「エチオピアの諸言語と生活文化-言語学のおしごと」
● 2007年12月8日(土)午後2時-4時30分
● ㈱オフィス・ヘンミ会議室
● 話題提供:稗田乃(東京外国語大学教授・言語学)
● エチオピア・コエグの人々の多言語状況とそれぞれの言語の役割を見る。
言語学の目指すところ
言語学には、理論言語学、個別言語を対象とする実証的言語学、言語の社会的側面を追及する社会言語学などがあるが、いずれも、「言語とはなにか」という問いに、普遍的な答えを出そうとする学問である。私は30年以上、アフリカの諸言語を対象に実証的な言語研究を続け、コエグ語を世界で初めて、文字化した。
「母語」教育の罠
世界のさまざまな地域で、母語の復権の機運がみられる。アフリカを例に取ると、アンゴラでは、初等教育で6言語を教える試みがある。ウガンダでは全国を10ブロックに分け、10の言語を割り当てて教えている。しかし、アンゴラで話されてきた言語は60を数えていて、そのうちの8言語を教えるということは、残りを捨てているということになる。ウガンダでも事情は同様である。つまり、多言語主義はイコール全言語主義ではない。アフリカ諸国の「母語」教育は、ユネスコや先進国からの支援を受けて行われているが、切り捨てられる言語があるという罠に留意しなくてはならない。
コエグ語とコエグの多言語状況
エチオピアの首都アジスアベバから車と徒歩で3日以上をかけ、南下した地方に住むコエグの人々。その地方の集落のひとつ、クチュル村を中心に、コエグ語を調査している。彼らの母語はコエグ語だが、周辺部族の言語-カラ語とブメ語も日常的に使用されている。ゼロ歳から(自称)90歳以上の男女を対象に調べたところ、年齢があがるにつれ、この3言語を自由にあやつれる能力をもつようになる。
また、聞き手の性別や年上・年下によって、あるいはそのときの話題によって3言語のどれを使うかも自然に決まっている。たとえば、男性の話し手は女性の聞き手あるいは年下に対して、また、年上に対してもブメ語を使わない。政治的な話題のときは男性も女性もブメ語を使う。このことから、ブメ語はコエグ社会において社会的優位な言語であり、ブメ語を話すと発言力が高まると考えられる。
コエグ語は周辺言語からの影響をうけた結果、次第に単純な構造になってきている。名詞複数形をつくるには、語尾に-anを付けるだけでいい。あるいは「たくさんの」とか「ふたつの」というような形容がつくと、-anすら付けなくて良い。他のアフリカの言語、たとえば、バアレ語(スーダン国境地域)などの不規則・複雑な複数形と比較すると、コエグ語の単純さが分かる。言語は単純になっては駄目なもので、それは日本語の類別詞がformalな発話においてはinformalな発話においてより頻繁に使われることから分かるように、一見不規則とみえる複数形の使い分けは、文章のstyleにも関わるからである。
ことばを通じて地域で役割を持つ
コエグの隣人であるブメ、カラ、ムルレなどのひとはそれぞれひとりで歩いていると、ほかの部族に襲われる。しかし、コエグのひとは襲われない。どうも、コエグのひとはその多言語を話すことで、地域の仲介者的な役割を果たしているように思われる。
(文責 事務局)
-事務局より -
講演後、なぜこれほど母語以外の言語に堪能になるのか、他の部族との婚姻関係はどうか(コエグに嫁に来ることは無く、コエグから他に嫁入りすることはある)など、活発な質問が相次ぎました。
体中を白塗りした男性が並ぶ、ブメとの同盟式典などの儀式や、主食であるコーリャンを石臼で挽く風景など、たくさんの写真を見ながら、私たちの日常からはるかに隔たったコエグのひとびとの言語使用、生活ぶりに触れた貴重な時間でした。主題とは別に、皮膚を食い破る寄生虫、眠り病になるツェツェバエなどを防ぎながらのフィールドワークの苦労の数々、反対に洗濯係や炊事係など何人もいる王様暮らしができることなど、楽しいこぼれ話が満載。また続きを聞きたいという声がたくさん聞かれたサロンでした。
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