ことば村・ことばのサロン
■ 2009・ 7月のことばのサロン |
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シリーズ「よみがえる ことばたち」4
● 2009年7月11日(土)午後2時-4時30分 講演要旨 I「エスキモー語」とはイヌイトと総称されるひ とびとは 地域によって実に異なる多様な存在である 1970年代半ばから、あまり研究されていない場所であるカナ ダ極北圏のクガールクに入り、現在まで調査を続けていますが、たまたま5、6年前に機会を 得て、グリーンランドで調査をした結果、カナダとグリーンランドでは、これが同じイヌイトなのかと思うほど違っていることに驚きました。グリーンランドの 北部と南部でもきわめて違っている。北部と南部では民族アイデンティティーが同じではない。南部のイヌイトたちは、自分たちをカラリートと称して、イヌイ トとは言わないのです。そういうことと言語との関わりについてお話したいと思います。 エスキモー語にはユッピ ク諸語とイヌイト諸語がある ある「ことば」が「言語」であるか「方言」であるか、は政治的な判断です。イタリア語とスペイン語は互いに意思疎通がで きることばであるのに、異なる「言語」として扱われる。しかし、イヌイト諸語、つまりイヌクティトゥト(イヌイト=人間 イヌクティトゥト=人間らしいも の)のうちエスキモー語の西部地方のことば:ユッピク「方言」と東部地方のことば:イヌイト「方言」は互いに全く通じません。しかもそれぞれの中でも、こ まかくわかれていて互いに通じないことがある。東西約1万キロ、南北4500から5000キロにわたる広大な地域に住んでいますから。私は「方言」という より「言語系」と読んだほうがいいのではないかと思います。 ユッピク諸語の中では、中央アラスカユッピクだけが人口21000人のうち話者10000人を数えて「健全な言語」の状態を保っていますが、中央シベリ アユッピク、ナウカンスキユッピク、チャプリンスキユッピクなどは話者が少なくなっている状態、シレニクユッピクは消滅しています。1950年代~70年 代に強制的に就学させられた結果、自分の言語はなにか、がわからなくなっているひとはたくさんいます。そういうひとたちのことばは英語です。 イヌイト語の将来 イヌピアックは人口3万人のうち話者は3500人程度、日常語として使われるかどうかは危うい。西カナダ・マッケンジー 川 流域のイヌイト語は危険な状態です。東カナダではかなり健全。 私の調査地クガールクでは、1980年代、祖父母がイヌイト語だけ、父親は母語はイヌイト語で英語も堪能という家庭の若い娘はイヌイト語を聞いて理解で きるのに、話したがらない。自分の民族語をかっこわるいものと感じている。これはTVをはじめとするメディアの影響です。 南の地域ほど、主流社会への同化が早く、しかも徹底的に進んだ結果、民族語消滅の度合いが高い。イヌイト諸語の内、健全 な状態であるものは、隔離された地域にあるからなのです。 「エスキモー」は差別語 か? エスキモーと呼んではいけない、という風潮がありますが、「エスキモー」という呼称が外の世界に知られるようになったの は1620年~30年に、ミック マック・インディアンが北に住む人々を指して「エスキモー」と呼んでいると記録されてからです。ミックマックのことばでは「カンジキの網を編む動作」を指 しています。それとは別に、19世紀半ばにマッケンジー川を北上したイギリス探検隊がチプワイヤン・インディアンのことばとして「北に住む人=生肉を食べ る野蛮人ひと」という発音の「エスキモー」が指すイヌイトを記録しました。これは前者の「エスキモー」とは違うことばですが、欧米人の耳にとっては発音が きわめて似ていたために混同され、後者の意味がオクスフォード英語大辞典にのって、「エスキモー」は差別語となった経緯があります。 カナダでは「エスキモー」の呼称はご法度です。しかし合衆国では差別的な意味を持たず、アラスカ州の先住民(インディア ン 以外)はイヌピアック・エスキ モー、ユッピク・エスキモーと自他ともに呼んでいます。グリーンランドではなんでもあり、です。 表記や公用語設定の問題 イヌイト諸語は地域によって、南に住むアルゴンキン・インディアン用に作られたアルゴンキン文字、そして音節文字(シラ ビックス)、アルファベッ トでそれぞれ表記されるため、互いに連携できず、言語政策上の困難があります。また、たくさんの地域語があるために、例えば10年前に生まれたヌナブト準 州では、どれを公用語(政治用語)に制定するかが問題になりました。人口の多い地域のことばに落ち着くようですが。 ではなにが共通語か、というと英語です。英語が弱いところでは政治力が弱い。民族語を大事にしつつ、英語もできなければ いけないという状況です。 II イヌイト/ユッピクにとって民族語とはなにか についての言説 A 民族的なアイデンティティーおよび文化継承の拠り所 B 健全な社会の維持 C 文化的価値観や世界観の伝承媒体 D 大地と文化の歴史的な絆の媒体 E 環境に関する知識 III 民族語の継承・維持対策 A カナダのイヌイト語:1970年代以降
農耕(「文明」の語源)がおこなわれていない地域は、西欧の考え方によれば「無主地」です。生物としてのヒトは居ても、 それは「人間」ではない。 新参の人々がそこで農耕を始め、「文明化」されると、先住民はその文化を残すことが極めてむずかしくなるのです。逆に言えば、農耕の出来ないところ、主流 社会が住みたいと思わないところでは文化が残りやすい。 B グリーンランド デンマークは本国に頼らず自立する上手な植民地政策をとり、グリーンランドの伝統を変える圧力をかけずにきました。その
結果― IV 民族語を脅かすもの A カナダ50民族語のうち、イヌイト語(イヌクティトゥト)、アルゴンキン語、
アサバスカン語だけが「健全な」言語で、25言語は絶滅危機言語です。 B メディアの影響は非常に強い。カナダ・クガールク村の実例では7000円程度 で250チャンネルの衛星放送が受信できま す。イヌイト語は週13時間、そのほかは全て(主としてアメリカの)英語チャンネルです。24時間20チャンネルの英語マンガチャンネルを見ることができ ます。こどもはまずこれで英語を覚えてしまいます。第一母語が英語になりつつある。グリーンランドでは衛星放送が見られないので、まだいいかもしれませ ん。 TVによる社会ストレスー即ち、手の届かない理想郷(プールのある家、車でファーストフード店に行くなど)を見せ付けら れる、その不満の解消を酒や麻 薬、暴力に求めるーはきわめて強く、その結果か、家庭内暴力や児童虐待が最近増えています。 C 学校教育について。カナダでは小学校低学年ではイヌイト語と英語・フランス語 で授業しますが、その後は英語・フランス語のみになります。アラスカではほとんど英語です。 D 家庭では、主流社会との交婚では民族語を継承しない傾向があります。 V さまざまなアイデンティティー A カナダでは、言語に代わって、出身地、食生活・生活様式、生業活動、先住民意 識+「血統」にアイデンティティーの根拠を見出す傾 向になってきています。クガールク村のネツリクミュート(アザラシを獲るひとびと)の調査では、海岸にアザラシの死体が放置されているのに驚いたのです が、そのわけは、アザラシを獲るということ、大変な技術を要する「捕獲する」ことが重要なのだとわかりました。レクリエーションとしてもアザラシを獲る、 必ずしも食べる気はないのですが。しかし「アザラシを獲り、それを食べる」いうことが彼らの民族意識上の拠り所ではあります。 B グリーンランドでは南部のひとはカラーッリトと自称しています。デンマーク出
身でも5年住めばカラーッリトとなります。カラーッリト語を話すようになります。 VI アイデンティティーと言語 民族語の継承は大事。 が、しかし、民族語は民族存続の絶対的要因ではない。 特に都市の先住民や、帰国子女のように母語であるはずのことばが話せない人々にとって、民族語がアイデンティティーの拠 り所であるとされるのは問 題です。各民族集団が置かれている状況に即してアイデンティティーの拠り所が異なるのです。民族語が失われている(奪われている)集団は歴史、大地との関 係、伝統継承(ポップ風にアレンジした伝統音楽を演奏するアイヌレブルスがその例です)などが拠り所になります。 イヌイト、カラーッリトのひとびとは、英語・フランス語やデンマーク語ができなければ主流社会と渡り合えません。相手の 土俵に上がらなくてはなら ないのです。それを通して民族の自律性を守っているのです。「国民語」と「民族語」の関係をどう考えていくのか、それは今後の課題です。 以上 |