地球ことば村
言語学者・文化人類学者などの専門家と、「ことば」に関心を持つ一般市民が「ことば」に関する情報を発信!
メニュー
ようこそ

【地球ことば村・世界言語博物館】

NPO(特定非営利活動)法人
〒153-0043
東京都目黒区東山2-9-24-5F

http://chikyukotobamura.org
info@chikyukotobamura.org

ことば村・ことばのサロン

2018・7月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「こもりうたを通して見える世界―アフリカを中心に」


● 2018年7月14日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田キャンパス南校舎441教室
● 話題提供:海野るみ先生(羽衣国際大学・文化人類学/民族音楽学)


講演要旨

はじめに

 2013年のことばのサロン「歌って学ぼう南アフリカ」での発表以来、5年ぶりの登壇をさせていただきます。前の発表のネット公開を見て関心を持ってくださった伊丹市のホール関係者からのお誘いで、去年伊丹のホールで南アフリカを取り上げていただき、またみんなでラグビーワールドカップの歌を歌いました。
 今日は少し違ったお題「こもりうた」をいただいて、見ていこうという試みです。実はこのお話があって、いろいろと見ていく内に論文をかけそうじゃないか、と思い始めております。皆さんにお知らせしたことば村ホームページやFBでは「子守唄(仮)」と表記してありますが、今日はあえて「こもりうた」と平仮名表記にしました。「唄」「歌」は意味づけが煩雑なので、今はそこは置いておき、そうした意味づけではないものも入れてしまおう、と思ったことと、「子守」についても日本と他の地域での「子守」の考え方との違いがあるわけで、漢字にすると日本に引き寄せられるかな、と、今のところは何にでもオープンに「こもり」を考えてみようと平仮名にしてあります。


なぜ「こもりうた」なのか

 実は私の母は80歳になるまで、51年間ひとりで幼稚園をしており、先日経営を知人に引きついで引退しました。私はその中で育ったためにこもりうたに限らず、いろいろな子どものためのうたを知っていました。また、さきほど社会文化人類学と民族音楽学の専門とご紹介いただきましたが、修士までは教育学を学びました。実家の環境や両親とも教師だったということもあり、子どもや子どもの環境について関心があった、それを最近改めてしみじみと感じております。娘を育てる間にも子どもをめぐっていろいろなことが起きましたので、最近学生を見て、この子はどういう環境で育ったのかにも目が行きます。
 ことば村の前理事長でいらした阿部先生に田舎のことをお話しした際、「僕も田舎の育ちだから」とおっしゃって聞いてくださり、話を重ねる中で、先生が「遊びとか遊び歌って、見えてくるものがあるんだよねぇ」とおっしゃったことをはっきりと覚えています。ずっとそれが頭に貼り付いていたのですが、今回のサロンの機会に、ことば村の中でも先生がそう言われていたことを聞き、今回のテーマ「こもりうた」につながりました。


海野るみ先生


子どもが遊び歌にとりいれるもの

 すると、私のお茶の水大学時代の後輩で、今新潟で三歳の息子さんを育てている人がフェイスブックでこんなことを書いていたのです。「息子が口にした歌詞にぶっとんだ!“お寺の和尚さんがカボチャの種を撒きました”という口遊び。“芽が出て膨らんで・・・・空を飛んで東京タワーにぶつかって ぐるっと回ってじゃんけんぽん!” 新潟にいるのに、なんで東京タワーなんだ!カボチャの種が空を飛ぶんだ!」という投稿です。
 彼女は30代後半くらいですが、彼女の時代には「カボチャの種は空を飛ばなかったし、なんで東京タワーかといえば、非日常だから?この口遊び歌はそういう風に進化したのだろうか」と。そういえば、今年二十歳になる私の娘が子どもだった時代にも、空を飛んで東京タワーにぶつかっていたので、そう投稿したら、そのあともが同じような投稿が続き、だれかは「そのうちにスカイツリーになるのかしら」と書いていました。
 これは阿部先生が「遊びとか遊び歌って、見えてくるものがある」とおっしゃっていた、まさにそのことが今起こっているのだ、と思います。どのように、子どもたちが遊び歌にいろんなことを取り入れていくか、に発展していく可能性のある課題だと改めて悟ったことでした。このことを踏まえると、アフリカの遊び歌やこもりうたもその時代時代の事柄を取り入れてきたのではないか、それを頭に置きながらこれからの話を聞いて頂きたいと思います。


アフリカのこもりうた

 最初、実はアフリカにはこもりうたは無い、と思っていました。アフリカで子守をするのは大抵、子どもが自分の弟や妹を抱えたりおんぶしたりして一体のようになって遊んでいる、そういう風景しか見ていませんでした。そこで歌を歌っているのは一度も見たことがありません。なので、こもりうたがどう存在するかがよくわからないまま、インターネットで検索していましたら、こんなホームページ(2016年~)が見つかりました。ページの作成者ママリサさんは研究者ではなく、子どものうたが好きで世界中から集めているという収集家のようです。彼女が集めたものしか見られないという制約はあるものの、きっかけとしては大変ありがたいホームページでした。

 このページには、世界の子どもののうたが大陸別~国別に分けて表示されています。各々のうたはまず現地語で書かれ、英語の翻訳がつけられて、さらにそれがどういうジャンルに属するのかが示されています。そのジャンルの中に「ララバイ・アラウンド・ザ・ワールド」のカテゴリーがあり、今回はそのアフリカ地域のコレクションに従って見ていくことにしました。「ララバイ」とは、寝ているひとのそばで眠りを誘うために歌ううたですが、こもりうたと訳していいかなと思いピックアップしてみました。

 このページの「アフリカのララバイ」には19カ国、20言語、28のうたが収録されています。それを一覧表にしてみました。
(→ http://www.chikyukotobamura.org/forum/img/salon180714_3.jpg

 例えばモロッコでは現地語がありますが、表のこもりうたはアラビア語で書かれています。エウェという言語を話すひとたちはガーナとトーゴにまたがって住んでいるということがこの表でもわかります。それから、例えばコンゴ共和国のリンガラ語とディアガ語、南アフリカのアフリカーンス語とズールー語のように、ひとつの国の中でも異なる言語のうたがあったりします。


アフリカのこもりうた その特徴

① 泣かないで
 この28のアフリカのこもりうた(といってもいいようなうた)の歌詞を見ると、いくつかの特徴があることがわかります。ひとつには大半のサンプルに「泣かないで」「ハッシュハッシュ(シー、静かに)」というような部分が出てきました。日本のこもりうたで、「泣くな」や「静かに」というのはあまり出てこないように思います。西アフリカのうたは全部「泣かないで」で始まりますね。サブサハラ(サハラ砂漠以南)の人々は、赤ちゃんが泣くのを慰める、それがこもりうたを歌う動機付けになるのかなと思い、それはおもしろいなぁと感じられました。

② 良い未来を祈る
 それから、これは北アフリカの主にイスラム教の国々のうたの中に、子どもたちに良い将来を願う歌詞が見受けられます。アルジェリアのカビル語の歌詞では、片方は息子に向けた歌詞「私の息子よ、星のように月のように、空に上がったら長生きを 生きて成長し同じ年頃の子どもたちと外で遊べ」それが男の子の生き方だ、というような歌詞です。一方、女の子に向けた歌詞では「娘よ あなたの心は純粋だ 部族の人と共にあれば 彼らが生きている間あなたの幸福は彼らのおかげ あなたの心は喜びに満ちるだろう」と、すごくジェンダー化された歌詞になっていて面白いなぁと見ました。カビル語の三つ目の歌詞「泉に行くと家が建っている 煉瓦の上に煉瓦をのせ 町に次ぐ町 神よ我が娘に長寿を与えたまえ 私の心の愛しい人と名付けよう」これも町が発展していくのと並んで娘が幸せになるように、という親の願いが表れた歌詞になっていて面白いと思いました。
 西アフリカにもそうした歌詞が見受けられます。ベニムのこもりうたは「あなたに何を上げよう 私には何も上げるものはない けれども祈ろう」というような歌詞になっています。

 しかしそのほかの西アフリカの歌詞、モロッコもそうですが、非常に現実的です。「お母さんは市場に行く お父さんは畑に行く」とか「お母さんは食料調達に行っている あなたは泣いていないでもう少し待っていてね」など現実的な内容が多いようです。働く両親の姿とか日常生活を歌い込んでいるものが多く見受けられました。

③ たたいたのは誰?
 それからちょっとびっくりしたのが、「親にいいつけるよ」「誰にたたかれたの」みたいなタイプの歌詞があって、例えばエレ語の歌詞は「泣かないで お母さんは留守 誰がたたいたの、ポール? そうなら彼をたたき返すから ためいきなんかつかないで おとなしく眠って」誰が子守をしているのか、お父さんか兄弟でしょうか、切実な思いが伝わってきます。中央アフリカのサンゴ語の歌詞は「もうおしまい ママは水くみに川へ行ったの 誰もたたかないのになぜ泣くの 泣かないで」というもの。最近の日本の考え―赤ちゃんは泣くのが仕事、というのとはかけ離れているな、と感じるところがありました。

④ 自然と子ども
 もうひとつ、自然と赤ん坊や子どもとの関係が書かれている歌詞がサハラ以北から東アフリカ、南部アフリカのものに多く見られます。月とか星は先ほどのアルジェリアのものにも出てきましたが、これはまさしくイスラム教の月と星のイメージと考えられます。そのほか泉、川、ジュジュメの実、雨、岩、あるいは太陽(が沈んだからお休み)、鳥、木々、風などの自然が歌い込まれていて、例えば木々が風に揺れて子どもを寝かしつけるとか、子どもを小さな岩、と呼んで岩をこどもの象徴としている例も見受けられました。日本の童謡でも自然が歌い込まれていることを感じられると思いますが、アフリカでも砂漠地帯だと灼熱の太陽より親近感が持てる月や星を歌い込む、あるいは貴重な水が流れる川のせせらぎや風、雨、また森の鳥や花、そうしたものに子どもたちが育まれていく、そのような歌詞が比較的多く見られました。

⑤ 宗教的背景と植民地期の影響
 もうひとつの特徴は、イスラムの宗教的背景が見え隠れするものがある、ということ。また、植民地期の影響があると思われるものもありました。特に南アフリカのアフリカーンス語で書かれたものはほとんどヨーロッパの作者が書いた詩のような内容の歌詞がありますし、島国レユニオンのクレオールで書かれた内容もこもりうたを書く作業自体がヨーロッパの宗主国の影響のもとにあるのかなと感じさせるものです。


アフリカの子ども観・家族観からみたこもりうた
 なぜ最初、アフリカには伝統的なこもりうたがないだろうと考えたかというと、ヨーロッパでもそうでしたが、子どもが大人と違う「子どもと」して認知されたのが近代に入ってからだからです。「1900年」というイタリア映画の中で、こどもをおもちゃのように振り回して殺してしまうシーンがあるのです。そういうことが近代まで比較的多く見られました。アフリカではそれと違う理由、つまり、5歳ぐらいになるまで、この世のものでもあの世のものでもない存在、その間にある存在として見ています。そうすると、こもりうたが必要になるのは、いくつかの歌詞にあるように、育ってほしい、自分たちのような大人になってほしいと願うため、それ以外ないのではないか。子どもを子どもとして見る見方は近代的な行為なわけです。そういう意味で伝統的なこもりうたはまずないだろうとあたりを付けたのですが、歌詞のいくつかには新しいものだ、という片鱗が見えるように思います。
 例えば南アフリカのこの歌詞をとってみてもそうです。「お父さんは朝帰ってくる 星が彼を家に導く 私たちのいる家への道を照らしてくれる」明らかにお父さん、お母さんと子ども、という家族の形態を示していますが、ズールーの人たちは本来そういう生活をしていない。伝統的にはそこらにある畑で大抵お母さんが働く。男の人が外に働きに行くのは最近のことなので、このこもりうたは新しいものと考えられます。先に見たイスラムの人たちの、煉瓦の上に煉瓦を積んで町が大きくなるというこもりうたも、サブサハラの感覚で読むと新しいと感じられますし、「お母さんが市場にいって きっとキャンディを持って帰ってくるよ」と続くので、キャンディなんかは最近のものですよね。このように、非常に近代的なものであることを匂わせる歌詞が多いなと思います。
 私が今回調べられたのはここまでで、これから先はまた深く調べなくてはならないのですが、ここまでの範囲でご質問やアイディアがあればどうぞ。


会場のようす


質疑応答

参加者A:なぜ最近になって、アフリカで子どもを子どもとして見るようになったのでしょうか。
海野:今でも0歳から3歳くらいまでは、その時期まで生きた、神様の領域から人間の領域に近づいた、という儀礼が残っています。その感覚もありながら近代的な感覚もあるということだと思います。近代的感覚がいつから、ということははっきりとは言えませんが、たぶん多産多死という状況から医療などが進んで出生数が減ったこと、またキリスト教の影響もあって命を大切にする教育も行われるようになったこと。また子どもを公教育の場で教育することも19世紀末にはほぼ完備されていたといえること。少産で長生きという社会になりましたので、子どもは医療や教育を受けさせてちゃんと育てるもの、という意識に変わっていったのではないかと思います。その一方で、私たちが七五三をするように、儀礼は行うようです。
参加者A:子どもの亡くなる率は減っているのですね。
海野:ずっと減ったと思います。ただ南部アフリカの場合はエイズの問題があります。例えばボツワナでは5年前の統計で38%の大人がエイズに感染していて発症を抑える措置が講じられています。結核も南部アフリカではまだ怖い病気です。地域によってはエボラ出血熱のような風土病もありますし。でも乳幼児死亡率は以前よりぐんと減っていると思います。

参加者B:大変面白い発表だと思いました。こもりうたというのは誰が歌うかが大事なのではないかと思います。兄弟が小さい子を見る場合は子守している子もまだ小さい。早く遊びたいから泣かないで、という歌詞になるのでは。歌う子どもと守られる子との関係が歌詞にあらわれるのではないでしょうか。日本の場合、子守は雇われた貧しい家の子どもで、にくたらしい赤ん坊、みたいなこもりうたになったりしましたが、アフリカにはそういうのはない。背景が違うのではないかと思います。
海野:はい、ありがとうございます。アフリカの「子守の状況」がどうかというのは次の課題だなと思っています。私の知る範囲では、日本の奉公人としての子守と同じように、南アフリカにはナニーという職があって自分の子どもは田舎の両親に預け、白人の家庭で子どものお守りをする。それも植民地化してからのことですが。南アフリカの状況は1652年以前がどうなっていたのかはあまりわからないです。
参加者B:私の専門のニューカレドニアでは兄弟が赤ん坊をみるので、遊びたいから泣くな泣くな、とあやします。
海野:はい。ただどこまで上の子どもにあやす責任があるのか、というと・・・。
参加者B:そうですね。遊び半分かもしれません。調査地ではあまり年が違わないような上の子がおんぶしていたりする。そういう場合はあまり優雅なこもりうたを歌ったりしないでしょうから。そういう意味で、ちゃんとしたこもりうたは発達しないのかもしれませんね。

参加者C:昼間はそうかもしれませんが、夜おっぱいをあげるのはお母さんだから夜泣きしたり、寝付かないときに母親がどうするか、ということはあるのではないでしょうか。
海野:そうですね・・・。母と子の関係性も・・・。次々に生まれるので。右のおっぱいと左のおっぱいを違う子が加えていることもあります(笑)。
参加者B:私は授乳しているのは見たことがありますが、その後寝かしつけるのは見たことがないです。
海野:私もないですね・・。子どもより、大人同士で話をしていたり、自分が寝てしまったり・・・。子どもに対する関心の向け方が違うのではないかなと思います。

参加者D:リサさんが集めた歌は実際には誰が歌っているのでしょうか?
海野:実際に今歌われているものと、おじいちゃん、おばあちゃんが歌っていたというのがありました。リサさんのページには投稿ページがあって、これは何だろう、という質問が寄せられますし、それに対する書き込みもあって。今歌われている、というものは少ないように見受けられます。

参加者E:こもりうたの少し先ですが、小学生くらいの年代の子どもについて、近代になると子どもを大人の型にはめるのではなくて、子どもらしく育つように、という考え方に変わってきているように思います。こもりうたの世界では、「泣かないで、静かにしていて」ではなく、「元気に泣けよ」というのはないのでしょうか。
海野:アフリカに関しては見つけていないですね。日本ではあるのですかね、泣いてもいいぞ、みたいなうたが(笑)。日本のうたは子守さんのうたなので、もの悲しく、寝かしつける、というものが多いですね。泣きなさい、というのはないような気がしますが、面白いですね、探してみます。


南アフリカのこもりうたを聴く

 それでは南アフリカのこもりうたをひとつ聞いて頂こうと思います。「チュラウババァ」といううたです。ズールー語のうたで、歌詞はさっきの「ちいさい男の子 静かにして お父さん(チュラウ)は 帰ってくる・・・・」です。このうたは今やほぼクラシック化して、オペラ歌手やクラシカルな合唱団、教会合唱団などが歌っていて、海外でもアフリカのうたとして紹介されています。

(チュラウババァのコーラスを聴く)

 南アフリカの人々は合唱するのがとても好きで、キリスト教化が進んで小さいときから教会音楽に慣れ親しんでいることもあって、歌うことが習慣になっています。こうした合唱団はいくつあるかわからないくらいあります。さっきの合唱は踊りながら歌われていましたが、非常に南アフリカらしい踊り方で、こうして踊りながら歌うこともよくあります。

参加者D:この曲は作曲者がいるのですか。西洋音楽的な旋律に聞こえましたが・・・。
海野:伝統的なうたということになっていて作曲者はわかりません。でも、伝統的な旋律があったのかどうかもわからないくらい賛美歌が浸透しています。ハーモニゼーションも南アフリカ独特の部分もありますが、ひとつの音があると、次の音をバンと自分で作れるくらい、小さいときから歌っている。ですからこういう曲も自然発生的に節を付けて歌う。また、替え歌を作って歌う。というようにどんどんうたが増えていく、17世紀以来それがこの社会のかたちです。
参加者C:踊りも西洋的に見えましたが・・・。
海野:そうですね、でもこの腰の振り方とかは南アフリカ的です。女性の踊り方ですが。男性の踊りは足を高く上げる戦いの踊りなどですが、女性はスネークダンスといって前の人の肘をもって、くねって踊る。これはその変形版ですね。
参加者E:実際にこもりうたを歌う場合はコーラスにはなりませんよね。
海野:周りに人がいると、コーラスになる可能性はあると思います。


クリック音を練習してクリックソングを歌おう

 もうひとつ、これはクリックソングと呼ばれるもので、虫をうたったうたなのですが、「ノックノックビートル」というこの虫はみんなに幸せを運んでくると言われています。コサという人たちのコサ語のうたです。コサ語にはクリック音という、舌を鳴らす音があります。
子どもたちがそのクリック音を出すのを楽しんでうたう、といううたです。
 「ウィッチドクター(祈祷師・呪術医)が来るよ ノックノックビートルが道の上を這っていく」という、あまり意味はありませんが、クリック音をたくさん出す歌詞が延々と続くものです。遊び歌のかたちでも歌われます。どんな曲か一回聴いてみましょう。

(クリックソングを聴く)

 この言語では4種類のクリック音がありますが、ここで出てくるのは硬口蓋の真ん中あたりを舌ではじく音です。日本人も子どもをあやすときなどに鳴らしますよね。ですから日本人は上手だと現地の人から褒められます。このQがクリック音です。

Igqirha lendlela nguqongqothwane (x3)
Sebeqabele egqith’apha nguqongqothwane (x3)

 クリック音はカラハリ砂漠あたり、ブッシュマンなどの言語にたくさん見られます。この言語もそこからもらってきたらしいです。この人たちが住んでいるのはケープタウンのあたりですが、その周辺にいるブッシュマンとの言語接触によるものと言われています。 それでは皆さんでクリック音をがんばって練習して、合唱の部分を歌ってみましょう!

(クリック音の練習の後、参加者全員で歌う)

 では、エンコーシカクール。コサ語でエンコーシはありがとう、カクールはvery muchです。日本のあいうえおと同じような発音なので、日本人はすごくうまい、と言われます。では、これで発表を終わります。エンコーシカクール!(拍手)


(文責:事務局)