地球ことば村
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ことば村・ことばのサロン

2019・4月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「イエメン・ユダヤ人とその言語 詩と音楽を中心に」


● 2019年4月6日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田キャンパス南校舎441教室
● 話題提供:辻圭秋先生(中東研究・中東音楽演奏家)
● 司会:田中真知ことば村運営委員


司会 今日は京都から辻圭秋さんをお迎えしてのサロンです。辻さんは日本における中東音楽や詩の研究の第一人者と言っていいと思います。同志社大学の神学研究科でアラビア語、イスラム学を学び、イスラエルに留学されてヘブライ語、イディッシュ語などのユダヤ諸語、さらに中東音楽を勉強されました。著書に、「そして人生は続く―あるペルシャ系ユダヤ人の半生」(風響社)がありますのでぜひご覧ください。
 現在は京都で中東カフェ文化サロン「フィンジャン」を運営しておられます。今日は中東の楽器のひとつウードの演奏もしてくださいます。大変楽しみです。


講演概要

 辻圭秋と申します。中東ユダヤ人の音楽とその歌詞、特に宗教系の音楽と宗教系の歌詞に関心がありまして、イエメンのユダヤ人の詩については日本で私しか研究していないのではないかと思います。今日はそうしたテーマの前段階にあたる、中東ユダヤ人の言語について、わかりやすいところから説明したいと思います。


辻圭秋先生


1. ユダヤ人と言語

 ユダヤ人とユダヤ教徒は厳密には概念が違うのですが、ここではあまり区別しないでお話します。


1-1-1 聖なる言語(ハイカルチャーの言語)

 ユダヤ人といえばヘブライ語です。日本でよく言われている言説として、ユダヤ人は必ず地域語とヘブライ語の二言語以上がわかる、があります。しかしこれはあまり正確ではありません。イスラエル建国以前の19世紀後半ぐらいまではヘブライ語のできないユダヤ人はたくさんいました。ヘブライ語力が強い地域、弱い地域があります。例えばイエメンはヘブライ語をよく勉強している地域、ユダヤ教の学問を学ぶ伝統の強い地域です。一方たとえば私の先生の一人の父はラトビアのユダヤ人で、東欧ユダヤ人の言語イディッシュ語を日常言語とし、ほかにポーランド語、ロシア語などを話していますがヘブライ語はあまり解さない。時代と地域で全然違います。
 しかしそれでも、ヘブライ語はユダヤ人の歴史に特別な位置を占めている言語です。紀元前1000年ごろのイスラエル人あるいはヘブライ人、ユダヤ人は、ヘブライ語が日常語でした。時代が下るにつれて、日常語が変わっていく。例えばギリシャ語からアラム語に。アラム語から、例えばイラクではアラビア語に。フランスへ行った人たちはプロヴァンス語に。ドイツに行った人たちは例えば後にイディッシュ語と呼ばれる言語に。このように変化はしますが、記憶の中では民族の中核の言語はヘブライ語、これは認識として変わったことはありません。

 ヘブライ語は日常では使わなくなってきますが、聖典言語あるいは学問言語(宗教学者の言語)に変わっていきます。また、ユダヤ人コミュニティーに共通の書記言語にもなります。皆さんの中には、ヘブライ語は死語から復活した言語だと聞いたことが多いと思います。しかし全くのゼロからよみがえったのではなく、19世紀後半ぐらいまで、ヘブライ語は中世ヨーロッパのラテン語のような地位にあり、発声・発音しなくても書いて通じる言語として、例えば母語が異なるイラクのユダヤ人とドイツのユダヤ人が手紙で意思疎通ができました。書記言語のリンガフランカだったのです。ただ、もちろん日常の口語として「復活」させるに際して現代語の語彙を拡張するなどの努力は必要でしたが。そのようにヘブライ語は聖書・祈祷の言語として日常言語の違うユダヤ人共通の書記言語でした。
 フランス革命以降、植民地が拡大していく。そこにユダヤ人がたくさんいる。そこで、例えば近代フランスにいたユダヤ人が後進的な地域のユダヤ人を啓蒙する組織を作り、フランス語とヘブライ語を広めようとしたこともありました。その組織は中東アラブ世界、例えばイラン(ペルシャ)、イエメン、イラク、エジプト、オスマン帝国領パレスチナにも行き、地域によっては問題にもなりました。


1-1-2 重要な言語:アラム語

 言語学的にヘブライ語と近いアラム語があります。ヘブライ語、アラム語、アラビア語はセム語族で、ヘブライ語とアラビア語の距離よりもヘブライ語とアラム語の距離の方がはるかに近いのです。アラビア語話者のパレスチナ人に、ヘブライ語と共通の語根・語彙はどれくらいと聞くと、だいたい20%と答える。ヘブライ語とアラム語の場合は50%~70%くらいといったところでしょうか。

 中世以降のユダヤ人の中ではアラム語は大変大切な言語です。ユダヤ人のどこの家にでもある祈祷書、ユダヤ教にはイスラム教よりはるかにたくさんの祈祷がありますが、その一部、非常に重要な祈祷にアラム語のものがあります。また、宗教的祭礼の際の典礼の詩、その典礼詩にもアラム語を使います。
 大体紀元前7世紀ぐらいから7世紀ごろまで、アラム語は地域の行政言語・共通語でした。ユダヤ人の母語は次第にヘブライ語からアラム語にシフトしたのです。その時期にアラム語でタルムードが書かれます。その後タルムードはユダヤ人の宗教生活を大きく規定するものになりました。
 タルムードのほか、もうひとつ重要なジャンルがあります。それがカバラーです。カバラーはユダヤ神秘主義の思想体系ですね。その聖典がアラム語で書かれています。ユダヤ教宗教学者や研究者はヘブライ語だけではだめで、アラム語が絶対に必要なのです。アラム語が日常言語になった時期に、ヘブライ語からアラム語へ聖書が翻訳されました。イエメンはこのアラム語聖書翻訳の伝統の強い地域です。イエメンのユダヤ人社会ではヘブライ語とアラム語とアラビア語が全部重要です。


1-1-3 ギリシャ語

 昔ユダヤ人世界を二分する動きがありました。つまりヘレニズム・ギリシャ哲学思想がユダヤ人にも浸透します。当然それはギリシャ語でなされます。紀元前1世紀から紀元後ぐらいですが大きな論争があり、ユダヤ人はヘブライ語を使うかギリシャ語を使うかが問題になったのですが、最終的にはユダヤ人コミュニティーはギリシャ語で哲学する道は捨てました。ギリシャ語で著作することを放棄したことはユダヤ史の中のターニングポイントで、反哲学の態度はその後当分の間続きます。ここでギリシャ語が採択されていたら、現在ユダヤ世界はかなり変わったものになっていたかと思います。


1-2 日常語

 日常語としては、ユダヤ人は大体住んでいるところの言語を話します。アラビア語地域に住んでいればアラビア語、スペイン語地域にいればスペイン語を話していました。現地語は学問的にはユダヤ諸語と呼ばれます。ユダヤ諸語として学会が認識しているものは以下の通りです。(学者によって異論あり)

ユダヤアラビア語 ユダヤアラム語 ユダヤフランス語 ユダヤグルジア語 ユダヤギリシャ語 ユダヤイタリア語 ユダヤクリミア語 ユダヤラテン語 ユダヤペルシャ語 ユダヤプロヴァンス語 ユダヤスラブ語 ユダヤスペイン語 ユダヤタジク語 ユダヤベルベル語 ユダヤクルド語。
ユダヤが語頭に付かない言語が3つ、タート語、イディッシュ語、カライーム語。

 この中で三大ユダヤ語として有名なのがイディッシュ語とユダヤスペイン語(ラディノ語)とユダヤアラビア語です。


1-2-1 イディッシュ語

 たくさん列挙しましたが、では、どのくらい違うのか。イディッシュ語を例に取ると、これは東欧ユダヤ人の言語で、昔のドイツ語に大変近い。ドイツ語の古い形をベースにしてヘブライ語、アラム語、ロシア語、ポーランド語などの語彙が乗ったものです。
 資料の歌詞集の(イディッシュ歌詞の例)をご覧ください。イディッシュ語ふくめユダヤ諸語はヘブライ文字で書きますが、左側にそのアルファベットを併記してあります。第一聯を音読してみます。

(音読)afn pripechik brent a foyerl
    Un in shtub is heys
    Un der Rebbe lernt kleyne kinderlekh
    Dem alef-beys

 音を聞くとドイツ語の発音に近いと思われるのではないでしょうか。問題はこれがどのくらいドイツ語と離れているかということです。現代ドイツ語話者は、テキストの内容にもよりますが大体六割くらい分かると言います。この歌詞の三聯目を見てください。

 Lernt kinder mit groys kheyshek
 Azoy zog ikh aykh on
 Ver s'vet gikher fun aykh kenen iveri
 Der bakumt a fon

 一行目のkheyshek、三行目のiveriはヘブライ語ですね。


1-2-2 ユダヤスペイン語

 資料、その下の(ユダヤスペイン語の歌詞の例)をご覧ください。ラディーノあるいはジュデズモ、スパニョニトとも言われる言語です。

 Durme durme ermozo ijico
 Durme durme kon savor
 Serra tus los ojos ijicos
 Durms durms kon savor

 この曲にはヘブライ語の語彙はないですが、スペイン語の分かる方は大体分かると思うのですが、スペイン語話者に聞くと大体八割分かると言われます。イディッシュ語よりもはるかにヘブライ語やアラム語の要素が少なくて現代スペイン語に近いです。勉強するにはイディッシュ語のほうが現代ドイツ語から遠いので面白いのですが・・・。


1-2-3 ユダヤアラビア語

 ユダヤアラビア語に関しては、イディッシュ語やユダヤスペイン語ほどヘブライ語由来の語彙がたくさんあるわけではありません。では、どこが違うのか。
 アラビア語学会の中では、ユダヤアラビア語とクリスチャンアラビア語というのがあることになっていますが、ムスリムのアラビア語に対して、このふたつはクルアーンの制約が全くありません。美文の規範としてのクルアーンを学ぶ必要が全くないのです。そのため、クルアーンの規範に従って書かれる文章とはシンタックスとか正書法がかなり違って、アラビストからすると気持ちの悪いものになっている、と聞きます。逆に、言語学の立場からはこちらのほうが現代口語に発展していくのではないか、とユダヤアラビア語・クリスチャンアラビア語に注目する人もいます。


1-2-4 ユダヤ諸語はヘブライ文字

 ユダヤ諸語に関して問題なのは、一番有名なのがイディッシュ語なのですが、ユダヤ諸語の中でイディッシュ語が一番変な言語なのですね。現地語とそんなに違う言語ではなく、ユダヤ○○語と項目を立てなくてもいいのではないかと思う言語も入っているのではないかと時々思うのです。「~語」とは何か、は社会言語学の問題ですが、政治的な見方というか、○○語を話すのは別民族だというのは、結構恣意的にやられることも多いので、何でもかんでもユダヤ○○語と言うのには私は疑問を持っています。
 ユダヤ○○語と呼ぶひとつの根拠に、それらがヘブライ文字(アラム文字)を使っているということがあります。世界共通の現象として、特に近代以前、文字が文化圏とか宗教の帰属に大きく影響すると言う考え方がありました。例えばセルビア語とクロアチア語は言語的にはほとんど同じにも関わらず、セルビアはセルビア正教でキリル文字、クロアチアはローマンカトリックでアルファベットと違ったため、ユーゴ崩壊後は違う言語の扱いです。あるいは、ヒンディー語とウルドゥー語はもともと共通のヒンドゥスターニー語で、似たような言語だということですが、パキスタン独立に伴って、パキスタンではアラビア文字を使ってウルドゥー語を国の言語としてヒンディー語由来のものを消していき、片やインドはヒンディー語をナーガリー文字などで表記する。あるいはアラビア文字で書いていたオスマン語を近代化・西洋化することでトルコ式アルファベットを開発して、トルコ語を国語とする。こうしたことは国民国家の成立に伴う普遍的現象としてあるかと思います。


質問コーナー

 ここでこれまでのところについて質問を受けたいと思います。

参加者A 日常語がヘブライ語からアラム語へシフトしたのは意図的に、ですか?それとも自然に?
 それは自然に、ですね。
A アラム語とヘブライ語がもともと共存していて、ということですか?
 聖書の時代からそういう現象があって、基本的にはバイリンガルの状況があって、次第にシフトしていったのではないか、とされています。ヘブライ語とアラム語は似ていて、ロシア語とウクライナ語の関係に似ているかもしれません。境が曖昧になるときがある。しかし言語としては別物で、例えば定冠詞の位置が前後逆なので、いきなりはシフトしない。ただ語彙が共通だとゆるくなってきますね。アラム語はアラム人の言語なのですが、紀元前9世紀ごろに登場した言語で、その後言語だけ残っていってアッシリア帝国など中東の行政言語になったりしますが、民族性が希薄な言語なのですね。

参加者B キリストはアラム語を話していたのですか?
 実はこれは面白くて、クリスチャンの学者はイエスをアラム語話者にしたがる。ユダヤ人の学者はイエスをヘブライ語話者にしたがる。新約聖書がギリシャ語で書かれているから、いずれかはもう分からないのですが、ヘブライ語かアラム語かのどちらかだったというのは間違いないと思います。

参加者C アラム人という民族がいて、それはユダヤ人とは違う人々だったのですね?
 アラム人は住んでいるところが違いました。シリアとかメソポタミアの上の方、今のシリアのトルコ寄りのあたりにいました。ISの居たところですね。古代アラム語は紀元前1600年くらいからで、碑文が残っています。セム語の中でヘブライ語に近いのはウガリット語、カナン語、フェニキア語、モアブ語など、今のイスラエルあたりのカナン諸語で、共通の特徴があり、それはアラム語とは別のものです。例えば「書く」はアラビア語でカーティブ、ヘブライ語ではコテヴ、アラム語ではカットゥヴァーになりますが、大事なのは第一音節の母音が<a>か<o>かです。<o>がヘブライ語の属するカナン諸語の特徴ですね。
C アラム語とアラブ語とは同系ですか?
 アラム語の<ア>はアレフで、アラブの<ア>はアインなので別の言葉ですね。住んでいるところが違います。アラブは大分南です。

A ユダヤアラビア語やクリスチャンアラビア語は、クルアーンが規範のムスリムのアラビア語からみると気持ち悪いということですが、では、クルアーンが成立する前のアラビア語からみるとこのユダヤアラビア語のほうが普通なのではないですか?
 クルアーン成立以前のジャーヒリーア時代にユダヤ人がアラビア語で書いたものを私はあまり知りません。それより、アラビア半島の各部族の発音を調べていった方が面白いです。

参加者D アラム文字、ヘブライ文字はいつ頃から・・・?
  ヘブライ文字は実はアラム文字です。もともとアラム文字から発展してきて現在のヘブライ文字になったのです。サマリア人が使っているのがもともとのフェニキア系のヘブライ文字に近い文字とされます。アラム語は文字表記がたくさんあるのですね。例えばシリア正教が使っている典礼言語のシリア語、これは実は後期東部アラム方言のアラム語なのですが、三種のシリア文字で書かれる。あとは例えばマンダ教徒のマンダ語はマンダ文字を使ってアラム語の方言であるマンダ語を書き記す、あるいは楔形文字を使って書く。そのひとつとして例えば紀元前後くらいのだと、私が読める程度のヘブライ文字が使われたというわけです。
C アラビア語系の文字は母音表記がないと聞きましたが、アラム語はどうですか?
 後のシリア語では発展しますが、基本的には無いですね。アラビア語、ヘブライ語とともに後世になると母音記号を付けたりします。聖典を正確に読むために、ですね。


会場のようす


2. イエメン系ユダヤ人と言語

 イエメン人の日常言語は、ヘブライ語、アラム語、アラビア語(現地イエメンアラビア語と標準ユダヤアラビア語)です。このふたつのアラビア語はかなり違います。伝統的にはヘブライ語、アラム語あるいは学者のユダヤアラビア語が分かるのは、ほぼ男性のみです。女性は現地イエメンアラビア語のみを話すのが普通です。
 詩は基本的にはヘブライ語、そのほかアラム語、アラビア語でも書かれます。宗教詩などはヘブライ語でしか書かない地域が多い中、現地語で詩作するイエメンは例外的で、ほかにはアラム語で詩作するクルディスタン、ペルシャ語のイランがあります。

 資料に載せた詩は、最初の聯がアラム語、次の聯になるとアラビア語(ヘブライ文字表記)、次がヘブライ語、また、次にアラム語、最後がアラビア語、となっています。イエメンはこうした三言語詩が多いですね。
 イエメンのユダヤ人社会には言語だけでなく、典礼詩や文化などにも古層が堆積しています。日本もシルクロードの終着地で流れてきたものがそこで留まる。新しいものが来ても上書き保存ではなく、以前のものも残る。イエメンもこのパターンを踏襲していて、ほかの地域ではあまり見られないことです。イエメン・ユダヤ人のアラビア語には古いアラビア語が残っていますし、古い習慣や古い宗教儀礼が残っています。8世紀くらいのアラム語の古い詩のジャンルがイエメンでだけ残っていたりする。新しいものが入ってこなかったのではありません。世界のトレンドは少し遅れてイエメンに採用されますが、それは到達するのがおそいのではなく、保守的なのでイエメンでのトレンドになるのに時間がかかり、しかも以前のものは残されていく。私は日本と似ているなぁと面白く思っています。

 なぜ詩を作るのか、その理由のひとつにヘブライ語を勉強させるため、ということがありあます。ユダヤ人は放っておくと同化してしまう。ユダヤ教を護りたい人々は、ヘブライ語を学べと皆の尻を叩くのですね。例えば人々がアラビア語の歌を歌っている。するとヘブライ語の歌詞を付けてやるからそっちを歌え、とヘブライ語の詩集(ディーワーン)を編んだりすることもある。


3. イスラエル(建国~現在)音楽史におけるイエメン音楽

 当時の、今でもそうですが、イエメン人は西洋文化の人から見るとかなり異質というかエキゾチックな面があり、東洋の代表として新生イスラエル国家のプロパガンダにも使われました。新生イスラエルの多様性の象徴、寛容の象徴にもつながってくるのですが。イエメン音楽はイスラエル音楽、イスラエルダンスにかなり貢献しています。なぜかというと、イスラエルは西欧ユダヤ人が中心となって作られた国ですが、新しい国作りに大変重要な民族的独自性を持つ文化を打ち出す必要がある。音楽はじめ文化は大変重要なものです。そこで、エキゾチックなイエメン音楽を持ってきて、これがイスラエル音楽だ、我々は今までのユダヤ人とは違うイスラエル人だとアピールしたわけです。


3-1 イエメン音楽と微分音

 それがなぜイエメン音楽だったのか、というと、中東音楽、特にトルコとかエジプト、シリア、イラクなどの音楽には微分音というのがあります。ピアノでは出せない音、例えばドとド・シャープの間の音などですね。この音は近代西欧音楽では不協和音であって、非常に相性が悪い。しかしイエメン音楽にはこの微分音が少ない。それで近代西欧音楽の機能和声と親縁性が高いというアドバンテージがあったわけです。これは今のワールドミュージックにおけるアフリカ音楽とも似ている話です。80年代終わりから90年代にかけて市民権を得たワールドミュージックですが、基本的に微分音のあるものはワールドミュージックに入れません。近代西欧音楽を基本とする我々が理解できないからです。世界中にある音楽の中でも西欧音楽と相性のいいものだけが取り上げられています。
 イスラエル建国以前は中東系音楽は人気があったのですが、その後潜在的な敵性音楽となった時期もありました。今また人気が復活しています。イスラエルの歌姫オフラ・ハザはイエメン系で、イエメンの伝統音楽をよく歌っています。イスラエルにおける有名なエキゾチックな歌はイエメン音楽が多いですね。
 ここ8年くらい、ピユート(準典礼詩)のリバイバルによって、イエメン音楽は再び脚光を浴びていて、ジャアレ(伝統的歌会)も復興されています。


質問コーナー

 なにか質問がありましたら、どうぞ。

参加者E 先生の著書・インタビュー集の「そして人生は続く」で、イランに住むユダヤ人の主人公ダリアさんがミュンヘンオリンピックでのイスラエル選手殺害事件が起こるまでイスラエルという国を知らなかった、またお姉さんは大統領が触れるまでホロコーストについて知らなかったとありますが、それは地理的に遠かったためですか?
 ミュンヘン事件に関してはそもそも彼女が当時8歳と幼かったということがあると思います。当然、遠い、ということもあります。情報が入ってこないこともあります。彼女のお姉さんはアフマドネジャドが言うまでホロコーストを知らなかったのは私も驚きましたが、ユダヤ人というアイデンティティーの強い人も弱い人もいて、弱い人は何の興味もない、という場合が結構あります。ダリアがミュンヘン事件までイスラエルという国家の存在を知らなかったというのは、それほど珍しくないでしょうが、お姉さんがホロコーストを知らなかったという話は他に聞いたことはありません。私も衝撃をうけました。
 ある時期までは中東ではホロコーストの情報は知られていませんでした。70年代以前では、ホロコーストはイスラエルの歴史というより、ヨーロッパの歴史だったので、別の世界の出来事という認識でした。移民二世三世の時代になって歴史教育の中で勉強し、ホロコーストがイスラエル、あるいはユダヤ人共通の経験であるという歴史認識ができたわけです。しかし本の中のダリアの姉のように、イランのエスファハーンで育ってイスラエルに行ったこともない、そういう人にとっては別世界のことなのですね。ユダヤ人と言っても一枚岩ではないのです。ユダヤ人は民族の歴史を共有しているという私の思い込みを訂正してくれた経験です。

参加者F ヘブライ文字の母音符号は付いたり付かなかったりするのですか?
 聖書は必ず付けます。幼稚園から小学校低学年の本、ムーミンとか、星の王子さまなど、には付いています。母音を振るのは大学のヘブライ語学科で1年かけて学ぶような難しいものなのです。

参加者G 共通してユダヤ人であるという自覚はあまり持っていないのですか?
 人によります。
G 日本人からするととてもわかりにくいです。
 わかりにくいですね。ただ、イスラエル・アメリカの二重国籍で、1年の半分アメリカにいる30代の私の友人は、ニュースでユダヤ人が殺されたりするのを見ると、自分のこととして受け止める、と言っていましたね。別の例で、チュニジアからフランスへ移住して、そこでクリスチャンの夫と結婚して生まれた娘さんと話をしたことがあります。ユダヤ教の教育は受けていませんでしたが、ユダヤ法からすると彼女はユダヤ人になります。イスラエルに帰還する権利も持っています。彼女はそのことは知っている、しかし自分はフランス人だ、と言っていました。周りからユダヤ人として扱われたこともない。ただ、私がユダヤ人だということは、なんとなく気にはなる。しかし他のユダヤ人に対しての同胞意識はない、と言っていましたね。
B 印象として、国民国家が出来る前と後とで、ユダヤ人という意識が変わったのではないですか?
 それはありますね。
B おおまかにいえば日本人は日本人というときに人種意識が強い。ユダヤ人はどちらかといえば宗教意識が強くて、ユダヤ教を捨てたユダヤ人は、もしかしたらユダヤ人と認められなくなるかもしれないという気がするのですが。
 それも永遠に解けない問題ですね。それにプラス、歴史を共有している意識、これもかなり重要になると思います。民族性の構成要素としての言語・宗教・歴史、宗教が消えても言語と歴史が残る。言語が消えても、歴史が残っている人もいる。特に近代以降ユダヤ教徒の世俗化、脱ユダヤ教の流れなどがめだってきて、先ほど挙げた構成要素の内、歴史を強調する学者は少なくありません。

参加者H 資料のヘブライ語/アラム語/アラビア語が混じった歌詞のうち、アラビア語はフスハー(標準アラビア語)ですか、イエメンのアラビア語ですか?
 かなりフスハーに近いですね。(朗読)音にすると分かりますよね。

A ユダヤ人はどのようなルートでイエメンに行ったのでしょうか。
 多分紅海を通って、だと思いますね。エチオピアに行ったりしていますので。スーダンにはあまりいない。エジプトの南にいたのはアケネメス朝の傭兵だったと思います。第一神殿の時代から、つまり第二神殿時代の前からイエメンにはいた、という風に言われています。
A エチオピアのユダヤ人も古くからいたのですか?
 第一神殿時代からいたと言われています。エチオピアのユダヤ人はタルムードの伝統を持っていないので、ユダヤ人と認定するかどうか、エルサレムのラビ庁でもめたりしました。第一神殿時代からいて、その後外界から孤立してタルムードが伝わらなかったとすれば平仄は合います。タルムードがないので食堂に行ってもコーシェル(食事規定)がありません。コーシェルを守っているユダヤ教徒は食べられません。そのかわり、認証料を払わずに済むので安い。(笑)

A イスラエル建国の時にイエメンの音楽を中心にしたということですが、なぜアシュケナジー(ヨーロッパ系ユダヤ人)の音楽を使わなかったのでしょうか?
 イスラエル建国のシオニズムのテーゼのひとつに、ディアスポラの否定があります。それはアシュケナジー文化の否定でもあるのです。新しいイスラエル人、イスラエル文化は、今まで虐げられてきた弱い受動的なユダヤ人、ユダヤ民族、ユダヤ文化ではない。キブツや軍隊でのマッチョイズムの隆盛からもわかりますが、シオニズムにはアシュケナジー文化などの過去の文化は乗り越えられるべきものなのだという意識があります。つまり、新しいものをつくらなくてはならないが、今までのものをそのままは流用できない。そこで変なコード進行だったり、ドリア旋法を多用したり、イエメン音楽を導入したりして新しい音楽を作った。イスラエルへ行くとアシュケナジー料理屋はほとんどありません。シオニズムではアシュケナジー文化は基本的に決別すべき過去なのですね。

参加者I 言語圏によって食べ物が違うと思いますが、料理に関してのタブーは何かありますか?
 中東のユダヤ人はユダヤ人である前にその現地の人、なのですね。中東の人は基本的に食に関して保守的です。アラブ人はアラブ料理だけ、トルコ人はトルコ料理だけ。ユダヤ人も基本的には同じです。本に書いたイラン生まれでイスラエル在住のユダヤ人・ダリア、彼女はイスラエルのレストランにほとんど行ったことがない。ずっと自分の家でイラン料理を作って食べています。それ以外は食べ物とは思っていない。そのあたりはユダヤ人である前にイラン人ですね。一方、ヨーロッパのユダヤ人は食に関して超オープンで、新しもの好き。食と言うよりは文化一般の話になりますが、異文化との付き合い方は、ホスト国文化の態度を引き継いでいるように思えます。
 音楽ともつながる話ですが、例えば20世紀初頭にユダヤ・クルド人がエルサレムに来る。彼が選ぶシナゴーグは、自分たちのコミュニティーにできるだけ近いもの、自分たちの知っている祈りや歌のメロディーに一番近いところを選ぶケースが多いようです。ですからクルド系ユダヤ人はドイツ系ユダヤ人のシナゴーグやエチオピアユダヤ人のシナゴーグには行かず、文化的に近いエジプト系ユダヤ人のシナゴーグに行く。他文化をみんな等距離に見ているのではなくて、距離感が違います。それと同じような現象として、エルサレムにはクルド料理をベースにして他の中東の文化の人の舌にも合うようにした、そういう料理は、結構多いです。

 それでは休憩を挟んでウードを演奏しましょう。


ウードの演奏


 以降、ウードのライブがあり、参加者みな大いに楽しみました。辻先生、貴重な時間を過ごすことができて、本当にありがとうございました!


(文責:事務局)