「中央アジアの多言語社会に生きる ― サマルカンドの事例」
●2007年7月21日(土)午後2時-4時30分
●慶應義塾大学三田校舎314教室
●話題提供:ムニサ・バフロノヴァ(東京大学大学院・地域文化研究)
●複数の言語が飛びかうサマルカンドを例に、言語とアイデンティティーを考える。
多言語状況で育つ
ウズベキスタンのサマルカンド国立外国語大学卒業後、東京大学へ留学中のムニサ・バフロノヴァさんは中央アジア諸国の言語使用状況と、言語使用とアイデンティティーの形成の関係を研究していらっしゃいます。
参加者はまず、ムニサさんの日本語が実に折り目正しく、美しいのにびっくり。タジク人であるムニサさんは家庭ではタジク語、学校では公用語であるウズベク語、大学の授業やTVニュースなどではロシア語、加えてフランス語も学ぶ環境で成長なさいました。その中で、ウズベキスタンの国家語であるウズベク語はアジア系の言語で日本語との共通点(文法の面において)が大変多いため、日本語はこれまでに習得したどの言語より易しいと感じたそうです。
それぞれの言語の特徴
語彙などに共通のものが多いとはいえ、それぞれの言語は独自の雰囲気を持っています。たとえば、ロシア語(スラブ系)は現代的、タジク語(ペルシャ系)は文学的、アラビア語(アラビア系)はアカデミック等。初等教育の教科書や公的書類、標識などはもちろん公用語であるウズベク語(ウラル・アルタイ系)が用いられますが、新しい情報を得るときにはロシア語のニュース、家庭でのおしゃべりはタジク語やウズベク語などのそれぞれの母語、各言語はふさわしい場面で使い分けられています。そういう多言語状況のなかで、人びとは幼い頃から、母語ではないことばを覚えなくてはならない、と自覚を持っています。
ソ連時代、ロシア語はエリートのことばでしたが、1991年の独立後、ウズベク語公用の政策に変わり、1995年に表記法もキリル文字からラテン文字へ変更されました。現在はウズベク語ができないと就職ができない状況となり、ロシア語が母語だったロシア人・高麗人・ユダヤ人たちはロシアやアルメニア、アメリカ、イスラエルなどに移住するケースが多くあるそうです。また、キリル文字で育った旧世代とラテン文字で学ぶ今の世代のギャップなど、さまざまな問題が残っています。
言語とアイデンティティー
言語には情報を伝達するという面と、日本人だから日本語を話すというようなシンボリックな面があります。ムニサさんがサマルカンドの高校生を対象に行った調査では、シンボルとしての母語を大切にし、できるだけその言語を使うと答えたグループと、目的を達成するため言語を「武器」として使い分けると答えたグループに分かれました。
ことばを使い分ける場合、それぞれの言語によって、異なる人格があらわれるのではないかという点について、ムニサさんの弟さんの例では、タジク語、ウズベク語を話す時と、ロシア語を話す時とは全く違う人のようになるとのこと。ロシア語では、姉に対しても友達感覚になり、身振りも大きくなるそうです。言語とアイデンティティー形成の関係について、ムニサさんの今後の研究が楽しみです。
ウズベキスタンの伝統的文化は、大人気だったという「おしん」の文化に近いようで、大家族で暮らし、年長者を大切にする習慣が今もしっかりと残っています。サマルカンドの美しい建造物やバザール風景の画像もたくさん見ることができました。
タジク語・ウズベク語・ロシア語・英語・フランス語などたくさんの言語に通じたムニサさんは日本語について、「ひとつの言語で国中の人が分かり合えるのはとても便利です」また、「多分、世界で一番、悪態語が少ないのが日本語でしょう」と。なぜそうなのか、これも研究したら面白いテーマかもしれません。「ぜひサマルカンドに行ってみてください」と締めくくられた今回のサロン。実現するといいなぁと思ったことでした。
-事務局-
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