地球ことば村
言語学者・文化人類学者などの専門家と、「ことば」に関心を持つ一般市民が「ことば」に関する情報を発信!
メニュー
ようこそ

【地球ことば村・世界言語博物館】

NPO(特定非営利活動)法人
〒153-0043
東京都目黒区東山2-9-24-5F

http://chikyukotobamura.org
info@chikyukotobamura.org

ことば村・ことばのサロン

2019・7月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「ある外交官OBのつぶやき①―アニミズムからバチカンまで」


● 2019年7月27日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田キャンパス大学院棟312教室
● 話題提供:上野景文先生
 (元杏林大学客員教授/元駐グアテマラ大使、元駐バチカン大使)
● 司会:八木橋宏勇ことば村理事(杏林大学外国語学部准教授)
● YouTube映像 (講演の全内容をご覧いただけます)
  https://youtu.be/TfV1s1g2cMs





司会 本日はようこそ7月のことばのサロンにおいでくださいました。講師の上野景文先生は外務省入省後、ケンブリッジ大学で学ばれ、駐グアテマラ大使、駐バチカン権大使などを歴任されました。2011年に退官された後は、17年まで杏林大学客員教授を務められ、教育者としても素晴らしい業績をお収めになりました。今日はじっくりとお話を伺うことができ、大変楽しみにしております。


講演要旨

I はじめに


 今日は「つぶやき」と言うことで、思いつくまま過去を振り返ってお話します。全体として大きなメッセージがある、という訳ではないことをお断りしておきます。また、今日の参加者の中には厳格な方法論をもって研究されておられる方がおられると思いますが、私の話はかなりアバウトで、参考になるか分かりませんが、「こういう外交官もいるのだ」ということで、お聞き下さい。
 ひとは誰であれ、幾つもの顔を持っています。私には、少なくとも「3つ顔」があります。ひとつは、「文明論考家」の顔。これが現在の顔で、著作、講演活動をしています。2つ目は、「元外交官」と言う顔。現役の外交官の時代から、日本を語るには、日本文化の基層にあるアニミズム的心性を無視しては語れないと言うことで、後半の20年間は、「アニミズムと外交」などのテーマにつき雑誌などに論考を発表しました。第三は「大学人」としての顔。バチカン大使をもって退官してから、2011-17年、杏林大学で、文明文化、アニミズム、ヨーロッパ文明や外交などの講義をしたほか、立教大学で現代キリスト教につき講じました。
 加えて、大学人としては、京都の国際日本文化研究センター(日文研)で、共同研究員をしました。2011-12年には、環境考古学の泰斗安田喜憲先生のグループで、バチカンやアニミズムにつき話をさせて貰い、2013-14年は仏教学の末木文美士先生のグループで、キリスト教世界から見た仏教の話をしました。更に、2015-18年は、瀧井一博先生のグループで「世界から見た明治維新」につき、また、稲賀繁美先生のグループで、「文化の相克、移相」につき、考究しました。
 外交官としては、9カ国とご縁がありました。重複がありますが、ローマ帝国の元版図で4回、大英帝国の元版図で4回、スペイン帝国の元版図で3回、駐在しました。最大の失敗は、イスラム圏駐在がなかったことで、大学で文明論の講義をするようになって「しまった!」と思いましたが、遅かった。
 最後に、何故バチカンに行ったかですが、それまで20年間、シンポや雑誌で「アニミズムと日本は切り離せない」と語って来ましたが、多神教の中でも多神教性の最も高いのがアニミズムであり、その対極には一神教(キリスト教やイスラムを含みます)があり、その中で一番チャレンジのし甲斐があるのがカトリックの総本山であるバチカンではないかと考え、同地で文明対話をしたくなり、手をあげ、「アニミズム大使」として赴任しました。
 赴任直前には、これまでのアニミズム論を整理した「現代日本文明論――神を呑み込んだカミガミの物語」(第三企画)を上梓しました。日本のアニミズムに加え、グアテマラ大使時代(2001~2004)に学んだこと(グアテマラにもすごいアニミズムがある)にも触れた本です。そこで、先ずグアテマラでの思い出から話を始めます。


上野景文先生


II マヤ:アニミズムの宝庫

II-1 グアテマラに溢れる「日本」

 グアテマラはマヤ文明遺産の宝庫です。そして、日本的なものが随所にあります。早い話、例えば、顔立ちが我々と近い人が少なくない。行きつけのゴルフ場のコーヒーショップのウェイターは、コント55号の坂上二郎さんにそっくりでした。おそらくグアテマラ人は日本人とDNA的に近いところがあるのでしょう。
 以下、皮相的ではありますが、類似点を5点挙げます。

 第1は、自然環境。2001年の8月にLAを経由して現地に赴任しましたが、富士山そっくりの美しい形状の4000メートル級の山が多数あることに驚きました。火山が多いために地震が多く、温泉が多い・・・。
 第2に、かつて、日本人は蹴鞠、かれらはペロータ・マヤに興じた。ペロータは「球」という意味で、「マヤのフットボール」のことです。昔のマヤ神殿は、往々フットボール場が隣接していました。ゲームのあと、勝利監督の首を神に捧げました。神は「敗者の首」は喜ばない、「勝利者の首」を欲するためです。
 第3に、日本人もマヤ人も、色で方角を表します。五行説の日本では北:黒、南:赤、東:青、西:白ですが、マヤ人は北:白、南:黄、東:赤、西:黒。基本となる考えは、色や暦は宇宙や自然の本質の表象であり、ひとの運命を支配する、と。マヤ古典期には、王様は「ウサギの日」に生まれた人から選ばれた。また、女性の民族衣装(ウィピル)の彩や模様を見れば、どの部族かすぐ分かる。色や暦は、彼らにとって大変重要な意味を持っています。
 第4に、アメリカ大陸では、先住民の音楽は、北はアラスカから南はフエゴ島(アルゼンチン南端)に至るまで全て5音階であり、日本あるいは東アジアと同じです。7音階の西洋とは異なります。地方のお祭りに行くと、奏でられる横笛と太鼓の調べなど、かつての日本の村祭りとそっくりです。
 第5に、最も強調したい点ですが、信仰の世界につき述べれば、マヤ本来の宗教意識・心性は、日本と同様、アニミズムです。この点については、次項で詳述します。


II-2 マヤのアニミズム

II-2-1 デ・コティ大臣の挨拶

 このマヤ人のアニミズム的心性を端的に示すものとして、2003年の3月に上野の科学博物館で開催された「マヤ展」の冒頭におけるデ・コティ文化大臣(先住民系の女性大臣)の挨拶を紹介します。

「やさしい母なる大地は『命の母』である。私たちはやがて死を迎えるが、その魂は星や湖、川や動物、林となって生き続けます」

 大自然、宇宙との合一、一体性を謳った大臣の言葉は、日本人から見ても違和感のないものでした。以下、マヤ人のアニミズムにつき、5点ほど触れておきます。


II-2-2 マヤに見るアニミズム・・・・・・・5点の特質

 先ず第1に、泉や巨岩、巨木、山などを崇める。日本人と同様に。日本人だけでない、キリスト教以前の西欧のケルト人も同様です。特に、聖水、聖山が重要です。

 第2に、そうした具体的な「カミ」(tangibleなもの)だけでなく、自然現象などのように、より抽象的、intangibleなものも、カミとして信仰の対象になります。
 因みに、マヤの言語で「クシュ」と言えば、「気(エネルギー)」を意味します。この「クシュ」は、キーワードとして種々の言葉を作ります。例えば「たくさん」の意味の「キ」が付いた「キ・クシュ」は「元気」を意味します。逆に、「悪い」という意味の「マリン」が付けば(「マリン・クシュ」)、悲しい、病気だと言う意味になる。更に、「そこそこ」と言う意味の「カバ」が付いた「カバ・クシュ」は「落ち着いた気分」の意味です。これらの発想には、日本語の発想に近いものがあります。

 第3に、マヤのアニミズムで特に日本的と感じるのは、「供養のメンタリティー」です。日本で供養と言えば3種あります。最も基本的なものは、祖先(人間)に対する供養。次いで、動物を対象にする供養。更に、モノ(特に、世話になった道具類など)を対象にした供養。マヤの人達は、この第3カテゴリーまで供養します。日本人と同様に。今でも僻地に行きますと、道具や機械類をスクラップにするときに、神官を呼んで供養をすることがあるようです。
 赴任して1年たった頃、北のアルタ・ベラパス地方に、農牧大臣、環境次官と3人で視察に行きました。ひとつの農業プロジェクトのサイトから次のサイトにミニバスで異動するのに、3時間くらいかかる。その間、3人で文明・宗教につき語りあった。で、私が日本では「モノ」まで供養をすると言ったら、彼らは目を白黒させて、日本のような先進国が我々と同じだと言うことで、驚き、喜んでくれました。

 第4は、マヤの伝統的宗教の名称。前述の視察の際、「あなた方の宗教の名称は?」と尋ねたところ、「名前は無い」との返事でした。考えてみれば、日本の神道も、元々名前はなかった。神道と命名されたのは7-8世紀頃、つまり、「他者としての仏教」が入ってきて、名前をつけざるを得なくなってからだ。マヤの宗教や神道に名前がない(なかった)のは、キリスト教、イスラム教、仏教などと異なり、誰がいつ始めたかが明確でない、長い時間をかけてじわじわと醸成されて来たからで、むしろ名前が無いのが自然です。この点は、当時時折執筆していた読売(夕刊)の「海外の文化」欄に、書いたことがあります。
 スペイン人に征服されてから500年近く、「マヤの宗教」は禁止され、マヤの人々は政治的、文化的、宗教的に迫害を受けてきました。5世紀に亘る禁止令にもかかわらず(解除は40年ほど前)、かれらの宗教が生き残ったことは奇跡です。当局の目の届きにくい山岳地帯を中心に伝統宗教は生き残りました。現在では、全国に(九州程度の広さ)1万の霊場があります。
 神事と言えば、私は、2002年の12月25日、その日はマヤの正月ということで、ある神官(後に大統領になったA.コロン氏:当時は野党党首)に招かれて、宗教行事に参加させて貰いました。マヤ人は、従来ふたつのカレンダーを持っていました。宗教用の365日のカレンダーと、農業用の260日カレンダーです。これら2つのカレンダーを組み合わせると、2002年の「正月」は偶々12月25日でした。コロン氏が主宰した神事では、直径1-2米の土俵のような「場」を造り、その上にタドンのような素材を敷き詰め、それに点火し、祈りを捧げます。祈祷では、神官が多様なカミのそれぞれに願い事を唱え、次いで、平和や繁栄を祈ります(私がいたので、日本の繁栄を含め)。本来はマヤの言葉で言わなくてはならないのですが、コロン氏はスペイン語しか出来ない。それで、何を願っているのか分かりました。

 第5に、マヤの言語には擬声語、擬態語が多い。日本語と同様に。その点に気づいたのは、先住民系の詩人であるフンボルト・アカバル氏を大使公邸に招き、昼食を挟んで話をした時のことでした。アカバル氏は、自分の詩集の朗読をしてくれました。最初はスペイン語でしたが、そのうちキチェ語(マヤの7つの言語のひとつ)で読み始めたところ、すごい迫力でした。まさに、嵐が吹き荒れるとか、天空が広がっている、そういうイメージが脳裏に浮かんでくる朗読でした。それで、あなた方の言葉は擬態語、擬声語が多いのではないかと聞くと、そうだ、と。氏から採取した事例をいくつか紹介します。


(マヤ(キチェ)語) (日本語)
フシュ・フシュ ソヨソヨ
ブルン・ブルン ヒューヒュー
チョピン・チョピン ピョンピョン
ツイン・ツイン ズキンズキン
ツルク・ツルク ゴクンゴクン
ツクリク・ツクリク スクスク
チョプラフ・チョプラフ キラキラ

  では、マヤ語に擬声語、擬態語が多いのは何故か。アニミズムの心性の強いかれらは、自然の息吹に敏感です。自然からのメッセージ、自然の声に敏感で、自然が少しでも違ったメッセージを発すると、そのひとつずつに新たな言葉を付すのです。概念化しない。ひとつひとつにこだわる。概念化が大好きなフランス人や中国人とは対照的に(かれらは、物事を概念化しますので、たくさんの言葉を使うことなく、まとめてしまう)。


II-2-3 E.G.カリージョ、日本のアニミズムに着目 

 エンリケ・ゴメス・カリージョというグアテマラ人のジャーナリストがいます。19世紀末-20世紀はじめ、パリを拠点に、ラテン・アメリカ各国の新聞のためにコラム記事を書き、好評を博しました。そのカリージョが、日露戦争に勝った日本につき、その背景を探るべく来日し、その体験をもとに「誇り高く優雅な国、日本」を著しました。因みに、同書は、その後長年にわたり、スペイン語圏における日本に関する概説書として、名の知れた存在でした。同書は、日本社会の多様な面(観光地、貧民屈、女郎屋、・・・・・)を紹介しましたが、私が特に注目したいのは、日本人の自然観、宗教観につき述べた部分です。曰く;

日本人にとって自然を愛することは宗教のようである、
子どもたちは幼い頃から植物や虫を愛することを教わる
愛するとは単に愛着するということではなく、
木の枝が愁いに沈んだり、野の草が苦しんだり、たくましい木に涙することを知っている
(注:木にも草にも、魂があるということです)
少年少女は植物と一体になって過ごす

(更に、詩の題材について、こう歌いました)

壮大な光景も人間の偉大な行為も題材にはならない
題材としては、人間のはかなさとか、季節の移り変わる様子、小川のせせらぎ、
花、木、虫たち・・・

 以上からお分かりと思いますが、カリージョの文章は、日本人のアニミズム的心性への賛歌となっています。日本人の自然観につき、仏教で言う「草木悉皆成仏」という心性を理解していたのではと思わせるものがあります。
 なお、カリージョの日本滞在は3ヶ月程度でした。その短期間に、日本語の出来ないカリージョがこれだけの理解に達することは不可能に近い。語学力のある彼は、英語やフランス語の文献を読破したものと思われます。つまり、沢山の「先生」がいた。その一人が、アメリカの天文学者・日本研究家のパーシヴァル・ローエルです。冥王星の存在を予言したことでも有名ですが、19世紀末から20世紀初めまで日本に滞在し、神道などにつき多くのエッセイを書き残しました。おそらく、カリージョはローエルの著作を参考にしつつ、「大和心」につき書いたものと思われます。ところで、かのラフカディオ・ハーンも、特に来日初期、ローエルから示唆を得たようです。つまり、ハーンとカリージョは、共にローエルという「師」から学んだ訳です。何はともあれ、スペイン系でバリバリのカトリック教徒であるカリージョが、ハーン同様、日本的アニミズムにかくまで着目し、評価したことは、当時日本に滞在したキリスト教のバックグラウンドを有する人達の中では、極めて異例、異質なことでした。
 蛇足ながら、カリージョが教育を受けた百数十年前のグアテマラの都市部で、マヤ人的アニミズムの世界に触れることは不可能でした(周辺の山岳地方であれば兎も角)。若き日のカリージョが、マヤの人達からアニミズム的なものにつき、何らかのインスピレーションを得ていた(よって、日本人のアニミズムを受け入れる素地があった)と言うことはなかったと言えるでしょう。


II-2-4 究極の「マヤ心」、「やまと心」――自然との合一

 天才的ジャーナリストであるカリージョが見出した究極の「やまと心」、デ・コティ大臣が指摘した「究極のマヤ心」は、何れも、「自然との合一」を謳うものでした。まさに、大宇宙、自然の中に個我を解体させ、溶け込ませて、自らは無になっていくこの心性こそ、アニミズムの真髄と言えるでしょう。あくまでも、主体、中心は自然であるという世界観(「自然中心主義」)です。「人間中心主義」の西欧思想とは対照的です。


II-2-補① アイデンティティー確立は容易ではない
 グアテマラは非常に難しいところのある国です。そのひとつは、国民が3つのグループに分かれ、文化的に統合されていないことです。スペインを中心とする欧州系の人たちが1割、ラディーノとよばれる混血系の人たちが5-6割、マヤ系の人たちが3-4割です。最初の2グループはスペイン語を使うカトリック信者。これに対し、マヤ系の中には、スペイン語を話さず、伝統宗教を守っている人が少くない。と言うことで、全体に通底する文化的アイデンティティーがない。それが最大の問題です。

(文化の中核①=言語)

 言うまでもなく、文化の中核は言語と宗教です。カナダの先住民の場合、民族語が公用語になっているところがあります。マヤの言語も、そうするとの建前は既にありますが、中々うまくゆかない。つまり、マヤ系言語を(スペイン語と並ぶ)公用語にするという原則は決まっていますが、7系統あるマヤ系言語のどれを公用語化するかにつき、調整がつかない。
 私は、関係者に対し、インドネシアの事例が参考になるのではと思い、紹介しました。つまり、インドネシアの場合、多数派であるジャワ人の言語(ジャワ語)を避け、少数派の言語を公用語に制定しました。マヤ語についても、そういう配慮があって良いのではと申し上げたことがありました。
 より基本的問題として、マヤ系各語の表記法が、未確立と言うことがあります。アルファベットで表記するのですが、それが規格化されていない。それについては、日本から若干のお手伝いを心がけました。
 また、多くの人に地元の言葉に少しでも多く触れさせるためには、TV、ラジオを含むメディアが彼らの言語で報道することも有益です。例えば、主要紙の一部の頁を使って、現地語でニュースを流すことのお手伝い(紙面買い取り)もやりました。ラジオ、TVの活用も課題となっていました。
 しかし、最重要点は教育です。カリキュラムが複雑になる小学校高学年以上は、現地語では教えていない。それを少しずつ改善しなくてはならない、と言うのが15年前の状況でした。

(文化の中核②=宗教)

 宗教については、40年くらい前まで、500年続いた「邪教禁止令」があり、公然と伝統宗教の活動を行うことは出来ませんでした。それに耐えて存続していた伝統宗教は、この20-30年、存在感を強めていますが、今日なお、多神教を「邪教」視するキリスト教の影響には、根強いものがあります。


II-2-補② ある豪州先住民の述懐

 先住民ということで、道草になりますが、或るオーストラリアの先住民との出会いにつきお話しします。私は、1999-2001年、在メルボルン総領事として、メルボルンを含むビクトリア州、タスマニア島、南オーストラリア州という3州に対する日本代表を務めていました。
 さるパーティーで、ウルンジュリーと言う先住民コミュニティーの代表(女性)Aさんと出会いました。同コミュニティーは、メルボルン地域を支配していた「藩」のようなもので、彼女は、藩を治める「大名家」の末裔にあたるお姫様のような存在です。総領事公邸にお招きし、昼食を挟んで、4-5時間会話しました。
 Aさんは、過去の過酷な体験を、次から次に語ってくれました。先ず、自分のお祖父さんですが、アボリジニの居留区では、部族の代表と言うことから、24時間監視の対象だった。一番厳しかったのは、かれらの言語を、仲間内を含め、語ることが禁止されていたことです。そこで、夜中に抜け出して、暗闇の中で仲間と密かに民族語で話した。此処まで話すと、彼女は涙にむせび、会話は中断しました。
 ところが、第一次世界大戦が起こり、先住民も徴用されて、ヨーロッパ戦線に送られました。すると、先住民だ、イタリア系だなどという差別をしている余裕がない。そこで、お祖父さんはある種の自由の味を知ったのですが、帰国すると、また居留区に閉じ込められた。と言って、Aさんは声を震わせました。
 更に、当時、アボリジニの幼児は「隔離政策」により、強制的に白人家庭に預けられました。アボリジニの家庭で育てたのでは、文明を知らずに育つからという理由で(かれらは、「Stolen Generation」と呼ばれる世代です)。この政策は70年代に労働党政権になるまで続きました。で、Aさんのお母さんは、シドニーの病院に勤めていた実の母親(Aさんのお祖母さん)から、2歳のころ、引き離されたそうです。その後、お母さんとお祖母さんとは、ずぅーっと互いに消息不明の状態だった。Aさんは、お母さんの境遇に同情し、お祖母さんと再会をさせるべく頑張った。お祖母さんが病院で働いていたことを手掛かりに、全国の病院に問い合わせ、20年後に遂に2人を再会させることに成功。2人は、お祖母さんが亡くなるまでの5-6年、一緒に幸せに生活したそうです。と発言しつつ、Aさんは同席者の差し出したハンカチがぐしゃぐしゃになるまで、涙にむせぶのでした。なお、Aさんのお母さんは、一般の白人家庭ではなく、キリスト教司祭をしているアボリジニの家庭に預けられたそうです。アボリジニでもキリスト教司祭は、「文明に浴している」から別格だそうです。で、彼女のお母さんは、アボリジニの司祭の家庭で幸せに育ったそうです。
 Aさんも言っていましたが、豪州の先住民は、アニミズム的な心性を持っているようです。その一端を感じたのは2001年にエアーズロック(現在はウルル)で起きた出来事でした。ウルルには、岩山の各処に、特定の動物により表象された「守り神」がいます。2001年にこの地域の酋長が亡くなられた。その家の守り神が、ウルルの登山道周辺の「守り神」であったため、かれらが喪に服している期間、連邦政府は登山を禁止しました。因みに、これに対して、ウルルが所在する北方準州の首相が、観光業に差し支えると異義を唱えていました。結局数ヶ月で登山は解禁になりましたが、経済(観光)と先住民の文化(宗教)のどちらを優先すべきか、大論争となりました。全国紙である「オーストラリアン」紙には、賛否両論が併載されていましたが、先住民の心情を尊重するべきとの声が結構多かったとの印象です。
 と言うような話題が次々と出されたことから、また、Aさんが涙にむせぶ時間が長かったことから、同日のランチは4-5時間に及びました。私の外交官生活の中でも、最長のランチでした。
 私が豪州におりました2000年前後には、この「隔離政策」という過去を清算し、謝罪しようという動きがありましたが、当時の保守党政権は、先人のしたことだから自分たちが謝罪する必要はないと、これを拒みました。その後、労働党政権になって、ケヴィン・ラッド首相が2008年2月、国会で公式に謝罪をしたことを付言しておきます。
 なお、メルボルンであれ、ニューヨークであれ、普段の生活を通じて、「先住民の影」を感じることは殆んどありません。あるとすれば、地名に残っているか、あるいは、博物館に展示の形で残っているかくらいでしょう。そこに、ある種の淋しさを覚えます。我々とて、偉そうなことは言えないのではありますが・・・・・。


III 日本のアニミズム

 次に、「日本のアニミズム」について、6点に絞ってお話しします。


III-1 究極の「物教徒」日本人

 日本人は「もの」に対するこだわりが非常に強い。あるひとは、日本人は「物教徒」だと言います。それにつけて思い出されるのは、昔、北京の日中文化交流センターの評議員として時折北京に行っていた時のことです。文化センターの場内を案内され、劇場の舞台に立ったとき、裏方が大道具、小道具を放り投げるように片付けているのを目にしました。それを見た同行の劇場関係者(渋谷文化村幹部)が、顔をしかめて、「あれでは舞台がかわいそうだ。舞台は我々の仲間であり、我々は舞台の気持ちを損ねないよう、常日頃から細心の注意を払っている。年の終わりには、感謝と慰労の念を示すべく、お神酒をかけてあげる。その位やっているのですよ。」と述懐しました。かれらにとり、舞台は「魂を持った存在」だと言うことなのです。
 或るとき、NHKで、日本海にかかるJRの鉄橋を護る人(橋守)についての番組がありました。日本海からの強風にさらされる橋です。橋守たちが言うには、1回か2回、ハンマーで叩くと、その日の橋の機嫌が良いかどうか、直ちに分かる、と。橋守と橋とは、魂が通じている、まさに、「一体感」が醸成されている訳です。
 東山魁夷氏が晩年に語っていました。自分は、或る時を境に、自然に静かに向き合っていると、自然が自分に何を語りかけているか、或いは、自然が何を描いて欲しいかが、分かるようになり、ひとりでに絵が描けるようになった。自分の作品は、自然が自分を通じて描かせたもので、自分はチャネルにすぎない、と。
 棟方志功氏も、晩年殆んど同じことを言っていました。版木に向かうと、自然に手が動く、版木が仕事をする訳で、自分は通過点に過ぎない、と。
 アニミズムとは、「自然と人」の一体化、合一と言っていいと思いますが、日本においては、またマヤにおいては、「ものと人」の心がひとつになるという面があるということであり、この点にもっと注目すべきでしょう。


III-2「もの」へのこだわり

 日本人は、「もの」へのこだわりが非常に強いことから、「もの」にのめり込むことがままあります。モダニズムあるいは合理主義の考えでは、例えば1万円の製品には1万円相当の魂を注入する、それに2万円相当の魂を注入することはない。そうしたら、製品価格も2万円にする。ところが、「物教徒」は、価格を超越、度外視して、魂を注入する。1万円の製品に5万円分の魂を注入する。日本のテクノロジーや工業文化は、そうしたこだわりに先導されるかたちで発展して来たたと言うことです。
 本来こうしたこだわりは、プレモダニズムと言うことになりますが、私はむしろ、ポストモダニズムの面があると考えています。日本では、アニミズムとハイテクが共鳴している。西欧の合理主義から見れば奇異な組み合わせです。
 キリスト教圏の欧米では、従来、近代化は一神教の精神がバックにあって初めて成り立つと考えられて来た。つまり、多神教やアニミズムは、近代化と無縁。特に、多神教の中の多神教であるアニミズムは、未開社会のものである、これをまず放棄しないと、近代化は成り立たない、という思い込みが強かった。言うまでもなく、この誤解は、日本の躍進により、打ち砕かれた訳です。


III-3 ハイテクとアニミズムの共鳴

 日本のハイテクとアニミズムはどのような関係にあるのだろうか。「日本はアニミズムにもかかわらず近代化を成し遂げた」という言うことでしょうか。そうではないでしょう。日本はアニミズムを「取り込む」形で近代化したのです。ですから、欧米の近代化とはひと味違う。「アニミズムだから近代化した」のです。これまで述べたような「ハイテクとアニミズムの共鳴」を私は「ジャパン・パラドックス」と命名しました。単に併存するのではなく、両方が相俟って近代化が進んだ。イメージにすると、「正月のしめ縄とレクサス」ですね。ふたつは矛盾なく調和している。


III-3-補① レヴィー・ストロース博士との対話

 私は、1990年代前半、パリにおりました。OECD(先進国間の経済クラブ)に対する日本政府代表部に配属され、OECDの会議で南北問題を中心に日本の立場を発言する役割でした。その頃感じたのは、ヨーロッパでも、キリスト教以前は、ケルトの人達を中心に、アニミズムの文化があった。キリスト教が入って来て、「邪教」として退けられましたが、現在でもケルト系の文化には、アニミズム的なものが残っているものと考えられる。そういう要素を再活性化して貰い、日本の文化と交流させれば、アニミズムと言う共通項を通じ、文化交流が深まるのではないか、と。そのような観点から、パリ滞在中に、日本人が中心でしたが、「ケルト文化研究会(ケル研)」を立ち上げました。ワインを飲むことが中心でしたが。そこで議論する中で、レヴィー・ストロース博士のことが話題になりました。
 ご承知のように、博士はアニミズムであれ、ブラジル先住民の文化であれ、それらとフランスや西欧の文化は「対等」であると唱え、日本のアニミズムにもシンパシーをお持ちでした。と言うことで、先生から直接話を聞きたいと考え、1994年春、帰国直前にパリ郊外にある先生の研究室をお訪ねし、1時間ほど話をしました。冒頭、私から、「ヨーロッパに残っているはずのアニミズムを再生して貰いたいものだ。対話を深めるためにも。」と言ったら、先生は非常に淋しそうな顔をして、「上野さん、キリスト教はそんな甘いものじゃないよ。キリスト教がヨーロッパを席巻すると、アニミズムは根絶やしになったのだ。だから、あなたの言う試みは望みがない」と。それを聞いて私が消沈すると、気の毒に思ったのか、150年前に活躍したオーギュスト・コントを話題にし、こう述べました。

「コントによれば、どの文明でも最初はフェティシズム、あえて言えばアニミズム、それがやがて変貌して一神教になり、更にポジティビズム(科学主義・主知主義)に変容する。現在のヨーロッパはこの第3段階にある。」と。

 こう述べたところで、博士は、一呼吸おいて、こう付け加えました。

「上野さん、コントの見解は、まだ先がある。コントは、この第3段階を通り越すと、第1、第3両段階が習合して、第4段階を迎える、と言っています。上野さん、あなたの日本はこの第4段階にあるのです。」と。

 この最後の指摘は、私の考えるところの「ジャパン・パラドックス」、すなわち、日本における「ハイテクとアニミズムの共鳴」に符号するものであり、「我が意を得たり」との気持ちになりました。
 最後に博士はこう言いました。

「今のヨーロッパは、(啓蒙主義に由来する)イデオロギーが強すぎる。その点あなた方は『(イデオロギーという)レンズ』を通して物事を見ない。物事を素直に眺める(matter-of-fact approach)。あなた方には、そういう素直な見方をヨーロッパに輸出して貰いたい。もっとも、ヨーロッパはそれを受け入れるほどヤワではないが・・・・・。」と。

 博士のこの最後のことばには、西欧文明に対する諦めと言うべき響きが感じられ、「孤高の人」である博士が、それ故に醸し出すある種の淋しさが伝わって来ました。レヴィー・ストロース博士は、この10年後に、101歳で亡くなられました。合掌。


III-3-補② 日本のアニミズムの劣化

 私が現在憂慮していることのひとつは、日本人のアニミズム的心性が劣化している(ように思える)ことです。日本は150年間「脱亜入欧」でやって来ました。「脱亜」は、言うまでもなく、日本的なもの、アジア的なものを捨てることですが、150年続いた「脱亜」のプロセスにもかかわらず、日本的なアニミズムはしぶとく生き残りました。
 しかしここ数十年、アニミズムの「劣化」(de-animisation)が進んでいるように思います。例えば相撲。相撲では、「土俵の神」に敬意を表して、お清めの塩を撒く。ですから、適度に撒けばよいのです。ところが、中には、山盛りの塩を撒く力士がいる。精神性抜きに。相撲協会は、もっと基本を教えるべきでしょう。
 次に、日本のアニメ。日本のアニメは、世界の市場を席巻しています。しかし、私の見るところ、日本のアニメはメカニカルな感じがします。むしろ、フランスやアメリカのアニメの方が、アニミズム的なものを感じる場合が多い。アニメがアニミズムを欠くものになっていることが、日本社会全体の傾向を示すものでなければ良いのですが・・・。


III-3-補③ 西ヨーロッパにおけるアニミズム復活

 レヴィー・ストロース博士は、キリスト教によって、アニミズムは根こそぎ排除され、再生は望み難いとおっしゃいました(Ⅲ-3-補①参照)が、私はそんなことはないと思っています。むしろ、ヨーロッパの各地で、ペイガニズム、ドルイド教などの復活が進行中です。
 たとえば、イギリスでは、WICCAというグループ、キリスト教伝来以前の宗教が、復活しつつあります。キリスト教のような中東起源の宗教では、神は父性性が強く、過酷なところがありますが、WICCAは女性のカミが中心の多神教で、タッチが違う。イギリスには4万人ほどの信者がいます。
 それから、「新(ネオ)ドルイド教」がポピュラーになりつつあります。この宗教の聖地は、西ヨーロッパを中心に、多数あります。因みに、フランスのシャルトル大聖堂。なぜあの地に建てられたのか。シャルトルは元々ドルイド教の聖地で、年1回ドルイドの親玉(司教)がヨーロッパ各地から集まって司教会議を開催する由緒ある土地でした。なぜシャルトルかというと、そこに聖泉があったからです。カトリックの人たちは、このシャルトルの聖地、聖水(井戸)の上に教会を建てました。今でも、カテードラルには、鉄柵に囲まれた井戸が地下に残っています。カトリック教会は、スペインのコルドバでもそうでしたが、異教の施設(イスラムのモスク)だったものを教会に転換することを躊躇しません。
 更に、イギリス、ドイツ、スラブ諸国で、「新ぺイガニズム(New Paganism)」が育ちつつあります。日本ではアニミズムが劣化しているが、ヨーロッパでは逆のベクトルが働いていると言うことです。
 WICCA、ネオドルイド教などの流れの間の差異は、必ずしも明確ではありませんが、それらに共通していることが2点あるそうです。ひとつは、教理がないこと。第2は、「相互依存性」、「相互関連性」を重視していること。前者は日本の神道に、後者は仏教に通じるものです。教義・教理が存在しないと言うことは、融通無碍に通じます。


IV アニミズム抜きに日本は語れず―「ダークマター」

 今一度強調しておきたいことが、2点あります。
 先ず第1に、日本では、サラリーマンや政治家など多くの人々のメンタリティーの根っこにアニミズム的心性があって、その言動を特徴づけていること。この点への自覚は低いが。
 次いで、アニミズムは、相対主義的で、「絶対志向」がない。と言う背景もあり、日本に入って来る外来文化は、仏教であれ、儒教であれ、キリスト教であれ、民主主義であれ、アニミズムの「篩」にかけられ、「相対化」されてしまう。「日本化」と言っても良いでしょう。外来文化が元々持っていた強烈なイデオロギーはかなり薄められ、外来の文化は「骨抜き」になる。このような「篩」の作用を持つアニミズムのことを、私は、「ダークマター」と呼びたい。何故なら、多くの人は、この作用に気づいていないからです。この「ダークマター」性抜きに、日本を語ることは出来ません。
 以上をもちまして、私の話(第1部)を終わります。

(文責:事務局)

 (上野景文先生の講演の第2部「ある外交官OBのつぶやき②――法王とバチカン」は2019年12月21日に開かれます)