「ニュースのコトバを読み解く」
● 2008年3月29日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田校舎313教室
● 話題提供:平野次郎(学習院女子大学特別専任教授・元NHK解説委員)
● NHK放送記者からヨーロッパ総支局長、解説委員というご自身のキャリアを追いながら、報道の裏側について語る。
講演要旨
TV画面でおなじみだった平野次郎先生を迎えての2008年2回目のサロン。「初めにことばありき」「志はリポーター」など10あまりのキーワードに沿ってのお話でした。そのうちのいくつかをご紹介します。
「放送と通信」
放送は情報を広く撒き散らすことを役割としている。英語の「broadcast」、中国語の「広播」も同じ意味を表わし、この不特定多数への一方的な撒き散らしは、公共性そのものといえる。
これに対して通信は特定の対象に向けられていて、第3者に知らせる必要がない。放送と通信はメカニズムとしては同じだが、分けて考える必要がある。
「志はリポーター」
NHK入社当時はニュースの原稿書きとその材料集めの訓練が厳しかった。取材は"5つのWと1つのH"が基礎だが、日本人が書くとwhyが抜けがちになる。出来事の報告だけで、なぜそうなったかという視点が弱い。ある説によると、日本人は「なぜ」を考えることなく、言われたことを受け入れる民族だという。
「事実と真実」
複数の事実から、ひとつの真実を引き出すのが、リポーターの仕事。1986年のレーガン・フルシチョフ会談の折、ロシア人ジャーナリスト・国営新聞プラウダの論説委員と飲む機会があったが、彼曰く「プラウダにはプラウダ(真実という意味)がない」と言っていた。
「放送記者から放送話者へ」
ニュース原稿を書く立場から画面に登場することになり、書き言葉と話し言葉の違いにとまどった。情報の英語の量が1だとすると、それを翻訳した日本語の量は1.8になる。時間内にいかに詰め込むかが問題。しかも特にアメリカ英語アナウンスは間をとってはいけない(だから余計に短くなる)のに対し、日本語は間が大切という文化の差もある。
アナウンスは話し言葉であるべきだと思うが、未だに書き言葉にとどまっていることが問題だと思う。
豊富な海外経験に基づいた具体的なお話が続き、TVのワンカットが日本では5秒・アメリカでは3秒、ヨーロッパでは7秒であること、視聴者に飽きられないよう、2,3分ごとに「殺し文句」を入れるようにすること。TV出演を効果的にするために、レーガン大統領は3秒でも使ってもらえる殺し文句を発していたし、オバマ候補の人気も、短い単純な言い回しを積み重ねることによって、ではないか・・・などなど。TVの舞台裏を見る観がありました。
「よき訪れを伝える者になりたい」というのが放送記者を志すきっかけだった平野先生。現在は大学で次代のアナウンサーやリポーターを目指す学生の指導にあたっておいでです。よき訪れを伝えるという志を持った若者がたくさん出てくれるといいなぁ、と思ったことでした。
(文責 事務局)
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