周先生:
詳しいことは調べていないのでよく分かりませんが、おそらく筆を使わなくなったから横書きになったのじゃないでしょうか。

参加者B:
それが正しいのだと思います。日本語も横書きにできるのですが、一番抵抗するのが書道家です。特に平仮名を筆で横書きには出来ないのですね。

参加者C:
ラテンアルファベットは横書きにするようにデザインされていると思いますが、漢字や、特に平仮名は縦に書くように設計されているのじゃないかと思います。

参加者F:
漢字には崩し字がありますね。平仮名なんかはその最たるものかもしれませんが。ハングルには崩し字ってあるのですか。

参加者I:
崩し字はありません。筆でも書きますし、書体は色々ありますが。

参加者B:
余談ですが、エジプトのヒエログリフという文字は縦でも横でも書けるんですね。フランスのコンコルドにあるのは縦書きですね。左からも右からも読めるんですね。例えば鳥でもライオンでも、右を向いていたら右から読む、左を向いていたら左からという規則です。

参加者L:
ド トンミンさん、徐海允さんのお話で、カタカナ辞書が日本語を学ぶ外国人に役に立つ大事なものだということはよく分かりましたが、カタカナ表記というと、外来語もあるし、縮めた言い方や強調のための表記もある。どういうカタカナ辞書が一番使えるのかということが、イメージできないのですが。

ド先生:
私が最初に使ったのは国語辞典のカタカナ辞典でしたが、わからないことばが沢山ありました。語源が書いてないから、日本語で調べてもよくわからない。

参加者D:
今でしたら、ネットで検索するとか。日本人でも分からないカタカナ語がいっぱいありますから。

参加者C:
以前読んだ外来語に関する本で、なぜカタカナ語を使うのかについて、「カセット効果」が挙げられていました。それは、目新しくてきらきらしていて外側が美しい、そういう宝石箱のイメージで使うのであって、中身は別なんだ、だから、カタカナ語には分からない、ということが付いて回るのだ、と。

周先生:
私も最近やっとわかりました。外来語というのは雰囲気。(笑)ところが、中国に居たときは、学ぶ際には正確さを求めるのです。たとえば、携帯電話やコンピューターの用語には外来語がたくさんありますが、日本人はたぶんこういうことかな、と雰囲気で理解したつもりになります。外国人は、これはどういうことかと学ぼうとする。ですから、日本人は普通使わない、10万語というカタカナ語辞典が中国では使われる。

参加者C:
最近はマスコミも、例えば「トレンチという・・・」とかって使う。自分でも分かっていないような使い方ですね。昔なら塹壕とか壕とか漢字で書きました。だから漢字を排斥する気持ちが付きまとっているんですかね。

参加者B:
漢字が外来語表記に向いていないということ、例えば中国で電脳とかって新しいことばが生まれるじゃないですか。ですから音で入ってくる言語と、文字にせざるを得ない言語とがあるのじゃないかと思うのです。

ド先生:
コンピューター用語などを日本語辞書で引くと大抵カタカナで書いてあってわかりません。ところが、中国の辞書を引くと漢字で書いてあってよくわかる。それは貴重な翻訳です。日本人ももっと漢字を使ったらいいと思います。

 


司会まとめ・閉会挨拶

 大変おもしろいお話になりました。私自身大変興味深くうかがいました。初めてうかがったようなこともありましたし、大変勉強になりました。今日は、今抱えている日本の問題と、日本にいる外国人のかたがたの問題とその未来、ということでさまざまな観点からお話されたわけですが、集約するところ、漢字とカタカナの問題、これを将来に向けて我々がどう関わっていくかということになるかと思います。これは政治的、行政的なレベルではなく、純粋にことばに興味のある者として非常に興味深かったのは、中国・ベトナム・韓国というそれぞれの言語をもったかたがたが、日本語に接した時の共通点が、日本語の特質を表している、単純に言えば、同義語が多いとか、音の数が少ないとかということが絡み合っていることと、さきほどCさんがカセット効果とおっしゃったように、カタカナ語でいうとカッコ良かったり、少し意味が違ったり、例えばお金といえばいいのに、マネー戦略と言ったりですね、カタカナでいうとファッショナブルだ、とカタカナ語で言ってしまいましたが(笑)。明治維新直後、これは柳父章さんという人の話なのですが、当時翻訳語、権利、自由とか、が非常に流行したそうで、西洋の言葉をカタカナでふりかざしていた。だからあまり意味がわからないまま使っていたひとがたくさんいたのじゃないかと書いていらっしゃいました。ある意味、日本語が視覚依存というか、ド トンミンさんがおっしゃるように音で聞くと富士と不二、どちらの「ふじ」かわからないということも、日本人は、なんとなく文字を思い浮かべながら聞いている、言ってみれば多元的なコミュニケーションをしているのかもしれない。どうやって証明していいかわかりませんが、必ず文字を思い浮かべているのかもしれない。日本語の特質として、同義語の多いことは大変興味深いと思います。今日のこの機会に、何人であれ、この国で生きて行く上で考えなくてはならないことばの問題は、期せずしてというか、大震災のおかげでなおさら強く意識しなくてはならない、あらためて日本語の問題が、日本に居る外国人のかたがたから見て、あるいは多様な言語からみた日本語、多様なことは豊かさでもありますが、そこから見た日本語の面白さとも考えられる機会になったのではないかと考えます。今日は3人のパネリストのかたがた、興味深いお話をありがとうございました。

文責 事務局