地球ことば村
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ことば村・ことばのサロン

2021・1月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「日本にルーツのある海外在住の子ども・若者の日本語継承について」


● 2021年1月30日(土)午前11時-12時30分
● Zoomによるオンライン開催
● 話題提供:カルダー淑子先生(ジョンズ・ホプキンス大学 高等国際問題研究大学院)
● 司会・対談:井上逸兵ことば村村長(慶應義塾大学教授)
● 動画(ダイジェスト版)https://youtu.be/0cPi8kV_H-w


継承語とは

 私はジョンズ・ホプキンス大学の大学院で日本語を教えるほかに、⺟語継承語バイリンガル教育学会・海外継承⽇本語部会の代表をしています。

 継承語教育とは、父祖の出身国の母語とは異なる言語環境に移住した子どもに、出身国の言葉を伝える教育を指します。継承日本語教育は、日本に滞在する外国人の母語継承教育と鏡の裏表ともいえるものです。

 この海外における継承語教育について、近年、日本政府の支援のあり方が問題になっていました。戦前に国策移民として海を渡った人々の子孫や、戦後に企業駐在員として渡航し一時的に海外に在住する日本人の子弟を対象にしては、従来から日本政府による一定の支援がありました。
 一方で、戦後、国際結婚や海外での起業など、さまざまな理由で海外に永住する日本人が増え、両親とも日本人、あるいは一方の親が日本人の未成年は、全世界で20万人にのぼると考えられるまでになっています。しかし、その子どもたちの継承日本語教育は、日本政府の支援の枠の外にあり、網の目から落ちていたのです。

 一時滞在の在留邦人の子どもたちには、文科省の予算で日本人学校や週末の補習校に教員が派遣され、日本の国語教科書にそった授業をしています。帰国した際、子どもたちがソフトランディングできるようにという目的によるものです。しかし現地社会に永住し、現地の学校教育を受けて育つ多言語環境の子どもたちには、日本の国語教育とは違った方法による言葉の教育が必要となります。このような子どもたちに対する継承日本語教育を、政府支援の対象にして欲しいと、在外の親や教師は長年にわたって願ってきたものです。
 自分のルーツであることばや文化を子どもに伝えたいという気持は、親の本能のようなものだと言えるでしょう。さらに最近では我が子がバイリンガルに育つことを望む親も多く、親同士がボランティアで教室を運営したり、本来は一時的定住の子どもを対象とした補習校に入校させたりと、大変な努力を払ってきました。事実、アメリカの補習校の生徒の6割から8割を永住日本人の子どもが占めているとも見られています。


戦後渡航者の継承日本語教育に日本政府の支援が法制化

 2018年の夏に超党派の⽇本語教育推進議員連盟が作成した「⽇本語教育推進法案」原案が公開されましたが、これには海外の⽇本語教育関係者から強い疑問の声が上がりました。原案に「⽇本にルーツを持って海外に永住する⼦供たちの⺟語教育に対する⽀援」が盛り込まれていなかったからです。在外の⽇本語教師の会を基点に⽂⾔の追加を求める署名運動が広がり、2週間ほどの間に2000筆近い署名が集まり、それを東京の⽇本語議連に届けた結果、運動は主要議員を動かし、国会に上程される最終版には海外の要望に沿った⽂⾔が盛り込まれることになりました。この署名活動に参加した⼈の在住地は、北⽶、アジア、欧州、オーストラリアと多岐にわたり、その職業も研究者、⾃営業者、技術者、医者、弁護⼠、国際結婚家庭の⺟親と多様です。署名に添えられた意⾒は480通を超えたが、そこには海外にあって我が⼦に ⽇本語を残す苦労を語る声が続き、政策関係者の注意を喚起するものでした。

 この法律によって、戦後渡航者の継承日本語教育に対して、外務省所轄の国際交流基金から支援が行われることになりました。


ことばとアイデンティティ

 複数のことば、文化の間で育つ人には、アイデンティティの揺らぎが生じると考える人が多く、長年研究の対象にもなってきました。そういう傾向も確かにあるかもしれませんが、私自身は、アイデンティティについて、出身国と在住国のアイデンティティが本人の中でせめぎあうようなかたちをとって育つものではなく、家庭の背景や、成長する土地の文化、受けた教育、出会った人などの全てが合まって、その人なりのアイデンティティが形成されるというように考えて来ました。成長の過程で通り越してきた全ての経験を総合して、その人のアイデンティティが作られるというもので、多言語多文化の中で成長する人の中には、そのように自分のアイデンティティを総体的に捉え、受け止めている人が多いように思います。
 また、継承語とは、何よりも、親子の心の絆を作る言葉であり、例えば、親の母語が日本の方言で、継承語学校などで教わる標準語(共通日本語・東京方言)でない場合でも、それが親が自分の心を伝えるのに最もふさわしいことばなら、その方言で接するほうがいいと思います。ことばも文化も生きて動いているもので、これが正統派なのだと決めることはできないのではないでしょうか。


真のグローバル人材としての子どもたち

 継承日本語を学び、日本文化に親しんだ日本にルーツのある子どもたちは、自由に使える現地語・現地文化と相まって、それぞれが多言語多文化の国際社会で活躍するグローバル人材になり得ます。このような子供達の持つ価値に、注目して欲しいと思います。もともと、日本語・日本文化は中国・朝鮮半島の文化を取り入れて形作られてきました。同じように、日本にルーツのある海外在住の子どもたちは、日本文化を豊かにしてくれる可能性のある存在だと思っています。日本に滞在する外国にルーツのある子どもも、同様です。


日本社会の変容を

 ただ、そのためには日本社会、日本企業の態度も見直す必要があるかもしれません。日本にルーツのある海外で育った人材については、日本文化と相容れない点がある、というような減点主義で見るのではなく、日本社会に新しい視点を提供し豊かさをもたらす存在と、企業の側で思うことが出来るかどうか、これが鍵になるのではないでしょうか。一般に、多言語多文化の環境で育った人は、異なる意見の間の調整能力に優れ、多様な考えを組み合わせて新しい考えを生み出す力にも優れていると言われます。こういう人材を雇う企業の側では、英語屋、ドイツ語屋などとして待遇するのではなく、その人の総合的な能力を十分に発揮できるポジションに配置できるかどうかが、成功する雇用関係の鍵になると思います。
 これは、日本にルーツを持つ若い人のこととは限りません。私がワシントンのジョンズ・ホプキンス大学の大学院で教えている日本語専攻の院生たちの中には、目をつぶっていると日本人かと思うほどの日本語をあやつれる人もいます。日本語で世界情勢や経済問題などを自由に議論しています。 彼らは日本文化を愛していますが、自分がこれまでの教育投資に見合ったポジションを将来どこで得ようかと考えるとき、新入社員は横並びで一律の初任給を受け、何年もかけて昇進していく日本の企業システムは必ずしも魅力的ではありません。
 また、日本は現在、二重国籍を認めていないために、日本にルーツを持つ多くの海外在住者が、現地での生活の必要から、日本の国籍を捨て、現地の国籍を選択せざるを得ないという状況が続いています。世界の主要国の4分の3が二重国籍を認めている現在、日本もそのような国になって欲しいと願っている海外在住者は多くいます。

 日本にルーツのある子どもに継承日本語を学んでもらい、彼らの能力に見合ったポジションを日本・海外問わず提供できれば、それは日本の未来を左右する鍵になると思うのです。また、同様に、日本国内に在住する、外国にルーツを持つ若い人の母語を育てるという発想も大切であり、この両者が相まってこそ、日本は本当の多言語多文化共生社会に変わることができると思います。


(文責:事務局)

2021/2/26掲載