2008年は国際言語年!全日本社会貢献団体機構助成事業
「ワロゴ語(豪州)の復活運動」
● 2008年6月14日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田校舎124教室
● 話題提供:角田太作(東京大学人文社会系研究科教授・言語学)
● 角田先生は、1971年からオーストラリア原住民語の調査研究を開始、2000年ごろからは
言語活性化にも取り組み、自ら採集されたワロゴ語最後の話者の音源を元に、その話者の
孫の世代に祖先のことばの学習支援をしていらっしゃいます。
講演要旨
言語消滅の最悪の例がオーストラリア
オーストラリア大陸には5万数千年前にすでに人が住んでいた。18世紀後半にイギリス人が
やってきて1788年にシドニーに最初の植民地ができた。それ以来、もともと住んでいた人々は殺さ
れたり、白人の持ち込んだ病原菌にやられたりした挙句、残った者も白人が住みにくい気候条件の
場所(大陸中央部・北部)に追いやられた。その上に同化政策によって英語を強要され、もともと
250~500あったと言われる言語は100以下になり、現在のところ、その大部分は老人がわずかに話
せるだけで、日常的に使われるのは20言語くらいに減少してしまっている。200年の間にこれだけの
言語消滅が起こった地域は世界でもオーストラリアしかない。
アルフ・パーマーさんは最高の恩師のひとり
私は東京大学を卒業後、メルボルンのモナシュ大学でオーストラリア原住民語の調査研究により
修士号と博士号を取得した。博士論文「The Djaru language of Kimberley, Western Australia 」は
1981年にCanberra: Pacific Linguisticsから出版されている。(Djaru語は西オーストラリア州北部
の言語)
クィーンズランド州北部のワロゴ語の調査は、最後の話者アルフ・パーマーさんからの聴き取りに
よる。当初はいい論文を書きたいというような目論見ではじめたのだが、次第にパーマーさんの自ら
のことばに対する思いに引きずり込まれていった。「私が死んだら、このことばも死ぬ。知っている
ことは全て話すから、記録してくれ」ことばとはこういうものだということをパーマーさんは私に
教えてくれた。彼は私の人生における最高の恩師の一人である。
Eメールから始まったワロゴ語の学習
パーマーさんも亡くなり、ワロゴ語はいったんは途絶えてしまった。1990年ごろから言語消滅に
ついて、また、言語の再活性化について世界的にムーブメントが生じてくる。この分野の私の研究書
として、「Language endangerment and language revitalization 」2005, Berlin and New York:
Mouton de Gruyterがある。
1998年、突然、オーストラリアから一通のEメールが届いた。パーマーさんの孫娘たちが祖先の
ことばを習いたい、協力してくれ、という内容だった。それを受けて、2000年の3月から2001、2003、
2004、2006年と、各回一週間程度現地に行き、復活運動に参加している。日本でワロゴ語辞書を作って
送ったところ、大変喜ばれ、学習で活用されている。学習目標は挨拶、自己紹介、キャンプで歌を
歌うことなど。次第にパーマーさんの孫だけでなく、地域の若者たちがグループに入って、熱心に学ぶ
ようになってきている。聞いた話では、家庭でワロゴ語で姉妹がからかうこともあるそうだ。
なぜあなたがたは、これほど祖先のことばを習いたいのか、と訊ねたことがある。その返事は―
ことばは自分を祖先に結びつけるもの。(圧迫され、同化させられる生き方ではなく)自分独自の
生き方をしたい。それにはことばがまず必要だ―彼らはそう答えた。
ワロゴ語の特徴
我々日本人は日本語を特殊な言語だと一般的に考えているようである。しかし私が130あまりの
世界の言語を比較したところ、日本語はよくあるタイプの言語であり、逆に英語は珍しいタイプの
言語であるとわかった。ワロゴ語はどうかというと、非常に特殊な複文の作り方をする言語である。
これを統語的能格性と呼ぶ。この現象は世界でも稀であり、人類の貴重な文化遺産である。このこと
をパーマーさんの子孫に話したら、大変喜んだ。民族の誇りである。
ワロゴ語の復活運動は様々な困難がある。最大の困難は財政難である。
ワロゴの人たちはワロゴ語をタウンズビルのジェイムズ・クック大学で教えてほしいと言っている。
これが実現すれば、ワロゴの人たちだけでなく、オーストラリア原住民全体の地位の社会的地位の
向上にもつながるであろう。しかし、障害が多くて、まだ実現していない。
以上
文責 事務局
講演の中に「言語権」ということばが出て、それについて詳しく聞きたいとの質問がありました。
「オーストラリア原住民は人間と土地と言語は一体だと考えています。切り離せない。ですから、
土地を売るなんて考えられない。またたとえ話せなくても、そのことばのownerであると思っている。
ワロゴ語の場合、ownerはワロゴの人たちであって、私(角田先生)はspeakerではあるがownerでは
ない。そこで、今日の講演も、パーマーさんのお孫さんに許可をもらって話しているのです」
もともとことばに対するこのような捉え方があり、さらに白人に侵略されたという歴史もあって、
祖先のことばを話したい、という強い希望になったのだと思いました。日本の方言やアイヌ語、琉球語
などの場合はどうなのでしょう。そのことばと話し手がどう結ばれているか、ことばによって違うの
でしょうか・・・?
事務局
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