地球ことば村
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ことば村・ことばのサロン

2022・10月のことばのサロン
▼ことばのサロン

 

「コロニア語とは何か-ブラジルに生きる日本語と継承語問題」


● 2022年10月16日(日)午前9時30分-10時30分
● Zoomによるオンライン開催・対談
● 話題提供:モラレス松原礼子先生(サンパウロ大学准教授・サンパウロ人文科学研究所理事長)
● 司会・対談:井上逸兵(ことば村村長・慶應義塾大学)
● 参加:44名


対談要旨

司会:今日はブラジル・サンパウロと結んでモラレス松原礼子先生にコロニア語のお話を伺います。
松原:おはようございます!
司会:時差は丁度12時間、季節は春ということですね?
松原:そうですね。まだ寒いです。サンパウロは1日で四季が味わえる。朝夕はガタンと下がります。
司会:改めてご紹介をいたします。サンパウロ大学日本語日本文学日本文化大学院プログラム指導教員、ブラジル日本語センター教育部門副理事、サンパウロ人文科学研究所理事長のモラレス松原礼子先生をお招きしました。


サンパウロ大学日本語科について

司会:サンパウロ大学などで日本語を学ぶ状況はどんな感じですか?
松原:サンパウロ大学の哲学文学社会人間科学部には古典語学科、ヨーロッパ現代語学科、東洋学科があり、日本語講座は東洋語学科の中にありますが、この東洋語学科はヨーロッパ以外の言語、中国語、韓国語は勿論ですが、ロシア語やヘブライ語、アラブ語、アルメニア語まで入っていて、マイノリティー言語ならではの問題、例えば退職した教員の補充などが教授会でいつも問題になっています。
 ブラジルは多民族多言語国家なのに東洋学科は冷遇されていて、日本語学科も最近は教員が50%くらい減って補充がありませんが、東洋語学科の中では、日本語学科が唯一、朝30名と夜30数名の二部制で授業があり満席に近い状況です。15人の席しかない中国語講座に比べて人気があります。
 また、現在は非日系の学習者が増えました。ブラジルは日系移民の社会が世界で一番多いところですが、2000年代を境に8割くらいまで非日系の学習者です。今は完全に大学という環境では、外国語として日本語を学ぶ人たちにシフトしていますね。
司会:これは日本のアニメとか日本文化の人気が反映しているということですね。我々日本人の多くは、ブラジルには100年くらいの歴史を持った日系社会があると理解しています。その母語は、多分すでにポルトガル語になっていて、そういう方々がサンパウロ大学で日本語を学んでいらっしゃる、そういうイメージでした。
松原:日系人の方々は1980年代、90年代、出世するためにブラジルの教育を受けてブラジル社会に統合しようとしてきました。医学部とか工学部とかが選ばれることが多く、文学部は本当に文学や言語学が好きな人しか選ばない。親はやはり、社会的に成功する職業の方へ子どもを導いたと思います。従ってバイリンガルだった日系人が80,90年代にどんどんモノリンガル化していくのです。
司会:ブラジル日系社会で、日本語そのものを維持している方も希なのでしょうね。
松原:そうですね。高度のポルトガル語を身に着けようと思うと、かなり勉強しなくてはなりません。そのためには私立のいい学校へ行かせてもらい、小さい時から読解力をつけないとなりません。その後にサンパウロ大学に入ってくる。サンパウロ大学は公立で授業料はありませんし、更に研究の奨学金や地方出身の学生には、サンパウロ滞在のための補助金も取れます。無料の寮があり、食費も無料に近い。私の見る限り、日系社会は日本語教育より、現地教育に投資をしています。


現在の日系社会

司会:現在の日系社会は具体的にはどんな活動をしているのですか。どのようなかたちでブラジルの中に存在しているのでしょうか。
松原:日系社会自体はかなりダイナミックに活動しています。リベルダーデ地区という日本人街の文化協会というところにさまざまな行事が集まっていて、カラオケから伝統芸能まで継承はしています。しかし、言語そのものについていえば、昔は13歳の子どもが検定1級を取っていましたが、今は3級、4級でも取るには相当な勉強が必要で、ほとんどは日本語離れしていますね。3世代で継承語は忘れられると言われますが、ポルトガル語で要求される学問水準は大変高いので、全く異なる言語をふたつ習得するというのは相当な工夫が必要です。


コロニア語はどんなことばか

司会:そういう状況の中での「コロニア語」。私のイメージはポルトガル語化した日本語、日系人の人々がアカデミックではなく、カジュアルに使っていることばという。松原先生はどう位置づけておいでですか。
松原:私から見ると、日本語でいう方言に近いですね。ブラジルのコロニア弁という。ベースは日本語で、戦前から始まっています。その頃の資料がありませんが、小説の書き出しなどで推測できます。日本語の方言同士の接触から生まれていますね。
 ブラジル現地社会との接触があまりなかった1908年から10年、日本国内では南北に離れて住み、それほど会うはずがなかった日本人同士がブラジルで接触する。そこで日本語の中のバリエーションのぶつかり合い、方言摩擦から出来たのがコロニア語の始まりです。それがブラジル社会に浸透していくことによって、どんどんポルトガル語を借用していったわけです。戦前の移民の文章を見ると、ポルトガル語の借用は文章ではあまりなくて、借用は語彙のレベルです。各地の方言が混ざった日本語をベースにポルトガル語が借用されているのがコロニア語ですね。私も気づくと使っていたりします。
司会:なるほど。そういうことですか。
松原:構文的に言えば、コロニア語は日本語なのですね。面白いのは、ポルトガル語の動詞と目的語の語順をそのまま取り入れて「お茶にしましょう」を「トマ カフェ しましょう」と言うのです。
 戦前の移民の方と、戦後、移住が再開して間もなくの新しい移住者とでは、ことばだけでなく考え方も違います。戦後の移住者は民主主義とか平等とかの価値観を持っていて、明治時代の価値観を持った戦前の方には伝わらないため、「ブラジルぼけ」と呼ばれたと文献で書かれています。例えば、戦前の移民の方は時間にルーズだ、というのですね。戦前の方の文脈では、現地は、電車でなく、汽車で移動。8時間で移動できるはずが故障すると2日くらいかかる。最初に立てた予定通りにいかないのがブラジルの社会でしたから。今でもそういうことがあります。


コロニア語に対する見方の変遷

松原:サンパウロ大学で正式に日本語を教える機関ができた当時は、東京外大の先生とか、野本菊雄先生など日本から客員教授をお呼びしていたのです。私の指導教官だった鈴木妙先生も日本にいらっしゃって、時枝文法とか、渡辺文法、山田文法といったオーソドックスな日本の学校文法を学び、それを私たちに教えてくださった。ですからサンパウロ大学系統は学校文法なので、コロニア語はえっ!?という感じなのですね。
 ブラジリア連邦大学の久山恵さんが初めてコロニア語をきちんと系統的に研究されました。日本の社会言語学会誌に投稿されて、賞ももらっている方です。私の研究は、コロニア語がどのように日本語教育の場面に出てくるか、どのように活用したらいいか、ということなので、言語学的分野ではないのですが。


コロニア語はコミュニケーションストラテジー

松原:ポルトガル語の借用語が多い点でコロニア語は学習者の臨時的な中間言語とは根本的に違います。コロニア語はブラジル日系社会が長年育んできたコミュニケーションの生きたツールなのです。特殊な文型のパターンもありますし、コードスィッチングが頻繁に起こります。文節のレベルでどんどん入れ変えていく。スムーズな変え方で、バイリンガルの人が聞くと、違和感がありません。
司会:相手に合わせて使い分けるのですね。
松原:はい、コロニア語は日本語ができない人が使うのではなく、ひとつのストラテジーです。ある年配の日本語の先生のインタビューで、その方は小学校3年までの学歴で、独学で日本語を学んだ方なのですが、とても高尚な日本語で話されました。2時間くらい経ってから、私も移民二世ですと言うと急に親近感を覚えたのか、わぁっとコロニア語が出てきたのです。
司会:あぁ、そうなんですか!
松原:日本語とポルトガル語をどんどん交差してコードスィッチングが始まって。このデータは面白い!と思って。後で文字化すると変なのですが、聞いているときは全く違和感が無い。文節ごとに変わって、文法の誤用は全くありません。バイリンガリズムの研究者によると、コードスィッチングが現われるのは、相手に親近感を覚えてラポール構築がされた時ですね。
司会:そうすると、コロニア語は、日本語とポルトガル語とあって、第三の言語という位置づけでしょうか。
松原:そういう捉え方もできると思います。博士論文の審議の際に、方言なのか、新たな言語なのかとずいぶん論議されました。私はやっぱり方言だと思いたいです。日本語がドミナントでコードスイッチングしても、日本語がベースですので。
司会:なるほど。さきほどの例「お茶にしましょう」が面白いと思いました。あれは、ポルトガル語の動詞+目的語の語順で、日本語の「しましょう」が語尾に着く。~しましょう、という構文の中に、ポルトガル語のVOが入っていたとも見られますが、「しましょう」を勧誘の意味の文末マーカーと捉えると、ポルトガル語の文に日本語の文末マーカーが着いているとも考えられませんか。
松原:私は日本語だと思いますね。もしディスコースマーカーだとすると、文法以上の枠になりますので、かなりレベルの高い人でないと出来ない。日系人で日本語のできない人にあるケースでは、ポルトガル語でものを頼んで、最後に「お願い」と言う。「お願いします」ではなく、「お願い!」と。やはりこれはコミュニケーションストラテジーだなと思います。あと、自然習得の日本語で日系社会の中だけでは語彙力がそれほどなくても、授受動詞をうまく使える人が多い。狭い日系社会の中で相手への配慮は大事であって、感謝を表現しなくてはならないので、自然に出てきます。
司会:日本語習得の際に、授受動詞に苦労するとよく聞きますが、日系社会ではそうなんですね!
松原:もうひとつ気がついたことは、コロニア語を教育ツールしてとして授業で使う先生方もいて、ある時電話でそのお一人と話したらすごく流暢な日本語で返ってくる。ですからやはり、コロニア語は日本語が出来ない人のことばでは無くて、一種のストラテジーだ、という証明になりますよね。


若い世代は「ばあちゃんネス」

司会:ポルトガル語化する日系人が増えたということですが、日本語は出来なくてもコロニア語は話すという方もいますか。
松原:サンパウロのような都会ですと、30代以下ではほとんど日本語を使える人はいませんが。今は、「コロニア語」ではなく「ばあちゃん語」(ポルトガル語では「ばあちゃんネス」)と呼ぶようになっていますが、ネスはポルトガル語のジャポネスの語尾であって、私はばあちゃんネスしか使えない、とポルトガル語で言います。
司会:ばあちゃんネスはコロニア語とは違うのですか。
松原:はるかに語彙力などは落ちています。実際におばあちゃんに接したとき、「おばあちゃん、ご飯食べる?」とか「おばあちゃん、ありがとう」とか言う、そのレベルですね。ピジンというか。
司会:世代間を埋めるためのピジンというようになっている。


コロニア語の教科書

松原:そうですね。1960年代、戦争中禁止になった日本語を教えられるとなった時、現地の教育局から許可を取るために作られた教科書にコロニア語が入っているのです。使用者が機能的なことばとして使っている言語なので、使えば便宜も図れるし意思疎通もできる。この教科書は当時のブラジルの日本語学校90%以上で使われたという記録があります。まさに、ブラジル政府に対して、我々はブラジルで作った教科書を使っていますという訴えの手段でもあったのです。表紙もブラジルらしい鮮やかな色彩でオウムやパッションフルーツの花などが描かれています。(画像表示)
 しかし当時、戦後日本からの移住者はこんな「変な日本語」を教えられないとすごく批判し、柳田國男先生編集の日本語の教科書を日本から取り寄せます。まだ禁止外国語だったので、絵本として輸入されたのです。日系社会は混沌としているので、当時、戦前の尋常小学校教科書をまだ使っているところもあったのですが。

(画像・移民数の変遷)戦前移民は広島県が1万人以上で飛び抜けて多いです。沖縄、熊本、福岡と続いて西日本が多い。方言が混ざってきます。戦後移民は一桁少なくなりますが、沖縄の方が多く、東京からもあります。

(画像・ブラジルの教科書)これがブラジルの教科書です。「ニッポンゴ」という。パッションフルーツやアマゾンの蓮の花が描かれた表紙、開いて見ると「村の中に エストラーダを はさんで」と、ポルトガル語を借用しているのです。「オニブス日本語」として野元菊雄先生が「言語生活」に論文を出されています。オニブスはバスのポルトガル語ですね。ほかにカフェザールはコーヒー農園など。この教科書は、移民の生活を描くというのも目的のひとつで、また、野口英世のような日本の偉人に加えてブラジルの医学者を偉人として掲載するなど配慮して、今見ると異文化を統合したすばらしい本だと思いますが、当時の先生はそう捉えなかったのですね。50年代60年代はこのようにコロニア語が溢れていました。漢字を当てることもありました。コロニアは植民地、コロニアを出る、は退の漢字を使うとか。
司会:「植民地」は帝国主義を連想させることばでもありますが、ブラジルでは違うニュアンスなのですね。
松原:そうですね。日本でも拓殖大学に研修に行くというと、韓国の方が気を悪くされたことがあります。ブラジルではコロニアというと、新しい意味合いでは「避暑地」のイメージもあります。日本人がたくさん住んでいることも余りネガティブなイメージはありません。
 NHKスペシャルで取り上げられた弓場農場のあたりでは今でも日本語を話すかたがいらっしゃいます。https://www.nikkeyshimbun.jp/2007/070524-61colonia.html


大学の日本語講座で

司会:サンパウロ大学で日本語を学ぶ学生さんは非日系の方が多いということですが、そういうかたにコロニア語はどのくらい知られているのですか。例えばアニメから日本文化に興味を持ってというひとはコロニア語の存在を知っていますか。
松原:知識としては知っています。私の授業では言語のバリエーションということで取り上げます。学部生でも研究で奨学金が取れるので関心のある子には個別に指導し学部生の学会で発表してもらったりします。
司会:サンパウロ大学は色々なことを考えて試みているのですね。
松原:教員の補充が無いことが唯一困りますが、研究者にも学生にも素晴らしい環境です。様々な奨学金があり、近年では、PPIというインクルージョン方針のもと、黒人・褐色・先住民の方々の4割から5割クォーター制を取っていますが、その人々に対する入学後の生活保障の奨学金もあります。


質問に答えて

司会:チャットによる質問です。「私は中国語の仕事をしています。中国語のコロニア語もあるのでしょうか」。
松原:絶対あると思います。面白い使い方がある、と中国語の先生から聞いています。韓国語も。ただ、中国、韓国の方は移住が日本人より後なのでバイリンガルが多い。むしろ中国語、韓国語のモノリンガルのかたが、ポルトガル語を習いつつある、という状況ですね。日本人の移民の歴史は110年余りになりますから。
司会:次の質問です。「サンパウロ大学は外国語で受験できますか。その場合は英語ですか」。
松原:英語で受験します。日本語では受験できません。
司会:最後はT.Nさん。「ご無沙汰しています。サンパウロ大学2018年卒です。日系人は日本語を話さなくなり、コロニア語も消えるのではないでしょうか」。
松原:そうですね、Nさん。消える前にこの言語を保存したいですね。良い例がタリアンという、イタリアのどこかの方言から来ていることば、それを南部の方々が運動してブラジルの無形遺産として登録できたと聞いています。将来、日本語も政治家や学生にも手伝ってもらって、そのように持っていきたい。論文を発表したり、イベントを開催したり、コロニア語の使用やニーズがあるというその証拠作りをしています。
 もうひとつ、日本語は漢字を使うので一般のブラジル人はアクセスできない。記録の問題が大きくあります。このNさんのような方がブラジルに戻ったとき、活躍してほしいです。

司会:12月に来日予定と伺いました。一般の人がお話を聞ける機会がありますか。
松原:たしか、一般公開の講演があると思います。
司会:決まりましたらことば村のホームページでも広報させてください。本日はありがとうございました。

★ 参考:コロニア語に関するサイト
  http://www.discovernikkei.org/ja/journal/2017/1/4/colonia-go-1/

(文責:事務局)

2023/2/14掲載