地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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ことば村・ことばのサロン

2015・12月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「幕末の外国語の盛衰―中国語、英語、フランス語、オランダ語」


● 2015年12月19日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田キャンパス南校舎452教室
● 話題提供:楠家重敏先生(杏林大学外国語学部教授)

楠家重敏先生


 楠家先生のご専門は歴史学、主に日英交流史ですが、それにとどまらず、広い視野で外から見た日本の近・現代史をテーマに研究なさっておいでです。今回は、鎖国明けの日本が、外国と交渉するうえでどのような外国語を使用していたか、についてお話いただきました。
 「1854年の日米和親条約には、日本とアメリカの共通語として中国語を採用、しかし誤訳が生じたりして間もなく中国語は廃止、また、それまで長崎で貿易をしていたオランダが、自国の存在感をアピールするために外交交渉の仲介を買って出て、長崎にオランダ語学校を開いたが、日米条約に続いて4番目の日英修好通商条約の第21条では、これ以降、文書は英語で表記するのでそのために外交官は5年間で英語を習得するようにと。1872年ごろにはオランダ語が衰退し、かわって、英語、フランス語がそれぞれの国との交渉に用いられるようになっていった・・・・・」

会場のようす

 外交交渉が、まず通訳要員の言語学習、特に会話の学習から始まったという開国時の大変さ、また日本の歴史の中でどの国との外交が重要になっていくのか、が見えてくるお話でした。楠家先生は、日本はもちろんイギリスの公文書館など海外の膨大な資料を現地で精査され、事実に基づいた日本の近代史・現代史を構築されていて、歴史研究はこういうものかと感銘を受けました。講演の全容はyoutubeで見ることができます。ぜひご覧ください。


YouTube映像
https://youtu.be/ozIjXdhsjVY(別ウィンドウが開きます)


(文責:事務局)