2016年度総会記念講演
「ことばの使われ方」
■日時:2016年6月11日(土)午後2:00-4:30
■会場:慶應義塾大学三田キャンパス南校舎453教室
■講演者:金田一秀穂先生(杏林大学教授)
事務局からの報告
日本語教育の専門家として国内外でご活躍の金田一秀穂先生を迎えて、「ことばの使われ方」をテーマにお話しいただきました。その概略は―
1. ことばをめぐる日本
日本は国名が「ニホン/ニッポン」のどちらでもいい、となっていて、音として定まっていないことからわかるように、文字を偏重する傾向がある。一方、映画「英国王のスピーチ」で描かれたように、人民に声で語りかけるスピーチの力がリーダーの重要な資質と考えられる国は多い。日本でほとんど唯一の「有名なスピーチ」は終戦の詔勅だが、あれは人民に向かって語りかけるというより、神様に向かって祈る祝詞だと思う。音声言語を重んじないために、日本には民主主義が根付かないのではないか?
教育面でも、日本では小・中学校に習字の時間があって文字重視の姿勢。一方ほかの国にあるような、演劇など相手に伝える音声言語の訓練といった要素が少ない。授業の方法も学生発信型の対話型教育ではなく、学生はもっぱら受信するだけの一方的教育が普通である。しかし、優れた教師とは、講義する力だけでなく、学生が何を言いたいかを聞き取れる「聴く力」を持つ人なのではないだろうか。
2. 記号言語以前の世界へ
これまでの研究生活でずっとことばを考えてきたが、「ことば以前の世界」があったはずだ、と気づいた。ことばがなかった時期に人間はどうやって意志や思いを交流させていたのか。それは「なき声」ではなかったか。その「なき声」の次元は今もあって、例えば道元の「不立文字」の悟りの世界、キリストが見た「比喩でしか言いえない」天国は「なき声」の次元に属するのではないだろうか。記号言語としては同じ歌詞で歌っても、巧拙を超えて、人を感動させるか否かはこの「なき声」の違いではないだろうか。
3. なき声と記号言語
「なき声」はアナログであり、現実、状況依存、生得的、バベル以前の普遍性を持つ。一方、記号言語はデジタルであり、バーチャル、状況独立、獲得的、バベル以降の個別的存在である。
これからの世界は人工知能が支配的になるだろう。人工知能はこれまでの頭脳労働や肉体労働にとってかわるはずだが、介護士や看護婦などに代表される「感情労働」は、人工知能にとって代わられることはないのではないか。「感情労働」と「なき声」とは関連がある・・・。
文責・事務局
ユーモアを交えて、豊かな内容を惜しみなくお話しいただきました。自由に好きなことがしゃべれる、と先生も嬉しそう。参加者も折々に発言して、それぞれの関心事に大きなヒントをもらえた、と。13年目の総会を記念して、わくわく楽しい2時間半を過ごすことができました。金田一先生に深く感謝申し上げます!
講演の全容はyoutubeでご覧いただけます。
https://youtu.be/Jpk4DQQcE4g(別ウィンドウが開きます)