どっちの「私たち」?
西アフリカのセネガルで調査をしています。セネガルの人口は1000万人程度。 首都はあの「パリ・ダカールラリー」でおなじみのダカールです。
私は、そのダカールから南東へ約800キロメートルのところに位置する山間部 で生活している「バサリ」と呼ばれる人々(自称は「アリアン/pl. ブリアン」 の調査をしています。
実は1990年代の初めにフランス人の研究者によって、バサリ語の辞書が作成さ れていたのですが、半ば偶然にバサリ社会を調査することに決定した私は、初 めて調査に赴いたときには、その辞書の存在すら知らず、バサリ語に関する情 報をまったく持ち合わせていませんでした。
セネガルの公用語であるフランス語を話せる村人は数少なく、それ以外の人々 と意思を疎通させるのに非常に難儀をした思い出があります。アジア・アフリ カ言語文化研究所発行の『言語調査票』を参照しながら、ボキャブラリーを増 やそうと努力したものです。
またフランス語を話せる人たちも、確かにフランス語を話してはいるのですが、 バサリ語の表現を直訳したフランス語で話すものですから、一語一語は何を言っ ているのかはっきりと分かるのですが、それが全体として何を意味しているの かまったく分からないということがしばしばありました。
例えば、彼らは祭りのときにソルガムビールを飲みます。このソルガムビール の製造には10日かかり、いつ祭りを行うかということは、いつソルガムビール を造り始めたのかを参照して説明されます。ソルガムビールを作るための最初 の工程は、ソルガムの穀粒を水に浸すことなのですが、バサリ語ではこれを 「もう水に浸した」と表現します。フランス語を話すことのできる村人たちは この表現をそのままフランス語に直訳して、「祭りはいつ行われるのか」とい う私の問いに「昨日もう水に浸したHier on a d?ja meuill?」と返答してきま す。バサリ社会のことを少しは分かり始めてきた現在なら「昨日水に浸した」 のはソルガムで、「昨日水に浸した」ということは9日後に祭りが行われると いうことだな、とすぐ理解できるのですが、当初は「いつ祭りがはじまるのか」 という問いに、目的語を明示しないまま「昨日水に浸した」という答えが返っ てくると、彼はいったい何のことを私に話しているのであろうか、彼は私の質 問を、ごくごく単純な質問だと思うのですが、果たして理解してくれているの か、と不安になったものでした。
さて、バサリ社会では年齢階梯制度が重要な位置を占めています。男も女もあ る程度成長すると、最初の年齢階梯に属し、単純化して話すならば、その後6 年ごとに階梯を昇っていきます。各年齢階梯には様々な特権や義務が付与され ており、各年齢階梯がそれぞれに割り振られた義務や特権を行うことによって 社会生活が営まれています。このような「義務」や「特権」のひとつとして、 ある年齢階梯に属するものしか行ってはいけない言語表現や叫び声があります。 例えば「ヤチンギリ」という言葉はイニシエーション前の人は使うことができ ません。日本語で言う「マジ!」みたいな意味なのですが・・・。
あと、バサリ語の特徴としては、西アフリカで話されている多くの言語に見出 される特徴のようですが、「私たち」という意味の言葉が二種類あることです。 これは話し相手を含むか含まないかの違いです。日本語の場合なら文脈で判断 されるところでしょうが、ここでは違う語を用いなければいけません。
ある時、大量に用意されたソルガムビールを前にして、「これ全部を私たちが のむんだよな。(dek nde kumi sheb)」というと、その場にいた女性に 「kune sheb」といいなおされたことがあります。前者は話し相手を含まない 形、後者は話し相手も含む形。私の当初の物言いでは、その女性はソルガムビー ルをのめないことになってしまいます。この女性は、そのため、ちょっと腹を 立てたのかもしれません。
トータルで2年近くもバサリ社会で生活しているのにもかかわらず、私のバサ リ語能力はまだまだの状態です。村人が3,4人集まって彼らだけで話をしてい ると、理解するのが未だに困難です。今後、バサリの人々との付き合いをます ます深めていく中で、いつかバサリ語をバサリの人たちのように話すことがで きるようになりたいですね。
《山田重周:東京外国語大学大学院地域文化研究科(2005年掲載)》