おアップとドンびき
今年は 連休が多かったでしたね!
普段 一生懸命 汗を流して働いていられる方には 良い年でした。
もう過ぎてしまいましたが、「ゴールデンウィーク」年によって違うが一般的に、4月29日から5月5日までの期間になることが多いですが、その語源を御存知でしょうか?
フリー百科事典『ウィキペディア』でみてみるとー
ゴールデンウィークの名称は、映画会社の大映が正月映画やお盆並に興行成績が良かった期間として1951年(昭和26年)に名付けた。これが 次第に他の業界にも広まった。大映は続いて秋の文化の日を中心とした期間をシルバーウィークと名付けたが、こちらは定着しなかった。
なお、NHK、一部の新聞などは 、ゴールデンウィークという言葉が映画業界用語であったことから特定企業の商標ではないが、業界の宣伝になってしまうということで単なる大型連休 という言い方で統一している。
ゴールデンウィークとの名称が用いられ始めた時代は映画鑑賞(当時は 戦後テレビ普及前の日本映画の黄金期で 映画館も多数存在していた)百貨店での買い物、周辺の行楽地へのハイキングといった日帰り旅行などが、この期間の一般的過ごし方であった。※1
ゴールデンウィークの名称が生まれた昭和26年から30年代の初期にかけて映画はまさに娯楽の王様で、映画館では、何をかけても当たる時代でした。
数々の時代劇スターを擁し、時代劇王国の名をほしいままにした東映京都撮影所北大路の御大〔おんたい〕と言われた市川右太衛門さん(北大路欣也さんの父)一方 嵐山の御大と言わた片岡千惠蔵さんスターシステムの 路線に乗って映画ファンを魅了しました。
右太衛門さんは 「天下御免のむこう傷!」と額の三日月傷を指さして見得を切『諸羽流青眼崩し』という剣の技で悪人をバッタバッタと切り倒す「旗本退屈男」片岡千惠蔵さんは「ある時は片目の運転手、ある時はインドの魔術師……」 してその実体は 正義と真実の使「途藤村大造」のセリフでおなじみの「七つの顔の男、私立探偵・多羅尾伴内」で大当たりを取りました。
年間平均9本のハイペースで、撮影スケジュールは目の回る忙しさ!
右太衛門のアップを撮影する時はワンカットを半日かけたそうです。
顔はスターの命ですから!汗が光らないように、化粧がくずれないように目が魅力的に輝くように、唇がみずみずしく!チェックポイントは数限りなくあるわけですから 時間がかかったそうです。でも 大スターさんは 「雲の上の人」 それは それは もう、、、!
昭和50年代ですがこの大御所 市川右衛門さんは京都東映の撮影スタジオに撮影でおみえになる時ばかでかいアメリカ車で堂々とスタジオ内まで おいでになるのです。撮影が 進んでいって、アップの映像が欲しくなると 助監督チーフが 申し訳なさそうに「先生 おアップを頂かせて下さい!」とお願いするのです。
現在 令和の時代にもこんな風賞が残っているのか どうかは分かりませんが?
京都 東映撮影所のような古き伝統を大切にする職場では、あまり代わっていないのではないでしょうか、、、?!
寿司屋では、ショウガのことをガリと言い、お茶のことをアガリと言います。本来は店員同士の会話の中だけで使う符牒です。撮影現場にもカメラの構図を指示する時の特有の言い方があります。 画面に一人はワンショット、二人はツーショット、三人はスリーショット、四人はフォーショットと言います。
広大な山脈や大海原 広い草原などを撮影するとき、カメラを出来るだけ一番奥の方に運びます。こんな時、撮影部の符丁で「ドンびき」と言います。
この頃では 若者達が その場に合わない事を言ったり他人の陰口を言ったりする人がいると「ドンびき」と言いますよね。これ「映画界の符丁」から来ているのかも知れません、、、?!
映画監督の小津安二郎は、好んで低いカメラアングルを多用しました。
正座 、胡座が日常の日本人の生活の目線よりもっと低い地面ギリギリの高さから撮影して、厳格なまでの正面からの切返しのフィックスショットにこだわりました。
小津監督独特の映画世界です。最近、衛星放送で「小津監督作品」を見ましたので思い出しました。
※1 「ゴールデンウィーク」、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(2021年8月31日閲覧、https://ja.wikipedia.org/wiki/ゴールデンウィーク)(本文に戻る)
《中村和則(2021年掲載)》