大連の水文字(地球ことば旅)
中学時代を大連で過ごしたというかたの誘いで、初めて大連に行った。戦前の 大連、そして満州については、日露戦争の舞台であったこと、その後日本が占 領していたこと、満州事変から太平洋戦争へと拡大していったこと、戦後は在 満日本人が苦労の末引き上げ、あとに沢山の孤児をのこしてきたこと、そんな おぼろげな知識しかなかった。アカシアの花がきれいですよ、という旅の誘い を聞いた時に、その知識のかけらが頭を巡って、のんきに観光に行ってもいい ところかしらと少しためらう気持ちがあった。
空港からホテルへ、看板の漢字を除けば、まるでヨーロッパのどこかのような
建物が続く不思議な都市の風景。翌日旅順の水師営に行く。乃木大将とロシア
軍のステッセル将軍が、日露戦争終結の会談を行った藁葺きの民家が記念館と
して保存されている。壁には日露戦争の戦場やその後の日本占領時代の生々し
い写真が展示され、中国語と英語の説明がついている。流暢に日本語を話す老
人が、私たちを案内し、展示物の説明をしてくれた。
日
本人の旅行者だと分かっ
ているからだろうか、日本軍が住民を処刑しているような写真については触れ
ない。私は中国の簡体字をながめ、英語を読んで、侵略者・日本人が、いかに
ひどいことを行ったかとはっきりと書かれているのに、と、なんともいえない
居心地の悪さを感じて老人のおだやかな横顔を盗み見た。
簡体字の「殺す」と
いう字が、初めて見たものなのに、一瞬で分かった。
滞 在していたホテルの前には大きな人民公園がある。大連の人たちの息吹に触 れたくて、翌朝、行ってみた。 花壇や植え込みの間のちょっとした空間で、た くさんのおばさん、おじさん(若者はあまり見かけない)が太極拳に似た踊り を踊っている。扇を持つグループ、剣をもつグループ、さまざまに一生懸命、 でも楽しそうに体を動かす。 そ の傍らで、長い筆を持ったおじさんたちが何か しているのに気づいた。近寄ってみると、バケツの水を筆に含ませ、石畳に文 字を書いているのだった。どの人も、見事な文字をするすると書いていく。あ まりに素敵だったので、一行書き終えたおじさんにカメラを見せて、撮っても いいか?と目顔でたずねると、にっこりうなずいて、そして、筆に新しく水を つけると一気に一行書いてくれた。日中友好と。
こ れまでに会った大連の役所のかたなどはみな、「中日友好」と言っていた。 それが当たり前だと思う。それが、このおじさんは「日中友好」と書いた。そ してまたにっこりして早く撮れ、というような身振りで私をうながした。そう、 早く撮らないと、水の文字は乾いて消えてしまう。何枚か続けて、私はシャッ ターを切った。
4泊5日の大連で一番心に残ったのは、朝の石畳にぬれて光った「日中友好」 だった。文字とその意味が、いくらか窮屈だった私の気持ちを楽にしてくれた。 あのおじさんの笑顔と共に、あの文字が思い浮かぶ。1、2分後には消えてし まったあの水の文字が。
《事務局 Y.O.》