「本国ベトナムと在日ベトナム系の人々のことばと暮らし」
● 2014年1月25日(土)午後2時-4時30分
● 目黒青少年プラザ会議室
● 話題提供:安達真弓先生(東京大学大学院・日本学術振興会特別研究員)
講演要旨
安達と申します。参加者の皆さんにお伺いしますが、ベトナムに行ったことのある方はいらっしゃいますか?あ、結構いらっしゃいますね。どこに行かれましたか?
(参加者から)ホーチミン、ハノイ、フエ・・・・
ベトナム語を勉強されたことのある方は?あ、いらっしゃいますね!既にご存じのことかもしれませんが、一般的なベトナム紹介をしておきます。
ベトナムと言えば-
これはフォーですね。お米の平たい麺です。香草がたくさん入っているのが特徴です。1940年代にフランス人が牛肉を持ち込むまで、ベトナムには牛肉を食べる習慣がありませんでした。食べ慣れないものをなんとか美味しく食べようと麺と合わせてみたところ、とても美味しくなったので、よく食べられるようになったそうです。
コーヒーは生産量がブラジルに次いで世界第2位です。ベトナムコーヒーはフィルターを通して、練乳の入ったカップにぽたぽたと長い時間をかけて落とすのが特徴です。しかし最近は、ベトナム人の間ではこれはもう流行っていません。代わりに、スタバやドトールのような、プラスチックのカップで飲むコーヒーが流行っています。
それからよく知られているのは民族衣装のアオザイですね。長い上着と下にズボンをはくものです。体にぴったりさせるのが美しいとされるため、首回り、腕回りなど20か所以上を測ります。伸びない素材が多く、太ってしまうともう着られません。白いアオザイは女子高生のシンボルです。しかし最近では機能的ではない、ということで結婚式など特別な場合にだけ着ることが多いです。アオザイも歴史はそれほど古くなく、1930年代からだそうです。元々はだぼっとした形だったものにフランスの洗練されたデザインを取り入れて、女性の美しさを際立たせるものになったそうです。
テレビでも報道されていますが、ベトナムというとバイクの群れですね。ベトナム人がヘルメットをかぶり始めたのは私が留学中だった2007年12月から。今日からヘルメットをかぶらないと罰金、という日になっても「本当にかぶるのかな?」と半信半疑でしたが、皆きちんとかぶりましたね。国民3人に1台の割合でバイクが普及しています。
首都・人口・通貨・ロケーションなど
ベトナムと言えば、一番に思い出されるのがベトナム戦争ですね。1960年から1975年にかけて、南北に分かれて戦い、その結果北が勝利したということで、正式な国名はベトナム社会主義共和国ですね。首都はハノイです。面積は日本の9割くらい。去年の11月に9000万人目の国民が生まれたと政府が発表、世界13位の人口です。通貨はドン。1円は約200ドンで、家を買う時などはお札を数えるのが大変だそうです。宗教は仏教やカトリックが多いです。中国やフランスの影響が大きいということですね。日本から3600キロ、成田から約6時間。時差は日本のマイナス2時間。
さて、ベトナムと国境を接していない国は、中国・ラオス・カンボジア・タイのうちどれでしょう?答えはタイ、ですね。ちなみにこれは2011年からASEANが主催して始めた「ベトナム検定」からの問題です。興味のある方は受けてみてください。日本では「ベトナム語検定」はありません。ベトナムの大学などが外国人学生向けに独自にやっているものはありますが、日本での「韓国語検定」のような「ベトナム語検定」はありませんね。
ベトナムを分ける三地域
ベトナムは色んな項目について北部・中部・南部という分け方をされることが多いです。例えば、気候。今日の温度を調べてきましたが、ハノイは20度台、ホーチミンは30数度、亜熱帯と熱帯ですね。ハノイの雨はしとしと降り、ホーチミンの雨はザーッと降ってサッと上がる。料理もこの3つで分けられることが多くて、ハノイ料理は魚醤や塩で味付けし、しょっぱい。中部は唐辛子で辛く、真っ赤な麺などが有名です。ホーチミンは甘辛いのが特徴。甘いのは砂糖もありますが、ココナツの甘味も多いです。
政治経済も3地方で違います。共産主義の色濃いのがハノイですね。ホーチミンはフランスの影響で資本主義経済が根付いている。
そういうものが人の気質にも表れて、ベトナム人同士でもハノイの人は無愛想だとか、サービス精神がないとか言いますね。北の人は南の人を評して、宵越しの金を持たないとか、お金遣いが荒い、でもにこにこしているとか。中部は地形的にどうしても台風が当たるため、頑張っても稲作がなかなか上手くいかない。それで、中部の人は貧しい、というイメージを持たれているようです。
方言もこの3つで分けられることが多い。文法は同じでも音に関してだいぶ違います。語彙も基本的なものから違いますね。
観光名所
北部ハノイの観光名所をご紹介します。ホアンキエム(還剣)湖ですね。15世紀ベトナムの王がこの湖の亀から授かった剣を持って明と戦い勝利して、その剣を湖へ返したという伝説があります。中国風のイメージがありますね。文廟(孔子廟)です。廟の外の石碑に科挙の進士の名前が刻まれています。テストに合格した人の名前が刻まれているということで、大学受験のベトナム人がお参りに来ます。漢字の額があるように、お寺などでは漢字が使われていて、漢字文化圏だとわかります。
フエはベトナム最後の王朝、グエン朝(1802~1945)の都が置かれていた世界遺産の街です。最後の王はヨーロッパの文化が好きだったということで、王宮の後ろにはテニスコートがあります。
ホイアンの「日本橋」も世界遺産に登録されています。16~17世紀には朱印船貿易がさかんで、ホイアンには日本人町も形成されました。この橋は日本風というより中国風に見えます。北から見てくると中国の影響が強いと思わされますが、ほかの要素もあります。やはり世界遺産のミーソン遺跡。これはチャンパ王朝(2~5世紀)のヒンドゥー教遺跡です。インドの文化も混じっているということですね。
南へ行って、ホーチミン。サイゴンと呼ばれたところですが、ベトナム商業の中心地です。人民庁舎(市役所)はフランスのコロニアル建築で建てられています。南部にはクリスチャンも多く、聖母マリア教会もあります。その隣にあるのが中央郵便局で、19世紀末、フランス統治時代に建てられ、今でも郵便局として使われています。クリスマスツリーが立っていますが、南部は今でもフランスの影響が強いのだなぁと感じられます。ざっとですが、ベトナムに行かれた方も、行かれていない方も、ベトナムってこういうところなのだというイメージを持っていただければ幸いです。
発表者について
私は言語学専攻で、2006年から神奈川の日本語教室でベトナム人に日本語を教えるボランティアをしています。後程その話もします。2007年から2009年までハノイに1年半、ホーチミンに半年留学しました。また、2010年から現在まで、東京理科大学理工学部でベトナム語の講師をしております。理科大の学生たちは今後エンジニアになり、ベトナムにたくさんある日本企業に勤めて駐在する、あるいは行き来するかもしれないですね。
今日の発表について
■はじめに
■ベトナム語: 文字・声調・語順・漢語・親族名称
■神奈川のコミュニティ: 祭り・日本語教室・アンケート調査
「はじめに」は、これまでお話したベトナムのイメージの部分です。
1)ベトナム語
ベトナム語の特徴
母語話者数は6,780万人、世界17位の話者数の多い言語です。国内にはほかに53の少数民族の人々がそれぞれのことばを話し、第二言語としてベトナム語を使っています。またベトナム戦争で国外に散らばった人々の在外コミュニティでは、母語というよりは継承言語としてベトナム語が話されていますので、ベトナム語を話している人の数、というと6,780万人よりも多いかもしれません。
系統はオーストロアジア語族・モンクメール語派。方言は北部・中部・南部に大別されることが多いです。首都ハノイで話されている北部方言が標準語になっています。
文字は、長く中国の影響下にあったので、漢字を使っていましたが、自国の言葉を書き表す必要から漢字を組み合わせた改造漢字を使った時代もあります。現在ではローマ字に改良を加えたものを使っています。
声調は標準語に関しては6つ、南部方言は5つです。語順は主語+動詞+目的語。修飾語と被修飾語は日本語と逆で、「花」+「赤い」となります。前置詞があります。語彙の中には漢語に由来するものが多いです。
コミュニケーション上、面白い現象として、親族名称を人称代名詞のように使用します。
ベトナムの文字
秦の始皇帝の時代から唐の時代まで、より細かくは紀元前111年から紀元938年まで、1000年以上にわたって中国の支配下にあり、公文書は漢字で書かれ、1075年から1915年まで科挙が行われていましたし、詩を書く時も漢字で書きました。1954年に新しい文字が採用されて漢字は廃止されました。現在漢字が読める人はほとんどいません。しかし、まだ暮らしの中に漢字は根付いていて、正月飾りとして縁起のいい漢字をインテリアとして飾る人が多くいます。こういう漢字は意味を覚えて、使っているようです。しかし実用性という意味では漢字を使える人はほとんどいません。今年の旧正月は1月30日から2月3日ですが、旧正月には何をするかといいますと、お節料理を食べたり、実家へ帰ったり、お参りに行ったりします。
さて、チューノムという文字が作られました。もっと前からあったという説もありますが、10世紀から19世紀にかけて使われていたようです。税金台帳記入や誦経の時に、ベトナム語固有のことばを漢字では表せないということからベトナム語と音や意味が似た漢字を組み合わせて新しい文字が開発されました。例えば、(画像)これは「チュー」という音と「字」という意味を組み合わせた字と、「口」に関係する意味と「ノム」という音を組み合わせた字、これで「チューノム」という単語で「南方の(話しことばの)文字」という意味ですね。
(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%8E%E3%83%A0)
チューノムは、日本語のように漢字と混ぜて書きます。しかし漢字の素養のない人には難しく、一般には普及しませんでした。「自分たちの文字」としてアイデンティティを感じる人もいましたが、正書法が確立せず、正式な文字としての漢字の地位を揺るがすには至りませんでした。
19世紀前半の詩人グエン・ズーによる叙事詩『金雲翹』は教科書にも採用されている国民的文学ですが、チューノムと漢字を混ぜて書かれています。私は現代語訳で読みましたが、内容は、才色兼備のお嬢様が、男運が悪くて転落していくという、今にも通じる面白いお話です。
さて、現在どういう文字が使われているかというとアルファベットを基にしたもので、クォック・グー(国語)という名前です。17世紀に布教に来たフランス人宣教師、アレクサンドル・ドゥ・ロードが発明しました。実用化されたのは19世紀後半フランスの植民地になって公文書や教育、新聞などジャーナリズムで使用されるようになってからです。
アルファベットに補助記号ă, â, ê, ô, ơ, ư, đと声調記号a, á, à, ả, ã, ạを加えてベトナム語を表しています。aの上に、お皿と言いますがカーブした棒を書いてă, これは口を大きく開けた短い「ア」、それからこれは、帽子と呼ばれていますが、â、短くて曖昧な「ア」の音ですね。帽子の付いたê、これは日本語のエに近い、口を開けすぎない「エ」、帽子のついたôは、これも口を開けすぎず、唇を丸めて前に出す「オ」、次のơの横に付いているのはヒゲと呼ばれて、口を横に引くというマークです。đに横棒が付くと「ドゥ」という音です。横棒の付かないdは、北部方言では「ズ」とか「ザ」という音です。というように、ベトナム語の音に合わせてシステマティックに作られています。
さらに声調記号が付きます。母音に付くのですが、aは平らな声調、áは鋭い声調、àは下がる声調、ảは問う声調、ãは倒れる声調、ạは重い声調と呼ばれています。
1945年、クォック・グーはベトナムの公式な文字に指定され、漢字は使われなくなりました。チューノムはインテリ層だけに使用されましたが、クォック・グーのおかげで識字率が上がり、政府発表ですと9割の識字率になっているということです。確かに田舎へ行ってもさらさらっと領収書などを書いてくれます。
クォック・グーのコンピュータ入力方法は、Unikeyというフリーソフトをダウンロードして行います。ベトナム語の綴りではas、af、等々の並び方はあり得ないので、その並び方で入力するとá、à、などを表示できます。ArialかTimes New Romanでないと文字化けしますが。
声調
声調ですが、最初のクラスでやると生徒さんはくじけそうになります。北部方言(標準語)の音をお聞かせしますから、どこが違うか聞いてみてください。(<ma>の、母音の声調が違う例を6つ聞く)上がり下がりだけではないのですね。喉をいったん閉めてから発音するとか。声調で意味の違いがありますのでなかなか大変です。さらに、日本語にない子音や母音もあります。日本語を母語とする学習者にとって発音が関門ですね。
ベトナム語には中国語の影響が大きいのですが、中国語に声調があるからベトナム語に声調があるのか、という問題、それについては結論が出ていません。「周囲に中国語やタイ語などの声調言語があり、それらと系統を同じくするため元々声調を持っていた」という説もありますが、「ベトナム語の中で、末子音の違いによって区別されていたものが変化して声調ができた」という説、こちらが支持されています。私は、末子音の発音で表していた区別が声調という現象になったことと、借用された中国語やタイ語の単語に声調がついていたこととが合わさって、今のベトナム語の声調になったのだろうと考えています。
文法の特徴・語彙・親族名称の使い方
次に文法の特徴です。語形変化がありません。格変化や時制変化がないのです。したがって語順や文脈が重要になります。「昨日」が付けば過去ですし、「明日」が付けば未来です。主語の「私」も所有格の「私の」も「トイ」で同じです。
語彙ですが、新聞などでは漢語が多いです。ベトナムの国の正式名称は漢字で書くことができます。「共和社会主義越南」ですね。そのほか、フランス語からの借用もありますが、最近日本語からの借用も見受けられます。Hondaというのは企業名ですが、バイク一般を指します。南部に行くと「Hondaの修理」と書いてあって、それはバイクの修理をします、ということです。Oshinはドラマ「おしん」から来ていて、お手伝いさんを指します。「おしん」が放映されたころは、ベトナム戦争が終わってまだ貧しく、配給制度が終わったくらいの時代で、頑張るのはいいことだ、と共感を呼んだそうです。
親族名称について。日本語では1人称を挙げていくとたくさんありますが、結局実際に使っているのは少ないですね。しかし、ベトナム語では「私」と「あなた」の言い方がものすごくたくさんあります。性別・年齢・親しいか親しくないか・社会的関係などによってその言い方が決まります。「ボー」が父、「メ」が母、「コン」が子どもですが、子どもは「お父さん、今日子どもは学校へ行きました」というような言い方をします。父親がそれに返す時は、「お父さんは・・・・と思う」と返します。私より年上の女性には「お姉さん」と話しかけなくてはいけませんし、自分のことは「エム」(妹) と言わなくてはなりません。年齢が分からない時はどうするか。ベトナム人は年齢を当てるのが上手いですね。また、年齢を聞くのは失礼に当たりません。「何年生まれですか?」と聞くことが多いですね。「アイン」(兄)と「エム」(妹)は夫と妻との関係や、彼氏と彼女の関係にも使います。姉さん女房の場合もやはり妹と呼ぶそうです。「コー」(叔母)は自分の父母より、ちょっと下の年齢かなと思われる女性に対して使いますが、教室では女性の先生を「コー」、自分たち生徒は「エム」(弟や妹)と言います。「オン」(祖父)は社長のような偉い男性に対して使い、その時は自分のことを「チャウ」(孫)と言います。親しくなると、「トー」(俺・あたし)と「マイ」(お前)という言い方もありますし、あまり親しくない間柄だと「ミン」(自分)と「バン」(友達)、と呼び合います。この呼び方は性別関係なく使えるので、メールのやりとりをする間柄でまだ会ったことが無い場合にも使えます。親しくなっていくといつ俺・お前に切り替えるか考えなくてはなりません。ベトナム語についてはここまでとします。
2)在日ベトナム系コミュニティ
後半は、在日ベトナム系コミュニティの話をします。1975年にベトナム戦争が終わってから、多くの人々がボートピープルとして、色々な国へ亡命した歴史があります。アメリカ・カナダ・オーストラリア・ノルウェーなどにたくさん行ったそうですが、日本に来た人々もいます。南部ベトナムから来た人が多いです。8,700人といわれる難民が、今も結婚相手や親族を呼び寄せたりしています。在日ベトナム人は去年(2013年)の統計で61,920人ですが、全員が難民というわけではなく、就労で来日したり、職業技能研修生や留学生として滞在している人などもいます。ベトナム人がたくさん住んでいるのは、関西だと姫路・神戸・大阪、関東だと神奈川県ですね。それは1990年代後半まで、兵庫県姫路市や神奈川県大和市に難民定住促進センターが設置されていて、近所に就職を斡旋されたためでもあります。ベトナム人は大都市近郊に集まって住むことが多いです。例として神奈川県大和市から横浜市泉区にまたがる県営いちょう団地をご紹介したいと思います。
県営いちょう団地
33,000世帯のうち、外国にルーツを持つ世帯は3割を超えていて、ベトナムやカンボジア、ラオスなどのインドシナ難民・中国帰国者・南米日系人・フィリピン人・パキスタン人など色んな人が住んでいます。その中に、いちょう小学校という学校があり、全校生徒161名中、外国にルーツを持つ児童が8割います。残念ながら統廃合で今年度末に閉校してしまうのですが、その卒業生の日本人男性が、「いちょう小学校を離れて初めて、クラスにカタカナの名前の人がいないことに気付いて驚いた」と言っていました。その小学校が40年の歴史を閉じるにあたって、「40年間ありがとう」という壁画が作られ、そこにベトナム語で「友達よ、ありがとう」と書いてあります。
いちょう団地では看板や自治体広報の中に、よくベトナム語を見かけます。“Cấm xe gắn máy vào!”「バイク進入禁止」の看板や、“Chào mừng quý vị đến Thư viện Izumi”「いずみ図書館へようこそ」のチラシとか。よくよく単語などを見ると、南部方言で書かれているなと分かります。町のベトナム料理屋さんは、ホーチミンではなく「サイゴン」という名前で、やっぱり南部の人ですね。バスの乗り方や住まいのルールもベトナム語で書いてあります。
いちょう団地祭りにて
普段はあまり表に出てこないベトナムらしさが一番感じられるのが、いちょう団地祭りですね。ベースは日本の秋祭りですが、各国の人が住んでいるので、色んな国の出し物が行われます。いちょう小学校にはベトナム語クラブがあって、その生徒がベトナム語の歌を歌ったり、料理をふるまったりします。小学生と高校生の踊りもありましたが、菅笠をかぶって、アオザイを着ていますね。国際スピーチコンテストもあります。ベトナム語やベトナムの歴史を交えて、日本語で自分のルーツについてスピーチしていました。
ベトナムの模擬店がたくさん並んでいます。春巻きとか、パン、フォー、ベトナムのビールなど。有名なバゲットサンドは本国では屋台で売られていますが、それとそっくりの屋台でバゲットサンドを売っています。小さい椅子に座って楽しそうに食べる、これもベトナムスタイルですね。小学生が学習の一環として料理を作って説明もしてくれる、試食コーナーもあります。ココナッツの饅頭ですね。南部のものだと思います。
市民団体 多文化まちづくり工房
私はいちょう団地の中の市民団体「多文化まちづくり工房」でボランティアをしています。地元のボランティアの団体で、リーダーは日本人ですが、ベトナムやカンボジア、中国の人も活躍しています。主にいちょう団地で育った若者が多く、職業も会社員、大学生から、退職者、研究者、警察官とさまざまです。活動拠点はいちょう小学校周辺で、私が関わっているのは夜間の日本語教室です。そのほか、身近な生活相談も行っています。例えば、日本語が喋れないと携帯電話の解約なども難しいのですが、そういう世話など。また、日本語が上手くなったとしても、教科学習は難しいので、子どもの学習支援や高校受験、進路相談なども行っています。サッカーやスキー、バーベキューなどのサークル活動もあります。
もうじき小学生になる幼稚園児対象のプレスクールでは、卒園の3か月前くらいから、集団行動に慣れるようにするとか、鉛筆の持ち方やひらがなを教えたり、絵本の読み聞かせをしたりします。日本人で日本の家庭に育った子は、お母さんから絵本を読んでもらって、ひらがなも習う前にいくつか読めたりするのですが、在日外国人の父母にそのような習慣がなかったり、日本語が苦手だと、入学してからその差を埋めるのが大変、ということからこういう活動をしています。
中学生の教室、これは放課後ですね。勉強を教えてくれるのはボランティアのベトナム人のお姉さんです。小さい時に日本に来て、ベトナム語も日本語も堪能な人です。日本語での勉強をするのですが、ベトナム語で解説してもらえるというのは大きな支えだと思います。また、放課後、両親が忙しくて家に居場所がない場合に、ここに来れば友達と話ができる、という役割もあります。
成人のための夜の日本語教室です。私はここで日本語を教えるボランティアをしているのですが、先生は地元のボランティアの方々です。ベトナム系や中国系の人が多く学んでいます。パキスタンなどの人もいます。「あそこは無料で教えてもらえるよ」というクチコミで、どんどん広がりました。夜なので仕事の合間に日本語が学べる機会ですね。逆に、ベトナム人だけれど普段あまり母語を使うことのない人にとっては、母語を使って日本語を教える機会にもなります。教科書を勉強する場合もありますし、原付免許を取りたいという人はそのための日本語の勉強、介護士の資格を取りたいという人も、1対1や1対2で細かく説明したりします。
成人のための朝の日本語教室もありまして、こちらは主に主婦の学習者、それと高校進学を目指す人ですね。教科書の勉強のほか、生活に密着した日本語、ということで救命講習を受けるなど、色んな場面の日本語を勉強しています。
ベトナム語教室というのもあります。2012年ごろからこの団体が新しく始めた取り組みなのですが、先生はベトナム人で、生徒は日本人が多いですね。なので、今のところ母語教室ではありません。日本人の主宰者は、「ベトナム語に苦手意識のあるベトナム人に母語だからと無理やり押し付けるよりも、教える側に立って自信を付けてもらいたい」と言っています。母語の継承は大切だと思いますが、まずは日本語を身に付けたり、日本の生活に慣れるのに手いっぱいで、なかなか難しいことです。
ことばについてのアンケート調査
以上のような参与観察だけでなく、実際にことばについてどう思っているかをアンケート調査してみました。2010年11月から2011年4月の期間、日本語教室に通っているベトナム人の成人と若者、男性18名と女性37名(合計55名)に聞きました。日本語の方が得意なら日本語、ベトナム語の方が得意ならベトナム語の質問紙に答えてもらいました。
①移民の世代
移民の世代は3つくらいに分けられると思います。ベトナム生まれの人は第1世代(成人と若者を合わせて42名)、それから、日本生まれは第2世代(7名)。1.5世代(6名)の人もいて、若いけれど日本にいる期間が長い、つまり小学生くらいの幼い時に来日した人たちです。日本語教室には日本に来て間もない人が通っていることが分かります。
②二言語能力の自己評価
「ベトナム語と日本語のどちらがよくできますか」と聞いたら、1世の人は若者も成人もベトナム語が会話・読み書きともによくできる、それに対して日本語は少しできる。1.5世は、ベトナム語を書く点が少し下がりますが大体できて、日本語も大体できる。2世はベトナム語を書くことはほとんどできないと答えています。話したり聞いたりは少しできる、日本語は読み書きも含めてできる。
③家庭内外の言語選択
両親と喋る時はベトナム語が多いですが、兄弟姉妹と話す時は少し日本語に寄ります。年配の人・目上の人 対 若者・目下の人と分けると、年配・目上にはベトナム語、若者・目下には日本語で喋る割合が多くなりますね。1世は相手がベトナム人ならベトナム語、1.5世もそうですね、2世になるとだんだん日本語に寄ります。
④社会的場面と言語選択
「職場、学校、近所、休日、教会・寺社、ベトナム食材店で、どんな人と付き合っているか」というと、職場や学校では日本人と付き合っていて、休みの日や教会、ベトナムレストランではベトナム人と付き合っている、という感じです。「それぞれの場面における言語選択」ですが、日本人とは日本語、ベトナム人とはベトナム語の割合が高くなっています。やはり1世と2世では違いがあります。
⑤本国とのつながり
「帰国の頻度」を聞いてみました。頻繁には帰っていないようですね。一つ気になったのは、日本で生まれてこれまで1度もベトナムに「帰った」ことのない人でも、「行く」ではなくて「帰る」という表現を使うことです。ベトナムとは「行く」場所ではなく、「帰る」場所だという意識を持っていることが分かりました。5、6年に1度とか、これまでに1度とか。(参加者:たくさんのお土産を期待されるので帰国するのがおおごとになるのです)
「理想の結婚相手はベトナム人がいいか、日本人がいいか」と尋ねたところ、1世はベトナム人がよくて、2世だとほとんど日本人がいいと答えています。1世はベトナム人同士の既婚者が多いからそう答えるのでしょうが、未婚者はどちらでもいいと答えましたね。
⑥将来の展望
「大学に行くとしたら、あるいは子どもを大学に進学させるとしたら、どちらの国の学校がいいか」と聞くと、ベトナムと答えた人はほとんどいませんでした。教育は日本で受けたいと。また、「20年後どこに住んでいると思いますか」と聞くと、ほとんどの人が日本と答えました。1.5世、2世はほとんど全員日本にいたいと言いましたね。
⑦言語意識
「将来重要だと思う言語」を聞きました。1.5世は、両方できた方がいいと答えていますね。また、「日本生まれのベトナム人はベトナム語ができるべきか」を聞いたところ、1世はできるべきだと答えていますね。2世は「できた方がいい」と「できる必要はない」の間くらいという結果になりました。
⑧まとめ
親世代(1世の成人)は、今後日本に定住する志向が強い。また、ベトナム語を保持しようとする気持ちが強い。家庭や教会、ベトナム食材店などのベトナム人ネットワークではベトナム語を使っていて、さらに子どもにもそれを望んでいる。日本語も大切だと思っていて、職場や学校では日本語でコミュニケーションをとらなくてはならない。しかし、子どもの頃に来て日本滞在が長い人や、日本で生まれた人は日本志向が強まっています。日本語を使う機会が高まっているし、日本語の方が大事だと思っている人が多くなっているので、今は過渡期ですね。ベトナム語を継承したいという希望はあるのですが、今のところ生活が優先で、まず日本語を覚える方が先だとなっているようです。現実的な対策はまだこれからだと思います。私の話は以上です。ご清聴ありがとうございました。
謝辞 アンケート調査の実施に快くご協力いただいた、多文化まちづくり工房の関係者の皆様、そして早川秀樹代表に、この場を借りて感謝申し上げます。
以上
(文責:事務局)
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