鉄とダイアモンド
二年ほど前に日本言語学会が開いた「「危機言語」シンポジウム」でのことです。フロアーから「「危機言語」といわれているものには、 どうしてダイアモンドのような希少価値がつかないのでしょうか」という質問がありました。確かにそのとおりで、「危機言語」といわれていることばはどれを とっても惚れ惚れするような見事な言語ですから、触れると嵌り込んでしまって、しばらくして惚れ込んだ美人の薄命を知ってしまいます。そこですっかり落ち 込んでしまうか、或いは、これは何とかしなければ頑張ることになります。
言語は情報や意思を伝達し合う手段ですから、通用範囲が広いほど役に立つ道理です。人の交易が密になるほど、広い地域で役立つ言語が 好まれることのなります。そして狭い範囲にしか通用しない言語を話す人たちは、いきおい広域の通用語を習い覚えなくてはならなくなる。それだけではありま せん。力の強いよそ者の言語が優勢であるところでは、先住者が先祖伝来の言葉を話すだけで抑圧を受けることが多くなります。つまり「ことばの経済学」が幅 をきかすことになります。そのために、侵入者の言語に乗り換えないと生活に困る、果ては、抑圧の元凶とも思える自分の文化とその中心にある母語を葬り去ろ うと頑張ってしまうひとさえ出ることになります。親のことばなど、希少価値どころではない、出世の妨げにしかならないと言うわけです。背に腹は代えられな いから、古きを捨て新しきに就く。そのために先祖の言葉は媼に守られてやっと命脈を保たれるという仕儀になってしまいます。こうして出来たのが「危機言 語」で、その圧倒的多数が侵略者に押しまくられた先住民族の言語です。
一方で、やたらに押しの強い言葉もあります。英語、スペイン語、ロシア語、漢語などがそれで、『銃・病原菌・鉄』(J・ダイアモン ド)に倣らえてこれらの言語を「鉄の言語」とでも名付けてみましょう。これらの言語の多くは、本物の銃・病原菌・鉄と一緒に先住民の言語を壊して広がった のですから、つまりは侵略者言語と言っていいでしょう。その筆頭は何と言っても英語でしょう。英語はもとの姿と中身を見かけをどんどん変えて、もとの音も 文法も半ば失ってしまいながらも、浸食の手をゆるめないで今も広がり続けています。最近では軍事・経済・技術のグロバリゼ-ションに乗って、世界の人々の 日常必需品にまで成り上がってきました。
生物多様性の在るところ言語も多様であるという考え方もあります。しかし生物の種と違って、言語は交易の用具ですから、広く巧く使え る方がいいにきまっています。だから不便なものは淘汰されるべきあるという使用価値優先論も一面の真実を言い当てています。一方で、自分のことばの中には 自分のこころが、自分たちの母語には自分達の伝来の文化が宿っているというのも真実です。ですから、先祖伝来のこころの言語をどうしても守ろうという人々 が居る。そしてそういう人が一人でもいる限り『危機言語を守れ!』と懸命に助力する言語学者達も居ます。
ではどうしたらよいか。ダイアモンドには輝きはあっても、役に立つ場は狭い。どうしても変幻自在な使用価値の高い鉄のことばに負けて しまう。確かにダイアモンドの方の負けはこんでいます。この局面を打開する便法は、なかなか見つかりません。つまりは、時と場合によって、こころの言葉と なりわいの言葉とを使い分けるという方策しかないようです。二つか三つの言語を使い分ける方法です。そういえば、人間は、ことばを使うようになって以来 ずっと昔から三つくらいの言葉を使って部族と部族間で交易をしてきたのではないでしょう。二言語使用、多言語使用といっても、確かにそれを安定して続けて いくことは簡単ではありません。そのためには、賢明な政策と地道な努力を積み重ねなくてはならないでしょう。個人的にも社会的にもかなりのコストが要るで しょう。けれども鉄のことばをのりぐちの手段に使いながら、ダイアモンドのことばをこころの残していくには、他に道はないのではないと思われます。
ある時、スイス東南のク-ルという町の駅に降り立ったことがあります。まわりを見ると看板がすべてドイツ語・イタリア語・ルマンチ語 の三言語表記です。このスイス・グラウビュンデン州の条例では、公文書はすべて三言語表記、公務員は三言語ができないと不採用、移住者は少なくともルマン チ語が分からないと住民登録ができないということでした。ヨーロッパ的民主主義の伝統の中でレト・ルマンチ語というダイアモンドを残す精一杯の方策がそこ にあります。
またある時、千歳空港で旧知のアイヌ文化研究者(和人)とばったり出会ってお喋りをしていました。そのとき、日本語と英語で羽田から の到着便のお知らせがロビーに響きわたりました。私たち二人は「アイヌ語で『ようこそ北海道へ』という挨拶くらいあってほしいもんだね」とささやきあった のですが、それもまだ残念ながらあまり簡単ではないようです。