ネアンデルタールはことばを話したか?
ネアンデルタール人は、我々ホモ・サピエンスに限りなく近い人類です。その人たちは約20万年前から3万年前まで、ヨーロッパからア ナトリアにかけてばらばらに住んでいたようで、全体で10万人くらいと推定されています。その名の由来は、この形質をもった人類の骨の第一号がドイツのネ アンデル渓谷から発見されたからです。
この人たちが言語を使う能力をもっていたかどうかは、まだはっきりとは分かっていません。それは主に二つの理由からです。第一は、こ の人たちがことばを使った形跡が見つからないからです。言語使用の前提となる知的能力があったかどうかでさえ、物証がありません。従って、いまのところい くつかの要因から推定するほかはありません。第二に、「言語」とは何を指すかをはっきりさせなければなりません。ここでは我々新人の言語使用能力を指すも のとしましょう。それをきちんと定義したうえで、ネアンデルタール人のコミュニケーションが、それとどう違うかを示さなくてはなりません。この二つの見方 から、ネアンデルタール人の意思疎通の仕方を想定して、その上で上の問に答えるということにしましょう。
ネアンデルタール人の知性を計るには、まず脳の働きを見る必要があります。最近では考古学と脳科学との共同研究がかなりの成果をあげ
て、ネアンデルタール人の脳の大きさと形をかなり正確に測定できるようになりましたが、それによると、脳の大きさそのものではなく、脳と体重との比が新人
に比べてかなり小さい、それに大脳新皮質が現代人に比べて狭いなどの理由から、一般に知能が我々よりも劣っていたと思われます。次いで、最近の脳科学の成
果によって脳の前頭葉連合野が知的操作の中心的部位であることが分かってきましたが、澤口俊之さんの測定では、ネアンデルタール人の相対前頭葉体積が現代
人より40%少ないということです「脳の違いが意味するもの」:赤澤威『ネアンデルタール人の正体』朝日新聞社)。これらのデータから澤口さんの結論で
は、ネアンデルタール人の知性は、脳内連合野間のコミュニケーションにも他人とのコミュニケーションにも十分ではなかったということになります。つまり言
語を発達させるには足りなかったという結論になります。それに状況証拠を少しつけ加えると、ネアンデルタール人の描いた図像はまだ見つかっていません。そ
れは概念形成の条件を欠いていたことを示すでしょう。彼らは、何万年もの間、生産用具や儀礼を発展させていません。集団間での伝達が成り立たなかったこと
を示すでしょう。これらのことから、ネアンデルタール人には、新人のように言語使用能力が遺伝形質にはなっていなかったと考えていいのではないでしょう
か。
しかしネアンデルタール人が全くコミュニケーションを行うことができなかったわけではありません。彼らがチンパンジーより高度なコミュニケーションを
行っていたことは間違いありません。ただ彼らは言語記号を使えなかったのではないかというのです。言語記号は示すものと示される意味とがセットになってい
ます。示す側としてホモ・サピエンスが選んだのは音声でした。それを叫び声として使う習慣を作ってきたからでしょう。意味には概念を使いました。それをク
オリアとかワーキングメモリーとしてではなく、長期記憶タイプとして前頭葉以外の連合野に格納することを学習しました。こうして二重分節による記号システ
ムを作りあげたのです。この記号のシステムは、共同生活をするヒトの集団に共有されて、そこにさまざまな規模のコミュニケーション社会が成立しました。ホ
モ・サピエンスの言語とは、つまり社会的に共有された音声的な二重分節記号体系だと言うことになります。これを言語というならば、ネアンデルタール人は言
語をもたなかったと言えるでしょう。
しかし、この結論は、いかにもご都合主義的な新人の側の手前勝手だという言うこともできましょう。なぜなら、チンパンジーでもイルカ でもシジュウマツでもよく発達したコミュニケーション手段をもち、それspれも独自の文法を持っていることが知られているからです。ネアンデルタール人も 独特なコミュニケーション手段を持っていたのでしょうか。そのような仮定に基づいて書かれたフィクションもいくつかあります。例えば、目を通して他人の心 を読み取る能力に長けていたという話しなどです。しかし現在の我々の科学的な知見の限りでは、そうではなく、彼らには独自の種類のコミュニケーション手段 はなかった。彼らはもともとコミュニケーション手段を発達させてこなかった。なぜなら、彼らは前頭葉があまり発達させないままで、割に単純な社会生活を営 んでいたに過ぎなかったからということになりましょうか。このことがこの人類が種を残さずにいなくなってしまった理由の一つなのかも知れません。