2008年は国際言語年!全日本社会貢献団体機構助成事業
「ユカギールのことばと文化」
● 2008年5月24日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田校舎124教室
● 話題提供:長崎 郁(千葉大学非常勤講師・記述言語学)
● ユカギール語の現地調査に携わり、世界でも少ないユカギール語の研究を続けていらっしゃる長崎先生を迎え、消滅の危機に瀕するといわれるユカギール語と、その復興運動や生活文化を聞きました。
講演要旨
ユカギール人とはどんな民族?
ロシアの東経140度以東には、古来多くの少数民族が住んでいますが、ユカギール人もそのひとつです。かつてユカギール人はシベリアの各地に住んでいたという記録が残っていますが、他民族に圧迫されて今は、コリマ・ユカギールとツンドラ・ユカギールの2つのグループだけが残っています。彼らは「オドゥル」(コリマ・ユカギール)あるいは「ワドゥル」(ツンドラ・ユカギール)と自称し、これは「強者」の意味ですが、この自称とは裏腹に彼らは争いを好まない民族だったのかもしれません。
南のコリマ・ユカギール語と北のツンドラ・ユカギール語には基本的な語彙などの点で差異があり、互いに通じ合うのが困難と言われています。この2つは方言と呼ばれることもありますが、現在では2つの異なった言語とみなすのが一般的です。私はこのうち、コリマ・ユカギール語の調査・研究が専門です。
ユカギール語はどんなことば?
東シベリア各民族の人口と母語の保持率(1989年調査)
| 人口 | 母語保持率 |
ユカギール | 1,112 | 32.0% |
スウェン | 17,055 | 43.8% |
エウェンキ | 29,901 | 30.4% |
チュクチ | 15,107 | 70.4% |
コリヤーク | 8,942 | 52.4% |
イテリメン | 2,429 | 18.8% |
ユカギール語は近隣地域の他の民族の言語(ツングース系・チュルク系など)とは系統的な関係をもたない孤立的な言語ですが、西方のウラル系言語、あるいはアルタイ系言語と関係があるのではないかという説もあります。
日本人にとっては比較的馴染みやすい。
ユカギール語は日本語と同様に膠着的な性質をもつ言語です。基本的な語順、単語の作り方、発音などは日本語話者にとって比較的易しいと感じられると思います。例えば、met(私) emej(母)で「私のお母さん」となります。音素も母音が6個、子音が21個、日本人にとって発音のむずかしい音はほとんどありません。
そのほかの特徴として、
- 形容詞が無く、形容詞的な意味をもつ語は自動詞に分類されること、例えば、amde(死ぬ)-je("分詞") oromo(人)-pul("複数")で、「死んだ人々」、omo(良い)-t'e'("分詞") marqil' (娘)「良い娘」となります。
- また、自動詞と他動詞の区別が明確になされる点も文法的な特徴のひとつです。直説法では自動詞と他動詞の活用が違う・「他動詞」は目的語を取ることができるが、「自動詞」はできない・接尾辞による自動詞・他動詞の交替、例えばal'aa(溶ける)→al'aa--(~を溶かす)など。
- 文中の重要な情報として強調される部分=「焦点」を示す方法として、コリマ・ユカギール語では、自動詞主語または他動詞主語が焦点である場合、通常の動詞文とは異なる構文(焦点になった名詞が「述語」の形となる。それに呼応するように、自動詞は動名詞、他動詞はme分詞形となる)が用いられます。
ユカギールの暮らしと文化
私の調査地はロシア・マガダン州セイムチャンとロシア・サハ共和国ネレムノエ村です。ネレムノエ村はコリマ・ユカギールの中心的な村であり、人口300人の約半数をコリマ・ユカギール人が占めていて、伝統的な生業形態(狩猟、漁労、採集)に依存した生活が残っています。食物はオオシカ、野鳥などの肉、魚、ベリー類などをとり、6月から8月の夏は特に、コリマ川でとれる鮭科の魚などを食べています。その他の季節は雪と氷に閉ざされ、12月には-50℃まで気温が下がります。冬はエネルギーを消費するので、沢山食べなければなりません。
日常は私たちと同じような服装ですが、お祭りなどには伝統的な、鹿皮などに毛皮の縁取りやビーズ刺繍をほどこした衣装を身につけます。
住居に関しては、現在は現代的な建物に住んでいますが、納屋や作業小屋として、移動式の伝統的住居が使われていることがあります。この住居は柱から住居の覆いまですべて木でできています。かつては食器や桶などを白樺の樹皮などでつくっていました。また、伝統的な板舟で漁をする人々もいます。
ネレムノエ村は、コルホーズを基盤としてつくられた村で、狩りなどの獲物をコルホーズに納めて、生活していました。現在は政府から少数民族への助成金が出ていますが、経済的にうまく行っているとは言えないようです。
ユカギール語はこれからどうなっていくのか。
90年代にはツンドラ・ユカギール語話者200人/コリマ・ユカギール語話者50人ほどという数をあげている研究者がいます。現在ではもっと少ないことでしょう。話者の年齢は70歳以上で、10年先には、いったん途絶えてしまうのではと予測されます。まさに典型的な危機言語だと言えましょう。
それに対して、1985年に、村の小学校でユカギール語の授業が始まり、87年に正書法が制定され、93年には教材が出版されました。ユカギール語を含む少数民族語のラジオ放送や新聞の発行も見られますが、人材確保や資金面でなかなか難しいようです。
ヤクーツク大学ではユカギール語を含む少数民族語の専門家養成の講座があり、若い人々が学んでいます。これからこういう動きがどう展開していくのか、少なくともできる限りの言語資料を収集し、保存していくことが当面の急務です。
以上
文責 事務局
85年ごろの小学校のユカギール語授業風景とお祭りのダンス(白鳥を表現)の貴重なビデオ映像、そのほかにも沢山の調査地の人々の画像を見ることができました。講演後の質問も次から次へ。
参加者「70以上のお年寄りは、どういうときにユカギール語で話すのですか」
先生「できる人達は井戸端会議的に、できる限りユカギール語で話そうとします。自分の気持ちがそのことばでしか表現できないのだと思います。連帯感を感じるということもあると思います。そこへロシア語しか話せないひとが入ると、ロシア語に変えて話しますが」
参加者「ユカギール語がなくなるというと、日本語がなくなったらどうなるか、というふうに置き換えて考えますが、もともとこの地方は多言語状況で、ユカギール語もヤクート語もロシア語も話せる、というひとが多かったのだろうと思います。そのなかでユカギール語がなくなっていくということですね」
長崎先生のコレクションの中から、魚皮で作られ、ビーズ刺繍がほどこされたポーチや、ビーズと羽の頭飾り、鴨の毛の敷物、サルヤナギの紐、そして、ユカギール語の教科書など、手にとって見ることもできました。長い冬の手仕事は精緻で驚きます。長崎先生、ありがとうございました。
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