地球ことば村
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ことば村・ことばのサロン

2013・7月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「話しことばによるコミュニケーション能力の習得」


● 2013年7月6日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田キャンパス研究室棟第一会議室
● 話題提供:原田英一先生(関東学園ヴェルボトナル研究所)


原田英一先生


講演要旨


ヴェルボトナル法について

 関東学園ヴェルボトナル研究所の原田と申します。
 まず、ヴェルボトナル法について少しご説明いたします。クロアチアにSUVAGというセンターがあります。現在では、首都のザグレブ市が所有する施設で、経費は市や国からの補助でまかなわれています。ザグレブ市民からは「学校」と呼ばれています。幼稚園、小学校、中学校までの難聴児と言語障害児の学校であるとともに、聴覚のクリニックと研究所が併設されています。10年ほど前からは、急速に機能がよくなってきている人工内耳の研究なども行われています。聴覚や言語障害に関する一大センターになっているわけです。
 クロアチアは7月1日に、EUに28番目の国として参加したばかりの小さな貧しい国です。九州の約1.5倍、人口が約450万。私が25年くらい前に初めて行ったころは、高速道路も一本しかないような話でした。今もそんなに増えてはいないようです。高速道路を走っても、車の数が日本と全然違っていて、快適なドライブが楽しめるというか、車も人も少なくて、これから経済が伸びていくかどうかという国です。
 そのようなクロアチアのペタール・グベリナ先生という音声学者でフランス語の先生が、パリで活躍された先生ですが、ザグレブで私財を投じて、このセンターをこしらえ、それが今は国の、公のものになったわけです。

 基本的にクロアチアには産業と呼ばれるような産業がないので、人々は外国語を覚えて西ヨーロッパやアメリカに出て行き、そこで働いて収入を得ています。そういうことをしないと生活が成り立たないのです。ただ、クロアチアの人達は、外国に出ていく際、下手な、例えば、フランス語や、不自由な英語の能力のままでは出て行かないようです。そうとう勉強して十分使えるものにしてから出て行きます。ですから、音楽家や科学者、また技術者なども外国に出て行って、稼いで本国に仕送りをしています。低賃金の肉体労働のような仕事を求めて外国に出稼ぎに出るのではなく、もちろんそういう人々もいるでしょうが、高い知的レベルの人達も出て行くのです。ですから、小さい時から、小学校の時から、「私はドイツ語、僕はイタリア語、私はロシア語」と、それぞれが選んで勉強しているようです。もちろん英語も学びますから、大学に行く頃には2か国語3か国語のできる人たちが沢山います。ザグレブで国際シンポジウムが2年に一回開かれ、私も参加しているのですが、英語の力の最下位が私で、ザグレブの人達の英語やフランス語の力を見せつけられて、悔しいやら情けないやら、そんな気持ちを持たされます。そんな状況の国なので、語学教育はすごく盛んなのですね。

 で、このヴェルボトナル法ですが、極端な言い方かもしれませんが、方法は自由なのです。理論だけがありまして、その理論に則っていれば方法は自由です。理論は、最初に聴覚障害や言語障害の子供たちの言語教育理論として出てきたのではなく、健常者向けの外国語教育の理論として出てきたようです。どのように勉強をすれば、ネイティブに負けないくらい、発音も含めて学べるかというところを研究していく過程で、「あぁ、これは難聴児にも使える」、ということが分かってきたようです。

 ヴェルボトナル法では、難聴児に、手話ではなく、「聴いて話す」ことを訓練するわけですが、そこから、健聴でありながら発音が悪いという子どもへの応用、また失語症への応用、さらに、昔からある障害なのでしょうが、最近目立つ、自閉症などの発達障害などを負う子どもたちへのことばの指導、そういう分野へ応用が広がっています。もちろんベースは聴覚障害であり、さらにもう一歩戻れば、外国語教育に戻りつくわけです。


日本でのヴェルボトナル法の研究・応用

 日本では、ヴェルボトナル法の論文集の日本語訳の労をとられたクロード・ロベルジュ先生、カナダ人で上智大学の先生ですが、今から50年前にもなるでしょうか、フランス語の教育のための、フランス語の発音改善のための方法を求めてヨーロッパに行かれて、そのときにザグレブ大学のヴェルボトナル理論を提唱されていたグベリナ先生にお会いになったのですね。それからロベルジュ先生が少しずつ、日本にこのヴェルボトナル理論を紹介されて今に至っています。上智大学の中にも研究指導所があったのですが、いろいろな面でなかなかうまくいかなかったようです。今から15年前に群馬県の館林市と太田市にある、大学と短大と高校を擁している関東学園が、ちょっとしたきっかけからロベルジュ先生のために研究所を作りましょう、ということになりました。ロベルジュ先生は、その館林のヴェルボトナル研究所で、これまでの理論を実践し確かめてみようとお考えになり、私もその時に声をかけられて館林に行きました。

 私は、館林に行く前に、ロベルジュ先生に促がされて、年に一度ほど開催されていたザグレブ市でのヴェルボトナル法の大会に参加していまして、ヴェルボトナル法について少し学んでいました。でも、その当時は、ヴェルボトナルの理論についてよくわかっていなかったですね。難聴の子にことばを聞かせるといっても、聞こえないのではないかと思っていたものですから。ところが難聴にもレベルがあって、本当に聞こえないという人から、かなり聞こえる人まであって、そのレベルによって、ことばを聴き取ったり話せたりする場合があるのですね。さらに、ザグレブの人たちやロベルジュ先生の話を聞いていくうちに、聞こえない人間はいない、ということが分かってきました。音は空気を伝わる振動です。振動としての音は体で感じることができる、というのが医者の説明なのです。


音の聞こえる仕組み

 進化論によれば、人間は水の中から出てきました。魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、ヒト、とそういう経路をたどって進化してきたわけです。人間の耳の機能を調べていくと、明らかに進化をたどっていることがわかります。僕は専門家ではありませんので、本を読んだり話を聞いたりした知識なのですが、魚には耳はないけれど、内耳はあるそうです。魚には皮膚に側線というのがあって、それが外界の、たとえば火山の爆発などの音が水中を伝わってきて、魚はその振動を感じるのだそうです。外界の音だけでなく、敵である自分より大きな魚が動くと水が動き、その動きを側線で感じられるらしいです。その振動が側線から魚の内耳にあたる前庭器官、バランス感覚をつかさどる器官に伝わっていくのだそうです。魚はこのように前庭器官で音を聞き、行動を起こすらしいのです。
 人間には外耳、中耳、内耳とあり、内耳の蝸牛の根元に三半器官があって、三半器官の根元にあたるところ前庭器官というものがあり、それが魚の内耳にあたるようです。人間は、魚にはできていない蝸牛で、音を聞くわけですが、三半規管の根元の前庭器官というところで、バランスを取るところで、ここでも音を聞いているのだそうです。
 パンシーニ先生というザグレブ大学の医者がいるのですが、その先生は、人間は蝸牛に損傷を受けていても、前庭器官にあたるところで1000ヘルツ以下の低い音ならキャッチすることができると説明します。その感覚機能が残されていれば、その子は音が聞こえるのだ、と。実際にザグレブで難聴児に音声言語を指導していくときに、前庭器官に損傷の無い子はリハビリをするととてもよく音を聞き、理解し、しゃべるそうです。難聴の子の大部分は蝸牛の中の有毛細胞に損傷があるらしいです。しかし不幸中の幸いというか、前庭器官にも有毛細胞があって、音を感じることができるらしいのです。要するに、前庭器官が損傷を受けていなければ、1000ヘルツ以下の音で訓練することで音を聞くことができるというわけです。

 1000ヘルツ以下でどのくらい音が分かるかというと、私たち音が聞こえるものにとっては、ほとんど理解できます。問題なく分かります。ただ、難聴の子の場合は、もう少し音圧をあげてあげないと聞き取れないというところがあるようですが。私たちが周波数をカットする機械で音声にフィルターをかけて、0から1000ヘルツのところだけを聞く場合ほどには理解できないようです。ただ、小さいときに訓練をしていくと、ことばを理解できるというのです。耳がことばを聞くのではなくて、脳が聞くという説明なのですね。ですから脳を鍛えていくとことばを理解することができる、と、そういう説明なのです。1000ヘルツ以下の音の変化で、これは机だ、これは鉛筆だ、と理解していけるのです。

 難聴の子の場合、なぜ話せないのか。図を見て頂きたいのですが、左下に「蝸牛」とありますね。内耳の部分です。ここに入った音が「らせん神経」「蝸牛神経」を通って神経の集まりである「上オリーブ核」に来ます。蝸牛に十分な音が入っているとそれが上オリーブ核を刺激します。上オリーブ核が健全なら、音の信号は上に上がって「下丘」を刺激する。下丘が健全であれば、信号はさらに上へ登って行って「内側膝状体」へ。これは視床の部分にあたるところなのですが、そこの神経核を刺激する。その神経核が健全であれば、右上に書いてある「ヘシュル横回」、これは一次聴覚野というところですが、そこに届きます。

 今度は上の脳の図を見て頂きますが、「一次聴覚野」が健全であれば、「聴覚連合野」や「ウェルニッケ野」、これは医者の名前ですが、に行くのだそうです。そのウェルニッケ野から「異種感覚連合野」などを通って「弓状束」を進んで、「ブローカ野」に刺激が入るのだそうです。このブローカ野が健全であれば、そこから口を動かす部分に信号が伝わる。そういうふうに、耳から入った音の信号がいろいろな神経を刺激していき、最終的には話をするブローカ野、これはことばを企画する部分らしいのですが、そこに行くようです。そこで信号が調音とか構音とかいった機能を果たす発音器官、舌などですね、それらを動かすように刺激していく。したがって、簡単に言うと、聴覚から刺激が入らなければ、口を動かす刺激がきわめて少なくなり、話しをすることが困難になる、ということらしいです。


小さい時からの訓練が肝要

 ですから、難聴の場合、小さい時に補聴器や人工内耳などの機器を通じて、とにかく音の信号を脳に伝えて、ブローカ野まで送らないと、将来的にしゃべることがままならない、ということのようなのです。これは聴覚伝導路というのですが、これを健全に保っておくためには、ひとつ条件があるようで、京都大学の先生などが強く言っていることですが、難聴の子に音声言語を教える場合、手話は控えたほうがいいようです。なぜかというと、難聴の幼児が相手の手話を見ると、それを読むようになる。読んでいるうちに、聴覚野が聴覚刺激に反応しなくなって、視覚刺激に反応するようになってしまうそうです。子どもの脳はしなやかなので、聴覚野が視覚に反応する働きを帯びてしまう。そうなると、聞いて話す、ということが難しくなる、ということです。

 問題は口から声が出てこないだけでなく、脳の中でものを考えるとき、私たちは考えを音で想起していることが多い、それが難しくなるというのです。もちろん手話に堪能であれば、手話を通じて、ことばの記憶もある程度は可能になるでしょうが、その段階では、音声を聞き、音声で理解して、音声を記憶し、その音声を脳内で何度も想起するということが、難しくなってしまうということなのです。


「音を聞く」ことと「記憶する」ことの関係~手話の持つ問題点

 これはあまり言われていないことなのですが、難聴児の場合、幼いうちから手話を使うことが最近の流れですが、小さい時から手話をやる。そうするとことばを記憶することが大変難しくなる。たとえば算数で、「3+5は?」ときかれた場合、補聴器などをしていると一応、音は多少聞こえていますので、聞こえた音にしたがって計算しようとします。ところが、手話に頼っている子の場合、「3+5」の質問の音が、途中で頭の中から消えてしまうのです。そうすると暗算の仕様がないですね。なので、先生に、「問題はなんだったっけ?」ともう一度確かめることになります。これが算数なら成績の低下程度ですむのですが、生活の中で、たとえば明日はプールだから、タオルと水着を持ってくるように、と先生が指示したとき、その時は「ウン、タオルと水着」、と思うけど、5分、10分したあたりから、「なんだったっけ?」となってしまいかねないのです。先生からは「なぜちゃんと聞いていないの」と叱られ、親が注意を受けたりするケースがでてきてしまいます。ところが本当は、聞いていないのではなくて、難聴の子の頭の中で音が消えてしまうのですね。音声を音声のみで記憶することはなかなか難しいのです。実際には、100%手話だけとか、100%音だけ聞いて相手の口の動きも見ない、ということはあまりなくて、手話を見ながらちょっと音も聞く、ちょっと相手の口も見る、ということが多いのですが、音声言語である「話しことば」をある程度習得したあと、読んだり書いたりの勉強もして、社会に出ていく難聴の子どもの場合、高校あたりで手話を覚えたりします。難聴同士のコミュニケーションのためにとかですね。そういう場合に、日本語をきちんとマスターしている子は瞬く間に手話を覚えます。ところが、手話だけでやってきた子は、その手話があやしいのですね。ですから、スクールサインと言われて学校が違うと通じないとかいうことが起きてくるほどです。

 手話には、日本手話、日本語対応手話、中間手話、家族の手話、まぁ、ばらばらといってもいいくらいなのです。日本語対応手話は、テレビなどでなされているものですが、聾学校などでも採用され、それを学んでいくわけです。なにせ日本語対応なので、受身形もあれば使役形もある、助詞もある。そうなると話しことばをマスターしていない子はそれを使えないのです。しょうがないので、日本手話という簡単なもの、自分たちの仲間だけに通じるものになっていくのです。日本語の音声を聞き、読み書きを勉強してこなかった子が、なぜ文法がだめなのか、それはまったく不思議なことに思われます。実際、テニヲハがめちゃくちゃな子もいるのです。もちろん個人差があります。本を読んでも文字を音声に変えられないと、どうも記憶をするのが難しいようなのです。私たちが英語やフランス語を学ぶ時も、習い始めた頃から、英語やフランス語を音にして理解し、記憶していく。たとえば英字新聞を読んでいるときも、文字を頭の中で音に変えて、その音を自分で聞いて理解する。そのような練習をしないものだから、どうしても聞き取り理解が貧しいことになってしまいます。これは私自身の反省でもありますし、現状でもありますが。年を取ってきて、横文字の本を見るととても目がくたびれます。それは、文章をできるだけ音にしようとするものの、多くは文字を目で追っているだけになっているらしいのです。母国語である日本語の場合、黙読の際、確かに目で追っているのだけれど、やはり音を頭の中でこしらえているのですね。ですから、目の疲労度が違うのではないでしょうか。
 これを難聴の子にあてはめていくと、聞き取りができない、しゃべることができない、そこで、コミュニケーションは手話で。日本語の勉強は「読んで書いて」ができればいい。といっても、読んでも書いても、それが頭の中で音になっていかない。ですから文章を記憶するのが困難なのです。そうすると、どうしてもテニヲハがおかしくなって、「僕が ラーメンで お箸を 食べる」というような文章になってしまう。なぜそんな文を作るのか、聾学校の6年生の男の子に訊いたことがあります。すると、「わからないんだ。動くものには「が」なんじゃないか」、と言うのです。人間とか動物とか、それは「が」で、でも「を」や「で」などについては使い方がわからない、だからいい加減にやっている、というようなことでした。私たちは、「僕 ラーメン 食べる」と助詞を抜いて言っても分かります。簡単な日本手話でも「ボク ラーメン タベル」で分かります。ですから、ここに「を」を入れるのか「で」を入れるのか「に」を入れるのか、を追及して勉強することがあまりないのですね。聾学校の中等部、高等部の卒業の作文には先生が手を入れますから、作文が外に出た時にはきれいになっています。実際には、気の毒なことなのですが、おかしな文章が随所にあるのです。


ことばを「音で覚える」ことが必要

 音でことばを覚えられないことの大変さ。その後の社会生活で、そのような重荷をずっと背負って生きていく大変さ。今はそんなことはないですが、昔は、難聴の子イコール知的遅れと思われることが多かったようです。確かに、知識が足りないと知的遅れのような形になってしまうのですが、それは知的遅れではなくて、あくまでも知識の遅れなのですね。知識が身につかないわけですから。そのような場合、文法の知識のようなものでなくても、たとえば簡単なこと、ドラえもんにでてくるキャラクターの名前とか、だれでも知っているようなことを、難聴の子は分からなったり、知らなかったりする。で、「こんなこともわかっていない」ということになってしまう。しかし、それは、繰り返しますが、知能的なものではなく、知識の問題です。難聴の子といますと、「あぁ、きこえないと分からないのだ・・・」ということをつくづく感じさせられます。

 群馬県の聾学校のお母さんたちは、一所懸命子どもたちに話しことばを教えるということをしています。たまたま私の勤める研究所のある群馬県には前橋市に聾学校があるのですが、全国に100校ほどある聾学校のうち、唯一と言ってもよいほど、幼稚部や小学部で手話を使わないのです。幼い頃から聞いてしゃべるということを徹底的にやります。ただ学校側としては、ひとつ困ることがあって、それは幼稚部を卒業するときに結構聞いてしゃべれるので、普通の小学校に出ていくのですね。そうすると聾学校の小学部、中学部はすごく生徒が減ってしまって、校長先生にとっては困った問題になります。それで、時々妙な圧力がかかって、教育委員会から、聞いてしゃべれるようになった子に、聾学校にいくようにという「指導」が行われます。そうすると、お母さんたちは徹底抗戦をして、お子さんを普通の小学校へ入れる、ということなんです。たしかに聾学校のシステムを守るためには生徒がいなければ成り立ちませんし、また、聾学校はけっこう手厚い予算がついていて、また立派な寮がついていたりもします。聾学校には立派な寮がありながら、生徒がいないということになってしまうと、校長先生の顔が立たないので、強引に生徒を集めてきて寮に入ってもらって、ということをやったりもするのです。残念ながらそういう現状があります。
 ただ、そういう現状になる背景があります。あまり知られていないことですが、聾学校の校長は普通小学校の校長を勤め、定年退職まであと2年、3年という時期に、聾学校の校長に着くのです。どの聾学校も、ほとんど見事にそうなっているのですね。ですから、そういう校長先生は、残念ながら聾のこと、難聴のことをあまりご存じないまま校長先生になりますから、7、8年居る一般の先生の言うことを聞かざるを得ないのです。下の先生たちは自分たちの職域を守るということで、来年子どもが集まらないと、教育現場からはずされて、教育委員会にでも回されるとか、危機感を持って、なにがなんでも校長先生以下生徒集めに走るようなことになったりするのです。なお、最近は、聾学校と呼ばれなくて、特別支援学校とか、聴覚特別支援学校とか呼ばれるようになっています。
 文科省の計画では、知的障害・視覚障害・聴覚障害をぜんぶあわせて特殊教育の現場でやっていく、となっているらしいのですが、群馬では特殊学級の先生たちの反発もあって、相変わらず前橋の聾学校には、名前は聴覚特別支援学校と変わりましたが、聴覚障害以外の生徒は入っていないのです。聴覚障害に加えて他の障害をもった重複障害の生徒はいますが。知的障害や視覚障害の子は教育方法が別で、現場の先生たちの話を聞くと、一人の先生が聴覚障害児も視覚障害児も両方指導するのは無理だというのですね。聴覚の勉強を専門にしてきて、視覚のことを知らない先生が、どうやって視覚障害のお子さんの相手をするのか。それはできないというのですね。ところが、予算面のことがあるのかどうか、ともかく障害児はひとつのところにまとめてしまえというのが本音のようなのです。その際、聴覚障害児に対する指導では、ともかく聞いて話すということを全然考えていないのです。手話で生活していればいい、というような教育放棄のような状況が作り出されてしまう恐れがあります。現場の先生たちは、私以上に危機感を持っていて、教育放棄のようなことはいけないと。難聴であっても、勉強をきちんとさせれば、知的に高い子などは相当学習が進むようになります。そういう子までひっくるめて、形ばかりの支援教育をするというのはちょっと乱暴です。国の方針は現場の抵抗にあって、なかなか進んでいないというのが現状のようです。


「抱っこして話しかける」ことの重要性

 話しをもどします。私たちはみんな生まれてきた時は言葉を知らず、聞いて覚えていくわけですが、ここで重要なのは、「抱っこ」なんだそうです。お医者さんの話ですと、抱っこして子どもに話しかけていくのはとても重要なことで、お母さんの話しかける音声の振動が胸を伝わり、赤ちゃんの皮膚に伝わっていくのですね。それで、日本人の子どもは日本語のリズムを覚えていく。アメリカ人の子どもは抱かれながら英語の流れ、リズム、イントネーション、を皮膚から覚えているということなんだそうです。皮膚は耳、耳は皮膚なんだそうです。皮膚などの体性感覚は聴覚と兄弟間系にあるというより、体性感覚の中に聴覚が入るのだそうです。これも進化の影響なのでしょうが、お母さんが赤ちゃんを抱っこして話しかける、すると赤ちゃんの皮膚から入った日本語の音声の振動が、体性感覚経路を通って赤ちゃんの脳の聴覚野に入るのだそうです。ですから、難聴の子も、お母さんに抱っこされて日本語の音声を感じるということが、ものすごく重要といわれています。

 ヴェルボトナル法では、小さなバイブレーターを難聴の生徒さんたちに持ってもらいます。それで音の信号をビリビリと感じてもらって、音を聞き分け、理解してもらうのです。目の悪い人は点字で文章を読みますが、あれも体性感覚の触感覚で、視覚野を刺激するようになっているそうです。指でスーッとさわったことがそのまま脳の中で音のようになっていくらしいのです。これを聴覚障害に置き換えると、音声の振動を感じていくだけで、その信号が聴覚野に入る。つまり耳から聞いた音を補助することになるわけです。難聴の場合、耳から入る音の刺激が少ない。それを皮膚から感じる音の振動を使って補っていく。ただ皮膚から入る音声振動は1,000ヘルツ以下らしいのです。ですから、低い音の振動だったならば、脳に伝わっていくということです。従って、難聴児の言葉の学習では、1000ヘルツ以下の低い音域でことばを聞いて理解するという技術を小さいうちに身につけないとならないのだそうです。5歳、6歳でやらないと、それはダメなのだそうです。したがって早期教育がものすごく大切になってくるのですね。
 それとともに、赤ちゃんを抱っこして話しかけるときに、「喉かわいたねぇ。飲もうか?」とか言って、お母さんは自分で質問して自分で答えるわけですね、赤ちゃんはことばの意味などわかっていないのですが。なかには、赤ちゃんは分かっていないのだから話しかけても無駄だ、と考える人もいるでしょう。ウォークマンが発売された時に、おむつをかえるにもしゃべりかけないでするお母さんが多くなってきて、それでことばがなかなか発達しない子どもが出てきた、というようなことを聞いています。子どもさんをテレビの前においておけばことばが覚えられるかというと、なかなかそれはうまくいかないのです。ことばを聞いて覚えているのでしょうが、上手に使えないみたいです。私の経験で、もうまもなく小学校へ入るという年齢のお嬢ちゃんがいました。弟さんが、心臓が悪くて、お父さんもお母さんも弟にかかりきりで、しょっちゅう病院に泊まり込みでいたみたいです。お姉ちゃんはテレビの前に座らせておいて、テレビから流れることばを聞いていればいい、と。ところがそのお嬢ちゃんが小学校に入るころになって、なかなかことばが使えないということが分かってきました。挨拶はとても上手で、「おはよう」というと大きな声で「おはようございます!」とか、「さようなら」とか、自信をもって言っている、けれども、こまかいことになると、使えることばと使えないことばが偏ってくるのですね。私がふざけてヘビの絵を見せて「ヘビだーいすき!」とやったのですね、普通は「きらい!」と返ってくるわけですが、「ヘビだーいすき」と返ってくる。それで「えぇっ?」と思って、「ヘビだいきらい」というと、復唱しないのです。どうも発音したことのないことばは復唱し難いようなのですね。「脳が聞き,脳がしゃべる」とよく言われますが、しゃべったことがないことばは、口から出難いようです。身体を通じて脳がしっかり覚えない限り、脳から指令で出難い、口からことばが出難いということらしいのです。

 どうやって脳はことばを覚えるのか、それは、普通は、耳から音が入って覚えるのだけれど、難聴の子はその音の情報が少ないので、いっぱい抱っこして皮膚の振動を通して脳が覚える必要があるらしいのです。


自問自答は自分とのコミュニケーション

 普段、私たちは、「行こうかな」、「どうしようかな」、などと独り言を言いますが、難聴の子は独り言がなかなか言えないのです。要するに、人とのコミュニケーションが成り立つ前に、自分とのコミュニケーションがなかなかはかれないのです。自問自答するということがとても難しく、声を出すことが苦手な子は声を出さないので、私たちには気づき難いということもあるのですが。ことばは他人とのコミュニケーション以前に、自分のためでもあるので、まず自分に言い聞かせる、脳の中で自分に問いかけて自分で答える、自分の声を脳内で聞く、ということが技術的にできないと、考えるということがものすごく大変なことになるのは想像に難くないですね。
 難聴の子は、自分の脳に音と意味、そして発音の仕方などを教え込まなくてはいけないわけです。小さい時に、我々が外国語を覚えるようにたくさん発音させてあげることが必要になってきます。幸い、人間は体性感覚経路でも音を聞くらしいので、自分の声帯の振動を捉え、記憶していき、その記憶に基づいてしゃべっていけばしゃべれるのです。私たちが聞いている音とは多少違う声帯からの振動音なのですけれど、自分なりに音を聞いてそれを再現することができるわけです。
 聴き取りと発音のサイクルについて少しお話します。私たちはAという音を聞くとAの音が脳に行く、自分でAという音を口から出す、それがまた自分の耳から入るので、確かにAと発音したと確認できる。難聴の子の場合は、Aという音が入ってくると、蝸牛などに損傷があるため、A’くらいの音になってしまう。A’の音が脳に行く、A’の音を聞くには、口からAの音を出す。その子がA’だと確認できる音は、周りの者にはAと聞こえる音でなくてはなりません。発音練習などでは、だんだんに先生の話す音声と、自分の発音する音声をマッチさせていくのですね、そうするとだんだん合ってくるのです。少し時間がかかりますが、それを5歳、6歳までにやって仕上げていくわけです。とても大変なことなのですが、知能的には問題の無い子が多いので、モノを考えるとき、たとえばトウモロコシの絵を見たときに、あ、トウモロコシだ、と思う。そのときに、その子はしゃべる訓練を受けているから、舌が微妙に動くのです。また、カードを裏返してカタカナでトウモロコシと書いてある、それをトウモロコシと読む、そのときに音を頭の中で出せるから、舌がかなり正しく動く。人間は黙読をしていても舌が動くのだそうです。舌の動きを完全に止めてしまうと、黙読は大変難しいと聞いています。ことばを覚えるときに、舌の運動がものすごく重要になってくる。考えるときも身体ありきで、末梢の運動を起こさせて、それを脳に覚えさせて、脳に再現させる、脳が覚えこむと口に指令を出してくれるので、我々はどんどん話ができる。

 また、私たちは文字を書きながら考えます。書いた後で読み直すと、「あぁ、自分はこんなことを考えていたのか」と思うことがあります。目を使って文章が正しくなるように、深くなるようにしているわけですから、書くのは手じゃなくて目じゃないかと思いもするのですが、手を動かして考えている。目で見た文章を読むときは、黙読でも舌が動きます。そうなると結局運動ができないと、思考ができないということになっていくようです。したがって身体が十分に動かない場合、ことばを覚えるということにちょっと支障をきたすことになります。
 栃木県には「指文字」というのがあります。「同時法」といったコミュニケーション法に組み入れられていて、全国的に有名なのですが、手話に無いことばを一音ごとに指で作りだせるのです。「リ ン ゴ」 とか「カ エ ル」 とか一音ずつ作ります。指の運動を使ってもことばは覚えられるのではないか、と思えるのですが、指文字を使いだした子たちに、たとえば リンゴをみせて、「これなぁに?」、と訊くと、「ゴンリ」とか、「ンゴリ」とか迷って、「リンゴ」がなかなか出てこないことがあるのです。音の順序が分からないのです。音声では「カエル」の音韻は3つですが、音声には渡りがあるからカとエの間、エとルの間に「わたり」がついてきます。指文字にも、指の動きに「わたり」のような動きはあるのかもしれませんけれど、話しことばほどの強烈さはないのかもしれない。よく分からないのですが。ただ、現象だけを見ると、指で一音一音やっていく、それは聞いてしゃべれる能力がついていれば正確にできるかもしれないが、指文字だけで学習しようとすると、音声で学ぶ以上に、音韻の順番を覚えることに困難が伴うように思われます。


物質と精神と言葉

 なぜ私たちは、聞いて話すことで「話しことば」を覚えて行けるのか。不思議と言えば不思議です。音声言語は精神とすごいかかわりがあるのでしょう。たしかに書かれた文章には内容が深いものがありますが、文字が生まれる前に話しことばがあったわけで、なぜ人間は話しことばを使いだしたのか、進化のもっと前をたどっていけば、ビッグバンがあって、水素、ヘリウムあたりができた。星が生まれて、その星に寿命が来て爆発し、鉄の成分ができて、といった流れです。そういう過程を経ているので、鉄の成分が人間の血液の中にも入っている。で、死んだら炭素になって土に還っていく。要するに、人間は、元素とか分子とか、物質でできているわけですね。物質がうまく寄せ集まって、ことばをしゃべり、精神が生み出されていく。私たちは頭の中で、ことばで考えているのですが、その素材は全部、物質なわけです。物質である頭が、脳が精神を生み出していく。愛や怒りを生み出していく。どうしてこうなっているのだろう、と不思議でなりません。
 また、人間は死ぬ間際に、脳内で急に活性化する神経があるのだそうです。生物が衰えて最期を遂げるときに活性化する神経がある、などということは、普通ではないというか、ちょっと考えられないことのように思われるのですが。死ぬ時に、それまで潜んでいた神経が、ふぅっと働き出し、死んでいくにあたっての準備をする、そういうことであるようです。これは、ジョン・エックルスというオーストラリアの、ノーベル賞を取った脳神経外科の学者の言っていることなのです。この脳神経の専門家の話を簡単にまとめると、生命体は宇宙ができるということがなければそもそも存在しないわけですから、宇宙ができる前に、物質ができる前に、精神みたいなものがあって、そこから物質が生まれてきた。だから物質が組織的に集まると精神を生み出すのだ、というような話なのです。読んでいて何か妙だなぁとは思いますが、確かに物質が集まって、ことばをしゃべるヒトが生まれてきたことは確かです。
 そのようなヒトの中に、遺伝子のゆらぎというか、問題かなにかで、時々障害を持って生まれてくる子がいます。遺伝子の複製では、どうしても間違いが生じるということで、何人かにひとりは正常ではない命が、地上に生まれてくるということになるのです。遺伝子そのものではなく、最近出てきたのはエピジェネティクスという用語で、遺伝子を修飾する周辺のものの機能がちょっとおかしい。なにがどうなっているのかはまだ詳しくは分からないけれども、正常でない子が生まれてくる。医療技術の発達で、昔は死産になったような場合でも、生まれてくることができるようになりました。自閉症のような傾向の子は、昔からいたのでしょうが、今は数がとても多くなっているような印象をうけます。その原因はわかりません。環境的になにか悪い物質が在るのじゃないか、などと言われもしますが、それもよくわかりません。


会場のようす


自閉症の子のことばの問題

 自閉傾向のある子どもは、本当にそれぞれの症状がさまざまです。ですから広い意味で自閉的なお子さんと考えたほうがいいのでしょうが、そういう子どもさんの中に、動き回って勉強どころではない、ものを覚えるどころではない、そういうお子さんが結構います。
 ことばの問題でいうと、この子には発話しようという意欲があるのかと思われるような、意欲の問題。また、声を発しなかったり、あるいは叫ぶだけだったりの、発話行為の問題。意味のない、表記の仕様のないような声ばかり出すということもあります。また「食べた?」と訊くと「食べた?」、と反響的に返してくるエコラリヤと言われる、オウム返しの症状を呈する子もいます。また、構音失行と思われるような、ことばを聞いて理解できているけれどもしゃべれない子。しゃべれないうえに行動もちょっとおかしいので、病院では、もうことばの勉強は無理です、と宣言されてしまう子。その症状はさまざまです。
 養護学校でも、文字は読めないだろうからと、絵本などを見せているだけ。あるいは生活の基本を教えるのに重点を置く、そういうケースが多いのです。しかし、多くの場合、ことばはだいたい理解しているのです、脳の中では。内言語といいますが、ことばは覚えているようなのですが、あまりにしゃべらないので、ことばを理解しているらしいということを、指導する側の人間が忘れてしまうというか、見落としてしまうのですね。そうすると教育になりません。
 あと、音韻把持、記憶ですね。エンピツのエが違う音になったり、食べた、と言ってほしいときに、食べて、になったり、ひとつひとつの音が違ってくることがあります。構音が不得手であるのに、記憶が悪い、覚えが悪いと思われてしまうことも多いようです。
 昔、自閉症の子にことばの指導ができないか、と頼まれてかかわったことがあります。しかし、その時、手も足も出ない、どうにもならなかったのです。これはむずかしい、と20年前にあきらめたことがありました。
 関東学園のヴェルボトナル研究所に15年前に勤め始めた時、所長のロベルジュ先生は、いろいろなことばの障害を持った子を相手にしようというお考えでしたが、私は、そのお気持ちは分かるけれど、無理だから難聴の子に絞ろう、とそういう気持ちをちょっと持っていたのです。
 今から6、7年前に、東京のあるお母さんから、自閉症の息子さんを、ちょっと見てもらいたいと電話がありました。私にはそんな力は無いと何度もお断りしたのですが、電話では断りきれず、では一度会って、ということでお会いしたのです。お父さんとお母さんと、当時21歳のその青年がいっしょに研究所に来たのです。4人でテーブルを囲む形でしたが、その青年はちょっと身体を動かしていて、そのしぐさはまぁ、少し普通ではない、というか。私は、自閉症には慣れていましたから、驚きはしませんでしたが、全然声を出さないものですから、「あぁ、大変なんだなぁ」と・・・。それに、私たち3人が話しているのを理解してはいない様子でしたから、「ことばは理解していないのだろなぁ」、と。でもそのお父さんとお母さんは、なんとかしてことばをわかってほしい、話せるようになってほしい、と言う様子でした。10歳の時に言えたのはペチャとブー。ペチャが水で、ブーが車。そのふたつだけで、ほかは家の近所を走り回ってベルを鳴らしたとか、大変だったらしいです。17歳くらいになって、やっと椅子にすわるようになったそうです。
 最初の時は、ご両親は、あまり深くはお話してくださらず、ただ、ことば、発音がもっとできるようにしてもらえないかということだったのですが、まぁ、私の手にはおえないし、お断りしようと思っていましたら、最後にお母さんがカバンの中から道具を出して、その青年の前に置くのです。簡単なワープロみたいな道具です。キーを押すとひらがなが出てくるのです。「○○君、どうする?」と訊きながら、お母さんがその子の前にその機械を置いて、手を支えてあげると、その青年は、「ぼくは、はらだせんせいにならいたいです」と書くのです。私は、びっくりしてしまって、しゃべれないけど、頭の中には言語がちゃんと出来上がっていて、文章は全然間違っていないのです。私は、元来おっちょこちょいのところもあるので、それを見た瞬間、「あ、やってみましょうか」、と言ってしまったのです。言ってしまったのはいいのですが、それから月に2回ほどいらっしゃるということになって、「さて、なにからやろうかな」ということになって、しかし、全然思い浮かばなくて、困りました。

 音が聞こえているわけだから、音声振動をバイブレーターから感じ取るという手法は、効かないのです。音が聞こえている人には、バイブレーターを指先で持ってもらっても、その音声振動が指先から聴覚野には入らないのだそうです。だから振動は使えない。これはどうしたものかと思いながら、ともかく絵カードとか始めたのですね。青年は声をだそうとすると、ツバがいっぱいたまるのです。口がうまく動かなくて。でもやっていくうちに、少しずつ少しずつ、声らしいものが出てくるようになりました。ヴェルボトナル法を日本に紹介されたロベルジュ先生に言われていたのは、音声を覚えるには勉強する順番があるということでした。普通の子は、「ぱぴぷぺぽ、ばびぶべぼ、まみむめも」、という両唇音から発音し始めますから、障害のある子もそこからやるといい、と。その話を聞いていたものですから、その青年にも、口を閉じて開いて、ぱ行、ば行、ま行を何度も何度も練習していったのです。そのようにしましたら、それらが、なんとか発音できるようになってきたのです。その後、「さしすせそ」は、少し難しいのでちょっと後に廻してなどと、いろいろ順序を考え、練習を組み立てて行きました。まさに試行錯誤ではあったのですが、青年のほうも真剣だったのですね、だんだん声が出るようになってきましたし、実際、ことばが言えるようになってきたのです。「おはようございます」、なんて言えるようになってきました。「ありがとうございました」、とか、「もういい」、とか。
 おうちでは外へ出ていく場所が無いのだそうです。引き受けてくださるところがないのです。お父さん、お母さん、おばあちゃん、の4人で生活していらっしゃるので、耳にするのは大人の会話なんですね。で、あるとき、息子さんに、「ごはん、お代わりは?」ってきいたら、「もう十分いただきました、結構です」って。そのように言えるようになったのですが、どうもお父さんがそういう丁寧な言葉を使うらしいのですね。
 それからしばらくして、絵カードを見せて単語の発音練習を始めました。難聴の子の場合、絵カードを見せて物の名前を言わせて、発音の練習をさせて、覚えさせて、というやり方ではダメなんですね、あまり効果が期待できないのです。ところが、この青年の場合は、単語を言わせると、発音には問題があるものの、どんどん身についていく、進んでいくのですね。単語を教える必要がないのです、一回言えばもう覚えているような感じでした。電池だの、外灯だの、コンパスだの、単語をきちんと記憶しているのです。それがあいまいになっているという印象がなかったのです。そこで、これは、絵を音で記憶できるのならば、平仮名も読めるのではないかと思って、簡単な文章を書いて示してみたら、残念ながら、読めないのです。「さいた さいた さくらが さいた」というのを示して、読んでごらん、と言っても、最初の音が出てこないのです。


最初の一音を言ってあげる

 そうこうするうちに、私が「さ」と言うと、「さいた」と言えるようになってきたのです。最初の一音を言ってあげると、後はすーっと出るのです。「あれ?これは文章を暗記、記憶しちゃったからなのかな・・・」、と思って、新しいものを書いて、最初の音を言うと、後はさーっと言うのです。それで、お父さんとお母さんに、「彼は文字が読めるんじゃないですか」と訊きましたら、「私たちもそう思っています」、とおっしゃるのですね。病院でそのようなことを言うと、そんなバカなと、信用してもらえないので、だれにも言わなかったとのことでした。だから、私との最初の面接のときも、そういう力があるとは一言もおっしゃらなかったのです。声が出ないから、その力を証明できなかったのです。
 それを聞いた後、ひらがな、カタカナ、簡単な漢字を混ぜたカードを作って練習しました。最初の音だけちょっと言うと、後はスーッと出てくるのです。でも、言いにくい音はあるらしいのです。で、おうちで練習していた時、はじめて、「脱却する」、ということばが言えたらしいのです。で、お母さんに、「僕 初めて 脱却する が 言えました」と話したらしいのです。その話を聞いてからは、難しい漢字もわかるのだ、と思って、画数の多い漢字、平仮名、カタカナを、いろいろ混ぜたものを、練習の時、読んでもらっています。最初の音を出すと後はスーッといく、これは何なのかなぁと思いながら。それと、ワープロのような器具のキーを押す時も誰かに手を持ってもらわないとダメなんです。ちょっと触ってもらうだけでいいのです。ちょっとした刺激があるとピタッと何かが働くのですね。運動に関わるなにかが。ピタッと働くのですね、とにかく。なぜかは、分からないのですが。

 熱性けいれんといって39度、40度の熱が出ると身体がけいれんする病気があるのですが、私がみていた発音に問題を抱えていた子、5歳くらいの坊やでしたが、病院の言語聴覚士の先生からは、「ひょっとすると知能に問題があるのかもしれません」という話がありましたが、その坊やは見ていてそんな感じが全然しないのです。だけど発音が「オオオエンエイオアオンア」みたいな、そういうのばっかりなんです。で、坊やの言うのを一度書いてみたのですね。ローマ字で。そうしたら、あいうえお ばっかりなんですね。子音が何もないのです。あれぇ!と思って、「オオオエンエイオアオンア」について、お母さんに訊いたら「ようこせんせいとあそんだ」と言っていると。幼稚園の先生と遊んだのですね。子音が全部落ちているけれどお母さんはそれが分かる。で、そのような坊やが、熱性けいれんで身体がけいれんすると、ピタッと話をするのだそうです。子音がきれいに出てくるのだそうです。


身体がきちんとしていると口も動く

 この自閉症の青年も、ちょっとさわっただけでピタッと運動が出てくるのです。それが何だかよく分からない。ちょっとした刺激があると、力が余計なところに分散しないのか、きちんと出てくる。要するに、支え、助けるという意味ではなく、ちょっとした刺激という意味での支えがあると出てくる。神経が動くには神経の成熟ということがあって、髄鞘化というのですが、学ぶことなどでも神経が成長して、ものすごい速度で信号が伝わるようになるらしいのです。正常なお子さんたちは、生まれた時に髄鞘化されているはずのところはちゃんと髄鞘化されていて、そうではないところは動いているうちにどんどん髄鞘化が進んで神経が育って、口もうまく動く、手もうまく動くということになるらしいのですが、自閉の子とか、ことばのうまくできない子は身体が傾いていたりして、なんか変なのですね。スムーズに動かない。二足歩行になって、人間は手を使うようになった、しゃべるようになった、と考えると、やっぱり身体がきちんとしていないと、口もきちんと動かないようなんです。ですから、難聴の子の場合もそうなんですが、しゃべった経験がないから口がうまく動かない、それは脳が口を動かさないから。じゃぁ、脳を鍛えよう、ということで、末梢を刺激して中枢を鍛えようと、指を折って数を数えるような練習などをするのです。耳が聞こえていても発音の未熟な子とかは、これができないのです。簡単な運動ができないのです。手の微細な運動ができないということは、脳では口を動かす部位と手を動かす部位が近接して在るらしく、従って口も動かない。

 指を動かすということと口を動かすということは同じ。つまり、運動の機能が低い、未熟なのでしゃべれないだけなのですね。脳はしゃべる潜在能力は持っている、しかし、末梢の部分が動かないので、脳を育てることができない。脳が育たないから、脳からすぐに指令が出るようにならない、ということで、小さいとき、脳の可塑性が高いときに脳を育てないといけないのです。幼い時に発音運動など基本的なことができていないと、大きくなってから口を動かして何かする、ということがものすごく大変なことになってしまう。ですから21歳の青年は、口を動かすのに大変苦労しているのですね。口唇が動かないわけではない、舌も動かないわけではない。ご飯や水を食べたり飲んだりできるのですから。そういうことではないのですね。小さいときに訓練して脳を育てておかなかったから、大きくなって急にはできない。二十歳を過ぎて、一所懸命自分を鍛えるということが、必要になってきたのです。

 自己受容感覚、自分の運動を自分で感じる感覚ですが、これは、私たちがことばを覚えていくうえでとても必要な感覚です。口の動かし方とか身体の動かし方とか、運動の感覚を育てることで、自分を運動をコントロールできるようになるのだそうです。自閉の青年は自分で自分を訓練する、自分で自分の身体をコントロールする、それを現在やっているのです。その青年は、お父さんとお母さんが話してくれたのですが、作曲ができるというのです。もういくつか曲を作ったそうですが、ピアノを弾いてくれる方とコミュニケーションしたい、それで彼は話しことばを覚えたいのだそうです。コミュニケーションの能力を上げることを目指したい、と。それをした後に、もう一度作曲に戻りたい。ですから夢が先にあるのですね。その話を聞いたのもつい最近です。
 ビデオ録画を見てください。カメラが回っていると緊張してあまりしゃべってくれないのですが、まぁ、そういう青年だということで、ごらんください。(絵カードの名詞を言う、文字を読むなど、発音の練習をしているビデオを観ていただく。)これはパトカーの絵なのですが、救急車、と出てくる。それは脳の中では記憶がカテゴリー分けされて入っているらしいのです。私たちにもあることですが、この青年の場合は、カテゴリー内で混乱することが多いですね。
 14歳の時に作曲した「夕暮れ」という題の曲を聞いてください。(「夕暮れ」の演奏を聴く。)将来はピアノ演奏だけじゃなくて、立派な楽曲に仕上げていきたい、そういうことを考えているようです。今日のために準備してきました話は、これで終わりです。どうもありがとうございました。


以上

(文責:事務局)