ことば村・ことばのサロン
■ 2008・4月のことばのサロン |
▼ことばのサロン |
「ペルシャ語と日本語を行き来して」
講演要旨 ペルシャ語は詩の言葉 現在ペルシャ語圏といわれるのは、イラン、アフガニスタン、タジキスタンですが、中世から近世にかけて、北インドや中央アジア・サマルカンドの広い範囲でペルシャ語が話されていました。文芸が盛んで、多くの詩人を輩出し、ヨーロッパの文芸にも多大な影響を及ぼしています。詩が重要な地位を持つ文化風土の中で、人々は非常に饒舌で話好き、上手に話す人は「うぐいすがさえずるように話す」とほめられます。自己主張をさけ、無口を美徳とする日本の文化とは違います。といっても、おしゃべりならいい、というわけではなく、カイカウス王が息子の為に残した文章には、「嘘をつくな、他人にわかるように話せ。人はその舌の下に隠れているのだから」とあり、話し方によって品位を判断されるのです。 司法通訳で感じる文化の違い 裁判での通訳はもちろんですが、最近は難民申請時のインタビューなども司法通訳の仕事です。司法の場での通訳では特に、宗教観、道徳観、文化の違いから訳出するのがむずかしい言葉が続出して苦労します。イランでは法律=宗教で、一般刑法による裁判と、アッラーの教え(シャリーア)に基づくイスラム法による裁判とがあります。宗教は彼らの生活の隅々まで支配していて、例えば、宣誓について、日本人とはまったく違う感覚を持っています。例えば、裁判でこれから述べることが真実であることを宣誓する、という儀式があるのですが、日本の場合、宣誓用紙を持って、被告人や証人が宣誓のことばを述べることになっています。ところが、ある時、イラン人の証人が黙ったまま、宣誓しません。どうしたのか、と聞くと、誰に(何に)対して宣誓するのか、アッラーにか、日本の神にか、被告人にか?と訊ねられたのです。裁判官は早くしろというし、非常に困りました。 法律用語も訳しにくい 心身喪失と心神耗弱という用語があります。心神喪失の場合は責任能力無しとして、刑は免除されます。心神耗弱はある程度の責任能力は認められるとして、刑が軽減されるわけです。ところが、ペルシャ語にはこのような精神状態を表わす言葉はジュヌン(マジュヌン)の一語しかありません。魔物・ジンが語源で、ジンが取り付いた状態という意味です。ですから、ジュヌンを心神喪失と訳すのか、心神耗弱と訳すのか、状況によって訳し分けなくてはなりません。 双方の文化と言語をよく理解し、一語を1:1で訳すのではなく、細かく説明を加えた上で、話者が言いたいことを正確に伝えていく仕事です。日本にあって、イランに無いもの、またはその逆の場合など、なんとか説明してわかるように努力しますが、100%まではなかなかむずかしいこともあります。これから、日本で裁判員制度がスタートし、皆さんの中にも、外国人が被告人の裁判の裁判員に任ぜられるかたが出るかもしれません。その文化をよく理解しないと、公平な判断にならないことの参考になれば幸いです。 (文責 事務局) 講演の後の質問に答えて ― ペルシャ語はアーリア系言語で、特にフランス語と共通する点が多い、日本語にはいっているペルシャ語に「ちゃらんぽらん」「あちゃら(漬け)」「カーキ(色)」などがある・・・・。ペルシャ語のサマルカンド方言であるソグド語を使っていたソグド人の遺跡がウラジオストックや西安(洛陽)で見つかったという参加者の話から、シルクロードを通って「胡人」(ペルシャ人)が東アジアへやってきたのでは・・・など、興味が次々と広がっていきました。シャリーア法にもとづく石打ちの刑などが、今でも実行されているイラン社会。文化の違いからくる豊かさ、素晴らしさと同時に、文化の違いを越えた人類共通の価値もあるのではないか、とも感じたことでした。
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