地球ことば村
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【地球ことば村・世界言語博物館】

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笑う



①口を大きく開けて喜びの声をたてる。おかしがって声をたてる。
②ばかにして笑う。嘲笑する。
③(比喩的に)つぼみが開くこと、果実が熟して皮が裂けること。
④力が入らず、機能しなくなる。「ひざがわらう」
 なるほど、花も膝も笑います。動物の中で、笑うことが出来るのは人間だけだと言われますが、チンパンジーやイルカなどは、本当に笑っているように見えることがあります。

 笑いは気持のいいものです。ですから「笑え」と強制するのは笑いの本質を無視した理不尽なものかも知れません。
 最近、医学研究が進歩して<NKキラー細胞>が笑うことで体内に増えて、細胞活性化に有効だと言われています。

 映画テレビ業界では この《笑う》にはまったく違う意味があるのです。
 ドラマの撮影では、シーンの画面はつながっていなければなりません。たとえば、物の位置、俳優の衣裳、肌の色など、カットが変わっても同じでないと見ていて変です。
 連続ドラマに出演中の俳優さん、撮影休みに冬はスキー、夏にはギラギラの太陽の下で南の国でリゾート休暇!笑顔満々で撮影現場に戻ってくるなんて大問題です。競演者と顔の色が全く違う!真っ黒になって帰って来て、袋叩きにあったという例もあります?!

 では、ドラマの撮影現場をのぞいてみましょう。
 今は貧乏だが、希望に溢れる青年が好きな女性の誕生日にプロポーズするシーンです。

 場所は前からこの日のために決めていた一流青山の白亜のレストラン。
 一張羅に身を包み、プレゼントには、なけなしの金をはたいて買った誕生石指輪!
 手には青年の心を伝える赤いバラという設定。
 青年は意気揚々とレストランの階段を上がりボーイに案内されて予約の席に着く。
 慣れない場所なので落ちつかない。早く来すぎてしまって間がもたない。辺りをキョロキョロ。彼女は丁度定刻に白いスーツ姿で現れ席に着く。

 カット変わって、いよいよプロポーズのカットの撮影にかかる。
 スタッフ一同、監督の「よーい、スタート」の声を待っているところへ、
  「あのうしろにある赤いバラ、わらって」と監督の声。
 今まで誰も気付かなかったが、背景の壁に掛かっているフランス絵画の風景画の脇に、アクセントの様に赤いバラの一輪挿しが置いてある。
 そのバラを、監督はわらえ(片づけろ)とおっしゃる。
  「どうしてですか?」
  「はじめに渡すプレゼントの指輪は高価かもしれないが前置きだ。肝腎なのは、青年が心を籠めて最後に差し出す赤いバラなんだよ。それが出る前に 同じ赤いバラが背景に写ってたんじゃ、なんにもなんないじゃないか」
  「しかし、前のカットにも背景のバラは写ってるんですよ。今までそこにあったものが、カット変わりで急になくなったら、おかしいですよ」
  「お客(視聴者)はそんなの気がつきゃしないよ!邪魔なんだから、背景のバラはわらって」
  「そんな、乱暴な……」
  「いいんだ!気づいた視聴者にはわらって許してもらう。早くしろ!」
 監督の命令を受けて、助監督はシブシブ背景のバラをわらいます。『わらう』とは、片付ける、取り去る、退ける。業界にだけ通用する言葉なのです。

 黒沢監督の伝説に「あの雲、いらないから、わらって」というのがあります。 そこに苦労人の助監督がいて「はい。風が雲をわらってくれるまで待ちましょう」
 このロケ現場の撮影、結果として二週間もかかったとも言います。(製作費を握っている制作担当は真っ青!会社から叱られる!)
 撮影現場で使われる『わらう』は、このように非常に理不尽な言葉です。しかし、確かに、いらないものは、そこにあってはならないのです。

 いかに有名大学を卒業、優秀な成績で現場に入った若者も初めは言わばシタッパ、こうしてコキ使われるのです。
 その現場で《わらえ》と言われたシタッパ君。大声で突然笑い出し、周囲のスタッフ、俳優陣から大笑いされたそうです!


《中村和則(2022年掲載)》