ことば村・言語学ゼミナール
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● 2010年1月23日(土)12時30分-13時30分 3.最近の大きな動き アイヌ語再生の動きが目に見えるようになったのは、1987年以来のことです。この年の12月東京で第1回アイヌ語弁論大会が開かれました(下の「参考:中川裕『アイヌ語千歳方言辞典』書評」をご覧ください)。 そしてそれから22年後、2009年のアイヌ文化振興・研究推進機構が主催するアイヌ語弁論大会「イタカンロー」(=「しゃべろうよ」)では参加者人数52名と過去最大になり、レベルの高さも参加者同士で話題となっていたほどでした。 また、若いアイヌの人たちで、積極的にアイヌ語に関わろうとする人たちが増えていることも、ここ5年程の特徴です。特に、音楽や芸能の分野でOKI、Marewrew、Ainu Rebelsなどが、アイヌ語を積極的に使った活動を試みています。 最 近アイヌの人たちの間で目立った動きがあります。樺太アイヌの子孫である北原次郎太氏が新設の北海道大学アイヌ・先住民族センターの准教授に、二風谷出身 の川上将史氏もこの講座の技術補佐員になりました。札幌大学ではアイヌ子弟のための特別コース「ウレシパ」が開設されました。 これらは日本社会の中でアイヌ民族が堂々自己主張する場ができはじめたことを意味します。その象徴がAinu Rebels代表 酒井美直(Mina)さんの歌「e=katuhu pirka あなたはうつくしい」ではないでしょうか。 このような状況の背景に次のような公的な局面での動きがありました。 ○「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告 平成21(2009)年7月 自民党政権下の最後の「アイヌ政策」策定にたいする公的な見解です。今後の「アイヌ政策」の基本的な考え方として、 1.「先住民族」という認識に基づく政策展開、 2. 国連宣言の意義の尊重、 3. 基本的な政策理念: (1) アイヌのアイデンティティの尊重、(2)多様な文化と民族の共生の尊重、 (3)国が主体となった政策の全国的実施を柱とします。 そのうち「アイヌ語をはじめとするアイヌ文化の振興」を見ますと、次のようです: 「民 族としてのアイデンディティの中核をなすアイヌ語の振興については、北海道内を中心に財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構により、アイヌ語に関する指導 者の育成、弁論大会開催、アイヌ語講座のラジオ放送等により行われている。(中略)このように、アイヌ文化振興法の制定以降、アイヌ語などアイヌ文化の一 部に対する振興施策が充実されたことにより、アイヌ語学習等への若い世代の参画がみられるなど文化伝承の裾野が着実にひろがってきている。しかしながら、 アイヌ語を学びたい、アイヌ文化に触れたいというニーズに対して、それに応える場や機会が限られていたり、指導者や教材が不足する等の課題があり、必ずし も十分に対応しきれていない面もある。このため、アイヌ語等に関する講座や指導者の育成等の既存のアイヌ文化振興策の充実強化はもちろん、アイヌ語の音声 資料の収集・整理、地名のアイヌ語表記やアイヌ語地名由来の説明表記を充実させて行くべきである。(後略)」 これに対してアイヌ民族の側からは即座に次のような反応がありました: ○「「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」に対する「世界先住民族ネットワーク・AINU」からの提言」(代表 萱野志朗 事務局長 秋辺日出男)2009.4.21 「ア イヌが日本の先住民族であることを国会が決議し、政府がこれを認めたことは、日本という国家が多民族、多言語からなることを明確に認めたことを意味しま す。したがって、日本語とならんで、アイヌ語も公用語とするための準備をただちに始めなければなりません。まずアイヌ語を義務教育段階で学べるようにする こと、またアイヌ民族がアイヌ文化を習得したいときは何歳であろうとも学習出来る期間を、国の責任において作ることを提言します。学習期間における生活の 保障も必要です。教育制度についてはアオテアロア(ニュージーランド)、台湾などの海外の先進事例を参考にすべきです。(後略)」 また、同提言では「アイヌ民族局(仮称)と、選挙によるアイヌ民族代表機関の設立を提言し、そのロードマップを提示しています。 ○ 民主党政権では、先の「有識者懇談会」の報告を受けて「アイヌ政策推進会議」が構成されすでに始動しています。この推進会議の構成員には加藤 忠 北海道アイヌ協会理事長をはじめアイヌの人たちが多く加わっています。とりわけアイヌウタリ連絡会代表として丸子美記子さん、白老のイオル再生運動で中心 的な役割を果たしている能勢千織さんが加わっていることが見だっています。 もちろんこうした「官製」のアイヌ文化推進に対しては正当な 批判が多くあります。しかし日本国家という支配者、少なくともマジョリティの組織であったものから、上に見たような見解と政策が出されることはやはり非常 に大きな前進です。マジョリティの側が変わらなければならないという原理が貫徹される必要があります。アイヌとアイヌ文化とアイヌ語の社会的威信を高める 必要があります。そのためには日本社会が多様な形でアイヌ民族とアイヌ文化とアイヌ語に関わる必要があります。 参考:中川裕著『アイヌ語千歳方言辞典』書評「世界最初の使えるアイヌ語辞典」 『週刊金曜日』1995年6月9日号 金子 亨 この本は、今、澎湃と興っているアイヌ語再生の運動への絶好のプレゼントである。著者の中川裕さんは、そもそもの始めからこのアイヌ語再生の歴史的な動き の中心的な推進力であったし、今もそうである。その彼だからこそこの辞典を産み出し得たのであって、またそうやって作られた辞典であるからこそ、運動を推 し進めるための強力な武器になる。だが本格的なアイヌ語再生の運動がそれに関心を持っている人々の目にはっきりと見えるようになったのは、そう昔のことで はない。象徴的な出来事は、1987年末の「第一回アイヌ語弁論大会」であったろうか。それまではほとんど誰もがアイヌ語はもうダメだと思っていた。中川 さんも僕も例外ではなかった。だから「弁論大会」が終わったとき、僕たちは涙を流して「ひょっとしてアイヌ語は本当に再生できるかもしれないぞ」と興奮し て語りあったものである。 そのころ僕はアイヌ語の再生を母語の断続的継承の問題として捉えていたのであるが、ある日中川さんからこんな話を 開いた。昭和生まれの大多数は、親がアイヌ語を教えようとしなかった世代に属する。しかし、意外に多くのこの世代の人たちがおじいさん、おばあさんたちの アイヌ語を聞き覚えて、それを澱のように心の奥底に溜め込んでいた。そしてその人たちが今になって、アイヌ語を話し始めたというのである。 これはもう、民族の言語がそう簡単に殺されるものではないことを示した見事な証拠である。しかし大抵のアイヌの人たちは、日本語を母語として育ったため に、民族のことばを外国語として学ぶほかはない。その人たちの民族学校として、いま北海道には12カ所ほどにアイヌ語数室が開かれ、年間で延べ300人も の人たちがアイヌ語を学んでいる。94年にはそこで使うための教科書もできた。社団法人北海道ウタリ協会企画発行の『アコロ イタク―アイヌ語テキスト 1―』がそれで、中川さんはじめ数人の和人の専門家も参加して作った、アイヌのためのアイヌ語教料書第1号である。 しかしアイヌ文化再生の運勅の進展をよそに、多くの大事なフチ(おばあさん)やエカシ(おじいさん)が他界した。92年には、川上マツ子さんと木村キミさ んが相次いで世を去った。お二人とも中川さんの大切な先生であった。そのどん底で中川さんの新しい先生になってくださったのが、白沢ナベさんであった。当 時「千歳にすばらしいフチがいるんだよ」と、中川さんはうれしそうに語ってくれたものであった。そのころから彼の千歳通いが始まる。 僕の部屋の隣の中川研究室のスチールケースには、ナベフチや山川キクさん、中本ムツ子さん等の声を録音したテープがだんだんと増えて、今では一段分いっぱ いになってしまった。そしてこのテープこそがこの『アイヌ語(千歳方言)辞典』の総ネタであって、中川さんはこのテープを全部起こして、そこから語彙項目 3700を取り出した。見出しの項目はアイヌ文字で出して、それにローマ字式の音韻表記、品詞、意味を書き加えた。さらに例文が付け加えられるのである が、その例文の多くには[N9206021.UP]のような記号がついている。最初のNは、ナベさんの頭文字である。このN印が例文のほとんどを占める。 だが、お元気だったナベさんが去年の10月21目に突然、帰らぬ人となった。中川さんはナベさんが元気なうちにこの辞典を完成させて、ナベさ んのアイヌ文化継承連動のもう一つの成果として世に出したいとがんばっていたのだが、ついに間に合わなかった。この辞典は中川さんのナベさんへの献花であ る。 この辞典は、世界最初の使えるアイヌ語辞典である。今まで、バチェラー『愛英辞典』(1938/1991)、服部四郎『アイヌ語方言辞典』 (1961/1981)、知里真志保『分類アイヌ語辞典 植物編・動物編・人間編』(1953/54、1975)などの辞典が書かれたが、それぞれに問題 があったり、使い勝手が違ったりして、アイヌ語を初めっから学ぶためには、どれも役に立たない。今日までアイヌの子供が使えるアイヌ語辞典は、まったく存 在しなかったのである。 でも、これは千歳方言辞典ではないかという向きがあるかもしれない。しかしナベさんさんのことばである千歳方言は、 沙流方言と非常に近い。十勝から東の方言とはかなり違ってはいるというものの、そのような方言差は、まず千歳・沙流のアイヌ語を学んでからゆっくり覚えて もよいではないか。ありがたいことに『アコロ イタク』はそのあたりの手当をきちんとしてくれている。それに『アコロ イタク』と『アイヌ語(千歳方言) 辞典』とは相性がよいので、各地のアイヌ語教室のアイヌの子供たちは、やっとまともな教科書と辞書とを手に入れたことになる。咋年は北海道立の「アイヌ民 族文化研究センター」も設立されたし、ここでさらに必要なのは「アイヌ新法」などの手段によって、アイヌ文化を発展させるための制度を国民的に整備してい くことである。 中川さんは、言語学は「実学」であるという。僕もそう思う。「言語学は何のためのものだ」という問いは、別に全共闘運動の専 売特許ではない。僕は68~69年頃、ヨーロッパでこの問いかけに晒され、立ち往生しかけて以来、言語学はどの分野においても絶えずこの問いに晒されなけ ればならないものと思っている。この辞書は、中川さんの言語学の「実学」性の成果でもある。なお、中川裕『アイヌ語をフィールドワークする』(大修館、 1995)を併読されることをお奨めする。 (いろいろ旧聞に属することですが、15年前の状況を思い起こしてください。) (金子 亨) |