清水 悌 「よそおいの言葉―メイクアップの世界」
清水 悌 Shimizu Yasushi プロフィール
1934年 宮崎市生まれ
1958年 学習院大学政経学部政治学科卒
1958年 メイクアップ研究所開設
1961年 株式会社フジテレビジョン入社
美術部メイクアップ室勤務
1963年 カラーテレビ放送のため放送部に異動
1965年 カラーCM制作開始のためCM制作部に異動
1989年 株式会社フジテレビジョン退社
1989年 株式会社クランツ入社取締役就任
1990年 学校法人国際文化学園理容美容専門学校
メイクアップデザイン担当講師就任現在に至る。
★メイクアップ歴
1952年 中村矢月氏に師事 カラー写真及びメイクアップの研究
1956年 市川津義男氏に師事 色彩学及び肌色の研究、
中村芝鶴氏に師事 歌舞伎のこしらえの研究
1966年 エドワード・センズ氏、ヴィンセントーJRーキーホー氏に師事
カラーTV及び3Dメイクアップの研究
★賞
2011年 ドイツKRYOLAN社 Golden Face Ari賞
目次
(1)「化粧」と云う言葉の考察
(2)英語のmake-upの考察
(3)外来語「メイクアップ」の考察
(4)フランス語とイタリア語、ドイツ語のメイクアップに関する言葉の考察
よそおいの言葉―メイクアップの世界
(4)フランス語とイタリア語、ドイツ語のメイクアップに
関する言葉の考察
「化粧」を白水社・新和仏辞典で見ると「toilette(f);(メイキャップ)maquillage (m)」とあります。逆に、同じく白水社の新仏和小辞典では「maquillage [makijaːʒ] m ふん装;原板修正.」。そして面白いのは「maquilleur, euse [makijœːr] n メイキャップ係;いかさま師. ― // m 鯖船.」とあります。
なぜ「いかさま師」の意味が出てくるのかは、もともとmaquillageの意味は、ペテン、いかさま、チョンボ、ということからすると不思議ではありませんが、鯖船については解りません。
思い当たるのはひょっとして鯖を釣るのに疑似餌を使って釣っていたのではと、勝手に想像しています。和仏と仏和、白水社・文庫クセジュ『美容の歴史』(ジャック・パンセ、イヴァンヌ・デランドル 共著、青山典子 訳)から関連する記事をご覧下さい。
新和仏辞典「化粧」の項目
新仏和小辞典
『美容の歴史』より
『美容の歴史』より
これらから推察すると、maquillageは扮装とか舞台や映画の化粧に限って使われるとか、区別されていたのではないでしょうか?
同じラテン系のスペイン語はフランス語と同じmaquillage。イタリア語はと云うと、音声的にまるで違っていてtrucco(トゥルッコ)です。
資料が文字ばかりでつまらないので、ステファーノ アンセルモのメイクアップ写真集のカバーをスキャンしておきました。
Stefano Anselmo の Pierrot「il trucco e la maschera」maschera は、仮面の意味だが、俳優の化粧の意味もある。
和伊中辞典(小学館)
伊和中辞典(小学館)
truccatoreは、英語のmake-up artistにあたる言葉ですが、ここにあるように「芝居、映画、テレビのメイクアップ係」です。アメリカのメイクアップアーティスト・ビンセント J-R キーホー氏が著書の中で、これを肩書きとして使える条件について詳しく書いています。
1955年頃、ドイツ語で化粧はSchminken(シュミンケン)とか Toilette と、学校では教えられた。確かに2000年頃までは、一般女性の日常の化粧はそのとおりシュミンケンに違いなかったのですが、舞台、映画、TVの化粧はMaske(マスケ)で、メイクアップ係は Maskebildner(マスケビルトナー)(女)Maskebildnerin(マスケビルトネリン)です。ところが、2000年頃から Schminkenに代わって英語のmake-upが使われるようになったと云うことです。さらに、Schminkenは、不自然な厚化粧の意味で使われるようになったそうです。
したがって、ドイツ語の場合、一般女性の日常の化粧と、舞台、映画、TVの化粧とは、異なる言葉で区別しているようです。いずれにしても、言葉は時代とともに変わりますが、その言葉の意味が曖昧であると云うことは、因子付加量が少ないと云うことですから、未成熟なように思うのです。
和独と独和をご覧下さい。
コンサイス和独辞典
独和大辞典(小学館)
独和大辞典(小学館)
言葉の考察はこのくらいにして、次回からはMake-upそのものについて、歴史などを交えながら考察してみたいと思っています。
よそおいの言葉―メイクアップの世界
(3)外来語「メイクアップ」の考察
いつ頃から、英語のmake-upが外来語として使われるようになったか、調べてみましたが、未だはっきり解りません。
初めて使ったのは、無声映画時代の弁士・徳川夢声と云う記事を見たことがあります。でも、想像すると明治時代末か大正時代あたりで、翻訳劇や映画製作が始められてからのようです。
歌舞伎では現在でも、扮装とかメイクアップと云う言葉は使われず「こしらえ」とか「顔のこしらえ」と云う言葉が使われています。直訳すればmake-upということで興味深いことです。
そこで、ひょっとしてmake-upと云う英語は、日本語の「こしらえる」の英語訳ではないか?だったら面白いと思うのです。そんなことは無いでしょうが、make-upより「こしらえ」の方が100年以上前から使われていたからです。
翻訳劇や映画関係者の間では古くから外来語として、メーキャップは普通に使われていました。
最近になって気づいたことですが、この違いは、古くから使われていた「練り白粉」や「との粉」を使った化粧と、明治時代にヨーロッパから輸入されたドーラン(油性ファンデーション)を使った化粧を区別したのではないでしょうか。
ドーランというのは、明治時代にヨーロッパから輸入されていた化粧品会社の社名で化粧品名でもなく商品名でもありません。ファンデーションとかグリスペイントとか云う言葉も無かった時代ですから、油性ファンデーションのことをブランド名で呼んでいたようです。今でも舞台や映画、TVで使うファンデーションを「ドーラン」と云っているのを聞くことがありますが、奇妙な感じがします。
人の顔を描いたパッケージの香水を「団十郎香水」といって流行したと云う話を聞いたことがありますが、似たようなことだったのでしょう。
実業之日本社から明治40年発行の「化粧かがみ」巻末の流行化粧品案内に、「製造所 佛国(フランス)ドーラン會社・フェス(顔の)クリーム・同クリーム・ジスカ 一圓、同子ーオン 八十銭(これは円の下の単位です)、同ドーリン 一圓二十銭」とあるのの何れかであったろうと考えます。
「化粧かがみ」の表紙
「化粧かがみ」巻末の「流行化粧品案内」
ドーラン社のフェイスクリームの価格。水白粉も見られます。
紅も輸入されていたようです。
話がちょっと横道にそれてしまいましたが、言葉の考察に戻すと、日本語のメイクアップと云う言葉の意味やメイクアップに関する言葉の意味は、特殊メイクアップとか、メイクオーバー、メイクダウン、メーキャッパー、ドーラン、ローライト、等々、外来語まがいの造語と云えるような、かなり曖昧な言葉が氾濫しているように思います。
そこで、参考までに岩波国語辞典と三省堂大辞林を引用しておきます。
岩波国語辞典
三省堂大辞林
続けてドイツ語、フランス語、イタリア語のメイクアップに関する言葉を考察します。
よそおいの言葉―メイクアップの世界
(2)英語のmake-upの考察
英語のmake-up と云う言葉がいつ頃から使われ始めたのか、調べていますが良く解りません。
かつて、読売出版から出版されたペーパーバックに「マックスファクターが使い始めた言葉である」と書かれた記事を読んだ記憶があります。しかし、マックスファクター社が設立される以前に書かれた「Make up as an art」と云う本を、ニューヨークの古本屋で見たことがあるので、ずっと気になっていました。
その後、フレグランスジャーナル社出版「化粧品の研究開発技術の進歩と将来展望」の宿崎氏の記事に「1900年以前、英国の詩人の詩の中で使われていた」と云う内容の記事がありましたが、名詞として 使われていたのか、動詞で使われていたのか、原文が無いので詳細は解りません。
そこで1910年英国で出版された英英辞典を見ると、make-upと云う名詞は見当たりません。
1910年の英英辞典の表紙
"to make up"の項目
"to make up"の項目(続き)
この辞書で見る限り、make-upは役者の扮装の意味だけで、一般女性の化粧と云う意味では使われていないようです。またmakeとupをハイフンでつないだ名詞としては使われていなかったようです。
1919年の和英辞典を見ると、化粧はトイレット(toilet)で、make upは役者の扮装に限って使われていたようです。(英語のtoiletは、フランス語のtoiletteから来た外来語で、古くは化粧の意味で使われていました。現代でも化粧水のことをlotionの他にtoilet waterと云うことがあります。)
1919年の和英辞典の表紙
「化粧」の項目
手元にある辞書をいくつか参考資料としてスキャンしておきます。
ライトハウス英和辞典(1986年)
研究社新英和中辞典(1983年)
研究社新和英中辞典(1986年)
コンサイス英和辞典(1972年)
まとめて云えば、20世紀初頭は一般女性の化粧は、toiletで、役者などの化粧に限ってmake upが使われるようになり、のちにtoiletに替わってstreet make-up(あまり良い言葉ではないようです)やbeauty make-upと変化していったようです。日本で、特殊メイクと云われる、老人メイクや傷、動物などに見せるメイクは、現在でもmake-upの中に包括されています。
special effect make-upと云う言葉が使われることもあるようですが、細い管を人工皮膚の下に埋め込んで、空気を送り込み、見る見るうちに膨らませたり、血のりを噴き出させたりするメイクで、special make-upと云う言葉は使われないようです。
また、俳優の素顔を大きく変化させないメイクアップをstraight make-up(ストレート メイクアップ)、役柄のイメージに変化させるメイクアップをcharacter make-up(キャラクター メイクアップ)と分類する場合もあります。女優の顔を美しく見せるメイクアップをbeauty make-upと云うこともありますが、分類上はstraight make-upの中に入れられます。
このほかペインティングだけのメイクアップをtwo dimensional make-up、フォームラテックスやウレタンフォーム、シリコンフォーム、フォームゼラチンなどで、立体的に変化させるメイクアップをthree dimensional make-upと分類することもあります。
よそおいの言葉―メイクアップの世界
(1)「化粧」と云う言葉の考察
私たちは、外来語のメイクアップや日本語の「化粧」と云う言葉を何気なく普通に使っていますが、そうした言葉の意味を改めて考えてみると、さまざまなことが見えてきます。そこで、メイクアップに関するさまざまな言葉の考察からはじめたいと思います。
「化粧」
この言葉がいつごろから使われるようになったか、調べてみましたが、まだ解りません。
幕末に出版された著作「都風俗化粧伝」(みやこふうぞくけわいでん)や、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の台詞から、化粧と書いて「けわい」と読まれてこの文字が使われていたことは解ります。
漢和辞典を見ると、化粧の「化」と云う文字は、偏も旁も人を表していて、そこから替わると云う意味の文字であることが解ります。「粧」の文字の偏は米で、これは糠、糠は穀物の粉、旁の「庄」は容と云うことのようです。
角川漢和中辞典(1959年)
ということは、少し飛躍する考え方かもしれませんが、穀物の粉でかたちを変えて替わるということではないでしょうか?
* なぜ穀物の粉を使ったのか?
* なぜ替わる必要があったのか?
こんな疑問が感じられます。
こうした疑問を考察するには、初期の化粧の目的から推察しなければならないと思いますが、そのことは後日お話することにして、独断と偏見で考察することにします。
芸能(おどり)の目的は、民衆の祈りと云われていますが、農耕民族である我々の先祖が、五穀豊穣を祈るとすれば、穀物の粉をつけることは納得出来ます。
替わる必要性については、祈りの対象である神は、原始時代の民衆にとって嵐や洪水、雷雨などをもたらす荒ぶる神でもあった訳で、神懸かりするためには祈る人々は別人である必要があったとも考えられます。
次回は、英語のMake-upについて考察します。