<若者ことばにおける談話標識>
2006年8月 籏野 智紀
「えー」「うーんと」「だから」など、私たちは日常的にたくさんの談話標識を用いながら、会話を進めたり、文章を書いたりします。若者にとってもそれ
は同じことで、「ぶっちゃけ」や「てゆうか」に代表されるようないかにも現代風のことばも、れっきとした談話標識として機能しています。
では、実際に若者が頻繁に使う談話標識とはどのようなものなのでしょうか。そもそも、談話標識に若者独特の傾向は存在するのでしょうか。ここでは、あえ
て様々な場面や性別の差から若者の談話標識というものを比較するのではなく、ただ純粋に若者はどのような談話標識を使っているのかを、例を挙げて観察する
ことにしましょう。
具体的には、高校生や大学生が友人との日常的な話題に関する会話をしているものを録音したもの、また、彼らの書いた一般的な日記式のブログ
(Weblog)から、適宜修正を施したものを例に挙げたいと思います。
※
本稿における「談話標識」は、便宜上、一般的な日本語文法において、「感動詞」「接続詞」「副詞」と呼ばれるもののうち、文頭で使われることにより談話の
流れをコントロールするもの、と定義します。
1. 若者の話し言葉における談話標識
私たちは実に多くの談話標識を話し言葉で使っていますが、若者の使う談話標識はかなり偏りが見られると考えられます。特に、高校生や大学生については、
会話の内容もカジュアルなものになる傾向にあり、そういった話題においては比較的単純な談話展開が予想されるからだと思われます。
それでは、若者が頻繁に用いる談話標識を個別に見ていきましょう。
1.1 それでさ
若者の使う、比較的便利な談話標識として「それでさ」があります。
(1) それでさ、はじめからやり直さなきゃいけなくて。
(2) それでさ、なんか、そういうので。
「それでさ」は、いかなる場面においても頻繁に使われる談話標識であり、話を次の展開に持っていくための手段として重要な役割を果たしています。
自分の体験談を聞いてもらいたい若者にとって、聞き手の好奇心を惹くことは一番大切なことです。日々友達と時間を共にする若者は、自分の体験談を相手に
話すことによって、自己のアイデンティティを模索したり、相手へのアピールを行ったりします。「それでさ」は、聞き手が自分に注目してくれるように、そし
て一度始めた話を途切れさせないために、聞き手の注意を惹くためのものなのです。
1.2 いや・でも・ちがう
「それでさ」などがいわゆる順接の役割を果たしている一方で、逆接と思しき談話標識も若者は多用します。その3大談話標識といえるのが、「いや」「で
も」「ちがう」です。
(3) いや、無理だって。
(4) いや、あんなの動き回ったらたまったもんじゃないね。
(5) でもさぁ、お出かけとかはちょっと違うかも。
(6) でもあの、実は、××くんっていうのは、
(7) ちがう、プレステ2用だよ。
(8) ちがう、難しくないんだよ。
興味深いことに、これらの表現は決して逆接を表しているわけではない場合が多い、といえます。直前に発言していたこととは何ら矛盾しないことを述べるとき
ですら、これらの談話標識が挿入されることも多々あります。つまり、半ば無意識的に若者はこういった談話標識を挿入しているのです。
こういった場合においては、たとえ「ちがう」と言ったとしても、それは話し相手の意見を否定しているのではないのです。人との協調を好む現代の若者は、
相手の意見をみだりに打ち消すことはしないでしょう。もしかすると、実は自分の心の中で思っていることなどを打ち消すことにより、自分の言いたいことを整
理していることの証拠なのかもしれませんね。
1.3 だって
「だって」は若者が最も頻繁に使用すると思われる談話標識です。「だって」は、ともすれば小さい子どものわがままことばのようにも聞こえますが、実際に
は「なぜなら」のように、談話の因果関係を示す重要な役割を果たす潜在性を持っているのではないでしょうか。
(9) だって、うち、だって、あれだもん、××と、△△と。
(10) だってさぁ、北海道ってマイナス何度とかってなるでしょう?
相手に理解してもらうことに敏感な若者の会話は、聞旗手にいかに誤解されないようにするか、ということに主眼が置かれます。「だって」は、自分なりの論理
を聞き手に説明するための役割を果たしています。同時に、相手の言ったことの根拠を確認するために、聞き手側が「だって」を使って疑問を投げかけることも
あります。若者はただ漫然と会話をしているのではなく、彼らなりに論理の追究を行っているのだということがよく分かります。
1.4 なんか
もう一つ、若者がよく使う談話標識に「なんか」があります。これは当然論文などには決して用いることのない表現ですが、若者の会話においては物事を描写
する際に多用される傾向にあると思われます。
(11) なんか、オレンジみたいになってない?
(12) あ、なんかちょっと進化してる。
「なんか」の使用の背景にある話し手の気持ちとして、ためらいの気持ちというものが感じられます。つまり、「何かいい表現があるとすれば、」という感情が
そこに見え隠れしているのではないでしょうか。「なんか」の後には、しばしば(11)のように疑問形が続くのもその証拠かもしれません。
物事を相手に分かりやすく説明するのは、私たちにとって重要な課題ですし、それには試行錯誤を必要とします。「なんか」は、若者が試行錯誤をしながら相
手にわかりやすく物事を伝えようとする努力の表れといえるでしょう。
1.5 組み合わせて使われる談話標識
これらの表現は、しばしば二つ以上組み合わされて使われます。これにより、何を言おうか考える時間を稼いだり、聞き手に話題を変えられたりしないように
するのでしょう。
(13) いや、なんか、みんな、違う。
(14) だって、なんか、気持ち悪いじゃん、すぐやったら。
(15) え、でも、なんか、そういうのってさ、おかしいよね。
こういった組み合わせの談話標識は、まるで無意識的に言っているかのように、短時間に素早く発話されます。しかし、そのように無意識的だという事実こそ
が、毎日のようにこの談話標識を使っている様子を象徴しているといえます。
2. 若者のブログにおける談話標識
近年若者を中心にめざましい発展を遂げているのが、ブログを中心としたネットコミュニティです。ブログは、若者の考えていることが文字という形になって
いるという点で、非常に観察対象として有用なものです。また、カジュアルな書き言葉としてそれを見つめるならば、そこで使われる談話標識も、話し言葉と
違ったものになるのではないかと想像できます。
ブログこそ、読み手に分かりやすく自分の主張が伝わるように、努力され練り上げられて書かれたものとなります。そういった中で使われる談話標識には、ど
のような傾向があるのでしょうか。いくつか例を見てみましょう。
2.1 で・んで・それで
話し言葉に多発した「それでさ」は、ブログではあまり見られません。その代わり、「で」「んで」「それで」という談話標識が順接の役割を果たします。
(16) で、実はmsnでブログしてたんだけど、
(17) んで手繋いで学校から帰って、
(18) それで渋谷で××さんと合流して、
このような話し言葉とブログ言葉の差異は、おそらく「さ」という終助詞の特徴と、話し相手が面前に存在するか否かとの関係に起因すると考えられますが、基
本的に談話の流れを組み立てることについての役割は同じであると思われます。「で」などはたった一文字で談話を組み立てることができるという形態的な経済
性もあります。ブログは話し言葉と比べ、文字を打ち込む手間があります。そのため、こういった短い表現が好まれるのでしょう。
2.2 あと・それから
ブログは、メッセージを書く際にそれを伝える相手が見えないという点で、普段の会話とは全く性質の異なるものです。とりわけ日記形式のものについては、
相手に自分の過ごした一日を伝えることが第一の目的となります。そのため「あと」や「それから」などの、追加情報を導く談話標識が好まれる傾向にありま
す。
(19) あと新宿にマンツーマンで、
(20) それから、近所のカフェにも初挑戦。
若者はブログにおいて、自分の一日をとにかく報告したい、そのためには思いつくままにどんどん出来事を追記していきたい、という気持ちが強いものです。そ
のためこういった談話標識を使うことで、ブログの談話構造はしばしば一貫性に欠くものとなってしまいます。「あと」や「それから」は、若者の生き生きとし
た日々の暮らしを象徴する、重要な談話標識であるといえるでしょう。
2.3 なんか
注目すべきことに、「なんか」はブログにおいても多く登場する談話標識です。普段の会話におけるものと同じように、「何と言えばよいか」のような、若者
の一種の表現選択の迷いが見られる表現であるといえます。
(21) もう、なんか何も食べてないのに、
(22) なんか最近物事がうまくいかない。
普段の会話もブログも、「なんか」などの談話標識は無意識的に挿入されているのかもしれません。「なんか」は、最も意味が希薄化している、つまり、「なん
か」を談話から取り払ってしまってもその論理的意味に変化は生じないような、談話標識であるといえます。にもかかわらず若者の織り成す談話にこの表現が多
く見られるのは、若者が日ごろからより適切な表現を選んで、相手にいかに自分の意図を伝えるかということを重要視している、という事実を示しているといえ
るのではないでしょうか。
3. 結語 ― 若者の談話標識の独特さとは?
いくつかの代表的な若者ことばにおける談話標識を挙げましたが、その他にも「じゃあ」「あれ」「まあ」など、多くのものを観察することができます。本稿
では、年齢や性別による比較を行わなかったこともあり、若者の談話標識の特徴を一言で言い当てることはできませんが、以下の二つの考察を得ることができま
しょう。
一つに、若者は、「てゆうか」「何気に」「ぶっちゃけ」「マジ」など、一般に多用しているとみなされている談話標識ばかりで談話を組み立てているわけで
はない、ということです。もちろんこれらの表現も見受けられますが、むしろ「だって」や「なんか」などの方が使用頻度は格段に多いと思われますし、それら
の用法は非常に独特でありますから、もっと注目されるべきものであるといえるでしょう。若者ことばは、ことばの乱れの象徴として批判されることもしばしば
ですが、その理由の一つとして「だって」や「なんか」が多発され、まるで談話における使用語彙が少ない(と思われてしまう)ということがあるのではないで
しょうか。
もう一つに、若者の談話標識の使用には大きな個人差があるということです。これはとりわけ「ぶっちゃけ」や「何気に」などを、一度も使ったことがないよ
うな若者が存在するという事実に表れています。また、その一方で、ひょっとすると「だって」や「なんか」は、ほとんど全ての若者が使うといえるほど、強く
浸透している表現であるかもしれません。こういった、一つの談話標識に関する使用の個人差、談話標識間の使用頻度の差、という二つの問題については、引き
続きの観察が必要です。
さらにもっと顕著なのが、ブログにおける談話標識の頻度の個人差です。注目すべきことに、「もう」や「それで」などは、使用する人は何度も何度もブログ
上で用いる一方で、使用しない人はめったに用いません。これにはおそらく、ブログを書く際にどのぐらいの時間をかけるのか、より口語的な文体を好むのか否
か、など、いろいろな要因が絡んでいると思われます。ブログおいては談話標識を使わない人であっても、普段の会話ではそれらの表現を多用しているはずで
す。これは、若者のネット上のコミュニケーションに対する態度の個人差を、顕著に表しているといえるでしょう。
現代の若者は、様々なコミュニケーションツールに囲まれて生きています。しかしその中で共通していることが、いかに自分の気持ちを周りの人に分かっても
らうか、という課題を、現代の若者は常に抱えているということです。談話標識は、その課題を解決するための重要な手段です。若者なりの気持ちの、そしてそ
れが形になった談話の、論理関係を示すものとしての談話標識は、若者の微妙な心理を映し出す鏡であるといえるでしょう。