ヒトのことばはいつできたか?
この問には昔からさまざまな答らしいものがありました。恋歌から生まれたとか、羊の真似から生まれたとかという答が真面目に論じられて きました。しかしヒトの認知・認識に関わる科学的な知見が今日の段階まで来たいま、このような素朴な答ではとうてい足りません。では一言ではどう言ったら いいでしょうか。試みてみましょう。
「ことばは、ヒトがモノに名をつけたときに生まれた」と。
ここで問題は大きく三つあります。
(1)名をつけるとはなにか?
(2)それは何時のことか?
(3)その証拠はあるか?
(1)モノに名をつける
モノに名をつけるというのは大変な知的作業です。目の前に鹿がいたとしましょう。ヒトは鹿というものの感覚を得ます。それはまだ目の 前のもの、隣にちょっと小さめの鹿がいても、これはさっきの鹿とは別物です。これでは、いつまで立っても鹿というモノには行き着きません。これを分かりや すくすると、個別のモノには固有名しかつきません。鹿というまとまりのカテゴリーができなければ、それを鹿という概念で統一することはできません。すなわ ち、モノをカテゴリー化して、それをまとめて統一的な概念を作ります。この概念を繰り返し使って、固めて長期記憶にしまい込みます。そうしないと、次に鹿 を見てそれが鹿だと認識できなくなります。概念を統覚に仕立て知識として貯えます。こうなると、しっぽが樹の間に見え隠れするのを見ただけで、鹿がいると 認識できるようになります。
モノに名をつけるためには、個別的特性の認知とかクオリアの知覚では、とうてい十分ではありません。モノのカテゴリーが概念化されて 統覚として記憶されていることが必要な前提になります。
ヒトは、森を出たときには、相手のこころを読むという能力をすでに身につけていました。あるとき私は仲間と一緒に鹿を見つけた。私 は、私と同様に、彼も同じモノを認識して、それを概念としてもっていると分かります。この、相手が、多分、同じ概念をもっていると勘ぐることができるとい う能力、それが私の概念を仲間と共有できるための必須の前提です。
次に概念を他人に伝達しなければなりません。そのためには自分の頭にある概念を呼び出して何かの符号をつけます。符号はなんでもよ い。絵でもよい。しぐさでもよい。超音波でもよい。実際、生物の他の種、例えばコウモリは認識を情報に手段として超音波を選んだのですから。
(2)何時ものに名がついたのか
ヒトも、動物の他のいくつかの種と同じように、声をさまざまな用途、例えば、警告とか求愛行動などに使っていたようです。そしてヒト の脳に統覚的な概念が出来たときに、それに声の符号をつける習慣をこしらえたのでしょう。例えば、鹿に「カー」という声の符号を付けてみた。しかしその習 慣を仲間と共有しなければなりません。そこで相手のこころを読む能力が威力を発揮します。私が勘ぐったところでは、相手も目の前にモノを私と同じ概念でと らえている。あれは「カー」って言うんだ。このこころ的作業が、何万年かの準備と試行錯誤を経て、(或いは、あるとき突然いっぺんに)うまくいったとしま す。こうして鹿という概念に音の符号がついて、「鹿=カー」という言語記号が生まれました。これを「喉と大脳との奇跡的出会い」と呼んだ人がいます(先日 亡くなった沢田允茂さん)。とまれ、こうして音声を使った言語記号が出来上がりました。しかしそれが何時だったかは分かりません。最近有力な仮説をとって 新人がアフリカにいて、やがてそこを出たのが20万年くらい前としましょう。一方で、その一部がヨーロッパ西南部に精密な画像を描いたのが3万2千年まえ としましょう。ヒトはこのときにはすでに高度な表現能力を持っていたのですから、おそらく発達した言語をもっていたと考えて間違いないでしょう。従って、 ヒトが「鹿=カー」というような言語記号を作ったのは20万<3万2千年前と言うことになります。
(3)ことばの誕生の証拠は
最近の先史考古学は目が離せません。最近、南アフリカのブロンブス洞窟から図像らしい石片が発見されました。複雑な線画を描いたも ので、7万7千年前のものです。何かの目印である可能性があります。もしそうだとすると、ヒトが統覚的概念に絵の符号を付けた年代がここまで古くなりま す。これが言語記号に伴う覚書であったとすると、言語記号の開発はこの時点まで古くなります。
言語音は残りませんから、先史考古学的にことばの誕生を推測するには、しっかりした図像が存在するかどうかを手がかりにする他はあり ません。その意味で、南西ヨーロッパの洞窟壁画よりはるかに古いアフリカ出土の図像は貴重です。
ことばはこころともちつもたれつに進化してきました。これをこころとことばの共進化と言います。
こころが概念の操作に慣れて、それを音声に載せて言語記号を情報伝達に使うようになったとき、ことばが誕生しました。ことばを使うとい う生理的性質は進化しながら、遺伝的に継承されました。ヒトの言語運用能力という遺伝情報が世代ごとに進化してきました。この脳内のハ-ドウェアをノー ム・チョムスキーの提案に従って「普遍文法」と名付けましょう。「普遍文法」はこころと相乗的に影響し合いながらヒトの精神的な発達に急激な進化を遂げて きました。この精神的な能力が他の人類とヒトとを決定的に区別したのでしょう。ネアンデルタール人はそれ獲得できなかったために消滅したのかも知れませ ん。
「普遍文法」には何を何というか、ある考えや気持ちをどう表現するかという具体的な指示が含まれていません。子供達はそれを生まれお ちた環境で10年ほどの時間をかけて新しく習い覚えなければなりません。「普遍文法」は母語をインスト-ルしなければ働き出さないです。最初の「普遍文 法」ができあがったとき、そこにはある言語が載っていました。それは小さなヒトの集団の共有財産だったのでしょう。しかし世代を経てヒトの集団はそれぞれ の個別言語を生み出しながら三々五々世界中に散らばって行きました。そのためにヒトの進化と拡散にともなって、何千もの言語が生まれるにいたりました。
しかしこれにも大枠があって、どの言語も「普遍文法」の枠内にあります。もっとも「普遍文法」自身が進化します。進化は、個々のヒトの 集団の生態的環境とその人たちの数学的な創意工夫を反映してさまざまな方向に進みます。ことばを使うヒトが住む生態的・文化的な環境が違うし、言語記号を どう並べどう組み合わせるかという趣味がそれぞれのヒトの集団によって違うからです。こうして地球上にさまざまな姿をもつ何千にも及ぶ言語が出来ました。 しかしそれは全部、種としてのヒトのことば、こころの相互伝達手段なのです。