「異文化をお茶の間に伝えること~ドキュメンタリー制作の現場から~」
● 2016年12月17日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田キャンパス南校舎461教室
● 話題提供:尾崎竜二先生(映像ディレクター)
田中真知ことば村運営委員から話題提供者:尾崎竜二先生のご紹介
私の親友、尾崎竜二さんは、ドキュメンタリー番組の映像ディレクターとしてこれまで多くの作品を世に送り出して来て、最近はNHKBSの人気紀行番組「世界ふれあい街歩き」の制作で活躍中です。私と尾崎さんの最初の接点は、時を異にしてですが、コンゴ川を丸木船で、やはり夫婦で下るという共通の体験があったことでした。また、尾崎さんはこの川下りの前に一年間モザンビークで選挙監視PKOの活動もされました。そのような経験を生かしてドキュメンタリーの制作をされています。
今日のテーマですが、異文化をお茶の間で見るとき、私たちはどうしても自分の枠組みによって違う見方をしてしまうのではないか。制作者の立場でそれをどう意識して作られるのか、そこが私の個人的な興味で、今日はそこも聞かせてもらえるかと期待しています。では、尾崎さんお願いします。
尾崎竜二先生
講演要旨
(I)ドキュメンタリー制作の現場
私はフリーで、主にテレビのドキュメンタリーを制作するディレクターという仕事をしております。まずドキュメンタリー番組がどのように作られていくのか、ディレクターはどんな仕事をするのかを、これまでに作った異文化の祭りなどの映像を見て頂いて紹介します。後半は「世界ふれあい街歩き」という街が主人公の番組制作を通じて、異文化とのかかわり方などをお話しできればと思っています。
ドキュメンタリーにはどんなジャンルがあるかというと、政治・社会問題、自然や動物、歴史、人物(ヒューマンドキュメンタリー)、スポーツ、旅などがありますがひとつの作品の中でそれぞれ交錯することが多いです。僕は20年近く制作してきていますが、自分の作った例を見ていただきます。
(地球に乾杯・パキスタンアフガン国境のカラーシャ族の祭り/世界で最も美しい瞬間・チューリップに思いを託す人々/アフリカ大陸縦断二万キロなどのオープニング部分上映)
ドキュメンタリーが実際に作られていく過程は以下の通りです。
① 企画提出(TV局内部の企画のほか、制作会社やフリーのディレクターがTV局に企画を出すなど)→採択
② ロケハン(ディレクターと現地通訳(コーディネーター)が下見に行く)
③ 構成打ち合わせ
④ ロケ(ディレクター・通訳・カメラ・音声・助手など3~4人が最低人数)
⑤ 編集・ナレーション制作(ディレクターが原稿を書く)
⑥ 試写
⑦ スタジオ作業・完成(テロップを入れる、ナレーションを収録して重ねるなど)
⑧ 放送
⑨ DVD送付
ロケではその日に撮った映像を見ながら、次に何をとるかをスタッフで話し合い、カメラマンの感覚も取り入れます。編集のときは、それまでの経緯を全く知らない編集者にも加わってもらいます。
制作は数か月、ものによっては1年かかる場合もあります。制作の例として、ペルーのインディオのクリスマス時に行われる喧嘩祭りのドキュメンタリーを見てみましょう。
(番組オープニング映像を見る)
インディオの男たちは問題解決のために、12月25日に衆人環視の中、喧嘩をして審判の裁定を受けます。少年の部もありますが、少年の場合、喧嘩は問題解決ではなく大人への一歩だと考えられています。
問題を抱えていることを公にしたくない心情が働いてか、下見の時、取材に応じる喧嘩者がなかなか見つかりませんでした。下見の日程の最後の最後、市で「喧嘩する人大募集」の看板を出して、やっと応じてくれる人が見つかりました。土地の使用をめぐっての争い解決のための喧嘩です。
(争いの原因・その背景~祭り当日の喧嘩~その後の映像を見る)
審判の裁定を受け、後日ふたりは仲直りし、交互に土地を使うことで和解できました。
最初はなぜ喧嘩という暴力で問題を解決するのか腑に落ちなかったのですが、この祭りまで喧嘩を先送りすることで、日常的な喧嘩が避けられる、彼ら独自の問題解決法なのだと納得できました。また、この祭りがなぜクリスマスに行われるのか、が疑問でしたが、植民地時代支配者のスペイン人に禁止された伝統文化を、クリスマスの祭りという隠れ蓑で続けていったから、と聞いてなるほど、と。自分が納得できないと人の共感を呼ぶものはできない。現地で取材する中で納得できることがあるのです。
実際の取材では、事前に考えた構成に沿わないものも出てきますが、先入観を持たず決めつけず、寄り添ってその予想外のことを取り込む。同時に自分の視点も持って腑に落ちないところは追求しつつ、向こうの現実に寄り添っていく。それが大切なのだろうと思います。
個人の暮らしや価値観と、置かれている社会環境をそれぞれ縦軸と横軸にすることによって共感の持てる内容になるのではないかと思います。それをひとりで作るのではなく、カメラマンや編集マンの意見も聞く、TV局のプロデューサーの共感を得る、それは妥協ではなく、10人を口説けないと、100万人を口説くことはできないだろうといつも思っているからです。ドキュメンタリーの視聴者は中高年の方が多いのですが、自分と一番遠い女子高生に伝わることばにしなくてはいけないと思っているのです。主観と客観を行き来しながら作るのがドキュメンタリーだと思います。いわば鳥の目である客観と虫の目である主観、その両方を通しつつ、最終的にはそれを見ている私の、虫の目を通して伝えていきたいと考えています。
(II)世界ふれあい街歩き
NHKBSの火曜日夜に本放送をしている「世界ふれあい街歩き」はこれまでに400本以上が放映されました。これは街が主人公のちょっと変わったドキュメンタリーです。最初に少しだけその町の歴史などが語られますが、それ以外は有名な観光地などは一切出てこない。朝から、旅人の視点で市井の人とたわいない話をしながら歩き回り、その街らしさを感じ、夕方になるとその街が好きになっている、といういわば虫の目だけで作られています。
(世界ふれあい街歩き「イスタンブール旧市街」のオープニング映像を見る)
私が2004年に、西アフリカのマリ共和国にあるジェンネという泥の街のモスクの塗り替えをテーマに二時間の単発ドキュメンタリー番組を作ったとき、その内容だけでは時間が埋まらなかったので、迷路のような街の中を朝から夕方まで歩き回って、町の人たちと話すコーナーを作りました。それを見せたNHKのプロデューサーがとても喜んで、この部分を取り出して番組を作ろう、と始まった番組です。それが今や12年も続く長寿番組になりました。
十数人のディレクターが一度の取材で二つの街の番組を制作していますが、私は行ってみたい街、一度行って印象に残った街などを取り上げることが多いです。歩いて楽しい街、外務省の認める渡航が安全な街という点もあります。今年はジョージア(旧グルジア)のトビリシ、カンボジアのシェムリアップを取材してきました。初めのころに作ったものを見ていただきましょう。
(サフランボル(トルコ)、ナポリ(イタリア)、ジロカストラ(アルバニア)、ティンプー(ブータン)、カントー(ベトナム)などの映像を見る)
下見に8日間、ロケに11日程度を費やします。下見の際は、あえて有名なスポットは避けて、ここを曲がると変わった店があるんじゃないか、すてきなおじさんがいるんじゃないかと、あらゆる路地を歩きつくして、街の人と出会い、なんでもない会話を繰り返していきます。八割がたははずれですが、10人に一人は面白い、ユニークな考え方、生き方をしている人にあたります。一日に歩ける距離を歩く中で、大切なのは「その街らしさ」とは何かということ、街の人たちはどこを愛しているのか、それを探ることです。その街の人が思うだけでなく、こちらがその魅力をどう感じるか、ある視点も持って歩く。それには下見に大変エネルギーが要ります。足も疲れますが胃薬もかかせません。見た人が最後に、あぁ、素敵な街だなぁと思える、そのように作るのはなかなか難しいといつも感じます。それには下見がとても重要なのです。
実際のロケも大変で、特別なカメラを使います。ステディカムという映画などに使うカメラですが、総重量28キロあって、カメラマンはこれを持って、一日中抜き足差し足で歩くという大変な負担を強いられます。風に弱いので風よけのレフ板が必要だし、晴れでないと美しい映像が撮れないので天気待ちに時間が費やされる。できるだけ長いワンカットをワンテイクで撮りたい。カメラのそばで街のひとと会話して、くすっと笑えるようなシーンにしたい。質問と通訳の音をつぶしてそこにナレーションを入れるために、質問・通訳の間合いをなるべく詰める、など様々な細かいテクニックがあります。また、予備知識のない旅人が歩くという前提なので、知識という客観情報(鳥の目)はなくて、平べったい視線で街を歩く。それを積み重ねて街の全体像を作っていく、という、こちらとしては非常に微妙なことをやっていて、ナレーションのひとことのニュアンスで悩んだりする、そういう番組です。去年制作したマダガスカルのアンタナナリボを一つの例に見ていきたいと思います。
(マダガスカルのアンタナナリボの映像を見る)
世界ふれあい街歩きというこの番組は、自分なりのその街へのラブレターだと思っています。
また、グローバリズムの進む世界でこの番組は究極のローカリズムだと思います。かといって、 “Make America great again”(トランプ次期アメリカ大統領の選挙時のキャッチフレーズ)とか、昨今メディアで頻出する“クールジャパン”“日本は素晴らしい”といった偏狭なナショナリズムとも異なります。庶民の姿を積みかさねることによって人生観や隣人との付き合い方、コミュニティの大切さ、時間の使い方、異民族との共存、客人をもてなす心など、文化や生き方の多様性と普遍性を伝えるのです。
思い込みや偏見なく地べたの視点で世界をとらえることの大切さを、この番組を通して感じてもらえたらと思っています。
街歩きを撮影するカメラは揺れを防止する特殊な機材で重さも半端ではなく、カメラマン氏は仕事のあと、マッサージが欠かせないため、下見のときにまずマッサージ屋さんを探すそうです。
また、異文化から学ぶ一つの例として出されたのが、日本人は知らない人とは話をしないのが普通だがそれは世界の中では極めて稀だということ。隣り合わせになった人と言葉を交わすのは自然の行為であり、われわれが正しいと思っていることが視点を変えれば異常であることはいくらでもある、ということでした。
その場所にいるからこそ見えてくるものがたくさんあるのだろう、と思いました。これからもたくさんの心に残る映像を見せていただけるだろうと期待しております!
(文責:事務局)
|