「国 語」
「国語」というのは、国家が定めた国民の公用語のことで、17世紀末にヨ -ロッパで国民国家が作られたときに生まれた制度です。フランスでは、フラ ンス革命直後にフランス語を新生国家の唯一の国語(ラング・ナシオナ-ル) と定め、ブルトン語、カタルニア語、アルザス語などは地口(パトア)とされ ました。国によってはいくつかの言語を国家の公用語と定めることも、また一 部の公用語を地域的に限定することもあります。一方で、英語のように、一種 類の言語をいくつもの国家が公用語とする場合もあります。このように国語は、 多くの場合に法的に定められた言語で、日本語のように義務教育の場に何とな く持ち込まれたのはむしろ珍しいことです。
日本で「国語」という表現が行き渡るようになったのは、明治の始め頃のよう です。特に上田万年(1867-1937)の名と密接に結びついているようです。こ の人は、1888年帝国大学文科大学(現 東京大学)でチェンバレンに博言 学(言語学)を学び、「大日本帝国の国語の創設」と「博言学的な日本語の研 究」に主要な関心を寄せていました。大学卒業後、当時のヨ-ロッパの言語研 究の中心地であったベルリン大学とライプチヒ大学に留学して、帰国後は文科 大学長を務めるなど、「国語と国家と」(1894)という著書の名のとおり、文 部省専門学務長や臨時国語調査会会長などを歴任して、明治期の国語教育と国 語研究に大きな貢献しました。また特に金田一京助、新村出、伊波普猷などの 優れた言語学者を育て、日本の言語研究の礎を築きました。文科大学のご自分 の研究室に「国語研究室」という名札を掛けたことも有名です。もっとも、こ の看板は関東大震災以来見えないようです。
現在、独立法人国立国語研究所 (1946年国立研究所として創設)が全国的な国語研究の中心的な組織として活 動しています。
国語とならんで母語という概念があります。文字どおり母から習い覚えたこと ばのことで、先祖伝来のことばです。母語が国語と違うことも少なくありませ ん。日本では、かつてアイヌの人たちもそうでした。多民族国家の場合には、 多くの母語が国語と違うので、二言語使用・多言語使用がむしろ普通の言語生 活になっています。
また母国語という表現もあります。これは母語とは違った概念で、主に外国に いるとき自分の生国を母国と言いますが、その母国の言語を指します。母語の ことを母国語というと国家意識が加わるといいます(『広辞苑』第三版1刷)。
(金子 亨、言語学)