バスク語
バスク人というと遠いところに住む縁の薄い人たちのような気がするが、実はキリスト教の布教に来たフランシスコ・ザビエルがバスク人であったことはあんがい忘れがちである。そしてベレー帽もバスクの代表的な民族衣装である。
バ スク人たちの故郷は、スペインとフランスの国境にまたがるビスカヤ湾沿いの一帯で、ピレネー山脈の南北、スペイン領とフランス領に分かれて住んでいる。バ スク人の人口は2001年の国勢調査によるとスペイン領土に住む人たちが40万人ほど、ピレネーの北フランス領に住む人たちが20万人近くだという。属す 国が違ってもエウスカラ(バスク語)を話す限りバスクはひとつだと思っている。それに海を共有している。大西洋東部のビスカヤ湾が共通の海で、湾沿いの人 たちはもともとクジラ捕りなどの漁業を営み、りっぱな遠洋航海士でもあった。内陸の人たちは牧羊などの酪農経営をして緑あふれる豊かな故郷に住んでいると 自負している。
バスク人もバスク語もはるかな昔からもともとこの地域に居たという。どこから来たのでもない。アルタミラなどの洞 窟などに壁画を描いたクロマニオン人は自分達の直接の先祖だと威張っている。確かにバスク語は印欧語(古くはケルト語など)がヨーロッパに広まる前にそこ に在ったらしく、もちろんシーザーがロマンス語を持ち込むずっとまえから辺り一帯に生きてきた。バスク語に近しいことばも見つからない。コーカサスの言語 と似ていると言う人もいるが確かではない。
このことばにはさまざまな変わった特徴がある。他動詞と自動詞の主語が同じ格をもち、他動詞の主語が特別扱いになって、能格という格をつける。動詞の形が主語と目的語の人称で変わるなど、ヨーロッパの今の言語とは大変違う。また単語も人の名前も長い。
バ スク語には数え方によって6つか8つの方言がある。だいたい地域区分と一致していて、スペイン領土に4,フランス国内に3方言くらいがある。しかし慣用表 現を除くと方言差は大きいとは言えない。この2千年ほど印欧系の言語文化と宗教に囲まれてきたので、これらの語彙をたくさん取り込んでいる。そして前世紀 の後半まで社会的に劣勢の言語とされて、家庭内でこっそり使われていた。バスク語の復権が始められたのは、1968年に統一バスク語エウスカラが制定され て以来だった。10年後の1979年にはバスク地方自治が法的に承認され、その後の民主化のなかでバスク語が自治州内の公用語になった。それでも1999 年の統計ではバスク語を母語する者はギブスコア県で38.6%、ビスカヤ県で13.6%に過ぎない。この20年間バスク語義務教育のもとで育ち胸を張って 共通語を使えるようになった子供たちは、それでも就職に困っている。
バスク文化の中心はギブスコア大学のあるサン・セバスチア ン。ビルバオのグッゲンハイム美術館、ピカソが描いたゲルニカにも行ってみたい。渡部哲郎さんの『バスクとバスク人』を読んでから、吉田裕美さんの『バス ク語基礎1500語』を片手に、ちょっとテロ情報に気を付けながら。
《金子亨:言語学(2006年掲載)》