地球ことば村
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ことば村・ことばのサロン

2017・10月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「ユダヤ人の多様な言語―イディッシュ語とラディノ語を中心に」


● 2017年10月14日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田キャンパス南校舎461教室
● 話題提供:鴨志田聡子先生(東京大学大学院研究員・イディッシュ語/地域研究)
● 司会:長谷川明香(成蹊大学アジア太平洋研究センタ―特別研究員/地球ことば村運営委員)


司会

 今日は東京大学大学院で研究員をなさっている鴨志田聡子先生にユダヤ人の多様な言語についてお話いただきます。イディッシュ語やラディノ語など多く調査をされ、豊かな実態をご存知の先生からお話を伺える機会、どうぞお楽しみください。


講演要旨

 私は東京大学大学院人文社会系研究科の言語学研究室でユダヤ人の言語的多様性について研究をしております。人とことばの関係にとても興味があります。いろいろなことばを見る中で、いわゆる「方言」と「言語」の差はなにかということを考えてきて、やっぱり差なんて無いのではないかと思っています。でもまだ思っているくらいの状況ですので、今日は言語とは何かについてユダヤ人の言語を通して、みなさんと考えられたらいいなと思っております。


今日の目的

 まず、ユダヤ人の言語がたくさんあるということ、その中からイディッシュ語の人たちはこんな人たち、ラディノ語の人たちはこんな人たちだと知っていただくことです。そして、ここが一番重要な点ですが、ご自身のことばについてもう一度考えていただくことです。そういう機会にしたいと思います。ここで私が「ことば」という単語を使おうとしているのは、皆さんご自身が使っている「ことば」について考えられるときに、言語とか方言とかそういった堅苦しい分類を超え、もっとアバウトに自由に考えていただくためです。でも「言語」とか「方言」という単語を使った方が説明しやすい場合はそっちをつかうことにします。「ことば」で統一できたらいいんですが、ちょっと難しくて。ちょっと混乱を招くかもしれませんが、ご了承ください。


鴨志田聡子先生
鴨志田聡子先生


ユダヤ人の言語は10以上ある

 この風景写真を見てください。どこだかわかりますか?(参加者:静岡、富士市?)あー、そうです!よくお分かりですね。これは静岡と山梨を結ぶJR身延線から撮った私のふるさとです。
 日本には数えきれないほどの「方言」があります。道や川の向こうは違うことばを話している時もあります。ユダヤの言語はヘブライ語以外に10以上もあります。住んでいた地域ごとにユダヤの言語があり、さらにそれらが方言に分かれています。イディッシュ語を例にとって説明します。外からはイディッシュ語という一つのまとまりに見えるのですが、イディッシュ語を話す人たちにとっては、自分たちの話すイディッシュ語の方言と、他の人たちが話すイディッシュ語の方言が違うことがあります。逆に同じ方言を話す人と会えば、お互いの出身地が近そうだなっていう話になるでしょう。
 ユダヤ人がなぜ10以上の言語をつくってきたかというと、彼らが世界中で移動してきたからです。もともと使っていた言語に移動先の言語が入ったり、文法が変わったり、文法も語彙も移動先のものに入れ替わったりとユダヤ人の言語は変化していきました。しかも、移住先でつくった言語を次の移住先に持っていきました。その代表として挙げられるのがイディッシュ語とラディノ語です。ドイツ語からできたイディッシュ語は東欧、北米、南米、アフリカ、イスラエルなどなど、ユダヤ人の移動先で話されてきました。スペイン語からできたラディノ語も、中東アフリカ地域、北米、イスラエルなどで話されてきました。
 私は博士論文まではイディッシュ語だけをやってきました。でも最近は、イディッシュ語を理解するためにも、別のユダヤの言語を話したり、先祖がそのことばを話していたりしたユダヤ人についても知る必要だと考えています。そこでイディッシュ語の次にまだ話者が残っていると言われているラディノ語の人々も調査し始めました。
 ところで先祖の言語が同じだとその人たちの移動の歴史もそれなりに似ているものです。先祖の言語が共通の場合、教科書に書いていないような先祖の歴史「集合的記憶」を共有していることがあり、お互い共感する部分があるようです。例えばイディッシュ語ですと東欧、イディッシュ語の文化、ホロコーストなどに関連する記憶などを共有しています。こういった背景から、程度はそれぞれですが、共通の言語を軸に人的つながりが維持されています。


ユダヤ人の定義

 ユダヤ人とは誰か、その一般的定義はご存知ですか。次はいずれが正解でしょう?
① 父親がユダヤ人だとユダヤ人/母親がユダヤ人だとユダヤ人
② ユダヤ教に生まれた人がユダヤ人/ユダヤ教に改宗した人がユダヤ人
 正解は、まず母親がユダヤ人だということが条件です。父親がユダヤ人でも母親がユダヤ人でなければ、厳密にはユダヤ人ではありません。ただユダヤ教に生まれた人のみならず、ユダヤ教に改宗した人もユダヤ人です。
 世界でユダヤ人の人口が現在一番多いのはイスラエルで、二番がアメリカです。三番はフランス、以下カナダ、イギリス、ロシア、アルゼンチンの順で、日本にも1,000人くらいのユダヤ人が住んでいるといわれています。


ユダヤの言語の代表:イディッシュ語とラディノ語

 今日お話しするイディッシュ語やラディノ語は、もともとヨーロッパの言語です。今日ではイディッシュ語の人は自分たちが東欧から来たことを、ラディノ語の人たちはスペインから来たということを重視しています。
 ミュージカルや映画で知られる「屋根の上のヴァイオリン弾き」はご存知ですか?あのお話の原作はイディッシュ語で、イディッシュ語話者たちのお話です。イディッシュ語の人たちは、もともと千年以上前は別の言語を話していたようなのですが、千年くらい前にライン川流域に住み始めたときに、周りのドイツ語と似たような言語を話すようになったみたいなんです。その後、彼らは東に移動していきます。そうするとポーランド語とかウクライナ語、ロシア語も入ってくるわけです。さらにそこにもいられなくなった時、アメリカへ渡ったり、パレスチナへ行ったりと、また移動したんです。こうしてユダヤ人とともに世界を転々としたイディッシュ語は、行った先々で必要な語彙などを吸収して変化しました。
 基本的な移動はこのふたつです。私がフィールドワークをしたのはリトアニアとニューヨーク、そしてエルサレムとテルアヴィヴです。最初に行ったのはリトアニアです。今は、ユダヤ人はあまり住んでいないのですが、でもリトアニアの首都ヴィリニュスはヨーロッパのエルサレムと呼ばれている場所のひとつなのです。夏にユダヤ人が集まってイディッシュ語の夏期講座が開かれていて、それに私も二回参加しました。その後ニューヨークのイディッシュ語夏期講座に行って、さらにエルサレムに一年半間留学しました。最後にテルアヴィヴの夏期講座にも参加しました。夏期講座に来ていた人たちや、その後知り合ったイディッシュ語の個人出版に関わる人たちに聞き取り調査して、人々がなぜイディッシュ語を学ぶのか、イディッシュ語についてどんなふうに考えているのか、どのようにイディッシュ語を使うのかなどなどを調べました。博士論文『現代イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動』(2014 三元社)にはそのことをまとめました。この調査をしているときに、ラディノ語の話を聞いたり、その後いろいろなきっかけがあったりして、最近になって、イスタンブルのラディノ語の人々の調査を始めました。


調査地:エルサレム、テルアヴィヴ、イスタンブル

 さて、この写真はエルサレムの中心部にあるベン・エフダ通りです。女性兵士などがくつろいでいますね。エルサレムは世界的に有名ですが意外と小さな街です。一方こちらはテルアヴィヴです。ヤシの木があったり、高層ビルがあったり、IT企業が集まってたりして活気のある街です。郊外には砂漠や緑も見られます。
 こちらは最近調査に行ったイスタンブルです。(街、海峡の写真)「中東」というと「きな臭い」イメージがあるかもしれないですが、のんびり過ごす人々など、時間的に豊かな印象を受けました。
 さて言語の話に戻ります。先ほどお話ししたようにユダヤの言語はヘブライ語以外にも10以上あるのですが、一番研究されているのがイディッシュ語です。まだ話者もいます。そういう意味で言えば、ラディノ語はまだまだ研究も少ないです。イディッシュ語よりだいぶ少ないですが話者もいます。イディッシュ語とラディノ語の話を先にしてしまいましたが、ヘブライ語はユダヤ教で使われるし、イスラエルの公用語でもあるし、イディッシュ語より使っている人は多いです。ユダヤ人の言語はご覧のようにたくさんあります。クルド語(クルド人のクルド語とは違う言語)、ユダヤ・アラビア語、ユダヤ・ベルベル語、ユダヤ・ペルシャ語、ユダヤ・グルジア語、ユダヤ・イタリア語、ユダヤ・ギリシャ語、ユダヤ・タート語、クリムチャク語、タルグーム語などなど、もっとありますが、きりがありません。最近はユダヤ英語Yinglish(Yinglish = YiddishのY + English、イングリッシュと読みます)もユダヤ人の言語にあげられます。
 彼らは移動して、そこで使われている言語を取り入れますが、その一方でユダヤ的な語彙も使い続けます。35年以上も日本に住んでいるユダヤ人の知人がいるのですが、その人と日本語で話していると、どうしてもその中にユダヤのことばやロジックが入ってくるんです。もしも日本に住んでいるユダヤ人同士が日本語みたいなことばで話し出したら、ユダヤ日本語みたいなものが出来てくるのだろうなと思います。


イディッシュ語とラディノ語の文字と音

 これは、それぞれイディッシュ語とラディノ語の新聞です。現在のラディノ語はラテン文字で書いてありますし、スペイン語にだいぶ近いみたいです。スペイン語がわかる方なら、ラディノ語も結構読めるようです。イディッシュ語はドイツ語に似てはいるんですが、今でもヘブライ文字で書くので、ドイツ語がわかる人でも文字が・・・読みにくいですね。ではヘブライ語がわかる人にとってはどうでしょう。イディッシュ語のヘブライ文字には、ヘブライ語と読み方が違うのがあります。しかも文法は全然違いますので、ヘブライ語がわかる人でもまず読めません。でも語彙の8から15パーセントくらいがヘブライ語だと言われていますから、ヘブライ語がわかれば、部分的にはイディッシュ語がわかるんですよ。
 さてここでイディッシュ語とラディノ語の動画を見ていただきましょう。
 (イディッシュ語の動画)まずこちらは東ヨーロッパにあったメデム・サナトリウムというサナトリウムに長く居た人です。このサナトリウムではみんなイディッシュ語で話していたようです。彼女は自分の家よりサナトリウムが好きだったようで、そのことについてイディッシュ語で話しています。ドイツ語をご存知の方は、大体の意味が把握できるかもしれません。
 (ラディノ語の動画)一方、こちらはラディノ語です。動画の中で話しているのはラディノ語を広めようとしてインターネットで講座を開いている人です。この動画の中で、彼女はユダヤ・スペイン語と呼ぼうと言っています。イディッシュ語の話者はドイツ語との距離を置いて、イディッシュ語のことをユダヤ・ドイツ語と呼ぶことはほとんどありません。その一方、イスタンブルで現地調査した時に会ったラディノ語話者は、スペイン語とラディノ語が近いということをよく話しました。自分たちの言語のことをユダヤ・スペイン語と呼ぶことが多かったです。


会場の様子


ユダヤの言語を理解するために自分のことばを考える

 次に「かも式言語チャート」に沿ってご自分のことばについて考えていただきましょう。これは今回の講座のために考案してみました。鴨志田の「かも」をとってこういう名前がついています。ユダヤの人たちの言語がなぜたくさんあるのか、それについて彼らはどう考えているのかを理解するために、ご自分の言語について考えていただこうと思って作りました。クイズのように答え合わせをするようなものではありません。書くことで意識して、考えていただきたいのです。そして、書きたくないことは書かなくて良いですし、思い出したくないことはそのままにしておいて良いです。誰かに見せるのが目的ではありません。ご自分の理解のためにやっていただきたいです。

1)「故郷はどこですか」かも式言語チャート-場所編
① 私が生まれた場所は、     です。
② 私のふるさとは、       です。
③ 私は、     に住んだことがあります。

 ところで今更ですが、「イディッシュ」とはユダヤのという意味です。なのでイディッシュ語は「ユダヤのことば」ということですね。ドイツ語に移動先のポーランド語がたくさん入りました。ユダヤ教のことばヘブライ語も入っています。日本語にも漢語が入って、英語が入ってというのがありますが、ちょっと違うかもしれないけど似たようなことかもしれません。ラディノ語の方はスペイン語に移動先のアラビア語やトルコ語などが入り、ヘブライ語も入っていて、今のラディノ語となりました。かなり大雑把な説明ですがこれらの言語にこんな変化があったとイメージしてください。
 (図)ところで、個人の言語にも変化が起こります。「母語」という、ご自身が赤ん坊時代から育てられた言語というものがまずあります。さらに、家族、友達、隣人、地域のことばがあります。生まれた場所からずっと移動しない人もいると思いますが、引越しなどして移動すると、周りの人のことばが変わりますし、自分のことばも変わってきます。立場が変わってことばが変わることも多くあると思います。いろいろな経緯を経て、最後にできたことば、これが今のご自分のことばです。TVをつければ標準語が流れてきますし、学校では標準語の教科書で書かれていて、先生は授業の間は標準語を話します。けれど、今のご自分の中にあるご自身のことばは、果たして標準語でしょうか?

2)「あなたのもともとのことばは何ですか?」かも式言語チャート-ことば編1
① 父方
A 父のことばは、          です。
B 祖父母のことばは、        です。
C 親戚のことばは、         です。
② 母方
A 母のことばは、          です。
B 祖父母のことばは、        です。
C 親戚のことばは、         です。
③ 生まれ育った土地のことばは、        です。
④ 私の母語は、        です。

3)「あなたが身につけたことばは何ですか?」かも式言語チャート-ことば編2
① 学校
A 教科書は、         でした。
B 先生は、          で話しました。
C 私は、           でこたえました。
D 友達とは、         で話しました。
② 友達
A 友達は、          で話しました。
B 私は、           でこたえました。
③ 職場・近所の人とのことば
A 周りの人は、        で話します。
B 私は、           でこたえます。


ゲストを迎えて

 今到着されたのはトルコのラディノ語について大変お詳しい三村友美さんです。三村さんは現地に滞在されて言語調査をされたことがあります。

 <東京大学言語学研究室博士課程所属で、静岡在の常葉大学の専任講師の三村友美と申します。もともとはスペイン語が専門だったのですが、トルコに中世のスペイン語のような古いスペイン語を話すユダヤ人コミュニティがあると聞き、調査に行きました。どうぞよろしくお願いします。>


三村友美先生
三村友美先生


ラディノ語とイディッシュ語の現在

 イスタンブルのラディノ語に大変詳しい方です。いらしてくださってとてもうれしいです。さて、またスライドに戻りますが、これは何語でしょうか?ヒントは1730年から1770年くらいにトルコで出版されたものです。(参加者:ラディノ語?)そうです。ラディノ語ですね。実はラディノ語も昔はヘブライ文字で書かれていました。今では、少なくともイスタンブルではラテン文字で書くのが主流です。それではこちらは?ヒントは、1941年にニューヨークで出版されたもの。ニューヨークはジューヨークと呼ばれるくらいユダヤ人、特に東ヨーロッパから移住してきた人が多く住む街です。ということは・・・?(参加者:イディッシュ語?)そうです。イディッシュ語ですね。イディッシュ語はこの時も、今もヘブライ文字で書かれています。他の文字で書くことがないわけではありませんが。
 話者数は、イディッシュ語が大体150万人、ラディノ語は11万人くらいと言われています。イスタンブルではラディノ語の調査をしたとき、ある人がこう言っていました。「自分はこのことばを知らないと思っていたが、調査のとき外国人の研究者から色々聞かれたら、実はよく知っていたと気付いた」こういうケースもありますので、11万人の中には入っていないけれど、理解できる人は結構いるのかもしれません。イディッシュ語話者でも同じです。エルサレムで会ったイディッシュ語話者は、イディッシュ語がとってもよく話せるのですが、「話す機会はない」と言っていました。こういった人たちが話者としてカウントされているのかわかりません。

 さてこれは8年前の写真です。エルサレムで週1回、高齢者が集まってイディッシュ語を話す会を開いていたんですが、その集会の写真です。撮影した日はニューヨークのイディッシュ語新聞の編集長(今は引退しています)がゲストとして来て、イディッシュ語で話をしました。
 次にこちらの写真は、月に2回エルサレムで、月に2回テルアヴィヴで開かれている集会です。イディッシュ語で歌ったり、音楽を聴いたりする会です。こういった会に来る人たちのほとんどは、自分の先祖がイディッシュ語を話していたり、自分もまだ喋れたりする人たちです。
 最後は個人の家でイディッシュ語を読むという会です。毎回この家の主人たちである先生が読む本を選びます。イディッシュ語話者たちやイディッシュ語を研究している人たちが集まり、毎週夜の9時から12時までその本を読みます。本の中身も解説もディスカッションもイディッシュ語です。
 ラディノ語にもきっとこういう集まりあって、ucLADINOという会は毎年恒例のイベントを開いているようです。UCLAでラディノ語の授業もあったようで、そこで講師をしたブライアンという若い研究者がいることがわかりました。ucLADINOという名前はUCLAとLadinoを合わせて作った名前です。この会にはイスタンブルでラディノ語のための活動をしているカレンさんや、ブニス先生というエルサレムのヘブライ大学の教授も集っているようです。ラディノ語をテーマにした国際的なネットワークがあるようなんです。


正書法について

 先ほどお話ししたように、イディッシュ語の場合はヘブライ文字で書くのが基本です。
(イディッシュ語週刊新聞の写真)さてこの週刊新聞では、見出しの下に英語の翻訳がついています。イディッシュ語のわかる人でも英語のほうが読みやすいということが多々あるということだと思います。ちょっと前までは、英語の見出しはありませんでした。これはForvertsというイディッシュ語新聞なのですが、ここからThe Forwardという英字新聞もできました。英字新聞の画像を見てください。全部英語で書いてあるのかというと、ここに “Schmooze (シュムーズ) ” と書いてあります。シュムーズとは、「会話」とか「内輪のおしゃべり」という意味なんですが、イディッシュ語の単語です。このように英語の中にイディッシュ語の単語を入れて使っているのが先ほどお話ししたユダヤ人英語Yinglish (イングリッシュ) です。
 さて、今度はラディノ語の話です。「シャローム」というトルコ語のユダヤ人新聞がイスタンブルで出ていますが、もともとはラディノ語の新聞でした。ある時期からトルコ語になりました。でも中に1ページほどラディノ語の記事があります。私はトルコに滞在している時、この新聞の記者の女性からインタビューを受けたのですが、その方は全くのボランティアで記者をやっていると言っていました。そういうボランティア精神、やる気が言語とか言語のコミュニティの維持に重要なようです。さてこちらは先ほどのカレンさんがやっている『エル・アマネセール(夜明け)』という月刊誌です。これはラディノ語で書かれているんですが、「シャローム」の文化面が独立したものだそうです。 さて、またチャートに書き込んでください。

4)「あなたのふるさとのことばは?」かも式言語チャート-ことば編3
① 私のふるさとのことばは、         です。
② 私はふるさとのことばを、話しています・話していません。
③ 私はふるさとのことばを、話せます・話せません。

 みなさんにとって、「ふるさとのことば」とは何ですか?ラディノ語の例をみると、ラディノ語に郷愁を感じる、家族のものだという感覚をもちながら、トルコ語のほうが読みやすいという状況があるようです。トルコに住むユダヤ人はトルコ化した時期があるらしく、日常の言語もトルコ語になったみたいです。そうなると自分たちのことばはトルコ語なんでしょうか。それともやはりラディノ語なんでしょうか。
 私の場合、富士宮のことばのことをふるさとのことばだなあと思うんですが、自分ではもう話せなくなっています。夫が富士宮とは全く関係のない土地で生まれ育ったので、家の中では富士宮のことばを話さないです。私は中学・高校は静岡県内の私学に通ってたんですが、そこには東京や横浜から来たクラスメイトもいました。彼女たちから「この単語は意味がわからない」とか、私が使っていたことばが標準語ではないということを教えてもらいました。中学時代は特に衝撃を受け、自分のことばを矯正しました。ふるさとを離れて生活されている方でも、同居している方がふるさとの方でしたり、お正月は毎年ふるさとで過ごすとかだったりするとだいぶふるさとのことばを維持できるようです。

 私がいつも言語について考えるときに思い出すのが「ふるさとの なまり懐かし 停車場の 人ごみの中に そを聴きに行く」(石川啄木)です。これは上野駅の15番線ホームの写真です。ことばの問題とか、ことばの魅力とかいうものは、啄木のこのうたに集約されているのではないかと思ってしまいます。自分のことばは何かということは、普段ほとんど意識しません。しかし、何かのきっかけにそのことばをきくと「ビリッ」ときて、「あぁ、これは私のことばだ!」と感じるような、そういうことがあるのではないかと思います。


(参加者)<トルコの場合には、アラビア語を禁止してラテン文字にしましたね。そのときにヘブライ語も禁止されてしまう。印刷の活字も全部廃棄させられた。そうでなければトルコの文字改革、言語改革はできなかったでしょう。>

(鴨志田)私はまだその辺はあんまりわかっていません。その時にラディノ語もヘブライ文字をやめてラテン文字にしたのですかね。どちらがよかったのかわかりませんね。では、トルコのユダヤ人について長年調査された三村さんにお聞きしてみましょう。

(三村)<1996年~97年ごろのイスタンブルのユダヤ人コミュニティにお邪魔しました。マルマラ海に浮かぶビュユック・アダ(トルコ語で<大きな島>の意味、英語名はPrincess Islands)、富裕層ユダヤ人の夏の別荘地ですが、そこに滞在している人々の間では、トルコ語で話していても、ある単語がきっかけになってトルコ語ではない言語が話されることがある、と。だから、イスタンブルのユダヤ人の言語状況を知るには夏のビュユック・アダに行くといいと言われたわけです。指導教官の林徹先生のご指示を仰いでアジア・アフリカ言語研究所が作っていた「基本語2000」という言語調査票を使って、イスタンブル市内から船で毎日ビュユック・アダに通って、ユダヤ・スペイン語話者10名くらいに協力いただいて、今日の質問100、今日は150というふうに調査したわけです。語彙によっては、これはユダヤ・スペイン語ではない単語だとか、それをトルコ語で話していました。「シャローム」を見たトルコ人は、トルコ語の記事も、トルコ語ではあるけれど、なにかぎごちない感じがする、と。しかしこれは20年前の話で、現在の言語状況は変わっているかもしれません。当時の若い人に第一言語は何かと尋ねるとトルコ語だ、と。彼はその後ヘブライ語を学び、ヘブライ大学へ進学したと聞きましたが。>

(鴨志田)イスタンブル市内のシナゴーグに行ったら、金曜礼拝、土曜礼拝に人が少なくてショックを受けましたが、夏のビュユック・アダのシナゴーグは一杯だよ、と言われました。私はトルコ語もラディノ語もできないので、シナゴーグで会った人とはことばが通じず、ほとんど交流できませんでした。ラディノ語ができればずっと研究が広がるんだろうなぁと実感したわけです。

(三村)<言い忘れましたが、ユダヤ・スペイン語の正書法(つづり字の規則)は確立していません。現代スペイン語ではKの文字は使いません。でもラディノの新聞をご覧になると普通にKが使われています。トルコ語っぽい表記が使われていたこともありますし、正書法のゆれがあります。第二次世界大戦前後の生まれのかたが、音声言語として話していた言語なので、教育の差、男女差もありますし。トルコ語の正書法で記録として文字に残そうとしたのです。現在はシャロームを出している大手出版社の表記が主流ですが。>

(参加者)<この新聞を見る限り、ラディノ語はスペイン語に大変よく似ていますね。Hが全部落ちていたり、IがYになっていますが。だけど、この新聞がこの表記をしているだけで、別の人は別の表記をしている、ということでしょうか?>

(三村)<おっしゃる通りです。>

(参加者)<標準化の努力はどのように行われたのでしょうか?>

(三村)<標準表記が必要だろうということはみんなが考えていると思いますが、なかなかそうならない。ユダヤ・スペイン語もスペイン語の方言、と考えると、スペイン語は文字と音の対応が比較的簡単なので、なんとかなっているのかな、と。ギョズレム社の本、ほかの出版社の本、ほかの国で出されたユダヤ・スペイン語の本、それぞれ少し違っています。しかし、音読すれば通じるのですが。スペイン語に多い二重母音の書き方などにはかなり揺れがあるようです。>

(鴨志田)はっきり言えませんが、ラディノ語はイディッシュ語に比べて、正書法が進んでいないんじゃないでしょうか。イディッシュ語はある時期正書法の統一を進めました。ユダヤ教に超厳格な人たち以外で、イディッシュ語を教室で学んだ人たちのイディッシュ語はかなり統一されています。大学でイディッシュ語を教える場合とか、新聞の記事を書く場合、統一された正書法に則っているか何度もチェックがあるようです。イディッシュ語の中にはヘブライ語の単語が15%くらい入っていて、その単語はヘブライ語のつづりで書きます(例外もあります)。ですが、今のヘブライ語とは違う読み方をします。


 (動画)さて、この人はサラさんといってアメリカの研究者です。ユダヤの言語を研究しています。彼女が、現代のアメリカのユダヤ人はどのように英語の中にイディッシュ語を取り入れているかを示してくれています。
 (アメリカのユダヤ人のビデオの上映)ユダヤの人々が世界に離散したときに、移住先の言語を自分たちのバーション「ユダヤバージョン」にして生活に取り入れました。超正統派のユダヤ教徒が話す英語はまた違います。文中にユダヤの独特の単語が頻発しているのがわかります。私にはこれはEnglishというよりもYinglishに思えます。


自分にとってグッとくることば

このビデオのようにユダヤ人英語を聴いた人たちがどっと笑うのはなぜでしょう。私は、ユダヤ人英語が彼らにとって、グッとくるからではないかと思います。イディッシュ語やラディノ語もそういうことばの一つだと思います。さてここで最後のチャートです。

5)「あなたのことばは何ですか」かも式言語チャート-ことば編4
① 一番上手に話せることばは、           です。
② 一番楽に話せることばは、            です。
③ 一番グッとくることばは、            です。
         を話す人は、一番身近に感じます。

 このチャートを使って、ご自分のことばを考えてみていただきたいと思います。私の話は以上です。ご清聴ありがとうございました。

(文責:事務局)