「私たちは外国人をどのように受け入れるか―ドイツの難民支援を参考に」
● 2019年9月28日(土)午後2時-4時30分
● 慶應義塾大学三田キャンパス南校舎442教室
● 話題提供:松原好次先生(元電気通信大学教授・言語社会学)
講師紹介:ことば村事務局
今日の話題提供者・松原好次先生には2009年3月にことばのサロンで「よみがえることばたち①先住民言語の再活性化運動―ハワイ語は生き残れるか」のテーマでお話いただきました。そのように、ハワイ、マオリ、ウェールズなどの先住民言語の復興運動と、移民の言語の衰退や再活性化について研究をされています。何冊かの著書がおありですが、昨年2019年8月に「難民支援―ドイツメディアが伝えたこと」を、ドイツ難民支援ボランティアの内藤祐子さんとの共著でお出しになりました。
日本も入管法改正にともなって、定住外国人の増加が見込まれています。政府は移民という言葉を使いたがりませんが、実際には移民に等しいのでは、と思われます。そういう現状の中、私たちはどのように外国人を受け入れたらいいのか、隣に外国人が引っ越してきたら、というような身近な例から政策レベルまで、今日のお話は大変参考になることと期待しております。
1.はじめに
松原と申します。こういう機会を与えて下さってありがとうございます。声帯の力がなくなって耳鼻咽喉科の医師からはなるべくしゃべるようにと言われております。
5年前に退職してから本の断捨離を始め、読みはじめると面白くて進まないのですがそのうちの一冊に作曲家の武満徹の「吃音宣言」という本があります。彼は小学校の時に満州から引き揚げてきて、それまでロシア人、中国人と友達だったのが日本語の友達だけになる、それで心がよじれてしまって吃音になるのですね。心の葛藤がことばの葛藤になる。自分のことばをもう一度自分の心に刻みつけ、はっきりと言う。それは決してネガティブに捉えることではない。「自分を明確に人に伝える一つの方法としてどもってみたらどうだろうか」、と武満さんは書かれているのです。ベートーヴェンの第五交響曲の冒頭、運命が扉を叩く、ダダダダーンとどもって叩くから良いのだ、「どもることで自分の言葉をもう一度心でかみしめてみる。」と。このことは、後で言うことと関係してくるのですが・・・。
それからずっとためてある新聞の切り抜きのひとつ、ALSで亡くなった篠沢秀夫さんの記事「患者を生きる」に、74歳の時に口がもつれることから始まったそうです。しかしそれでおしまいにする、というのではなく、ゆっくりとかみしめて話せばなんとか通じるのだと、ある種の「もつれ宣言」みたいなことが書いてある。自分自身のこともあるので、これも捨てられない。(笑)さて、僕も「もつれ宣言」をしたうえで、始めたいと思います。
で、今日の話ですが、「私たちはどのように外国人を受け入れるか―ドイツ難民支援を参考に」のお題をことば村からいただいた。考えました。私たちといったとき、それは国なのか、市町村なのか、団体のことか、あるいはボランティア、僕自身のことなのか。あるいは外国人とは誰か。災害で困っている隣に住んでいる外国人なのか、外国人観光客なのか、留学生なのか、技能実習生か、特定技能一号の人か、日系四世の人か、認定難民、オーバーステイの人、品川の東京出入国在留管理局、牛久の東日本入管センター、長崎の大村入国管理センターなどに収容されてハンストしたり、自傷行為、自殺未遂したりした人も多くいます。そういう人たちに対して、僕たちは何が出来るのか。
最近心に残ったのはベトナム人コミュニティーを支える僧侶の話です。コンビニをはじめとした便利な日本の社会は技能実習生や留学生に支えられている。支えられている僕たちには、支え手が見えていない。支え手が事故で大けがをしたり、自殺したり、犯罪に巻き込まれたりして初めて、僕たちはこんなにたくさん居るのだということに気がつく、と。本当にそうだなぁと思いました。
ドイツの難民支援を参考に今日お話しするのですが、成功例も失敗例もあります。2015年9月に90万人近い難民がドイツに押し寄せ、支援活動とともに、難民排斥の動きもいっしょに始まりました。日本では今年4月外国人労働者受け入れの改正出入国管理法がスタートしました。2025年までに34万人の労働者を受け入れることになったのです。ドイツのことを考えながら、三つのリサーチクエスチョンを足がかりに日本のことを考えてみたいと思います。
2.三つのリサーチクエスチョン
クエスチョンNO.1は日本の移民・難民政策についてです。まず、去年11月から12月国会で、移民政策は採らない方針を打ち出しました。本当にそれでいいのか。いずれ帰るだろうから、という想定は甘いのではないか。それと同時に日本は難民に対して非常に厳格な認定システムを続けています。2018年難民申請は74カ国から1万493人。認定されたのは42名。0.25%の認定率です。カナダは56.4%、ドイツは23%。0.25%は非常に小さい数字ですが、数字というより根底にあるフィロソフィーが問題なのではないか。それが一つ目のクエスチョンです。
NO.2のクエスチョンは、日本語習得支援、日本に来たのだから日本語を徹底的にたたき込んだらいいという考え方です。それでいいのだろうか。移住者の母語に対する配慮をしていかない限りうまくいかないのではないか。僕なりの考えを述べますので、皆さんからのご意見を伺いたいと思います。
それから、クエスチョンNO.3があります。TVのワイドショーはじめマスメディアのニュース、トピックがどんどん流れてきて、それに惑わされ、考えるべき大事なことがズルズル頭から抜け落ちてしまう。これはマスメディアの問題なのか、あるいは僕自身の問題なのか。僕が悩んでいる一方で、政治はシステムパワーをもって力ずくで自らの願いを叶えている。僕のような高齢者の個人はヘルプレスというか、何の力にもならない。どうしたらいいのだろう。これが総体としてのクエスチョンNO.3です。
この三つのクエスチョンを出した後は、レジュメにそってお話したいと思います。
3.「難民支援」を書くきっかけになった本
2014年定年退職をして、読みたかったカフカをよんでいました。すると2015年ドイツに難民危機が起こりました。すぐドイツに行こうと思ったのですが健康上の理由で行けなかった。そこでドイツの新聞雑誌を読んでどういうことが起こっているのかを知ろうとしたのです。NHKで放送した「ラーマのつぶやき」の家族にお会いしたり、ベルリン大学、ウィーン大学からの留学生を家に呼んで、日本語を教える代わりにドイツの新聞の記事について質問したりしながら2年間ドイツの新聞雑誌を読んでいました。
読む中で、ボランティアによる難民支援の実態が少しずつ分かってきた。日本のマスメディアではあまり扱われていないのですが。特に子どもや高齢者のことばの問題。そこに僕は一番興味がありました。先ほど言ったどもりやことばのもつれのことが気になっていましたので。それと同時に難民排斥の実態も分かってきました。スマートフォンでドイツの大新聞から小さな地方新聞まで何十紙も読めますから。難民収容施設に対する放火、難民への暴行、それが地方紙に毎日のように書かれていました。
そうした中、2016年9月、墓田桂氏が出された「難民問題」(中央公論社・中公新書)を読みました。墓田さんは成蹊大学の教授で国際法が専門、法務省の難民審査参与員も務められました。そういう方が書いた本ですから、専門的かつ現実的によく書かれていて、非常に説得力があります。つまり、難民は呼ぶべきではない、ということをぐうの音も出ないほどうまく書かれている。二回通読しましたがこの本は、読者に異質な物に対する恐怖心を必要以上に植え付けてしまう怖れがあるのでは、と思います。個人的な感想ではありますが、言い方を変えればヘイトスピーチの理論的よりどころになり得るのではないか。まず、難民「問題」と書かれている。難民=問題、という前提を植え付けてしまうかもしれない。難民が問題なのではなくて、支援に向けて政策を打ち出せない側に問題があるはずなのです。この本のメッセージを二つに纏めてみました。
①「難民や移民の流入が社会の安寧を脅かす」
②「善意に基づく人道主義には限界がある」
①に関して言えば、2015年大晦日、ドイツ・ケルンの暴行事件がありました。2016年12月ベルリンで、トラック突入テロがありました。外国人が流入してくると社会が不安定になると、ドイツ人も痛感したのではないでしょうか。その後「西欧のイスラム化に反対する欧州愛国者」その頭文字をとったペギーダという団体が、2015年からドレスデンを中心に、難民排斥のデモを始めて、2016年のドイツ統一式典ではメルケル首相に対し、メルケル引っ込め、と罵声を浴びせます。そして毎週々々デモを続けているわけです。
それと同時に反難民・反移民・反イスラムを標榜する「ドイツのための選択肢(AfD)」という政党ができ、連邦議会選挙では得票率13%で連邦議会に進出しました。最近ではザクセンやメクレンブルク、ベルリンの州議会でも強い勢力になっています。
②に関して言えば、善意に基づく人道主義には限界があるから、日本は難民を受けいれるべきではないというわけです。読者は、そのように誘導されてしまうのではないかと思いました。そこで、難民問題ではなく、難民支援という本を出そうと思ったのです。
4.「難民支援~ドイツメディアが伝えたこと~」2018年9月出版
この本の執筆には丸々2年かかりました。I部、II部、III部で何が書かれているか、特に言語政策について、お話しします。
4-1.第I部 多様な支援の輪
第一章は Wie kann ich helfen?(How can I help?)です。市民をはじめとした様々な支援活動をデータベース化して載せているポータルサイトの名前です。これを基に難民支援の具体例を提示しました。ドイツ語やコンピューターの指導をする個人やボランティアグループ、学校ぐるみの活動、キリスト教会、福祉団体、地方自治体、国レベル、様々な支援形態があります。フードバンクは全土で900ヶ所以上、難民のボランティアが活躍しています。医療/健康相談や自立相談、難民と市民のためのカフェ、ガーデニングを共にする、料理教室、ヨガ教室、難民と一緒にスポーツをするグループ、仕事探しの応援、家庭での受け入れなどなど。映画「はじめてのおもてなし」をごらんになった方もいらっしゃるでしょう。同伴者のいない子どもの里親になるボランティア、難民自身が新しく入ってくる難民に町のガイドをする、そういった様々な活動を第一章でまとめてあります。
2017年末の時点で全人口の1割にあたる約800万人が、なんらかの支援ボランティア活動に従事している。日本のマスメディアではあまり取り上げられていないと思いますが。一方で、難民排斥運動も高まってきている。それが現状です。
4-2.第II部 暗中模索の難民・移民対応
ドイツの場合、第二次大戦後、東のポーランドやロシアに入植していたドイツ人が1200万人くらい帰ってきます。日本の満州からの引き揚げ者と同様です。移民難民対応には慣れているとはいえ、難民危機の時は大変だったと思います。
第三章で「多文化共生と自民族優先の狭間で揺れる言語政策」を取り上げました。
2001年に、EUや欧州評議会のバックアップのもと、EUは「多様性の中の統合」、欧州評議会が「多文化共生・複言語主義」の施策をとって、「欧州諸言語年」が立ち上がります。「言語」ではなく複数の「諸言語」です。出来れば母語プラス二つの言語を、というスローガンを掲げて運動が繰り広げられました。
ところが10年経過した2010年、“多文化主義よりドイツの国益を”→自国語重視・自民族優先の動きが出てきました。メルケル首相自身が、CDUキリスト教民主同盟の党大会で「多文化主義は失敗だった」と述べます。その後2015年の難民危機でまさにダムが決壊した。ドイツだけでなく、ヨーロッパ諸国に反難民・反イスラムの運動が繰り広げられています。
ことばの問題も一筋縄ではいきません。政治家や行政担当者はともかくドイツに来たからには徹底的にドイツ語を学ぶべきだと考え、それに対して言語学者・言語教育専門家は移民自身の母語を重視しないと、ゆくゆくはうまくいかないと主張し、互いに対立しています。新聞の論説記事にも「自分の母語を知らないドイツ語教師に戸惑っている子どもたち」などが多く書かれていました。もちろん、先生も戸惑っているのです。そういう実態が記事に浮き彫りになっています。地方新聞によく掲載されるのが、高齢の移民・難民が若者ペースのドイツ語学習についていけないこと。全く系統の違う母語の高齢者が、知らない場所での学習についていけないのは僕自身にひきくらべて当然だと思いますね。トルコ系移民が四世までいるのですが、そういう子どもたちがアイデンティティークライシスに悩んでいる、そういう記事もあります。ことばを中心に、いかにドイツ人が苦労しているかを第II部で書いたのです。
4-3.第III部 未来に向けての設計図
第III部では、第2章で統合法成立前後の言語政策を扱っています。2016年に統合法が成立しますが、それ以前、2005年に移民法が発効し、移民難民統合審議会が発足します。移民法発効までの経緯を見ていきましょう。
西ドイツに限って言いますと、1955年から1973年まで、約1400万人の外国人労働者(ガストアルバイター)を当初二年契約で迎え入れました。トルコ系だけでも75万人です。当初二年契約で迎え入れました。家族の呼び寄せは禁止です。日本がこれからやろうとしていることと同じですね。1964年、雇用者側が政府に対して契約期間の延長を要請します。二年ごとに新しい労働者を募集すると経費がかかる上にせっかく育てた労働者が帰ることになる。そしてこの契約延長が認められ、家族呼び寄せも許可されます。当然といえば当然ですが、ドイツの失敗例としても考えていかなくてはならないと思います。
1973年、ご記憶にあるでしょう、オイルショックが起きます。そのとき、外国人労働者受け入れを停止し、トルコ系ガストアルバイターの半数を帰国させてしまいます。日本ではリーマンショックの時にお金をいくらか与えてブラジル系労働者を帰しましたよね。
現在トルコ系の人は250万人、そのうち70万人がドイツ国籍ですが、社会統合はどうもうまくいっていないようです。都会の集住地域では平行社会(パラレルゲゼルシャフト)というか、ゲットー化が生じている、と。メルケル首相はしばらくしてから、ガストアルバイター受け入れ60周年記念式典で、外国人労働者の統合や支援を政治課題とすることが遅れた、と政治家の過ちを認め謝罪しました。
去年の11月だったか、特定技能一号と特定技能二号という新しい在留資格が打ち出されたとき、半世紀前のドイツの失敗(家族の帯同禁止など)が思い出されました。
2005年、第一次メルケル政権で少子高齢化、労働力不足を背景にその対策として移民法が発効します。一番のねらいは、ITエンジニアなどの高資格労働者には期限を定めない居住許可を与えること。ドイツの社会保障制度を下から支える担い手を増やすために、例えば言語に関して言えば、ドイツ語講習の費用を、「負担」ではなくドイツ経済への「投資」と考えたのです。なによりも納税者になる移住者として、当然の対応は何かと考え、打ち出したのですね。つまり、ドイツは移民国家としての道を歩み始めるのだ、ということを内外に宣言したのだと思います。なんと、最初のガストアルバイター受け入れから50年もかかっています。
5.移民国家としてのドイツの言語政策
今日本は移民国家ではない、移民は受け入れないと言っていますが、ドイツは半世紀もかかって移民国家の道を選んだのですね。移民国家を宣言するとはどういうことか。それは、やってきた外国人に対して、国家として生活支援対策をきちんと整備するということです。労働基準法とか最低賃金法、職業訓練、ドイツ語指導あるいは子どもの教育、健康保険、年金、介護、治安、そういう一切を移民法という形で整備していくことですね。
逆に、移民国家を宣言しないというのはどういうことか。こういう整備をきちんとしなくてもいいということですよね。みなさんはどうお考えか、ご意見を伺いたいと思います。
2007年、国民統合計画がメルケル政権で立ち上がります。統合コースを設置するのです。統合コースは以下の二つに分かれています。
①ドイツ語講習(45分授業) 基本300時間+中級300時間 合計600時間
②オリエンテーションコース(文化などを教える)30時間
ドイツ語講習は600時間、国として援助する。オリエンテーションコースはドイツの法律、歴史や文化に30時間など。統合コースの運営は連邦予算から出します。
受講料は単位あたり200ユーロで個人負担ですが、職場の補助や求職者給付があり、ほとんどただで受講できます。設置者は地方自治体、民間など官民相互で、市民大学生涯学習センターとかキリスト教の団体の組織、語学専門学校、企業内教育、個人ボランティアなど。講習内容はゲーテインスティテュートが中心となって標準カリキュラムを開発しました。そのカリキュラムは、ドイツ語講習の基礎クラスでは、買い物や余暇、メディア利用、健康維持など。ステップアップした中級クラスでは、文化や国家、世界観について教えたり議論したりする、そういうきめ細かいものになっています。また、普通のカリキュラムのほかに特別コースがあり、青少年や、子どもを持った親、女性だけのクラス、非識字者、障害者のクラス、大学受験者用インテンシブクラスなど、細かく設置しています。
そして試験(移民のためのドイツ語のテスト:「聞く・読む・話す・書く」評価基準)を実施し、到達目標をセファール(<CEFR> 外国語におけるコミュニケーション能力を測る物差しとして欧米を中心に活用されている国際標準規格)のB1レベル到達に置いています。(B1レベル=身近な話題について主要な点を理解し、筋の通った簡単な文章を作ることができる自立した言語使用者)
2005年の移民法によって大筋がきまりましたが、法律としてもう少し細かく決めなくては、ということで3年前、2016年に統合法が制定され、「支援と要請」という性質を持った法律ができました。これは合法的に滞在する難民をドイツ労働市場に早く溶け込ませる主旨を持った立法措置、ドイツはあなた方を支援するが、要求もする、という法精神です。
言語に関して言えば、ドイツ語講習の600時間はそのまま、それを義務化した、ということです。それまでは落ちこぼれればそのままにしていましたが、ここからは受講を要請するわけです。ドイツ語講習を受けなければ次のステップに進めませんよ、と。うまく伸びない人に対しては1000時間まで延長する、と。
オリエンテーションコースについては、100時間を義務化しました。ドイツの歴史や文化、生活習慣などをしっかり学ぶ。難民申請をしていて、この講習を拒否した人に対しては給付が削減されます。
試験も厳しいようで、2017年度の修了テストの受験者は49万人、B1レベル達成率48.37%ですから、二人に一人は達成していないと宣言されています。B1レベルは、僕たちにそれができるか考えてしまうほど、かなり難しいレベルですね。日本でも外国語習得に関して方向性が出されていますが、本当にそれが徹底的になされるのか、注視していきたいと思います。
6.支援活動全体を俯瞰する組織~支援活動を支えるフィロソフィー
2005年の移民法成立と同時にできた移民難民統合審議会、僕はこれがポイントだと思います。移民難民を集中的に扱う連邦移民難民庁の下部組織なのですが、政府と他の支援組織の横断的協力体制をリードしていく組織、個人とか企業とか地方などにたくさんある支援組織と政府を橋渡しし、支援活動を全体として俯瞰する組織です。こういう組織が一番大事なのではないかと思います。
この審議会をウェブサイトで見ると、「難民のドイツ語支援と社会統合に関する施策」という項目の中に、企業主催の講習、職業訓練、大学の講座などなどのデータベースが出てきます。そうした講習の空席状況も必ずサイトにアップすることを義務化しています。この審議会が全体を俯瞰する機能を果たしていることがよく分かります。
日本について言えば、今年6月に日本語教育推進法が成立しました。これから政令とか省令とか条例などを決めていく必要がある。関連省庁が文科省はじめ11あるそうです。それを統括するのが法務省なのですね。ここがポイントだと思うのです。法務省の下部組織に出入国在留管理庁がありますね。在留を管理、コントロールする役所です。そういうところに、日本語教育を任せられるのか。僕はそれを危惧しています。ドイツの場合は外国人局というのがありますが、それとは別に、連邦移民難民庁があり、そこはコントロールではなくプロテクション、移民難民を護るというフィロソフィーを持った組織なのです。
しかしこれは驚くべき事ではありません。ドイツ憲法には庇護権という権利があります。政治的非迫害者はドイツが庇護する、という。この「庇(かば)う」と「管理する」の間では哲学が違うのではないか。それを問いたいと思います。
4月に導入した特定技能○○号、これは移民ではなく、労働力という政府の見方なのですね。「在留外国人」であって移民ではない、よかったら延長してもいいですよ、という。これでは、本当に移住者のための健全な日本のシステムができるのだろうか。
7.リサーチクエスチョンに対するメッセージ
7-1.リサーチクエスチョン①
先のリサーチクエスチョンNO.1に対する僕のメッセージは、外国人が増えると仕事を奪われる、治安が悪くなるといった排外主義の広がりを押さえるためにも、移民国家であることを内外に宣言すべきだ、というものです。移民法を定め、多様性を重んじた社会づくりに大きく舵を切るチャンスではないか。
2018年から2019年の流れをもう一度見てみると、2018年の6月15日に、「骨太の方針2018」が閣議決定され「新たな外国人労働者受け入れ制度創設」の方針が示されました。つまり、外国人労働者受け入れの考えは昨年11月や今年になって出てきたのではない。遡ればずっと前からあったのです。1988年の閣議決定:単純労働者は受け入れない、の宣言が重要です。これを言ってしまったがために、フロントドアではなくサイドドア、バックドアから入れる技能実習生というまやかしが1993年にスタートし、約30年続いているのです。これを受けた形で去年2018年の11月~12月に臨時国会で法改正の審議が行われ、それを通して技能実習生に対する人権侵害の実態が露呈されました。
4月に導入した特定技能○○号、これは移民ではなく、労働力という政府の見方なのですね。良かったら在留してもいいですよ、という「在留外国人」であって移民ではない。これでは、本当に移住者のための健全な日本のシステムができるのだろうか。しかし明確な具体策が決定されないまま12月8日に法案は可決・成立し翌年2019年4月に施行するという拙速なドタバタ劇でした。しかし「どうせ国民は忘れてしまうだろう」というのが本音ではないか。僕は、先のリサーチクエスチョンNO.3が頭から離れないのです。僕もほったらかしにしている間に4月になって、改正入国管理法が施行されました。2025年までに34万人の外国人労働者を受け入れる、というのです。
今は9月も終わろうとしています。まだハッキリしていないことがたくさんあります。ことばのこともハッキリしていません。どのようにカリキュラムを組んで、どんな形態で教え、どんなひとが、どんな試験をするのか。予算はどのくらいあるのか。言語支援全体を見るのは文化庁なのか、法務省なのか、分からないままスタートしました。
日本は、難民受け入れについては、実は経験があります。1979年、インドシナ難民を受け入れています。姫路市と神奈川県大和市に定住促進センターを設置して1万人以上受け入れました。その半分以上は後にアメリカやカナダに移住しましたが。2010年からはミャンマー難民を第三国定住の枠組みで毎年30人を受け入れています。人数が少ない、あるいは受け入れ後の日本語教育支援体制がずさんだという批判はあるものの、これを機に各種支援団体が誕生しました。共生社会模索の原動力になった難民受け入れで、それに踏み切った日本政府を僕は評価したいと思います。
しかし一番の反省点は、「難民や移住者との共生」の重要性が、僕を含め国民に浸透しなかったことです。政府レベルで勝手にやっている、という国民の受け止めです。僕自身の反省のきっかけになったのは群馬県の難民施設:あかつき村のTVドキュメンタリーを見たことです。
40年たっても日本社会に溶け込めないベトナム難民に寄り添う女性をみて、難民の数とかを基に論文などを書いてきた自分を反省しました。寄り添うとはこういうことか、と感じました。
最近、留学生・技能実習生の自殺や彼らが犯した犯罪などがニュースになっています。僕たちは外国から日本に来て働くひとたちの過酷な実態に気づかなかったのです。政府の「受け入れ体制」と同時に、僕たち一人一人が難民に対する認識が出来ておらず、「受け入れの姿勢」そのものが未熟だった。おそらく法務省も異質なものを排除する力の一つで、庇護を必要とする人たちを長期間収容することもある。メディアも不法滞在者の不祥事をどんどん流す。そういう中で僕たちに寛容の心、受け入れ姿勢が育たない土壌が作られ、外国人アレルギーになっているのではないか。
それがリサーチクエスチョン①に対する僕のメッセージです。
7-2.リサーチクエスチョン②
リサーチクエスチョン②、移住者への言語支援は日本語だけでいいのか、でした。それに対して、母語に対する配慮も必要ではないか、というのが僕のメッセージです。
調べてみますと、以下のように日本は国としてドイツの言語政策を調査済みでした。
独立行政法人「労働政策研究・研修機構」『ドイツの移民政策と新移民法』(2004年)
金箱秀俊「移民統合における言語教育の役割:ドイツの事例を中心に」『レファレンス(国立国会図書館調査及び立法考査局)』2010年12月号
あとは政府の判断だったわけです。野党その他の反対もあって、決断ができなかったのだと思います。
2016年に超党派の議員連盟が、多様な文化を持った活力ある共生社会の実現に資するとして、日本語教育推進基本法の成立を目指します。そして2019年6月21日に「日本語教育推進法」が国会で可決・成立します。これは外国人や海外にルーツをもつ子どもたちに対する日本語教育に国や地方公共団体、事業主が責任を持つことを明示し、第3条の第7項では「日本語教育の推進は、我が国に居住する幼児期及び学齢期にある外国人等の家庭における教育等において使用される言語の重要性に配慮して行われなければならない。」と定められています。
そう謳われてはいますが、どう実現するのか。日本語教育の専門家は全力を持って、文化庁なり法務省なりを手助けしなくてはならないと思います。国民一般は日本語ネイティブであれば日本語を教えられるという思い込みがあり、日本語教師の専門性に対する認識が社会全体で欠如していたし、今もそうではないか。
通知、という形で「日本語教育の推進に関する法律の施行について」を、文化庁が出しています。ぼくは文化庁よりも、もっと移民・難民を全体的に統括する国の組織、ドイツにおける移民難民統合審議会のような、が出すべき通知だと思い、驚くとともに文化庁はそれを押しつけられたのかなと感じます。
外国人材を受け入れるにあたって、日本語及び日本文化を教え込むことに力点が置かれすぎていて、この日本語教育推進法には海外にルーツを持つこどもたちに家庭における母語への配慮が必要とは盛り込まれていても、どのように、という詳細には触れていません。
僕はハワイ語のイマージョン教育を20年くらい調べてきました。はじめは英語を使ってハワイ語を教えたのです。しかし小学校へ行くようになると主要言語の英語話者の子どもに馬鹿にされ、自分の言語を勉強しなくなる。その反省から、今では保育園/幼稚園からハワイ大学の大学院までハワイ語だけで授業を受けることができるようになりました。30年くらいかけてようやくひとつの形が出来上がったのです。
日本語教育推進法ができた、良かった、ではすまない、これから見ていかなくてはならないのです。法律ができて、政省令、告示、通達、要綱などを経て、最後の段階が現場裁量です。企業や専門学校で教える現場の裁量、これを監理組合などに任せず、一番上からしっかり見る統括組織が必要ではないでしょうか。
日本語教育推進法ができる数ヶ月前に、トロント大学名誉教授で日本語教育の第一人者、中島和子さんが新聞に書かれた記事があります。超党派の日本語教育推進議員連盟がネットで発表した日本語教育推進基本法案の要綱を以下のように強く批判されたのです。
<少なくとも、「日本語教育の推進は、幼児期および学齢期の外国人児童生徒の場合、家庭で使用される母語等の重要性に配慮しつつおこなわれなければならない」ぐらいの文言を、基本理念に盛り込んで欲しい。母語は、親子の大事なコミュニケーションツール。日本語のプレッシャーで親の母語(子どもにとっては継承語)を失うことは、情緒不安定、アイデンティティの揺れ、学業不振を招きかねない。>
結果、前に触れたとおり、カッコ内の一行が基本法の中に取り入れられました。誰かが言わなくてはいけないのですね。学者個人でも学会でも、ことば村でも、誰かが言っていく必要があるのではないか。
7-3.リサーチクエスチョン③
メディアに流される自分であることに気づき、中島さんのように声を上げることが必要だと考えます。政治家・官僚に任せておけば良いと諦める必要はない。なぜなら政治家は支持率を気にするからです。そこから国民の声には敏感なはずです。彼らに任せておけば良いという態度は国の姿勢と直結してしまう。
多文化共生についても、すでに2006年に人口減少への対策として、総務省から「多文化共生プラン」が出されています。それ以来のすったもんだを見ると、今は分岐点にあるような気がします。つまり外国人労働者を単なる「労働力」とみなすか、あるいは本来の意味で「共に生きる人間」とみなすか。改正入国管理法も日本語教育推進法も、このどちらに転ぶかの分岐点だと思います。市民個人も団体も、どちらに転ぶか、どちらの側として声を上げるか。吃ってもよい、もつれてもよいから、自分の心からの思いを何らかの形で表明していきたいものです。
市民の中には難民を含む外国籍市民も含まれることを肝に銘じたいと思います。母語教育の場に、そのことばが母語である人を活用し、コミュニティーの力を活用してやっていくべきではないでしょうか。先週、JAR(難民支援協会)主催の『難民アシスタント養成講座』に参加しましたが、なんと、100人もの参加がありました。立教大学の久保山亮先生がドイツでの最近の取り組みを紹介してくれ、難民支援の流れとして、For refugeesからWith refugeesになっているとのこと。(アルテナ市のメンター制度など難民自身が特技を生かして事業を担う事例の増加)
冒頭に述べましたように、困っている移住者を見かけたとき、言葉がスラスラでてこなくても、こちらから行動を起こし、一緒に問題を解決するという姿勢が求められているのではないでしょうか。
まだまだ語り足りない気もしますが、皆さんからのご意見も聞きたいので、私の話はここまでといたします。
(文責:事務局)
2020/2/24掲載
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