地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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ことば村・ことばのサロン

2011・5月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「昭和のコトバ―戦前の下町のことばを中心に―」


● 2011年5月21日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田キャンパス西校舎514教室
● 対談:荘司賢太郎先生・堀江正郎ことば村理事


“ことば”は、相対でシャベルときに真価を発揮する。

 “百聞は一見にしかず”というが、相手の顔を見ながら話すことばは生き生きしてくる。
 「話し方」も“間”のとりかたや、“音”の使い方で語感が変化し“ことば”に表情が出てくる。今は、器械を通して話す(携帯電話、e-メ―ルなど)ことが多いので、相手の表情が見えない欠点がある。
⇒今の若者も、携帯メールでも絵文字を多用し、語感や表情を感じる対話になっていると思う。(参加者・学生)

日本語の特質

 百人一首の最高位と評価された和歌に、“ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しずこころなく はなのちるらむ”があるが、“やわらかい音”、は行、な行の音が多く、和やかな気持ちが伝わる。
 また、一文字変わるだけで風情が変わってしまうこともある。以下の二句は「は」と「に」が違い、また、前句は二節目で切り、後句は一節目で切る。すると、意味も風情も違ってくるのが興味深い。
 “闇の夜は 吉原ばかり 月夜かな”(其角)
  <月夜なのに吉原だけは闇夜の時のように明かりをつけている。>
 “闇の夜に 吉原ばかり 月夜かな”
  <闇夜に吉原だけが月夜のように明るい。>

荘司先生(左)、堀江理事(右)

江戸から明治へのことば遊び

 江戸後期には、川柳、狂歌などことば遊びが流行した。狂歌には世相批判をたくみに組み入れたものが多い。
 “世の中に かほどうるさき ものはなし ぶんぶといいて 夜も寝られず”(太田蜀山人)
 明治になって外国語が一気に流入した。明治4年開校の開成校では英語で授業が実施された。英語もどき、ドイツ語もどきの替え歌や遊びことばが生まれた。
 “草津グーテンプラッツ アインマール コメンジー”
  (草津よいとこ一度はおいで)
 “ファーザーマーザー 浅草ゴー アップ12階 蕎麦イート”
  (お父さん お母さんは浅草に行き、12階で蕎麦を食べた)

戦前の昭和のことば

 戦前歌(山田耕作など)には、話ことばのアクセントをうまく取り入れた作詞があり、それに曲をつけているので違和感なく聴ける。最近は、字余りやことば数が多く、聞きにくい感じがする。

昭和から現代のことばへ

 ⇒「宵待草」の歌詞に「待てど暮らせど来ぬひとを 宵待草のやるせなさ」とあるが、こういう感情をあらわすことばが失われてきている。(対談者)
 ⇒こまかい感情を表すことばがなくなり、全部「かわいい」とか「ヤバイ」になると、ことばが表していた感情自体がわからなくなるのではないかと心配。(参加者)
 ⇒このひとなら分かる、と思う相手にはきちんとこまかい感情を表すことばなどを使う。読書が好きで、本から沢山のことばを身に付けた。(参加者・学生)

 西欧的なディベートのように、相手を徹底的にヤッツケルことば(会話)もあるが、「ここは俺があずかる」「ひとつ私に免じて」など人間関係を調整するようなことばが日本語にはある。“王 三駆して 前禽を失う”(相手に逃げ道を一部開けておく)といった、東洋的な知恵が大事なときもある。
 “ことば”は世の流れで変わっていくものであるが、昔からある“よいことば”や“ことばづかい”などは、親から子へ、祖父母から孫へ伝わっていって欲しいものだ。

以上

(文責:事務局)




 今回のサロンには中高年に加えて大学生の若者も参加し、活発に発言して盛り上がった。たしかにことばは世につれ、変わっていく。しかし、学生さんの話を聞いていると、若い人は若い人なりにことばを大切にしていることが伝わってきて、意を強くした。